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INNOCENT SOUL  作者: 千柳亭 春宵
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~The End of the Innocence~

レクサールが大陸から姿を消して十年余り。時代は、レクサールの予測を越えて暴走していた。

宮廷魔術者集団に奪われた古代魔法は、大陸の勢力地図を書きかえた。だが、その運用を誤ったことからに大陸中に「エテルナの子供達」と呼ばれる生来メイガスクラスの魔術者に匹敵する能力を持つ者をも出現させていたのである。

魔法司となったナイジェルは子供達を懸命に保護するが、排斥の動きは北の神殿にも及ぼうとしていた。


この小説は「千柳亭書房」にも掲載しています。

今回掲載にあたり、チェック程度の加筆修正はしました。






「…私はユートラップ騎士団長カーツ・ドミトリーシュだ。騎士団長の職務に拠って国王陛下に謁見願って参った! 何ゆえ取り次げぬのか、ご説明願いたい!!」

 普段穏やかなカーツがにわかに声を荒げたことに、それまで面憎い程の冷静さでカーツの要求を拒否していた二級書記官が一歩後退する。

「…と、とにかく陛下は現在政務に入っておられます。また後程ご連絡致しますので…」

「…ユートラップの騎士団長が、国王陛下に目通り願うのは政務のうちに入らぬと申すかっ!!」

 書記官が文字通り震え上がる。しかし、カーツはそれ以上を言わずに踵を返した。

 王城を退出するカーツを、王城兵や官吏たちは遠巻きに見ていた。

『…ひどい時代になった…』

 レクサールが大陸から姿を消して十年余り。時代は、レクサールの予測を越えて暴走していた。







      ACT.1


 レクサールが《昇華》したあの日から、パラーシャの顔から表情が消えた。

 彼女はレクサールの指示どおり僅かなセキュリテイを残してシステムを封鎖し、自らも休眠状態とした。全てを人の目から覆い隠すための処置であったが、こともあろうに、かつてレクサールが救った人々の手引きでその存在が知れた。

 《遺跡》を探していた宮廷魔術者集団に利用されたのである。…挙げ句彼らは盾に取られ、ナイジェルは自らカーツのもとに《鍵》である封印されたルクシードを取りに行くことになる。

 パラーシャとて無抵抗であった訳ではない。事実、神殿に侵入された段階で、serial-01を起動して排除を図っていた。

 serial-01は神殿の守護聖獣像を模した投射映像を使い、警告の後、発砲。…本当ならそれが何であるかすら理解できない彼らが、セキュリティに勝てる訳もなかった。

 しかし、流血を忌んだナイジェルがレグナンツァ・マイスターとして中止を命じたため、システムは宮廷魔術者集団の手に落ちた。


 ──────確かに、ナイジェルの判断は甘かったかも知れない。


 L-systemへの介入を了承する代わり、必ず自分かパラーシャを通すようにというナイジェルの条件は、軟禁をもって報われた。所詮、至高の魔術者・魔法司といえど十代の子供…彼らにとってナイジェルはほんの子供でしかなかったのだ。


 そして、暴走が始まる。


 大陸規模の異常気象は、約3年で終息した。しかし終息に向かう中で大陸の変化、そして彼らの犯した過ちに気づいた魔術者集団はL-systemを放棄…ナイジェルとパラーシャはようやく軟禁を解かれた。

 カーツもまた、その間無為無策でいた訳ではない。二人が軟禁されたことについても、無論魔術者集団の最高指導者に直接怒鳴りこみもしたし、騎士団長の職域を越えると知りながら、処罰覚悟で国王への直訴に及んだこともある。しかし体よく受け流され、もみ消された。

 カーツは、まだまだユートラップに必要な人物だったのだ。彼自身が望むと望まざるとに拘らず。


 北の神殿を包む森の中。ふと、カーツは足を止めた。森の向こうから、無邪気な子供達の笑声が聞こえたのだ。

 十年前の異変から、ここは少しずつ寒くなっている。動物たちの姿も減り、土地は痩せた。降雨量が激減したため、神殿そのものの水は辛うじて地下水脈からの潅漑で保てるものの、その周囲の森を賄うだけの水はすでに土地にはなかった。ゆえに、この森もまた死につつある。一昨年流行った病気で多くの木が立ち枯れたことも、それに拍車をかけていた…。


 ──────しかし、死にかけた森の中でも、小さな生命が息づいている。


「…見てみてぇっ!! パラーシャぁ!」

 金褐色の髪の童女が、自分の身長の3倍ばかりのところで空中に浮揚していた。風の精霊、地の精霊との契約による飛行呪文。術者自身の跳躍力にわずかに弾みをつける程度の呪文なら術士レベルでも行使できるが、飛行呪文となるとメイガスクラスだ。それも、バランスが難しいためメイガスクラスならだれでもできるという代物ではない。

 その飛行呪文を自在に操る童女をあっけにとられて眺めていると、子供達の輪の中心に座っていたパラーシャがこっちを見つけて立ち上がった。

「カーツ卿…」

「凄いね。来るたびにみんな上手になる」

「ええ…この程度は殆どの子がこなすようになってしまいました。そのうち私も追い越されてしまうかもしれません」

 こんなときだけは、パラーシャも微笑う。だが、その笑みからも深い悲しみの翳りが拭われることはない。







      ACT.2


「…どうもきな臭くなって来た。若いヤツらは血気に逸るばかりで、魔術者集団にいいように操られている。てんで話にならん。…情けない話で申し訳ないが、私では抑えきれなくなるのはもう時間の問題だ。

…すまない」

 カーツは項垂れた。実際、これほど自分が情けなく思えたことはない。宮廷魔術者集団を向こうに回した10年前とは違う。今度は自分の部下である騎士団員すら半数近くが味方ではないのだ。

「いいえ…」

 カーツと卓を挟んでちょうど反対側に座っていた青年が立ち上がって言った。

「…申し訳ないのはこちらです。僕の判断の甘さが子供達から優しい親を奪ってしまった。そしてここまで事態を悪くしてしまったのに…。

 あなたには感謝しています。立場のある方なのに、いつも助けてくださって」

 魔法司・ナイジェル。今では24歳の立派な青年だ。

 大陸の気候を、ひいては大陸の勢力地図すら書き換えた気候制御機構。魔術者集団は確かにその起動・操作には成功したが、その過程で重大なミスを犯した。出力調整を誤り、動力システムの一部が過熱を起こしたのだ。このため有害な物質が排気筒を通じて地上へ流出…その結果として以後数年、特異な子供達が生まれることになる。


