94章 痛みの鎖
完全な不意打ちだった。当たり前のことだが音の速さよりも光の速さの方が段違いに速い。雷が鳴る際に後から音が届く原理はここにある。音でさえも光の速度には追いつけない。
対して人間の反応速度の限度は0.1秒ほど。これは、目から視認して身体の運動神経に命令が下るまでのプロセスを踏む必要があるためである。つまり、見えないものを察知することは極めて困難で、尚且つそこから身体を動かすことを考えれば、光を視認できたところで逃げることも避けることもできない。認知した瞬間には既に五体は貫かれている。
梶樹が反応できなかったのは必然だった。
「あははは…………ざ・ま・ぁ!あんな堂々と「降参しろ」なんていっておいて、クッソダセェんですけどー!なんですかぁ?威勢良いのは口先だけですかー?」
「…………わたし、が……おにぃ、を…………」
紅の瞳がほろり、と光る雫で潤う。それが留め具を払ったのか、繭愛は堰を切ったように大粒の涙をこぼし、床に小さな滲みをつくった。
「ごめん……なさい…………」
謝ってもなにも起こらないことは分かっていた。あのときも同じ。今も、同じ。この世に神様なんてものが存在するとあうのなら、なんと理不尽で冷徹なのだろう。
現実は、残酷。しかしそれ以上に、繭愛は自らを戒め、罵って、悔いた。
「あーはいはい。メソメソするのは後にして。ハイ、これ」
雰囲気の壁をぶち壊して、ハジメはいつの間にか繭愛の前に腰を下ろして自分のスマホを差し出していた。画面にはなにやら表のようなものが浮かんでいる。
「……どいて」
「いいから、ほらさっさとーーー」
「……離れてっ!」
繭愛を纏う電気の波が大きく唸り声を上げて辺り一帯を照らしていく。心の振れ幅のせいか周囲十メートルほどにも電磁波が通った。
だが、予期せぬ事態は起きる。
「…………っぁ……う……!?」
ズキン、と繭愛を鈍い痛みが襲う。それは着実に強さを増していく。直ぐに耐えられかねないようになった。帯びていた電気は痛みに負け、空気に溶け消えてしまった。
「っ、……。な、に……?これ…………」
「ったく、奴隷のくせにご主人様に逆らうとか」
ハジメが繭愛の髪を一束掴み、ぐいと引っ張りあげる。そのまま繭愛を無理やり起こすと、今度は足首のあたりを踏みつけた。
「……!」
「お仕置きが必要みたいだねぇ、キミ」
サディスティクな笑みを浮かべ、満足気に舌なめずりをするハジメ。そしてもう一度、スマホを差し出して操作するように命令する。
「とりあえずはホラ、早くこれ認証してよ。キミ能力強いし、あんなのよりもっと良い働きしてくれそうだしさ」
ずくん、ずくん、内臓を掴まれているような刺激が続けざまに押し寄せてくる。ハジメの言葉のひとつひとつが針であるかの如く。
(あの子たちも、じゃあ……これを…………)
逆らえなくなるわけだ。これが彼女らを縛っていたものだとすれば、あのような行いや反応になるのも無理はない。
"奴隷"というのは比喩表現でもなんでもない、これを呼んでいたのなら間違いなく言葉そのままになってしまう。
相手の能力が分からない以上は対策不可、初見殺しと呼ぶに相応しい強力な"能力"だった。
「……それ、は…………?」
「ん?あぁ、知らないのか。チーム再編ってやつ。こういうゲームだから数が減ったところを補充するためのルールなんだろーね」
「さい、へん……」
「厄介なのが本人認証じゃないとシステムが反応してくれないんだよね。ま、ボクだったらそんなの関係ないけどさ」
ドヤ顔を決め込むハジメに、繭愛は虫が這うようなおぞましさを感じた。そして、何故あれほどチーム同士の関係が歪に見えたのかようやく理解できた。
この男は自分の能力で奴隷にした人間をこうして無理やりに仲間という形で隷属化させ、独裁政治をしているのだ。言い換えれば痛みで支配された主従関係というべきか。
それに、どんな扱いを受けているのかは彼女たち三人を見れば一目瞭然。どのような末路になるかは察しがつく。
「それで……どうするつもりなの。他人を上から踏みつけて、それで満足なの」
泣きそうになるのを押し殺し、負の感情が言葉に出ないように必死で抑えて繭愛は尋ねた。状況についていけている自信はないけれど、梶樹ならそうすると思ったからだ。
「は?勘違いするなよ」
「…………?」
「間違ってるのはキミらのほうだ。なんでボクが責められなきゃならない?一部の秀才が凡才を導く、ボクがやってることはなにもおかしなことなんてないのに!」
「……わたしは、ううん……わたしもそうは思わない」
「なんでさ!世の中には役職ってものがある、階級だってある。下は黙って言うこと聞いてれば悪いようにはならない。それのどこが悪いんだよ!」
早口で捲くし立てるハジメに、繭愛はことり、と首を傾けて否定した。流されてはいけない。どんな理論だとしてもここで流されてしまえばそれで終わりだ。
「勝手に人の価値を決めつけるなんて絶対、間違ってる」
痛みを無視し歯を食い縛り、繭愛はなんとか言葉を紡いだ。
「あなたにはいないの?いつも側にいてくれる、大事な……大切な人は」
紫を帯びた光が火花のようにうねり、元の色へとゆっくり染まっていった。




