98 新生
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名将の敗北はドミニオン国に衝撃を与えますが、混乱に近い騒がしさを得るのは北部だけです。国土の南半分の地域においては、安定化に向けての朗報であると考える者も少なくありません。ミーナの軍政統治の地域が存在していても、自領に不利益はないと判断した南部貴族達は、安定と共に発展の機会がある事を理解しています。
そして、ミーナが向かった伯爵家領都セゼックの民衆は、良き領主を悼む気持ちと同時に、次期領主であるリヒャルト、ミーナ夫妻の統治に期待をしています。
対戦から3日後に領都に到着したミーナ軍は、何の抵抗もなく領都に入城して、新統治体制を敷きます。ジル・ベッカーの家族は、人質として王都に住んでいるため、ミーナはその処分に悩むことはありません。そもそも、この領地を永続的に統治するつもりはなく、ミーナは領主代行の地位に就いたのは、いずれベッカー伯爵家に領地を返還するつもりです。少なくとも、現時点においては、そう表明しておく方が、ドミニオン国からの反発が減少するのは間違いありません。
統治上の問題点がほとんどないため、領主の館に到着したミーナは、婚約者と共に2人の兄を領主の部屋に招きます。
「リース兄さん、バルド兄さん。援軍、ありがとうございます。」
部屋に入ってきた2人に謝礼を述べると、応接テーブルのソファーを勧めます。2人の兄も、ミーナも、リヒャルトも薄汚れた武具を纏ったまま、小綺麗にしてあるソファーに腰かけます。
「色々と話をしたい事があるが、大きなこと、大切な事から話をしたい。」
25歳のファロン家長男リースは、副宰相として、4人の父親としてずいぶん成長していて、落ち着き払っていて、全身から発する雰囲気には、ミーナでさえ安心感を覚えます。ひしひしと感じる強さも3年前以上になっています。5年後の暗闇の暴走の時、大の魔獣を駆逐するための準備ができている様子も見られます。
「分かりました。」
「まず、この先はどうするかを聞いておきたい。大河の南側、つまり、ドミニオン国の南半分を勢力下においた訳だが。ここからどうする?」
「王家の出方次第よ。できるだけ、戦いが少なくなるようにしたいと考えているわ。」
「交渉でケールセットをリヒャルト殿下の領地として、イシュア国との緩衝地帯にするという所までは話を進められそうなのか?」
「王家の懐刀である伯爵を撃破したから、前より話を聞く耳を持つと思うわ。」
妹が以前よりも人の心を考えながら行動している事に、妹も成長しているのだなと安心すると同時に、この交渉がうまく進まないと判断している事も理解します。他国の宰相が逃亡した王子を担ぎ上げて、国境を越えて侵略をしているのだから、王家として交渉の余地がないのは当然です。
貴族達は他の権威者に従う事で、家も財産も守る事は可能ですが、2つの王が並び立つことができないのは当然です。ミーナがリヒャルトを担がずに戦っていれば、異なる情勢を迎える事ができたことは間違いありませんが、今更それを言ってもどうにもならない事を、ファロン家の3人はよく理解しています。
「はっきり言っておくが、私は交渉でどうにかならないと思っている。ただ、私がこの状況をどうにかできる訳ではないから、ミーナとリヒャルトに任せるしかないと考えている。よろしくやって欲しい。そこでだ。」
「私は宰相を辞任するわ。この状況において、イシュア国宰相の肩書は邪魔にすらなるわ。それに、実際にイシュア国の国政を動かしているのは兄さん達だから、それで、どっちが宰相になるの?」
順当にいけば兄リースですが、宰相に関する内政問題に詳しいのは、弟のバルドです。
「私だ。リース兄さんには、貴族会議の議長職に就いてもらって、貴族達を統制する役目を担ってもらう。」
ファロン家一の政治家である次兄が、幼い頃から考えてきた政治をイシュア国で実現しつつあることを、妹として応援するのではなく、ミーナは利用しようと考えています。
「バルド兄さんに任せるわ。と言っても、今までドミニオン国に攻め込んだ事以外は兄さん達に任せきりだけど。」
「そうだな。だが、ミーナが決断してくれたから、今の状況がある訳で、私としては感謝している。」
「うん。」
「さて、宰相の件は良いとして、ファロン家の家長としては、ミーナの結婚についての話をしておかなければならない。リヒャルト殿下は、ミーナを妻とする事に異存はありませんか?」
「もちろんです。」
「政略結婚で決められた事ですが、婚約破棄を。」
「しません。ミーナ様に今は拒絶されても、好意を向けられる男になってみせます。」
ファロン家に来た時は10歳の貧弱な王子でしたが、今は戦場で武勇を発揮できる青年にまで成長しています。ファロン家の家長として、他国とはいえ王族である彼が妹の夫に相応しいとは思います。
「分かりました。それで、ミーナの方はどうなのだ。」
「どうって?」
「それは、まあ、うん。そういう事なら。」
頬を赤らめて恥ずかしがっている妹を初めて見た兄弟は、しばし言葉を失います。成長している姿を見守っているうちに好きになったのか、戦場で歯を食いしばって武勇を発揮している姿が好きになったのか、その辺りはいずれ揶揄いながら聞き出せばいいと考えながら、今後の戦略にとって重要な事を伝えます。