 ─────ナイジェルが悲しみを込めて「エテルナの子供達」と呼んだ、生来メイガスクラスの魔術者に匹敵する能力を持った子供達の誕生である。


 子供達は身体的にはひどく弱い。あらゆる病気に対する耐性が極端に低く、普通の子供達なら難無く治癒する病気が命取りになることも多い。苛烈な太陽光線によって激しく消耗し、傷を負うこともある。

 それでも、人々は子供達を恐れた。大の大人が何十年と修行してようやく獲得できるかできぬかというメイガスクラスの魔法を、生まれながらにして身につけている子供達。羨望は嫉視と結び付き、それはやがて排斥の動きへとつながる。


 4歳や5歳、ひどいときにはようやくよちよち歩きを始めたばかりの幼児が、寒風吹きすさぶ路傍に打ち捨てられた。そしてたくさんの子供達が、そのまま生命の灯を消していった。

 事態に気づいたナイジェルとパラーシャは文字通りユートラップじゅうを駆け回り、子供達を保護した。そして北の神殿に匿い、養育したのだった。


 子供達が捨てられた主な原因──能力の暴走──は、魔法司たるナイジェルならば簡単に封じることができた。封じ、ある程度物心ついたら制御することを教える。そうして、能力に振り回された子供達はその能力を自在に操ることができるようになっていったのである。


 しかしそのことは、かえって魔術者集団の危機感を煽ってしまった。


 宮廷魔術者の中でさえ、メイガスクラスとなると長老格の扱いを受けるのが普通だ。30代までにメイガスクラスに到達する者は、まずエリートと言えた。それが、10歳に満たぬ子供達が既にその域に達している。彼らが成年となったころには、一体どこまでいくだろう…。

 システム起動について重大な失敗を犯した魔術者集団には、すでに子供達に干渉するだけの力はなかった。だが、少なくとも排斥された存在である子供達よりは、王都の人間に対して発言力を持っていた。


『魔術の力を得た子供達は、自分を棄てたものへの報復を始めるだろう』


 根も葉も無い、それは明らかな中傷だった。しかし後ろ暗いところのある人間には、現実感を持った脅威として刻み付けられた。

 たとえ根も葉も無い中傷であっても、信じる者が多ければそれは真実となる。ついに北の神殿は、謂れなき出兵の対象となるに至ったのだ。

 無論、子供達を知るカーツはそんな話に惑わされはしない。しかし出兵命令は正規のものだった。命令を受けて激昂したのも無理はない。


「かような命、陛下が下されるわけはない。畏れ多くも陛下の名を騙り、栄光あるユートラップ騎士団に子供を虐殺させんとする者がいる!」


 命令書片手に王城にどなりこんだが、結局目通りもできずじまいだった。王城の側近連中にも、己の子を棄てた者がいる。魔術者集団の言葉に惑わされて取り次がなかったのだろう。

 だが、国王に直接掛け合うことができれば、この無茶な命令を撤回してもらうことも出来る。かの一件の影響を受けた子供を捨てることを、勅令によって禁じた国王なら…。少なくとも、カーツはそう信じていた。

「…何とか、命令を撤回…それが出来なければ無効にしてもらうよう、国王陛下に直接掛け合ってみる。…正規の手続きがダメなら…」

 そこまで言って、カーツは口を噤んだ。

「………」

 あるのだ。ひとつ、有力な手段(つて)が。国王にも信頼あつく、宮廷内で強い発言力を持つ人物。


 しかし、それは…。


 言いよどむカーツの、喉元まで出かかっている名前を、ナイジェルはあえて先取りした。

「…主席書記官クリス・クローソー=クーンツ、ですね」

 カーツは沈黙するしかなかった。クリス…かつてはナイジェルが師レクサールの次に尊敬した兄弟子であり、大権魔法司。階梯こそナイジェルは彼を追い越してしまったが、クリスが大陸《最強》の魔術者である事実はいまだ揺らいではいなかった。

 しかし彼が、その力を以てしたことは──────。

 パラーシャの、伏せた睫が僅かに震えた。

「…掛け合う価値はある。ひとつ、俺に任せてくれないか。いくら出兵命令が出ていると言っても、この俺が王都を動かなければおいそれと騎士団が動くことはないだろう」

 カーツがようやくそれだけ言ったのは、かなり時間が経ってからのことだった。







     ACT.3


 カーツを送り出し、神殿へ戻ろうとして、パラーシャはふと陰鬱な空を見上げた。

 この神殿の周りの空の色は、森の外とはやや違って見える。子供達を太陽光線に含まれる有害な光から守るために、パラーシャがL-systemを用いて神殿の建物を中心として半球状に展開した特殊な《場》のためだった。

 この内ならば、子供達も太陽の下で普通に暮らすことが出来る。ただし、免疫力の低さばかりはいかんともしがたく、感染症については対症療法でいくしかなかった。

 こんな限定された生活を強いられた子供達。それが、保身の手段として発達させたであろうわずかな能力を理由として、何ゆえに彼らは害そうとするのだろう。


『滅びてしまえ…!』


 パラーシャは、思わず立ち止まった。今のは何だ?

 それは彼女のような卓越した戦士が慄然とするほど、凶暴な意志だった。周囲に、その意志を放散した存在は感じ取れない。一体、今のはなんだったのか…。

 不気味な予感を振り払うように、彼女は軽く頭を振り、歩き始めた。


 ─────今やこの大陸に、子供達の味方は騎士団長カーツ・ドミトリーシュしかいないと言ってよい。しかしそのカーツにも限界がある。彼がいくら魔術者集団と不仲とは言え、ユートラップ国王に忠誠を誓った騎士団長である以上、国王の意志には逆らえないのだ。


 急激な…急激すぎる王国の膨張は、時代を発狂に追い込もうとしていた。他民族の急激な流入、それに伴う人口増加、犯罪増加。治安は不安定となり、対外出兵が減った代わりに治安出動が激増するありさま。そして出動する側にもじわじわと腐敗が広がっていた。

