受信
世界の認知の仕方を、おっかなびっくりと矯正する。
コミュニケーションをおざなりにしていた自覚はある。
周囲を見ているようで見ていない。
人によっては、その歪さこそに魅力を感じるなどと嘯かれる。
けれど周囲に人がいて、自らが異物として見られる感覚はどうにも座りが悪い。
動物が人との間に警戒をもつことの方が理解できる。
空間に人がいて、その空間に入るとともに、まずは集団の一部に入ることから始まる。
空気を読むとはよく言うもので、話していない人間にも合わせて会話する能力が自らには欠如していた。
自分こそが空気だ、などと言うつもりはない。
しかし、周囲が合わせてくれていたことは感じる。
それに疑問を抱かないほどには、そういう環境に慣れていたのだろう。
大人に大事にされる子供。
特に、親が上役となるとひとしおだった。
壊れ物を扱うように、少しずつ宥めていく。
よくもこんな人間にしやがって、などと文句がつけられようか。
大事にしてもらった感謝を、今ようやく実感できる、なんて虫が良過ぎるか。
それが当然なのだから、子供の中では特にそう。
兄がいうところには、堂々としていればよい。
しかしまあ兄弟であるのだから、状況は似たもの。
孤独は加速する。
あるいは孤高とも取れる時期もあった。かもしれない。そういう人もいる。
ただそれが本当のことか、もはや判別できない。する必要もない。
ふとしたきっかけがあって、頭をかち割られるように、別の教えから派生した考えだ。
地球人のなかで、突然に宇宙人が話しかけてくると、どのような対応をするべきか、集団に問いかけてしまう。
気分は動物園から脱走した猛獣がごとし。
全員から気を張って見られるというのは、なかなかにこたえる。
そんなに恐いだろうか。
なにか変なのだろうか。
いやな気分を、そのたびに振り払う。
叫び出して逃げ出したい気持ちが駆け巡る。
うん。うん。うん。いいえ。
限界だった両親の空気感を思い出す。
母と父が仲違いすると、父が帰ってきた時の空気が最低まで冷える。
母が父を敵視していることは家族内での共通認識であり、家の中の階級制度では、ぶっちぎりの頂点に位置する。
ここで父に擦り寄ろうものなら、どんな八つ当たりを食らうかわかったものではない。
ああ、そうか。
するりと体験として納得した。
みんなこうなんだ。
これを知っている。
だから自分は無視されたのか。
ははぁ、階級上位者とでもいうべきやつが、自らを徹底的に無視したわけだ。
空気が読めない、読まないやつだから、作りあげた空気を壊されることを嫌ったのだ。
……なんて、思い上がりも甚だしい。
さて、理解できて喜ぶべきか、悲しむべきか。
どちらでもない。そもそも、理解できたのかさえ、納得できるのは自分だけで、今更な理解だ。
きっとまだまだ自分の頭は宇宙人。
電波を受信しながら、地球でぷかぷかと浮き続けている。