真夜中、山間にて
走ることで距離を取る。ならずもの達は剣を掲げて、鬼の形相で向かってくる。夜の闇に、月明かりから反射した光がチカチカと居場所を教えていた。
捕まれば死ぬであろう鬼ごっこ。ショーンが小さい体躯から始めた遊びは、必死であるはずの現在の方がよほど苦手になってしまった。身体は重いし、無駄にデカくなった。抱える荷物も相応に。
鎖帷子がない分だけ気楽ではある。それでも剣も弓もを抱えていては、重心が揺れてしょうがない。しかし、だからといって違和感がなくなる訳でもないのだから、地面に足を踏み締めて体重を乗せた走りを崩さない。崩しては、すぐさま体勢も同じとなってしまう。
条件はやや有利。逃げるだけなら可能な目は見えてきた。俺だけ逃がしたところで、やつらに痛手はない。精々が他の村々への警戒度が上がるといったところだろうが、村の蓄えを食い潰すつもりであるなら、しばらくは腹を満たすことで大人しく過ごすことだろう。
地方領主へと訴えたところで、騎士団が動くような話でもない。彼らの守れる秩序には限りがあり、積極的に山賊どもを取り締まることができるならば、そもそも起こることもない事態だ。
ここ数日は戦争も起きていると聞く。それで手一杯であるなら、なおさらのこちらに向けるような人員はいない。あるいは、それを狙ったかのようなタイミングだ。
「待てコラ、ガキィッッ!!! 1人で逃げるなんざ、臆病で薄情じゃねえか!!?」
怯えて足が竦むとでも思っているのだろうか、迫真の叫びに心臓が掴まれるような、嫌な圧力を感じる。とっくに見失いながらよくもまあ、たった16程度の子供を追いかけ回すものだ。ごくろうさまとでも言っておくべきか。ばからしい。
未練はある。足を止める理由もある。戦士だった親父も、機織りが得意な母も既に天国へと連れて行かれた。それでも幼馴染のアンナが、やつらの慰み者となるなど、想像さえしたくない。じゃあおめおめと守りに帰ったところで、小僧1人、囲まれて殺されるのがオチであるなら、1人でも怨敵をぶち殺すことで、その機会を奪ってやるとするしかない。
諦めるのは得意だ。獲物は掛かる時もあれば、逃られることもある。罠でさえそうだ。だから出来ることの取捨選択はできる。アンナでさえそうだ。見目麗しく、よく働く彼女は俺でなくても欲しくなる。血筋がいいだかなんだで、領主の息子と結婚するってんだから馬鹿らしい話を聞いている。そいつには妾だっているとも。
だからなんだっつう話だ。そりゃ、彼女をあきらめる理由にはなっても、好きでいることをやめることにはならねえ。いずれは俺だって嫁が欲しいとは思うが、それはそれだ。
故に弓を引く。
見晴らしは大変よろしくないが、この勝手知ったる山道、獣道を進む中で、必ず通るような場所はある。例え逃げているガキを見失ってところでだ。
あとはそこを真っ直ぐ射る。俺は狩人にしては目が悪い。遠くを見る以上に、ぼんやりと周囲を把握する方が向いている。それゆえに獲物が、自分からどの方向にいるのかには、妙に敏感になっているんだが。
大事なのはそれから。当たらなくては意味がない。最初こそ苦労していたが、要は真っ直ぐ矢を飛ばせば解決する。
足を向ける先で、矢の軌道を理解した。要するに、獲物が動く横方向だけを意識すればいい。開いた脚を前後に揃える。高さは獲物によるが、しかし、大概は変わらない。
鳥は羽ばたけてば上昇するし、鹿は前に向いて走る、ネズミやリスは隠れる場所があれば最短を選ぶ。
1度、後ろ向きに回転しながら飛んで避けたウサギがいる程度か。
まあ、生き物の動きってのは観察であって、もっとも鈍臭いのが人間だ。
「ーーッア」
木の影より半歩右、こちらから的はよく見えないにも関わらず、はっきりと位置が分かる。ブレはなく、放った矢は正中線を目掛けて射抜いた。首元。
川に巨体が落ちた。水を打ち、ついで跳ねる音。生死は不明である。さて、心臓ではない。毒矢でもない。しかし血管を傷付けた。であれば、大体は死に至るはずだが。戦士ではなくとも、生き物は簡単には死なない。
しかし、追う元気はない。はずだが、手負いで油断ができる程でもない。確実に殺す。
周囲警戒。喧騒は遠く、村の方からは煙が上がっている。追いかける影はない。
ひっそりと川中を見れば、仰向けに男が倒れている。数本、矢を撃ち込んで確認しようにも、動悸が激しい。今更人死にを自覚したか。治まるまで待とうにも、村の様子だって気になる。
薄く震える手から放たれた矢は、狙いから少し剃れた。胴より上を通り過ぎる。
ーーいなや、起き上がると共に駆け出した。
(生きてやがる。最悪だ!)