 発狂した時代の行き先は、破局と相場が決まっている。

 パラーシャの危惧は、子供達はその破局を回避するための犠牲の羊(スケープゴート)とされつつあるのではないかということだった。いつの世も、人の血が大量に流されなければ人は目覚めることはない。しかし、子供達に彼らの破滅を救ってやる義理はない筈だ。


 滅ぶなら…。


 自分の危険な感情に気づいて、パラーシャははっとした。 自分はいつから、こんな危険な考え方をするようになっただろう。オペレーションドールとしては有り得べからざる衝動だった。







       ACT.4


 訪ねて行ったカーツを、クリスは一般の客を通す広間ではなく、外の喧噪が聞こえない奥まった一室に通した。

 最悪、門前払いも覚悟していただけに、カーツは意外の念を禁じ得なかった。

「使用人が少ないもので…散らかっていて申し訳ない」

 そう言って茶と茶菓を卓上に置き、クリスは椅子にかけた。

 ユートラップ王国主席書記官、クリス・クローソー=クーンツ。若年で宰相をも手の届く地位に駆け上がった宮廷の異端児は、かつて大陸最高の魔術者と言われたレクサール=セレンの弟子であり、その階梯は魔法司に次ぐ大権魔法司にまで達する。


 しかし十余年前、師レクサールと袂を分かって北の神殿を離れている。

 その原因は、L-systemにあった。


 システムの危険性を感じたクリスは、早いうちからシステムの封印を進言してきた。師レクサールはそれをあえて強硬に否定はしなかったのだが、また積極的に肯定することもなく、結局ずるずるとシステムを稼働状態においていたのだ。

 やがてクリスの危惧は的中し、当時存亡の危機にさらされていたユートラップを救うための力としてL-systemが狙われ始める。

 師と話し合うことを諦めていたクリスは、この時およそ最初で最後の実力行使に及んだ。

 システムと人間をつなぐインターフェイス。オペレーションドールであるパラーシャを、およそ彼を知る人からは絶対に信じられない手段を用いて抹殺しようとしたのだ。


 ────────呪殺である。


 パラーシャさえいなくなれば、師レクサールの踏ん切りがつくことをクリスは知っていた。レクサールとてシステムの危険性は認めていたからだ。

 しかしそれは結果として失敗に終わった。呪殺はレクサールによって事前に感知され、レクサールはそれを我が身に振りかえたのだ。

 呪詛を返すことは不可能ではなかった筈だが、あえてレクサールはそうしなかった。そして…。


 あの光景を、カーツは忘れない。


「…落ち着いておられますね。出合い頭に罵倒されるかと思っていましたよ」

 最初に口を開いたのは、クリスだった。

「俺は門前払を食わされるかと思っていたさ」

 クリスは苦笑した。

「これは…随分嫌われましたね」

 かつては、カーツが剣の稽古をつけたこともある。しかし、たった十余年前のことであるにもかかわらず、それははるか遠い昔のことのように思える…。

 カーツはしばらく押し黙っていたが、やおら頭をあげた。

「…ややこしい前置きは抜きだ。クローソー卿、至急、国王陛下に謁見したい。取り次いでくれ」

「…謁見して、なんとされます?」

 クリスの言葉は、余りにも静かだった。その静けさに反論を封じられ、一瞬黙る。だが、気を取り直して言葉を継いだ。

「あの無茶な出兵命令の真意についてお尋ねする。卿とてあの命令がどんなに無意味なものか分かるだろう!」

 クリスの表情は動かない。

「《勅令》を撤回することは不可能です。ことは陛下の…王国の威信に関わることだ。それが理解らないあなたではないでしょう」

「あの無茶な命令を実行することこそが、王国の威信に関わるとは思わないのか。…言いたくはないが、卿は一体何をしていたのだ? まさか卿までもあの莫迦な噂を信じ込んだ訳ではあるまい」

「…宮廷魔術者どもを始末しておかなかったのは、確かに私の不手際です。しかし、命令は出されてしまった。今更どうしようもありません」

 年若い主席書記官の声は、憎らしいほどに淡々としていた。

「何故だ。何故そんなに平静でいられる?ここ数年で、みんなどうかしてしまったのじゃないか? どう飾り立てたって、あの命令は神殿の子供達を虐殺しろと言っているようなものだ。まともな神経じゃない!!

 そんな命令を…クローソー卿、卿なら実行できるというのか!?」

 カーツの拳が卓を打つ。派手な音がして、卓の上の茶器が躍った。

 王城の二級書記官にむけて怒鳴ったときでも、これほどは激していなかったであろう。

 あのレクサールをして逸材と言わしめたこの青年を、カーツはある意味で信用していた。10年前の出来事を忘れた訳ではないが、宮廷魔術者たちのような無分別の輩とは違うと心のどこかで思っていたからだ。だからこそこうやって交渉の糸口として選びもした。


 その信用も所詮は空しいものであったのか──────?


 落胆は、容易く怒りに変わる。…その寸前。

「────あなたは、ルフトシャンツェを知っていますか?」

 クリスは、傍らの水差しに手を翳した。その動きに導かれるようにして、中の水が空中へ迸り出る。

 水は、巨大な水滴として空中に留まる。その水滴の中に、荒涼とした風景が浮かび上がった。

 西域の山岳地帯・ルフトシャンツェ。多様な鉱産資源に恵まれた地であり、そのしのぎやすい気候と風光をこのまれ、王侯貴族の避暑地としても名高い場所だった。


 …10年前までは。


 だれも、その日までは知らなかった。そこに、L-systemの排気筒のひとつがあったことなど。

 そして、最初の兆候は生命サイクルの短い虫たちに現れた。

 異形の昆虫が大発生し、あらゆる草木を食らいつくした。彼らを捕食するはずの小動物は突如として繁殖力を失い、やがて住処となる森を失って姿を消した。森を食らいつくした虫たちも、また。

