忘れた頃に我慢
時間を使う、という感覚が曖昧で。
気づけば無駄なことをしているという自覚がある。
もう少ししたらこうしよう、ああしよう。という先延ばしにすることは、罪悪感に苛まれながら、目を逸らすためにメディアにのめり込む。
夢うつつ、妄想が自分に張り付いてしまうと、それを切り離すことに強く抵抗する。
私が死んでしまうのだ。別のアクションを起こした主観に、ばりばりと案内が剥がされてしまう。
整理された記憶の断片はマジックテープのようだ。
そんな自分を殺すことから一日がはじまる。
時間を守るでもなく、何をやるべきだったかを一つ一つ思い出す。
どの順番でやるわけでもなく。どれも必要なことだから、約束されたものが強いて言えば優先される。それ以外の時間は、思いつくものを片端から、『間に合うかも分からず』に手をつける。
駄目ならそれでいい。やることが大事だ。それは私のなかにあり続ける。失敗しても、成功しても。記録されていく。
やらない理由を持ってしまうと、やるべきことは離れていってしまうから。
いつも通り。脳を満たして。自分の考えを燻らせる。支配されない自分を一つ作る。
イレギュラーがあると崩れて行くものだ。
時折、自分が消える。眠れば消える。友達と話せば消える。どこかに行けば消えてしまう。
まだ一つとして出来ていない。私は。この行動のための心情を、一つのことばとして表現できず、ばらばらに散らばった一片をつなぎ合わせてなんとか溜まっている。
忘れることが憎らしく、恨めしい。
イメージでいいのに。文章じゃなくていいのに。思い出すことが毒であるかのように。
やはり私は、私のことが嫌いだ。こんな肉体であることに不便さを感じている。そういう乗り物が専用機であるかのごとく。貧乏くじであった。
無意味に疲れることを嫌う。行動のために仕方ないのだと。しかし、削らない命に何の価値があろうことか。
思いつく限りから、私は生きる。わたしはいきている。
準備もなく。軽率に。環境がなければ移動して、自らの必要なものを一つ一つ揃えて行く。
「私は大丈夫になったのか?」と思えば、風船を針で突いたが如く、抜けて行く。もったいない。