「ファロン家の家長として、2人の結婚を認める旨の文書を残しておく。リヒャルト殿下についても、ドミニオン王家が結婚を認めないと言い出さないとも限らないから、イシュア国の保護者、後見人として、イシュア国宰相バルド署名の結婚承認書も渡すから。機会があれば、いつでも結婚を発表してもらっても構わない。私からは、以上だ。バルド。」
「え、そこまで言ったのなら、最後まで。」
「この間の訓練で負けただろ。」
「ん、何か言いにくい事でもあるの?」
「まあ、言いにくい事ではあるが。結婚するタイミングは2人に任せるのだが、結婚式については、父上と母上を招待した上で行ってもらいたい。特に母上を呼ばないような事は駄目だからな。」
「ええ。もちろんよ。」
「それと、機会があれば、イシュアに戻るか、ケールセットに招くかのどちらでも良いから、父上と母上と顔を合わせるようにな。これは、エリカティーナにも伝えておくが。」
「そうね、分かった。2人に寂しい思いをさせてしまったわ。」
しんみりとするミーナを見守るリヒャルトは、ファロン家の4人兄妹の関係を羨ましく思います。正確には、両親を含めた一家が羨ましく、自分もその1人に加わる事ができるのは幸せだと思います。
「おい、バルド。」
「うん。」
「他に大切な事があるの?」
「一度しか言わないから、2人ともよく聞くように、そして、色々と聞き返さない事。これは父上と母上にも通してある話だ。」
「分かった。」
「2人の結婚は正式に認められた。つまり、夫婦も同然であるから、子供ができるのは当然のこと。イシュア国では18歳成年ではあるが、ここは異国の地であり、年齢を気にする必要はない。リヒャルトも16歳、戦場でも立派な武勲もある、もう一人前である。」
2人の兄も年若い夫も顔を真っ赤にして俯いているのを見ているミーナは、冷静に自分が23歳である事と、5年半後に訪れる暗闇の暴走への準備について考えます。一族の未来を考えれば、史上最強の女戦士レイティアの血を引いている自分が、できるだけ多くの子を産まなければならないし、そうしたいと考えています。
18歳から出産して、25歳までに4人を出産して、28歳の時に暗闇の暴走を迎え討つというのが、理想的な計画です。しかし、7歳下のリヒャルトと婚約した事で、その理想的な計画はすでに破綻しています。
血を残す使命を果たすためには、リヒャルトの18歳成人を待つ余裕はなく、今からすぐに出産する方向に舵を切って、どうにか暗闇の暴走の前に2人を出産する計画をミーナは立てることになります。
ミーナ・ファロンが宰相を辞任した事で、遠征軍の総司令官という立場を失います。彼女に残される肩書は、リヒャルト王弟殿下の婚約者となり、形式上は彼の下に就くことになります。
そのため、ミーナ軍の5部隊を再編します。各部隊からドミニオン国に根を張る覚悟ができた隊員を募って、第1軍1200と第2軍2400を作ります。この2部隊をリヒャルトとミーナが指揮する事になり、中南部地域の要石となります。
これまでミーナを支えていたノースター軽戦士隊とモーズリー騎馬隊は2部隊に兵員を供出した後、残りの人員は軽戦士隊として、ケールセット所属の部隊となります。これまでの功績に応じるために、新設する村3つの統治権を所有して、各々が自身の土地を所有する事になります。
ファルトン重装歩兵隊は、一部の希望者には第2軍への所属とイシュア国への帰還が認められますが、ほぼ全員が、虐殺を受けた都市アザランの防衛軍になります。隊長シモンが、イシュア国の男爵位を受けて、この都市を中心とした地域の領主になります。エリカティーナの統括する精霊教会が存在しているため、その支配地にする案が出ますが、宗教勢力が強大な土地を治める事があってはならないという新教祖の言葉によって却下されます。精霊教会を庇護する者が必要である事から、誰も統治したがらない土地を、軍略家シモンが受け持つことになります。南部の中心地になれる都市である事を考慮したミーナの判断です。
ベルルーカ弓兵隊は解散します。隊員全員に自由な選択権が与えられて、イシュア国の森に戻る者もいれば、各部隊や、各都市の防衛に分散していきます。優れた弓兵の需要は高く、隊長ジャックと副隊長マーゴットがどこに所属するかは、注目の的でしたが、順当に新生第1軍と第2軍に配属されます。30名ずつ優秀な弓兵も配属していて、一撃必殺の射撃能力を両軍に持たせます。
イシュア国の王都で新設された第5騎士団は、ドミニオンの地で解散します。充分な功績を得た彼らは、高額の報奨金を手にして、自分達の新たな場所に分散していきます。イシュア国へ帰還する者、ドミニオン国の南部地域に定住する者、新生軍に参加する者に三等分されます。いずれも戦いから引退する訳ではなく、元々の能力の高さと教養の高さを買われて、行く先々で厚遇とより高い地位とで迎い入れられる事になります。
大きな戦があるかはミーナにも分かりませんが、ドミニオン国に大きな変動が訪れる事だけは確定しているため、ミーナはその大きな動きに対応できるように、より強固な部隊を作ると同時に、戦の中で成長した人材を各地に分散させる事で、ドミニオン国における拠点である南部地域を固めます。
これまでのように、南部が戦場となり、その防衛で振り回される事がないようにしてから、北を目指します。