 森を失った丘陵は、嵐のたびに崖崩れを起こす危険な荒地と化した。

 人々は早々にそこから撤退していた。しかしまだこの頃は、豊富な鉱産資源が魅力あるものであることには変わりなく、近隣の寒村から採掘ために人が入ることがあった。

 それが完全に途絶えたのは、西域全体を襲った大地震以降のことである。

 脆い荒地は、大地のわずかな身震いで驚くほど地形を変えてしまった。辛うじて残っていた山道は寸断され、切り立った岩肌が露出する巨大な岩山と化したのだ。

 行き場を無くした異形の動物たちがここへ流れて住み着くのとも相俟って、やがてここは禁域とされるようになった。

 …そして、人間もまたその災禍を逃れることはできなかったのだ。

「西方の禁域…ルフトシャンツェか。酷い変わりようだ…。知っているさ、北の神殿に匿われている子供達のうち、もとは貴族階級に属していた子のほとんどがあの離宮で生まれたんだ。その後ろめたさが、結局だれもこんな無茶な命令に異を唱えさせなかった。だが、陛下とて子供達のことをよく聞かれれば…」

 クリスはどこか虚ろな眸に水鏡を映したまま、暫時沈黙していた。だが、ようやく口にした言葉はカーツを硬直させるものだった。

「…お言葉ですが、無駄です」

「なっ…!」

 水鏡の映像を消し、カーツに向き直ってクリスは言葉を継いだ。

「陛下は今回の出兵をご存じだ。陛下ご自身がその意味を理解されたうえで、あえて出兵命令を出されたのです。いくらあなたが直接掛け合われたとて、陛下は翻意なさいますまい」

「何故だ!何故陛下が!!」

「…グラティア夫人が産んだ第3王女に会ったことは?」

 カーツは、不意に話を変えられたことにめんくらいはしたが怒りはしなかった。

「…一度だけ…ナラセナ行幸の警護の時に。まだ夫人の膝の上に抱かれていたが…可哀想に、あの後ほとんどすぐだったな。あの子が何か…」

 言いかけて、思わず息を呑む。

「…まさか」

「第3王女の死は病死ではない。…グラティア夫人は死を賜り、王女は荒野へ放擲された。遺骸は確認されていない。…陛下は、王女もまた北の神殿に匿われたと信じ、恐れている」

「第3王女もあの一件の影響を受けていたと!?」

「わが子を捨てた者を罰した手前、一番後ろ暗いのはほかならぬ陛下。…まさか、王女までがとはお思いにならなかったのでしょう」

 クリスの顔には、落胆も苦笑も、そして諦めのかけらさえも浮かんではいない。さながら人形のような表情ではあった。クリスだけではない。今の王城は何かが狂っている。誰もが、大切な何かをどこかへ置き忘れたような…。

「…どうかしている…皆、どうかしてしまっている……!」

 カーツは、握りしめた拳を卓に押し付けて唸るように呟いた。

「…そうかも知れませんね…」

 その他人事のような静けさに、カーツがついに声を荒げた。

「お前はどうなんだ。お前もまた、子供達を見殺しにするのか!?」

「…子供達はいずれ標的になるでしょう。いま騎士団が動かなかったとしても、いずれは暴動が起こって子供達を歴史から消してしまう。時代はまだ、子供達を受け入れることができないから…」

「受け入れられなければ滅んでしまえと言うのか」

「子供達は今、時代から隔離されている。子供達もまた、時代を受け入れることができないがため。隔絶された存在の間に、理解の橋が架けられることはない。永遠に」

 クリスの魔法書を誦するような無感情の抑揚のなかに、カーツが微かな感情のゆらめきを感じたのはこのときだった。…が。

「…!」

 不意に、水鏡が砕け散った。術者の集中が乱れたのだ。

 水差し一杯の水が勢いよく散ったのである。床は一瞬にして捩れた放射状の模様に塗り替えられた。カーツが一瞬呆然としたとき、せわしいノックと共にクーンツの家人の声がした。最初の数語は声ばかり高くまともな言葉を成してはいなかったが、ようやく聞き取れた言葉にカーツは弾かれたように廊下へ走り出ていた。

「…外を…外をご覧ください…! あれは一体!?」

 蔀戸を跳ね上げるまでもなく、轟音が重厚な建物を軋ませ、時代のかかった窓枠を歪めた。カーツが飛び退くのが一瞬遅ければ、撓められ砕け散った蔀の破片に胸を貫かれていたところだ。

 低く垂れ込めた陰惨な雲は、北の上空を中心に紅く染まっていた。

 紅の中心から、巨大な光の箭が大地に向かって放たれる。静寂の数瞬の後、轟音と共に次の衝撃が来た。

 弾け飛んだ窓から、土石やへし折られた木々が突風と共に襲いかかる。おろおろしていた家人が頭に木片を受けて昏倒した。

 カーツは身を低くして近寄り、文字通りたたき起こす。

「…なにが…何があったんだ!?」

「わたしどもにも何がなんだか…」

 額をさすりさすり、それでもまともに受け答えをした。とりあえず命に別状なさそうであることに安堵して、カーツは北の空を睨む。

 不意に、光幕が周囲を覆った。突風が遮られ、落下する土砂からもカーツと家人を守った。

「…ジュピトリス・ショット…」

「…何?」

 後ろを向いて振り返るまでもない。どうせなら突風が来る前に張れと怒鳴りつけてやりたいところだったが、今はそれどころではない。

「拡散型の対地衛星砲…。システムが制御する重火器の内でも、最も破壊力が大きいものの一つです」

「システム…! じゃ、これは…」

「…他には考えられない…。ホルト、騎士団は出陣したのか?」

 ホルトと呼ばれた家人は腰を抜かして動けなかったようだが、なんとか主人の質問に答えた。

「はい、お昼少し前…お客様がこちらにいらしたころでしょう。見に出た者の申しますには、全軍出撃という訳ではなさそうだと…」

 ホルトの言葉を、カーツは最後まで聞かなかった。

「馬を借りる!」

 それは断りというより、ほとんど宣言に近かった。

「よろしゅうございますが、厩は先程の音でひどい騒ぎに…」

 カーツはもはや聞いてはいなかったが、その言葉どおりであった。立て続けの轟音に馬は一頭残らず恐慌に陥っており、仕切り板を踏み破るやらお互いを傷つけるやら、迂闊に近づけば蹴倒されかねない。それどころか、一頭が厩に入って来ただけのカーツに歯を剥き出して襲いかかって来た。

 飛びのく暇もあらばこそ。躱しきれず、袖の端を食い破られる。

 馬の口の中で、堅い音がした。(カフスボタン)だ。香木をその樹脂で固めたものだが、相当に硬い筈。我を忘れているとは言え、凄まじいばかりである。

「く…」

 そのとき、奇跡が起こった。

 袖ごと釦を咀嚼していた馬が、にわかに項垂れて足踏みをやめたのである。何故、などと考える余裕はない。厩の外へ導くと、馬はおとなしく従った。轡や鞍をつけるが早いか飛び乗る。


