冷えた奴
ここ数日の食事は簡素なもので済ませている。
「自炊はしているのか」
という実家の父から受けた言葉を反芻し、多少なりとも改善しようと、外食を控えるようになった。
ミニトマトと豆腐を買う日々。タンパク質と野菜をとって、あとは好きに安くなったスーパーのお惣菜をカゴに入れていく。
寿司の時もあれば、焼きそばの時もあれば、卵焼きのときもある。
雑な健康食ではあるものの、意識して野菜を摂ることがまず少ない。
ハンバーガーに入ってるレタスや、揚げられたポテトを野菜としてカウントしていた日々が、どれだけ怠惰であったかを思い知らされる。
一日一食で過ごしていたのは、せめてもの抵抗。飲み物はジュースを控えて珈琲に。
なんという言い訳がましい食べ方だろう。それは今も対して変わってはいない。
冷蔵庫も不服だろう。それなりに大きいサイズを購入したものの。最初こそ張り切って調味料だけはそれなりに揃えたものの。
ちょっとした魔境となっている。味噌はどれくらいまでは食べられるんだろう。発酵をどこまで信じられるのだろう。
ブウンとなる音は、意識しなければ聞こえない。そんな風に耳が進化しているのだと思えば、セミの鳴き声も同様にカットしてほしいと説に願う。
微かな抵抗を許さずにその扉を開けると、ひんやりとした冷気が、何故か背中から感じられた。
「あれ……?」
丸くて白い何か。
こんなものをいつ買ったのだろうか。豆腐はいつも、3パック角切りのものを選んでいるはずだ。
奇妙には感じつつも、手前にあることと見覚えのなさより、新しめのものであることを感じさせられる。
賞味期限こそ、今日であることを指し示していることから、特に食べても問題はないはずだ。
(誰かが部屋に入ったのだろうか)
と首を傾げてみるものの、物を取られた形跡もなければ、友人たちが訪ねた予定もない。
捨ててもいい。無理に食べる必要はない。飽食の日本人の倫理観なんてこんなものだ。俺はその中でもとりわけ面倒くさがりなだけである。
「うん、まあ。お腹は空いてるし」
言い訳がましく。
興味はある。こういう状況において、むしろ食べない奴の方が、非日常への旗を逃すのだ。
あるいはタイムリープした自分の置き土産かもしれない。であるなら書き置きくらい残してほしいが、まあそうも言ってられない状況だったのだろう。
ぺりぺりと蓋を剥がす。
軽くつついたり、裏返したり。
どうも水切りの必要もないらしい。しかし豆腐に似た弾力を感じる。かるく千切ろうとつまむと、ふるふると震えながら指から滑り抜けた。
ははぁ、うんうん。なるほど。
わらび餅に近い。すこし気持ちがすっきりしながら箸で摘むと、今度は簡単に捉えることが出来た。
「いただきます」
軽く切り取って口に運ぶ。香りも味もない。それでも、ちゃんと食べ物だと舌が理解を示した。
噛むことは容易い。口の中でほぐれて混ざる。血でも肉でも土でもない。霊魂を噛み締めている。
肝と背中が冷える。一方で、自らの肉体が内側より熱を発していることを主張してくる。温められいく感覚に、生きているということを自覚させられる。
女が目の前に存在していた。ぼんやりとこちらを向いているが、見ているのかは定かではない。
それはどうでもいい。醤油と生姜をかけて、きな粉と黒蜜をかけて、なにがあうかを試すことで忙しい。
最後に落ちるような感覚が自らを襲う。空気を求めて口が呼吸を急ぐ。しかし寒気は止まらずに、脂汗がびっしりと首元から身体を冷やしていく。
「まあ、まあ、うん。……まあ? ごちそうさまでした」
合掌を合図に、身体に熱が戻る。
美味しかった。また食べたい。しかし、次は自分の番になるのだろう。残念だけど、しかたない。
熱めに入れた珈琲を啜る。結局のところ、味がわからずにいたけれど。それもそのはず。空気を俺は食べていた。
弾力こそ確かにあった。それも含めて。欠けたなにかが自らの内にはまっていく。
余分なものであると理解している。腹に溜まるそれは消化とは別で、びちびちと跳ね回っているようにも思うが、珈琲で流して、次第に溶けていく。
扉を抜けて、どこかを見つめた彼が、彼女が、一斉に姿を壁へと眩ませた。