93章 糸を引く者
遅めの自己紹介を済ませたハジメは、黒縁眼鏡のフレームをくいと上げて自らが手を出した繭愛に目線を下した。
「いやぁ〜参ったね。まさかこんな強い奴がいるとは思わなかったから、流石のボクも焦っちゃったよ。ま、このボクにかかればこれくらいはできちゃうかな。なんせアタマのつくりが違うんだし」
「どけっ!」
つらつらと長い口上を続ける元を突き飛ばし、梶樹は繭愛のもとへ駆け寄った。最初に守ると言っておきながらハジメの接近を許したのは完全に自分のミスだ。申し訳が立たない。
「……悪い、繭」
「うぅん、平気。びっくりしたけど、全然痛くないし……」
顔に飛んだと思っていたが、どうやら当たったのは驚いて前に出した腕らしい。白い肌に、微かに赤みが残っている。
それを目にした途端に梶樹はふつふつと腹の奥を掻きむしるような感覚を覚えた。もどかしくて、火傷しそうになるくらいに熱い感情。
「あぁ、そうか」
さっきまでの繭愛の気持ちが理解できたような気がする。こんなに熱い気持ちは、あのとき以来だった。
久しく怒りという感情がどんなものだったのかを忘れていたらしい。このどうしようもなく身体が気持ちに負けて屈服する瞬間を。
「……負けるかよ」
自らに言い聞かせるようにして梶樹は立ち上がった。この熱に身を任せてしまえばどんなに快感で、どんなに楽なことか。だが、その結末はもう知ってしまっている。もう二度と過ちは繰り返さない。
けれど、せめてこれだけは。
ありったけの熱を噴き出すようにして元凶に向かって投げつけた。
「お前……絶対に許さないからな」
まだ尾を引く分は理性という強烈なフタで閉じ込めておく。これでもはっきりいって足りないがまだ何もせず無理に押し込むよりかは良い。いやむしろ何もしなかったらすでに殴りかかってるところだ。
そんな梶樹を知ってか知らずかハジメはというと深くため息をついて服をはらっていた。
「あのさぁ、自分で言ってて恥ずかしくないの?他人のこと突き飛ばしておいて第一声が「お前は許さない」って……人間として終わってると思わないの?」
「…………なんと言おうが構わないがお前はもう勝ち目はないんだろ。だったらさっさと負けを認めて離脱したらどうだ。」
「は?負け?なんのこと?」
「とぼけるなよ。仲間は全員封じたんだ。1人じゃ何もできない能力なんだろ、だったらーーー」
「……え?もしかしてお前、仲間ってあそこで棒立ちになってるメスガキどものこといってんの?」
何がおかしいのか、腹を抱えてゲラゲラ大爆笑を始めた彼に梶樹は途方もない嫌悪感と違和感を覚えた。
ーーなんだ、こいつ。なんでこうまで笑っていられる?それに、この余裕はいったいーー。
ひとしきり落ち着いたところで、ハジメは目尻から涙を拭うとさも当然とばかりに罵った。
「あいつらは最初に言ったじゃん、ボクの奴隷だって。ただ今となってはもう奴隷以下かな。役に立たない奴隷なんてゴミクズ以下の廃棄物だもんね」
「何……?」
「あぁ心配しないで。今度の奴隷ちゃんはあいつらみたいな量産廃棄物じゃない。相当な掘り出しモノだったよ。その点ではまぁ……礼くらいは言ったほうがいいのかな」
「……待てよ。それ、どういう意味だ」
「鈍いなぁ、君も。ボクのチカラには薄々気づいてたんだろう?ま、こうゆうコトさ」
手を振り上げる。当然、何も起こらない。……はずだった。
「え……」
自然に、ごくごく有り体に。けれど、確実に。それは意図せぬ形で実現した。
見えない糸に導かれるように、繭愛の髪から梶樹に向かって光の槍が降り注ぐ。
「ぁ…………!」
繭愛自身もそれが自分の意思の範囲外で動いたと気づいたのは、既に電撃を放った直後だった。
一秒と経たず、梶樹が立っていた地点に光と熱と爆音が走る。音よりも速く、目の前の視界が白く染まる。自然界で起こり得る最高電圧は約十億ボルト、生身で受ければ最悪ショック死する可能性すらある。
都市電力を賄えるほどのエネルギーを凝縮した槍。眩しさで閉じた目をもう一度開いたとき、そこに梶樹の姿はなかった。跡形もなく。
「ぁ……あ…………!」
繭愛は言葉を失い、倒れ伏した。