 ──────北へ!







     intermezzo


 パラーシャは絶望的な光景を睥睨しながら、静かに嘆息する。

 多くを望んだつもりはなかった。

 子供達と、この北の野でひっそりと生きていくことができるなら、後はなにも望まない。

 だがそれさえも、彼らは許さぬという──────。

 我々は、それほどに憎まれねばならぬ存在なのか。彼らにとって、それほどに共存を許容し難い存在であるのか。ならば仕方がない。どちらかが滅びるしかないだろう。そしてそれは、絶対に子供達の辿る運命にはさせない。


『滅んでしまえ…!』


 いつか、彼女を慄然とさせた凶暴な意志。放散した存在が感知できなかったのも当然だった。…今ならばわかる。あれは、彼女自身だったのだから。

 訳もなく笑いがこみあげ、喉の奥でそれを押し潰しながら天を仰ぐ。やはり自分はあの日に壊れてしまっていたのだろう……。

 ──────もはや、途は一つしか残されていない。







     ACT.5


 パラーシャは薙ぎ倒されたまま動かない甲冑の群れを睥睨し、帯びていた片手半剣(バスタードソード)を腰から鞘ごとはずした。

 レクサール最後の作品、砕星剣・アスタルテ。

 暫時何かを振りきるように眸を閉じ、鍔に軽く口づける。次の瞬間、鞘を払った。

 擲たれた鞘が焼け焦げた大地に突き刺さる。

 乗騎を失い、焼け焦げた鎧のパーツを投げ捨てて斬りかかってくる若い騎士の剣先を躱し、胴を薙ぐ。麻袋でも裂くかのように鎧が割れ、膝を折ったところを左頸部から斬り下ろした。

 高価な鎧は用を成さず、氷刃は椎骨まで砕いて止まる。

 とうに息絶えた騎士の身体を剣先で立たせ、パラーシャは起き上がりはじめた騎士たちを見据えた。

 その姿は、恐らく彼らには鬼神のように見えたに違いない。

 篭手のひとつもつける訳ではなく、盾もなく、ただ平服に一振りの剣を携えるのみ。その右半身を血に染め、生気のない貌のなかでただ青紫の眸だけが炯々と光る。


「…私は警告する」


 低いが、強い声だった。しかし、自然な抑揚を欠いていた。

「剣をひき、仲間の屍を引きずって即刻この地より去れ。さもなくば…おのれら全員、同じ運命を辿る」

 たかが女一人。そんな科白を吐ける者はもはやいなかった。この細い躯が、王国騎士級、それ以上の膂力と剣技を有することは、彼らの足元に倒れ伏す仲間たちが無言のうちに証明している。

 戦慄を覚えなかったものはいないであろう。しかし、彼らは逃げられなかった。ユートラップの精兵としての矜持が、彼らの足をその場に縫い止めた。


「…それが答えか。それも良かろう」


 凍てついた空気の中、そのとき確かに、彼女の口許には笑みが浮かんだ。…名状し難い笑みであった。

 それに触発されたかのように、上ずった鬨の声とともに突撃が始まった。

 笑みは消え、ヴァイザーを降ろして位置計測に入る。距離の三分の一も詰めないうちから、最前列の人馬が雷光に薙ぎ払われた。

 しかし、狂躁状態にある集団はそう簡単に止まるものではない。二度、三度と無秩序な突撃が繰り返されたのち、彼らが折り重なる同胞たちで前に進めなくなったところでようやく終息をみた。

 光に撃たれなかった者をあらかた斬り伏せて、パラーシャが剣を降ろした一瞬。


 ───────低い位置から繰り出された騎槍が、彼女の脇腹を掠める。


 しかし、パラーシャはよろめきさえしなかった。柄を捉え、同胞の骸の中に姿を潜めていた騎士を文字通り片手で引きずり出す。そして、切っ先を下に剣を持ち替えた。

 栄光あるユートラップ騎士が恥も外聞もなく頭を抱え、身を竦ませた一瞬。パラーシャの剣の鍔元に、星状紋の入った長剣の切っ先が当たる。

 大陸に冠たるKnight of Light、ユートラップ騎士団長カーツ・ドミトリーシュの佩剣…破天剣グレンデル。

 はるか右手の丘の騎影に気づいた騎士たちは歓声を上げたが、それは雷のような怒声をもって報われた。

「おのれら、誰の許しを得て出陣したか!? 騎士団の名を汚す痴れ者めらが!!」

 剣を取り落としこそしなかったが、パラーシャの右手は軽い痺れを残していた。ヴァイザーを上げ、騎士の頸椎を両断するはずだった切っ先を、足下へゆっくりと降ろす。

 駆けつけたカーツは、まだ頭を抱えている騎士を叩き起こすと、仲間のいる方へ蹴飛ばした。

「退がっておれ。いずれ、おのれら程度の敵う相手ではないわ」

 若い騎士がみっともない格好で退がるのを半ばまで見送り、カーツはパラーシャを振り返った。

 パラーシャはグレンデルを拾い上げ、無言のうちに柄をカーツへ差し出していた。受け取り、鞘へ納めはしたものの、暫時カーツは言うべき言葉もなくして立ち尽くしていた。

「…すまない。俺の監督不行き届きだ。二度とこんなことはさせない。だから…」

「あなたに、それがおできになるか」

 信じられない言葉を聞いて、カーツは思わずパラーシャを凝視した。カーツの見まちがいでなければ、聞き違いでなければ、彼女は笑っていた。

 血に彩られた、凄惨な笑みであった。

「栄光あるユートラップの騎士団長殿よ。北の神殿に寄留する者の掃討は勅命の筈。あなたに、勅命に背くことがおできになるか!!」

 そう言い放つが早いか、アスタルテを地から引き抜き上段からの一刀を浴びせる。カーツはそれを、鞘のままで受けた。

「何故だ、パラーシャ!」

「カーツ殿、私はあなたが考えておられるよりはるかに辛辣で…そして狡猾なのです。どうか真剣でお立ち会いを。私はあなたを傷つけたくはない」

「俺には理解らん…! 俺は、君と争う剣は持たんぞ!!」

 交差する剣の向こう…パラーシャの表情は動かない。

「あいつとて、君にこんなことをさせるためにアスタルテを渡したのではなかった筈だ」

 カーツが渾身の力でアスタルテをはね上げた。並の剣士ならそれだけで均衡を崩して後方へ倒れるか弾き飛ばされている。だが、パラーシャはカーツの力すら利用して自ら跳躍していた。

