表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
62/119

冷えた奴

 ここ数日の食事は簡素なもので済ませている。


「自炊はしているのか」


 という実家の父から受けた言葉を反芻し、多少なりとも改善しようと、外食を控えるようになった。


 ミニトマトと豆腐を買う日々。タンパク質と野菜をとって、あとは好きに安くなったスーパーのお惣菜をカゴに入れていく。

 寿司の時もあれば、焼きそばの時もあれば、卵焼きのときもある。


 雑な健康食ではあるものの、意識して野菜を摂ることがまず少ない。

 ハンバーガーに入ってるレタスや、揚げられたポテトを野菜としてカウントしていた日々が、どれだけ怠惰であったかを思い知らされる。


 一日一食で過ごしていたのは、せめてもの抵抗。飲み物はジュースを控えて珈琲に。

 なんという言い訳がましい食べ方だろう。それは今も対して変わってはいない。


 冷蔵庫も不服だろう。それなりに大きいサイズを購入したものの。最初こそ張り切って調味料だけはそれなりに揃えたものの。

 ちょっとした魔境となっている。味噌はどれくらいまでは食べられるんだろう。発酵をどこまで信じられるのだろう。


 ブウンとなる音は、意識しなければ聞こえない。そんな風に耳が進化しているのだと思えば、セミの鳴き声も同様にカットしてほしいと説に願う。


 微かな抵抗を許さずにその扉を開けると、ひんやりとした冷気が、何故か背中から感じられた。


「あれ……?」


 丸くて白い何か。

 こんなものをいつ買ったのだろうか。豆腐はいつも、3パック角切りのものを選んでいるはずだ。


 奇妙には感じつつも、手前にあることと見覚えのなさより、新しめのものであることを感じさせられる。

 賞味期限こそ、今日であることを指し示していることから、特に食べても問題はないはずだ。


(誰かが部屋に入ったのだろうか)


 と首を傾げてみるものの、物を取られた形跡もなければ、友人たちが訪ねた予定もない。


 捨ててもいい。無理に食べる必要はない。飽食の日本人の倫理観なんてこんなものだ。俺はその中でもとりわけ面倒くさがりなだけである。


「うん、まあ。お腹は空いてるし」


 言い訳がましく。


 興味はある。こういう状況において、むしろ食べない奴の方が、非日常への旗を逃すのだ。


 あるいはタイムリープした自分の置き土産かもしれない。であるなら書き置きくらい残してほしいが、まあそうも言ってられない状況だったのだろう。


 ぺりぺりと蓋を剥がす。

 軽くつついたり、裏返したり。


 どうも水切りの必要もないらしい。しかし豆腐に似た弾力を感じる。かるく千切ろうとつまむと、ふるふると震えながら指から滑り抜けた。


 ははぁ、うんうん。なるほど。

 わらび餅に近い。すこし気持ちがすっきりしながら箸で摘むと、今度は簡単に捉えることが出来た。


「いただきます」


 軽く切り取って口に運ぶ。香りも味もない。それでも、ちゃんと食べ物だと舌が理解を示した。


 噛むことは容易い。口の中でほぐれて混ざる。血でも肉でも土でもない。霊魂を噛み締めている。


 肝と背中が冷える。一方で、自らの肉体が内側より熱を発していることを主張してくる。温められいく感覚に、生きているということを自覚させられる。


 女が目の前に存在していた。ぼんやりとこちらを向いているが、見ているのかは定かではない。


 それはどうでもいい。醤油と生姜をかけて、きな粉と黒蜜をかけて、なにがあうかを試すことで忙しい。


 最後に落ちるような感覚が自らを襲う。空気を求めて口が呼吸を急ぐ。しかし寒気は止まらずに、脂汗がびっしりと首元から身体を冷やしていく。


「まあ、まあ、うん。……まあ? ごちそうさまでした」


 合掌を合図に、身体に熱が戻る。

 美味しかった。また食べたい。しかし、次は自分の番になるのだろう。残念だけど、しかたない。


 熱めに入れた珈琲を啜る。結局のところ、味がわからずにいたけれど。それもそのはず。空気を俺は食べていた。

 弾力こそ確かにあった。それも含めて。欠けたなにかが自らの内にはまっていく。

 余分なものであると理解している。腹に溜まるそれは消化とは別で、びちびちと跳ね回っているようにも思うが、珈琲で流して、次第に溶けていく。


 扉を抜けて、どこかを見つめた彼が、彼女が、一斉に姿を壁へと眩ませた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