たゆたうもの
レオナルド・ダ・ヴィンチは自然学者だ。
彼は自信を画家であると主張しながら、自らの絵を学ぶために、より上手な画家の絵から学ぶよりも、自然を観察することを好み、創作へと活かした。
その例として「受胎告知」では、背景の自然にその観察が表現されている。遠近の表現として、より遠い位置であるほど白みがかってゆく。これは観測者と観測対象の間には空気があるために起こるのだが、そういった自然の観察の中から得られる知識を、彼は絵画として披露する。
……とまあ、芸術に関心があれば有名な話だとか。「神は細部に宿る」とはレオナルドの言葉だが、とにかく完璧主義的であったことが窺える。
* * * * *
ゆめうつつ。
白んだ世界。ぼんやりと輪郭が崩れており、気を抜けば形を失うような場所。
徐々に意識が覚醒していけども、はっきりしない。周囲の光景も、自らの肉体も。
なにせ明かりがないのだが、しかし目は見えている。それなのに、認識できないとはなにごとだろうか。
あるものがなくなり。なかったものがある。
虚実入り混じる世界に生きることで、なにより苦痛に感じることは、己の形が徐々に失われていくことだ。
最初こそ立っていたはずなのに座っている。かと思えば飛んでいる。沈み、埋まり、散り散りになる。入れ物がないかのような不安定さだ。遠からず、自らは失われるだろう。
だが、そうはならなかったのは、そこに入ってきた「不定形」の存在であった。
こちらもまた奇妙なもので、泡立ち、うねり、這いずり、震えている。それでも「そいつ」は、他の何より安定していた。おそらく此の世界の住人とは、あいつで違いないのだろう。
やつが見ることで、私の体は僕になる。儂になり、某となり、朕となる。
「何用かな」
俺は声を出した。言語が俺を再構成する。俺は人間で、帝国に所属している。よかった。右手の指の数は六本。左は四本だから、合わせて十本。うん。だいたい合ってる気がする。
『□□□□□□□□□□』
「……ん? なんですって?」
聞き取りにくい。声が小さいというか、チャンネルが違う。だが分かる。頭をひねる。ぐちゅり。ばきり。あれまあ、こんなに柔らかかったかしら。
首より青の血が流れて、口の中に戻っていく。
『いやなに、君のファンでね。素晴らしい。絵描きっていうのはいつも嘘をつくもんだ。しかし君の言葉は素晴らしい。なんといっても、額縁一つで収まるのだから、良い言語形態だよね』
『あ、そう? いやまあ、壁に描くときなんかもあるけどさ。あんまりにも神父が急かすもんだから。つーか俺だって考えながら描いてるっつーのに。サボるなってよ。酷くない?』
『いやー、あれはデカくて観やすいんだけどサァ。数百年もしたらぼろぼろになるだろうに。勿体ないよね。でも誇らしそうにしてたんだよ彼。あ、進めてくれた人なんだけど』
何言ってんのかわかんねえ。ワタクシも。彼女も。でも楽しいのは伝わってくる。……あ、こうなってるんだ。
『ちょっと失礼』
パカリと親友の中身を割って、しげしげと眺める。発声機関を必要としていないのだ。これはなるほど、「真似できないわけだ」が、ごぼりごぼりと泡の発音が上手くできるようになるには、ちょっとしたコツがいるのだろうな。
『なるほど、綺麗だ』
中身は一つの海であり、星であり、宇宙である。情報が膨大で描ききるには、まあ時間がかかるだろう。
これを描くには、紙を重ねて別に描かなくてはならないな。多重構造となっているからか、同じ空間座標に四十の臓器ともいえる気泡が全く同時に、矛盾なく存在している。
「tanoshii」
『あー、限界みたいだね。うん。楽しいんだけど、適性がありすぎるというのも困り物でね。ともすればこちら側に来てしまうんだなぁ。……彼の子供ではなくなってしまう。それは怒られてしまうんだなぁ』
ぴちぴちと跳ねる。海を描く。鱗で、飛沫で、波で、光で。
ああ、乾く。ゆらめきがせかい。
気づけば窓に戻っていて、僕がとても驚くような、拒絶するような顔をしているのだけど、その目には好奇心で溢れていた。わかるよ。僕だから。
夢は夢に。形は戻り。世界は一つに。あるいは、世界が別れる時もあるのだろう。
『□□□、□□□□。□□□□□□……』
ぽこぽこと、泡立つような音は離れていった。