「パラーシャ!」

 跳躍がただの回避ではないことぐらい、カーツにも予測がつく。だが、カーツは戦うつもりはなかった。

 二度目の打ち込みは、力を溜めていただけに一撃目より衝撃が強い。そのうえ、こちらは鞘のままだ。

「あなたにはご面倒ばかりかけるようになって、本当に申し訳ないと思っています。…しかし、わたしは子供達を守らねばならない。子供達の眠るこの丘の平穏を保つためには、彼らには是非ともここで死んでもらわねばならない。

 …それも、できるだけ惨く」

「…な…!」

 その時、カーツは気づいた。パラーシャの左手の指先が、淡く発光している。あれは…。

 カーツがパラーシャの思惑に気づく直前、その光が膨張し、破裂した。

 黄昏時の陰惨な薄闇を、閃光が切り裂く。騎士たちは思わず目を覆った。

 拡散する光の粒子が、一つ一つ消滅していく。それと同時に、カーツの姿が薄れていくのを、パラーシャは表情のない眸で見つめていた。

「……っ!」

 声は、もはや届かぬ。

 周囲に夕刻の薄闇が戻るまでの時間は、ほんの一瞬であったに違いない。しかし、騎士たちには残酷なほど長かった。

 パラーシャは、ゆっくりと剣を構えた。

「…さて、如何する? 指揮官殿はこのとおり跡形もなく消えてしまったが…」

 半ば口をあけて消失点を凝視していた騎士たちは、そのひとことで突撃を始めた。







     ACT.6


 王都は、嘘のような静けさを取り戻していた。既に、凄まじい衝撃波で吹き飛んだ窓や扉を修理し、散らかった街路を片付ける作業が始まっている。 誰しも、何が起こったか分からず、首をかしげながらの作業であった。

 クーンツ邸も、そんな慌ただしさの中にある。

 あるじであるクリスもまた、夕刻とは言え安穏と座している訳にも行かず登城の支度をしていた。非常時のことで、供を連れ歩くのも面倒と単騎で出たが、門を出て幾らも行かないうちに、声でない声に呼び止められる。


『そうやって、恨みばかりを買い込んでどうなさる』


 青い髪の、粗末な外套を羽織った青年の姿は、クリスがつい先刻通った橋の欄干の上にあった。

「ほかに、どういうやり方があったと?」

 騎首は返したものの、下乗せぬままに問う。

『国王に本当のことを話して、勅命を撤回させる…とか? 国王だって人の子でしょうに』

「そうして、意味もなく増幅された恐怖が暴動を引き起こすのを待てと?

 完全武装した騎士ならばともかく、飛礫(つぶて)鋤鍬(くわすき)で打ちかかる市井の人々が、彼女に殺せるか?」

『………』

 若い隠者は、体重を感じさせない動作で欄干から滑り降りた。

『だから騎士団の暴発を仕組まれたか。北の荒野に最強の騎士団の骸を並べ、恐怖を以て神殿の静穏を保ち、嘘で全てを覆い隠して人心を安んじるか。恐ろしい御仁だ』

「…何とでも」

『彼女には理解っていた。ああするしかなかったのだ。だからこそ、あんな無茶もした。しかし、全てがあなたの思惑どおり動くとは思われぬことだ。

 子供達の目覚めは400年というはるか未来に設定されてしまった。人々が全てを忘れるには20年もあれば十分だというのに。

 400年という時間の先に、人々に子供達を受け入れさせる心算はおありか?子供達が北の神殿を塗り固める嘘を知ったときの悲しみを償う術をお持ちなのか? 』

 クリスは沈黙した。

『…では、私はみていよう。いずれ私に、あなたを責め立てるような資格はありはしない』

 隠者は、短い呪文を口の中で誦じた。

『だが、覚えておかれるがよかろう。《オペレーションドール》はあなたを殺すことはないだろうが、《パラーシャ》には十分すぎる理由がある』

 その言葉が終わるのと、隠者が光の泡のなかに溶け込むのはほぼ同時だった。

 光の泡が消えるのを、クリスは少し疲れたような眼差しで見送る。それでも何事もなかったかのように再び騎首をめぐらせた。


 クリスがレクサールに師事する少し前のことだ。ドールズのひとり、コマンダークラス・ガーディアンドールが継承者たるレクサールの許可を得てシステムから離脱した。一介の魔術者としてエーモに暮らし、一時は宮廷魔術者集団に名を連ねたこともあるが、数年前に禁域となったルフトシャンツェに庵を結んだと聞く。


 何ゆえかはクリスも知らぬ──────。







    ACT.7



 カーツは、雨の音に目を覚ました。

 薄闇に、調度がぼんやりと浮かび上がる。…夜明けの闇。雨の音。静かな…

「…!」

 意識を失う直前の事を思い出し、カーツは跳ね起きた。

 燭台が床と衝突して立てた音に、隣室で控えていた従僕がはせつける。

「おお、本当にようございました。これといったお怪我はないようですのに、一向に気が付かれませぬし、頭でも打たれたかと…」

「…俺は、どこにいたんだ?」

「北の荒れ地にいたる谷の南側に倒れておいでなのを、ある方が見つけて連絡をくださいまして…まだ、当館にご逗留願っております」

 カーツは不快な頭痛に眉間を押さえた。

『…これが、転送魔法というやつか』

 遷移呪文の発展形ともいうべき呪文で、自身を移動させる遷移と違い、自分以外の物体を瞬時に遠方へ転送することができる。本来が人間など生きたものに適用する呪文ではないため、人間が転送された場合、個人差はあるが数時間から数日の意識消失をきたす。

「…出撃した奴らはどうなった…」

「今フェデルマ様のご指示で斥候を出ております。…が、この時間になって伝令一人帰って来ないところを見ると、おそらくは全滅かと…」

 フェデルマ=コノート。騎士団でのカーツの腹心である。若年ゆえ暴走を止められる地位にはなかったが、カーツにしてみれは彼をそういった地位につけておかなかったことが今更ながら悔やまれてならない。

