ひとり、うつらうつらと鬱々
何にも考えが出ない。
閉塞された、立方体の箱に閉じ込められたように思考が制限されているように感じる。
外に出ずして、何日経った。
おおよそに一週間、その間に誰からも連絡は来ず。
GWはみなそれぞれに忙しいのだろうか、約束していた友達からも連絡が来ないのは驚いた。
心当たりはある。
私だって彼女らに合わせる顔がなくて、連絡をしばらく途絶えてる。
喧嘩というほどではない。
仲直りはしている。
お互いに言葉が上手な方じゃないが、私が少し暴走したことだけは覚えている。
やってはいけないことをして、怒られた。
その罪の意識と、向けられた敵意が、私を強く構築したのは覚えている。
私は、自分が異質で特別な人間になったのだと昏い喜びを覚えた。
なんといっても、ここ数ヶ月は絶好調だったのだ。
私は間違ってない。
あいつらがおかしいんだ。
いや、部分的に私が間違ったことをしでかしたのは分かってる、でもーー。
「でも、なんだ? お前は間違ったことをして、それに後悔が伴っていない」
「私たちはお前が"心配"なんだよ」
「目を覚ませ、"いつものお前"に戻っておくれよ」
ーー心配? いつもの私?
それって、お前らに決められるようなもんなのか?
なんかおかしくないか。
おかしいのは私なのか。
お前たちが絶対的に正しいのか。
ああ、つまり、いつものことだ。
私が間違っているようだ。
「なんて、思うわけねえだろ」
努力もしない人間に否定された。
私があれにかけたコストに理解の一つも示さず、私ならもっとスマートにやれたとの一点張り。
ほう、じゃあ、君たちはどうすればよかったと思うのだね?
「私はそもそもやらないよ、普通に考えて」
つまんねえ奴だな。
何食って何話して何が好きで動いてるんだ。
「傲慢だよ最近の君は、調子に乗ってるんじゃないの? そういうのマウントっていうんだよ」
「自分が持ってるからって、そういう発言をするのはどうかと思うよ」
うんうん、なるほど、そうだね。
そうなんだね。
うざったいな、足を引っ張るなよ、靴が汚れたらどうしてくれる。
なんて。
強く払えるはずもない。
私に正しいなど、測れるはずもない。
別のアホ共に話をする。
うんざりだ。
こんなことを経験するのが、世界で私一人だって?
そんなはずはない。
なぜなら私は、私より酷い失敗をした人間をよく知っている。
「そんなこと言う奴は、だいたいが芋だろ」
牡蠣を食べる場所で、久々に友人と話した。
この恐ろしく、優しい友人が珍しく私の意見を聞いて、私を否定した友人たちへの反論を問いた。
……そこでようやく一つ、冷静になる。
どっちが正しいというか、どっちもそれぞれに正しいのだと思う。
理解に難色を示した友人たちは誠実で、理解を示した友人は自分本位だ。
社会か自分か、どちらを優先すべきかと問われている。
違いとしてはどちらを選ぶか、それだけだ。
それぞれに正しくて、それぞれに違う。
自分と他人は違う人間だと決別する瞬間は、ずっとある。
ただ、自分で選ぶということは責任が多くのしかかってくる。
相談も大切だが、自己判断も大切でどちらが欠けても問題になる。
「責任はどうやっても取らなくてはいけない」
「なら、自分の取りたい責任を取れ」
* * * * *
共感は私の武器だ。
仲間を増やして、平和に、心穏やかに、静かに、ささやかな幸せをお互いに持ち寄る。
そんな時間が好きだ。
共感を必要としない人間が私は怖い。
一歩踏み出すのに恐怖がある。
怒って、騒いで、威圧して、押し付けて、否定する。
他人と自分との間に常に線を引いている。
なにより恐ろしいのは、彼らがそれに何の疑問も抱かないことだ。
彼らの行動には迷いがない。
常に自分が正しいと考えて、人の意見と対立する。
そんな彼らを、私はなんて馬鹿なんだろうと嘲る時がある。
そんな彼らを、私はすごいと尊敬して羨むことがある。
「被害者意識を持つな」
なんて、人が恐怖を感じることにさえ文句を言ってくる始末。
こちらのことを理解を示そうともせずに、負け犬を見るかのような傲慢な目。
私もいつの間にか同じ目をしていたのだとしたらーー。
「最近はマウントが酷いよ」
なんて。
私は、みんなが悩んでいるから、自分がやってみてよかったことを紹介しただけなのに。
「被害者意識を持つなんて、そいつら芋なんだって」
なんて。
みんなそれぞれに大変な思いを抱えてるのにそれを軽視するなんて。
身が引き裂かれるような思いだ。
彼女らに私は救われた、彼女らに足を引っ張られた。
彼らに私は被害を受けた、彼らに私と他人との境目を作られた。
共同体から足抜けする不安。
これを認めてしまえば、私は彼女らに対してなんと非礼を働くのか想像も出来ない。
後ろ脚で砂をかけるような。
しかし彼女らから最近の私は変だと避けられた。
私は。
私は。
私は。
そうして、時間だけが過ぎる。
思考を止めて、身体を止めて、現実だけが私を置いて進んでいく。
いつものパターンだ。
私は歩き方を忘れていくーーはずだったのに。
私は、歩き方を知っている。
考え方を、身体の動かし方を、私が幸せになる生き方を知っている。
「これは駄目だよ」
「こうすればいいよ」
そんなふうに、研鑽した日々が私の足に靴を履かせる。
一人でも動けるやり方を私は知っている。
一人での幸せななり方を私は知っている。
それは、他人には出来ないやり方だ。
「私と他人は、違う人間なんだな」
彼女たちを否定するつもりはない。
彼女たちは否定されるものでもない。
ただ、私と彼女たちが、同じ人間であっても、違う誰かある事実は変わらない。
共感を重ねて、誰かと私は繋がっていた。
否定を重ねて、誰かと私は区別される。
誰かの気持ちを分からない人間はクズだと私は思っていた。
道理も分からないようなアホに、何を言って聞かせても無駄とさえ考えていた。
そんな彼らの立場を理解してあげる自分はなんて優しくて素晴らしい人間なんだろうと満足していた。
いつしか、誰でもない私になっていたことに気づかないまま。
「お前は誰だ、何がしたくて、いつどこに、どんな理由でそこにいる」
私は誰かに意思決定を任せていた。
誰かと同じであることに幸せを感じていた。
それが悪いことだとは思わない。
それが必要な人間はたしかにいる。否定しない。
ただ、私には必要なくなった。
完全に、とは言わない。
私は誰かといることに居心地の良さを覚える。
だから、私のままで仲良くなる誰かを見つけなくてはいけない。
「ご飯を食べて、運動して、風呂に入って、外に出る。
これの何が難しいのか、まるで分からないや。
脳に新鮮な血を巡らせて、身体全体をより効率的に循環させる。
寝て過ごすより、漫画を読むより、ゲームするより楽しいのにね」
空元気だけど、少しだけ気持ちがマシになった。
頭が凝り固まったなら、まずは身体を動かせるようにするべきだ。
そうすれば、嫌でも頭が回り始めて、情報を受け入れる容量が増える。
強くなりたい。
助けてくれた彼女たちに何かあったとして、今度は私が助けられるように。
前を向いて、まずは私が幸せになる。
私は彼女たちを肯定する。
好きに生きればいい。
困ったら、多少なりとも私が力になってみせる。