一直線でもない。木々に紛れた。草をかき分け、回り込みながらこちらへと猛然と向かってくる。
「がああああああああああああああああああああああああっっっ!!! オッシュ!!!!! ヘアァァァ!!!」
ブチ切れている。先程までの余裕の声とは違う、死に体の戦士の声。しわがれ、水っぽい音は血が絡んだのだろうか。なおひび割れるような声を出せることに怯んだ。
「あああああああああ「あ、あああああああああああああっっっっっっ!!!!」」
戦士たちの声が共鳴する。どちらがより大きな声を出せるのか、意地だが、そういう勝負のようにさえ感じる。
お互いしか見えない。周囲全ての感覚を切って、目の前の敵しか見えない、そういう集中と気合が頭を沸騰させる。そういう勝負だ。殺さなければ、殺される。受け入れる考えを持ったなんて、野蛮だけど。
立場も思想も違えど、俺たちは一致してしまったのだ。
(殺してやるよ!!)
(こっちのセリフじゃボケェ!!!)
打ち付けられた剣と剣が火花を散らす。折れず、曲がらず、互いの剣は役目を全うしている。技もない力のぶつかり合いだが、軍配を挙げたのはショーンの方だ。
握る力が足りなくなったのか、怨敵の剣は宙を舞い、ショーンの刃はそのまま敵の首へと叩きこまれる。
スイカが鈍く割れるような。刃は矢に射抜かれた穴へと向かうように、歪にめり込ませながら、血を吐き出させる。
軽く引っ張られたかと踏ん張れば、滑らかに身体が滑り落ちるものだから、尻餅をついてしまった。
物言わぬ死体を蹴り捨て、剣を振って血糊を落とす。
たかだか1人だ。100人には勝てない。上がる体温とは真逆に思考が冷える。
しかし1人には打ち勝てる。繰り返し100人は殺せない。
「狙うなら、大将首か……」
そうすればアンナは、混乱の最中に殺されるかもしれないし、そっちの方が幸せな終わりかもしれない。汚れようとも、ショーンは気にしない(つもりではいる)が、アンナの気持ちを優先したい。そうでなくても、見届けねば一生の悪夢に付き合わされるだろう。
「くそったれ、最悪は火矢で燃やし殺したって……いや、さすがに」
迷いがある。生存か、戦うか。
生きてはいけるとも。食べられる草も知ってれば、狩りだってできる。武器がなくとも、罠を仕掛けることも難しくない。農作だってやれと言われれば出来るが。
奪われたままは性に合わない。
ゆらりと立ち上がり、もはや意思とは関係なく、一歩ずつを確かめるように、村の方向へと戻り始める。
川と山が近い村で、賊どもは山より忍び込んできた。弓矢と剣を担いだのは、経験則と習慣からくるものだ。賊でなくとも狼が村を襲うことだって珍しくない。
周囲を見回りながら警戒していれば、先ほど殺し合った男と鉢合わせして、今に至るという程度である。
(俺が頭なら、帰ってこない仲間がいるだけで、外を警戒させる理由にはなる)
十中八九、森に潜んでいる奴と、川からの道を警戒させる。闇雲に進めば報告されて、先ほどよりも多人数に追われることになる。馬で追われればそれまでである。なすすべがない。
再び木々の間に踏み入れ闇に紛れて、少しの準備を続ける。そう時間も立たず、松明の明かりが複数に並んでやってくる。位置が高いのは、乗馬している故か。今に矢を射かけることで、数人と手傷を追わせることはできるだろう。
が、まだだ。あんなのを殺してどうなるものでもない。
水音を立てることを嫌がったのか、馬で丸太橋を超えるわけにもいかず、2人が縄を持ち、また2人が川を超えて周囲を警戒しに来た。
血の匂いは隠せない。少し奥に移動させたくらいじゃあ、この程度は見つけられる。
「こっちだ! 野郎、面倒なことになったぞ……」
「おい! いるのは分かってんだぞくそったれ!!!!」
太っちょと、細っこい。しかし両方ともがっちりした肉付きをしている。厄介であることは想像に難くない。
「……」
息を潜ませる。持久戦だ。奴らが来ないのであれば、それまでの策ではある。
人数の利を感じ取ったか、警戒を向けながら、話を続ける。
もっというなら、馬を連れてきた奴らに向けてだ。遠いが、2頭はいる。2人ずつで乗って来たなら計算は合う。
「報告! 村人を1人逃がした! オーロフに伝えろ! ヤコブがやられた!」
「こりゃあ、矢で射抜かれた後でとどめを刺されてやがるな。……武器を持ってるってこたぁ、男か」
「報復に来ると思うか?」
「1人では来ないだろ。まあ、長いことあの村に滞在はできないわな」
