僕の興奮
「なんで、選んだんですか?それ。」
肩慣らしに実戦稽古をしようということになった。
「なんで…だろうね。」
抜くことのできない刀。これではただの重たいだけの木刀だ。
「あなたの世界の、あなたの国の特有のもので親近感を覚えたのはわかりますが、剣なんですよね、それ。細いし、短いし、重いし、それ以前に切れないし。良い所ないじゃないですか。」
「でも、丈夫らしいぞ。」
ロイは大袈裟に肩をすぼめる。
「まぁ、あなたがいいなら、いいですけどね。」
―名前がわからないといけないんだって―
サラはこの刀を抜く方法はそれしかないと言われたらしい。実際鞘の部分を壊そうとしたり色々としたそうだが、結局、功を奏さなかったらしい。
―だけど、お父さん。そいつには名前が『無い』って。それが、『名前』なんだって―
名前を呼ばなければならないのに、名前が無い。まるで、なぞなぞだ。
だけど、自分はこの刀をもらうことにした。
運命的なものを感じたから、自分ならこの刀を抜くことができる気がしたから。
理由をあげようと思えば、いくらでも作れる。
これならば、殺さずに済むのではないか。
それが、本音。
そんな、淡い希望を抱いた。きっと甘いのだろう。それもわかっている。
だから…その一方で切り札も用意している。
『殺すため』の。
こういうのは二律背反っていうんだったっけ。違った気もする。
「さて、始めましょうか。」
ロイが、大きな、それは大きな両刃の斧を出した。
刃の部分だけで、ロイの太ももまである。
こんな物でも異空間にしまって手軽に持ち歩ける便利グッズがあるというのだから、本当に魔法は便利だ。
「今日は真剣ですから、気をつけてくださいね。わたしはもともと斧使いですから、木剣を使っていたわたしとの感覚でいると大怪我しますよ。」
「大丈夫だよ。わかってる。」
刀を持つ手に力を込める。
「名無し」それが、自分が勝手につけたこの長脇差の名前。
当然こちらが勝手に付けた名前を呼んだところで、この刀が応えるほど、ご都合主義的な事はない。
そういうことは『勇者』のまわりで起こること。
勇者か…九条は今、何をしているのだろう…
「ねぇ。あなた達は何をするために此処へ来たのかしら。」
サラは椅子に座り、年齢に似合わない艶っぽい脚を組んでいる。
「盗賊を倒す、依頼を果たすためです。」
ロイはサラの顔を見上げながら、しれっと答えた。
「そうよね。そうなのよ。それで、そんな状態ってことは命を懸けてわたしの依頼を果たしてきたって考えていいのかしら。」
「いや、これは、ちょっと稽古が白熱しちゃって。」
自分の前で、正座する二人の男をこの少女はどう見ているのだろう。
女性に蔑まれることに快感を覚える変態がいると聞くが、もしかしたら少し、その扉を開いてしまったかもしれない。
「『ちょっと』のわりには、随分ビリビリのボロボロに見えるけど。」
「あぁ、これなら大丈夫ですよ。ハンターの制服の代えは持ってきていますので。」
「女の言葉の中にある意味を汲み取れない男は嫌いよ。」
サラが脚を組み直す。真面目に話を聞きたいが、集中できそうにはなかった。
「大丈夫だよ。もう盗賊団の拠点もしっかりつかんでるし、後はしっかり作戦を立てるだけさ。」
その拠点に毎日続々と、ガラの悪そうな連中が集まっている。どうやら、他の場所で活動していた奴らも戻ってきているらしい。
むさくるしい男が200人ほど。盛大にこの美少女を迎えるようだ。
本当に女一人のためにご苦労な事だ。
定期的に盗賊の下っ端が、サラの様子を確認しに来ている。なぜか遠巻きに。
悪党らしく、堂々と村に入ってきても良さそうなものだが、どちらにせよサラがハンターを二人ほど雇ったことはあちらにも知られているだろう。
「もう、いい。わたし疲れたから寝るね。稽古でもなんでもお好きにどうぞ。」
椅子から立ち上がるとサラは自分の部屋に入っていってしまった。
ピンクのネグリジェの天使はご機嫌斜めのままご就寝のようだ。
「どうして女性は説教が好きなんでしょうね。足が痺れましたよ。」
ロイはゆっくりと脚をくずしながら、溜息をつく。
「美人に説教されるのも悪くないと思うけど。足さえ痺れなければね。」
「残念ながら気持ちがわかりませんね。冷めた目で上から見下ろされるより、下から潤んだ目で上目遣いされる方がいいに決まっています。」
まぁ、感性の違いだからしょうがない。みんな違ってみんな良い。昔の人は良いことを言うものだ。
「外に一服しに行きましょう。」
家の中では全面的に禁煙にされているので、煙草が吸いたかったら外で吸うしかない。
それも仕方のないことだ。
自分だって、元の世界にいたときは叔父さんが煙草を吸うのを毛嫌いしていた。
「月がきれいですね。」
ロイが白煙を吐き出しながら言った。
一瞬、愛の告白をされたのかと思ったが、この世界には、名前のない猫の小説を書いた文豪はいなかったはずだ。
「ああ、『金髪の悪魔』が出そうだな。」
サラから教えてもらった、この世界では有名なわらべ歌。
月が大きくでているそんな夜は
金髪のあいつに気をつけろ
暗闇と一緒にやってくる
風の吹かないそんな日は
こわい、あの悪魔に気をつけろ
涼しい顔してやってくる
金髪のあいつがやってくる
おそろしい悪魔がやってくる
金髪の悪魔がやってくる
わらべ歌というものは往々にしておどろおどろしいものが多い気もするが、この歌もなかかのものだ。
「まぁ、確かに今はわたしが『金髪の悪魔』ということになってますが、その歌はわたしが子どものころにすでにありましたよ。おそらくもっと昔にその歌のモデルがいたんでしょう。」
そうだとしても、今この男以上にこの異名がふさわしいものもいないだろう。
「どうです?心の準備はできましたか。」
少しの沈黙の後、ロイが口を開いた。気づいているのだろう。自分が人を殺すことを恐れていることに。
随分と優しい悪魔もいたものだ。
殺す相手は、最近ちまたを騒がす盗賊団。『火鼠』
容赦なく町や村を焼き、ねずみのように女と食料を食い散らかし、そしてまるでシンボルのように糞尿を撒き散らしていく。
やらなければならないのだ。これから生きていくために。
「まぁ、なんの得にもならない仕事ですが、さくっと終わらせましょう。ねずみ退治をね。」
独り言のように呟いた、ロイの言葉で思い出す。
何の得にもならないようなことに命を懸けられる。それが極道だと。
強きを挫き弱きを助ける。それが任侠だと。
そう誰かが言っていた。
そうなのだとしたら、これから自分がやろうとしていることは、『まさに』なのかもしれない。
結構は明後日の夜。
サラの誕生日、三日前。
「まぁ、確かに年端もいかない女の子に欲情するおっさんなんて見逃せないからな。」
この胸にひろがるざわめきが、口から洩れる白煙と一緒に出ていってくれたら、どんなにいいだろう。
「さっき、その少女の脚に興奮していたくせによく言いますよ。」
欲望を理性で制御することができるかどうかは、人として重要な境界線だと思う。
しかし、殺意というものは意外と心の中の浅い所にいるのかもしれない…そうも思う。