「…全滅か…」

 カーツは呻いた。扇動にのって兵を動かしたのは彼らの自業自得とはいえ、その揚げ句が北の荒野で無残な骸を晒し、その骸をも利用されるとあってはもはや哀れとしか言いようがない。

「…俺を見つけて連絡をくれたというのは? 北の谷なぞ人が住む所ではないぞ。一体何者だ」

「は、それが…お渡ししておかねばならぬものがあると申されまして…そのこともあってご逗留願ったのですが…」

 カーツは怪訝な顔をして、暫時沈黙した。

「…会おう」







      ACT.8


 朝方の闇は、群青の絵の具をわずかに水に溶かしたような色をしている…。

 夜も明けきらぬうちから客人を叩き起こす訳にもゆかず、さりとて寝直すような余裕があろうはずもない。カーツは、何とはなしに庭園へ出た。

 薄闇のなかに、白い靄が浮かび上がる。煙るような白…花明かりだ。

 こんな樹があったろうか…?そう思い、近づいて気づく。

「…大きく…なったものだな」

 10年前、レクサールが最初で最後にこの館を訪れた日、『いい庭だが、惜しむらくは地の守りがない』と持っていた杖から魔術で成長させた樹だった。

 不思議な樹…。全体に人の心を穏やかにする芳香をもつ以外は、とんと性質がわからぬ。年毎に葉が落ちて全く形の異なる葉が生えてみたり、そうかと思えば数年は常緑樹のように緑を保ち続けたり…実をつけたことも一再ではないが、二度と同じ実が成った例はない。

 しかし、花を咲かせたのはおそらく初めてではなかったろうか。

 今更のように思い出す。あのとき猛り狂った馬が噛みちぎった釦は、馴染みの雑貨屋の勧めでこの樹から作ったものではなかったか。

「…莫迦野郎が…!」

 カーツの拳が幹を打つ。雨にうたれ続けた花びらが、たまりかねたように雫と共に降りそそいだ。

「おまえは希代の大莫迦野郎だ、レクサール…!おれなんぞの心配をするより前に、守るべき存在があったろうが…!」

『カーツ殿、私はあなたが考えておられるよりはるかに辛辣で…そして狡猾なのです』

 哀しい眸をして、形見の剣アスタルテを打ち下ろしたパラーシャ。彼女が狡猾なのではない。彼女は、そうするしかなかった…。

「…あの方を責めないでください。あれで、見かけよりはるかに不器用な人なんですよ」

 ふってわいたような人声にカーツは思わず無防備なリアクションを晒してしまったが、薄闇の中に夜明けの闇と同じ色の髪を認めて向き直った。

「御辺は…?」

 粗末な外套をはおった隠者。レクサールと何処か似ている、と思ったのは、年齢不詳な雰囲気が共通している所為か。

「Knight of Lightには初めて御目文字(おめもじ)(つかまつ)る…私はルフトシャンツェのレヴィンと申します」

 礼儀にかなったそつのない物腰は、一見温和だが隙がない。

「…かつての薬師頭(くすしのかみ)…レヴィン卿か」

「そういう役を戴いた時期もありました。いまはただの隠者(ハーミット)レヴィンですよ」

「御辺が…おれを?」

「パラーシャがとんでもない所へ転送していたので、探すのに骨が折れました。…理解ってやってください。あなたにはぜひ生きていてもらわねばならなかったのです」

 レヴィンは外套の下から一振りの剣を出した。封印された輝神剣・ルクシード。

「…今ひとたび…あなたにこれをお預けするとのこと。彼女はもはやここまで来る力も残ってはいません。ゆえに、私が代わりに参りました」

 差し出されるままに受け取りはしたが、不吉な予感に慄然とした。

「まさか…!」

 言いかけて、カーツはレヴィンの外套の下にあるもう一振りの剣に気が付いた。

「…アスタルテ…それではやはり…!!」

 レヴィンはゆっくりと首を横に振った。

「ドールズはそう簡単に死ぬことはない。…ご存じでしょう」

 変わり果てた姿のアスタルテは、鞘を失って血塗られた布に巻かれていた。その布…旗だ。ユートラップの軍旗…!

 昨日までのカーツなら、引き裂かれた軍旗を前に平静でいられなかったに違いない。しかし、今や何の感慨も湧かなかった。

「見せてくれ…」

 レヴィンは何も言わずにそれを差し出した。

 さすがはルクシードのレプリカと言うだけのことはあり、朱に染まった刀身は刃毀れひとつない。しかし拵えは無残なばかりに傷んでいた。柄は中茎との間に空隙を作り、抜けかかった目釘でようやく引っ掛かっているというていたらく。おまけに柄の内部まで血でぬらついていた。

「…こんなになるまで、戦い続けたというのか…」

「これは、私が北の荒野で捜し出したものです。…彼女はもう、無くしたものと思っているでしょうが…」

 アスタルテを返し、カーツはもう言うべき言葉もなくして、ただルクシードを握り締めて立ち尽くしていた。

「私の用は終わりました。私はルフトシャンツェへ戻ります。もうお会いすることもありますまいが、どうかお元気で…」

 踵を返したレヴィンがそう言って闇の中へ歩き始めたとき、カーツは言った。

「…レヴィン卿。ひとつ、頼みがある」







     ACT.9


 魔術者を中心とし、北の神殿に寄留する()()はユートラップ騎士団を主力とする征討軍の矛先を受けるところとなった。征討軍は半数以上を失う大打撃を受けたものの、クリス・クローソー=クーンツ率いる宮廷魔術者集団との連携により辛うじて彼らを封印することに成功する。以後、勅命により余人が北の神殿に近寄ることは禁ぜられた。

 騎士団長カーツ・ドミトリーシュは多くの騎士を失う結果となったこの戦いについて、引責辞任という形で自身の決着をつけた。騎士団の構成員はもとより、国王、百官がこぞって留任を勧めたが、カーツはこれを固辞。

 フェデルマ=コノートを後任に推し、自らは騎士の身分も捨てて野に下った─────。


 以上が、すべてが終わった後に流布した《真相》である。

 平民であったフェデルマ=コノートは国王より爵位とアルスター姓を下賜され、若年ではあったが兵部卿として壊滅的打撃を受けた騎士団を再編する命を受けた。後に騎士団を近衛たる王城衛兵隊と正規軍に分け、膨張した王国の要衝数カ所を選んで配置、その指揮系統を整備したのは彼の功績である。