「ちーくしょう、しばらくは安泰だと思ってたのに。ヤコブの野郎、うらむぜ」
「それだけの手練れってわけでもないだろうにな。なんせ姿を現さない臆病者だ」
「違いねえ」
そうして静かに、笑い声が夜に響いた。
ここまでの会話を聞こえている。ショーンとて、必死に生き延びた戦いを馬鹿にされることは、腸が煮えくり返りそうではあった。安い挑発だと言い聞かせてやっとのこと、息を潜めることができる。
怒りを捨てることが何より成功率を上げるために必要だ。
報告に向かう2人と2頭の馬の影を確認して、ようやく弓を引いた。
もはや怒りでも、恐怖でも震えない。予行練習を何度も繰り返した。これこそが自らの頭に冷や水をかける行動であるかのように。
引いて、感覚を掴んで、放す。風切り音が静けさに溶け込んでいく。
心臓に向かって、矢が胸に刺さった。標的となった太っちょが痩せぎすに向かって、信じられないと言わんばかりの目を向ける。今度はうまく刺さった、致命傷だ。
「っ!! なろおおおおおおお!!! ーーっっ!!?」
刺さった矢の方向から、すぐさま痩せぎすが突進してきたが、結んでおいた草に足元を取られた。
続いて2射。仰向けに倒れていたが、頭の兜に狙いが逸れるのを嫌った。一寸待ったのち、右足が取られたのを確認して、左に狙いを向けると、その通りに右足を軸に、左に避けた。
「ふん!! ーーっくぅ!!?」
想定内だ。俺だってそう避ける。動物だって狙いを付けられたら理解するやつはいる。軸をズラそうとも、同じくしてズラせば問題ない。
肩口から胴体に向けて矢が刺さる。ほぼ首元、狙いは逸れない。まだ足の草結びは外せていない。かと思えば、かかげた戦斧を雑に足元に振り下ろした。
(!??? こいつまじか!!)
驚いたまま、剣を抜いて右手で持ち、左手で支える。ほとんど突進を受け止めるくらいの感覚だった。
左の方に鋭い衝撃を受けながら、夢中で相手へと剣を突き刺し手放して、狂乱しながら殴り続ける。
「っこんの!! 死ね! 死ね! 死ねえ!」
左肩を上げるたびに鈍い痛みが上がり、右の手首も痛みが走る。
ショーンの息は荒く、死体は静かだ。しかし形相は一切の苦痛もなく、そこには恨みのみが乗せられていた。
「……!! う、うえぇ!」
吐いた。喉を伝って、血の匂いが蒸せかったのかと一瞬だけ勘違いした。死んだと思ったが、運がいい。才能は知らないが、3人殺した。2人は半ば記憶から抜け落ちそうだが。
戦斧の柄が、肩を強打したらしい。もっといえば、薄皮を削られている。血はそれなりに流しているが、思いの外軽傷で済んだことの安堵と、これを繰り返す恐怖を、今更になって再確認した。
むしろ、初戦が出来過ぎであるのだが。
(なんだって特攻ばかりしてくるんだ。馬鹿みたいに。馬鹿だから山賊なんてやってんのかよ。死ねよ馬鹿)
恨みは骨髄に響く。太っちょを森に隠すのはもう無理だ。そして限界が来る。
腹も減れば、喉の渇きもある。
もはや戦闘は不可能だ。心だけでやっている。
せめてと、村側へと、松明を拾って火を放つ。
川の近くだけあって風通しがよい。どれくらい燃え広がるかは知らないが、山火事ばかりは無視できまい。喉の渇きも、今のうちに多少はましにしておく。うがい程度ではあるが、気休めにはなる。太っちょの持っていた酒瓶もある。
(……まだやれるか?)
引き返すことに非はない。寧ろよくやった方だとは思うが。
このまま全員を殺すことは不可能に近い。
そもそも山賊たちが何故、この村を標的にしたのかも分かっていない。農民上がりではない、子供に惜敗したとはいえ、武装を見れば傭兵だということには気付かされる。
「あ……戦争か?」
徴兵のような強制こそなかったものの、募集の張り紙はあった。確証はない。もともと山賊が近くにいたのであれば、注意喚起くらいはあっただろうに。
兵站が尽きたか。行軍中に不満が溜まったか。
兵団の旗みたいなものは確認が取れていない。で、ある以上はどちらともとれない。それでいて騎士にばれれば拙いとは考えている。
明日は暗い。影がどんどん濃くなっている。それでも。やれることから始めなくてはいけない。まずは、自らの命の危機を脱することから始めることから。
馬の足音を、本物もあれば幻聴もある。疲れて休憩を取ろうにも夢にまで現れる始末だ。
殺す、殺さなくては。殺意なんて向けるもんじゃないとはいうが、いずれだ。
(オーロフ。オーロフ。……名前は覚えたぞ)