 これによって治安は徐々に安定へ向かい、一時は白昼往来を歩くときでも武器が必要と言われた王都エーモも、元の落ち着きを取り戻してゆく…が、そうなるまでには数年を待たねばならない。


「…納得…できません」

 尊敬する上司から後事を託す旨を伝えられたとき、自身の理解を越える何かが起こっていることを薄々感じながらも、若い騎士はそう呟いた。

「…だろうな」

 疲れた表情をして、カーツは苦笑した。

「実は、俺が一番納得できんのさ」

 クリスには、もう会う気もしなかった。会えば今度こそ、罵倒どころか殴り倒さないという自信がない。クリスの意図したところは分かるが、それが許せるかどうかは別の問題なのだ。その上、一連の事件でおのれ一人が利を占めているとあっては…。

 しかし、カーツは知らない。この一件に前後して宮廷魔術者として名を知られていた者が次々と謎の死をとげ、宮廷魔術者集団は実質的に消滅の危機に瀕していたことを。ある者は宮廷を逃れることで事なきを得、またある者は一生魔術者としては再起できない深手を負って宮廷から身を引いたという。

 そこで不可解なのは、それで宮廷における魔術者集団の地位が消えた訳でなく、クリス・クローソー=クーンツの背後で静かなる脅威として存在し続けたことである。旧騎士団を壊滅の危機に追い込んだ北の魔物たち…彼らさえ封じ込んだという魔術者集団────それは、このあと数百年にわたり一度も歴史の表舞台に立つ事なく、人々の心の一郭を不気味に威圧し続けることになる。


 騎士団長を辞任し、騎士の位さえ返上したカーツ・ドミトリーシュは事件後すぐに旅に出た。だが数年間の放浪の後にエーモへ戻り、邸宅を崩して居酒屋を開いている。店内の一隅に風変わりな碑が据えられたのは、それからまもなくのことであった。







     ACT.10


 事件の3年後、高齢の宰相が病を得て引退するにあたり、クリス・クローソー=クーンツは歴代最年少の宰相に就任する。

「…あまり、うれしそうではありませんわね」

 帰宅し、宰相位を意味する額飾りをはずしたクリスは、天鵞絨(びろうど)の小箱を携えた妻サリエラにそれを渡して言った。

「全てはまだ始まったばかり…何故無邪気に喜んでおれよう。時に、ヴィクターは?」

「地下の書庫に。終日、分厚い魔法書に組みついてるようですわ」

 その声音には、詮方ない事と知りながらも納得しきれない想いが、理不尽と知りながら抑えきれない非難が混じっている。クリスは暫時黙し、踵を返して言った。

「許せよ、サリエラ。誰かに…継いでもらわねばならない。人の寿命は長くて6、70年。到底わたし一人では負いきれぬ」

 額飾りをおさめた小箱を仕舞い、サリエラはクリスを見ずに応えた。

「…それがあの子の選択ならば。もとより、あなた一人の責ではありませんから…」

 サリエラは今はなきカデイラ公家に繋がる娘である。ナラセナの公女グラティアとは知己であり、グラティアの悲惨な運命をいち早く察知したのも彼女であった。

 クリスは書庫へ降りた。

 書庫の一隅…その気温は、結界により季節を問わず氷点に固定されている。不吉な大きさの直方体の傍らに、少年は跪いていた。

 横たえられた直方体の上面だけが、硝子と見まごうばかりの氷でできていた。いや、蓋のない柩の内側が、氷で占められているのだ。

 中にいるのは、暗闇で光を放つかのようなミモザの髪の、10歳前後の童女。

 北の荒野でクリスが助けた第3王女、レティシアであった。クリスが知る限り全ての魔術を駆使しても、彼女を普通の環境で育ててやることはできなかった。弱ってゆく彼女を救う術は、これしかなかったのだ。

「…ヴィクター」

 少年は、振り返らずに言った。

「僕がきっといい方法をみつけてみせるよ。みんなが一緒に暮らせる方法を…」

「そうだな…」

 クリスは自分と良く似た黒い髪に軽く手を置いた。

「…それには、知らねばならぬことがたくさんある」

「うん」

 少年は、立ち上がった。父親について部屋を後にしながら、眠れる少女に声でなくして語りかける。

『…もう少し、待っていて…。きっとそこから出してあげる…』







     silence


 唇から最後の気泡が離れ、温度調節された液体の中を揺らぎながら水面へ向かう様を、彼女は夢うつつに見ていた。

 意識がなくなるまであとすこし。

 再び彼女が目覚めることはない。400年の後、目覚めるのは《パラーシャ》ではなく、TYPE1999-λ-OD。次代の継承者たりうる子供達を守るためだけに存在するオペレーションドール。

 だが、それでいい。

 頭では理解っていながら、憎しみと悲しみでコントロール不能に陥っていく自身を、彼女は恐れた。このままでは、子供達をも巻き込んでしまうと。

 眠りに入る前、初期化プログラムをセットアップした。意識消失の後、休眠状態へ移行する段階で発動し、《パラーシャ》を消滅させるプログラム。主を失ったオペレーションドールが、次の継承者を待つために使用される。本来、レクサールが姿を消した時に使用して然るべきものだった。

 あのときは、彼の最後の言葉が彼女を躊躇わせた。しかしもういいのだ。これ以上は…。

 爪先から、指先から、少しずつ感覚が失われてゆく。

 意味をなさなくなってきた視界を、ゆっくりと閉ざした。




 鼓動が遠くなったのは、聴覚のゆえか、音源の所為か─────────。








END AND BEGINNING

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


この物語は、かつて計画段階で頓挫したRPG「Lux Aeterna」の前日譚です。

この事件の400年後からゲーム本編がスタートとなります。


ここまできたらゲーム本編部分のノベライズもやってみたい! …なぁんて、いうだけならタダというやつですね…。

ただ、ゲームに仕立てるという野望を忘れたわけでは決してありませんので、ものすごい偶然で元プロジェクトメンバー諸兄のお目にとまったらこれに勝る幸せはありません。

まずはご高覧に供します。

ご意見ご感想、お待ちしております。

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