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異端兄妹は日常に戻りたい  作者: 幽猫
first chapter ゲームスタート
8/118

8章 葬儀

 「僕は……梶樹。水影梶樹。ここの一人息子、だったんだ」


 年下のその少女、繭愛に梶樹はなんとか涙を拭い払って自己紹介をする。


 「み……かげ。やっぱりここの子なんだ。わたしはね、ちょっと前にここに引っ越してきたんたよ。……分からない?」


そういわれた梶樹の脳裏に母の顔が浮かんだ。2ヶ月ほど前に確か、新しい住居人がやってきたといっていたような気がする。この住宅地ではそこそこ田舎ということもあってか土地の敷居金がそこまで高くなく、引っ越してくる家族は珍しくもなかった。


 挨拶してくる、と言っていた気がするがそのとき梶樹は面倒で断っていたためか少女のことを知らなかった。


 「……ごめん、引っ越してくる人結構多くてさ。最近は挨拶とかあまりしてなくって」


 見知った顔でないということに合点がいった梶樹は目の前の少女が自分の眼をじいっと凝視していることに気づいた。


 「……な、に……?」


 吸い込まれそうな繭愛の瞳に知らず知らずに言葉が詰まる。


 「おにいちゃん、すごい辛そうだよ」


 「……え?」


 辛いこと。そう、元はといえば両親の死を受け入れられずにここに戻って来た。自分の軽はずみな行いのせいでーー。


 そう思うとまた形容し難い苦痛が腹の奥底から這い出てきて全身を火炙りにされるみたいにじりじりのたうち回る。そのあまりの嫌悪感に、梶樹は胃から吐瀉物がせりあがってくるのを脳髄から感じとった。


 「うっ、ぐ……」


 駄目だ、耐えられないと慌てて少女から遠ざかろうとするが、あろうことか繭愛は離れようとする梶樹を引っ張り戻して自分の胸に抱き込んだ。


 「大丈夫、大丈夫だから……」


 そういいながら、繭愛は抱えこんだ梶樹の背中をゆっくりと撫でる。


いきなりそんなことをされた梶樹はもう訳が分からなくなってそのまま我慢の限度を超えて自分の中から込み上げる気持ち悪い()()全てを吐き出した。


 嗚咽と共に中にあったものが全部流れて出ていく。抱きしめられながら梶樹は今の自分の境遇を心の底から情けないとけなした。


 年下の、しかもまだ小学生の女の子に抱いてもらってその胸で泣きながら嘔吐するなんて恥ずかしいことこの上ない。自分への羞恥で心から死んでしまいそうになった。


 けれど。こうして優しく撫でられながら繭愛に抱かれていると、胸につっかえていた嫌悪感や罪悪感、得体の知れないどす黒いどろどろしたものが不思議と消えていくような気がした。

 恥ずかしくてしょうがなかったが、それでも繭愛が離さないのでもういっそ諦めて身を委ねることにした。


 あらかた出し終えて落ち着いたところで息切れしている梶樹の頭に繭愛がそっと手を置いた。


 「ごめん……制服、汚しちゃって」


他にかけるべき言葉があったかもしれないが、いの一番に梶樹がいえたのはこれだけだった。


 よしよし、とさすりながら繭愛はそっと耳もとで


 「いいの。おにいちゃん、死んじゃいそうな眼してたから。わたしができることって、これくらいだし……」


 ーー温かく、優しい、優愛の心。


 それに触れた瞬間、羞恥と申し訳なさでいっぱいだった梶樹の中に、ふと暖かいものが芽生えた気がした。


 その暖かさに、気づいたときには梶樹は繭愛を逆に抱きしめていた。


 ぎゅううう……。


 決して離すまいという勢いで繭愛の華奢な身体をすがるように引き寄せる。


 「お、おにいちゃん……ちょっと苦しい……」


 それに気づいた梶樹は、自分が今度は彼女を抱きしめていることに驚いた。でもこれだけは、これだけは伝えたい。繭愛を抱きしめたまま少し力を緩めてまだ嗚咽が混じるガラガラ声で、吐露した。


 「ありがとう、ありがとう……!」


 「……うん」


 それは、本当に優しい、天使のような笑みで。半身を失ったような悲壮な想いをしていた梶樹は自分がぽかぽかしていく感覚にしばし、辛さを忘れた。


と、そのとき。


 「繭、こんなとこにいたのか」


 「先に行っちゃって見えなくなったから心配だったのよ?」


 声をかけたのは眼鏡をした体格のいい男性と、麦わら帽を被った女性だった。どちらも黒い喪服を着ている。


 「ん、パパ。ママ……」


呼びかけに応じた反応からして、この人達が繭愛の両親なのだろう。だが不思議とその面影は感じなかった。


 「って、どうしたの!?制服、すごい汚れてるわよ」


娘の有様に気づいた母親が言及すると、繭愛は困ったように眉を歪めた。どうやらこうなったときのいい分は考えてなかったらしい。


 助け船の意味もあって、梶樹は繭愛から身体を離して彼女の両親に向かいあった。


 「すみません、僕のせいなんです。……辛くて、泣いてたところを慰めてもらって……」


 自分でいっておいてなんだが、もう少しマシな言い分はあったと思う。聞けば聞くほど怪しいこと間違いなしだ。


 「君は……」


 訝しげに見つめる二人に梶樹は戸惑ったが、よくよく考えると面識はないのだからそれも当然かと落としつけた。


 「僕は水影梶樹っていいます。この家に住んでて……」


 「水影って……!君、水影国遥の息子かい!?」


 突然親の名前を言われたことに梶樹は困惑した。あれ、もしかして喪服着てるのは、とぐるぐる頭が回転する。


 「……はい。国遥は僕の父ですが……」


 その答えに二人はやっぱり、といった表情で語り始めた。


 「水影くんは私の高校時代の友人でね。部活は違ったんだが、仲良くしてたものだよ。……まさか引っ越した矢先に交通事故に遭うとは思ってなかったけど」


 「私も、水影さんとは後輩に当たるの。当時私は帰国子女で……英語ができた水影さんには何度もお世話になったわ」


思い出を語る二人の表情が、どんどん重くなってゆく。梶樹はこのとき、悟った。

 嗚呼、親の死を悲しんでいるのは身内だけじゃないのだと。それと同時に父親の旧友である繭愛の両親との奇怪な運命に、胸を躍らせた。


 「そうでしたか……僕は父さんと母さんの死を受け入れられなくて、それで……」


 続けようとする梶樹を繭愛が制止した。


 「おにいちゃんは、なんにもおかしくないよ。わたしも、パパとママがいなくなったら寂しいから……」


それを見た繭愛の両親が珍しいものを見たかのように目を丸くした。それから、腰をかがませて同じくらいの目線まで顔を下げると


 「私たちはこれから葬儀に行くけど、梶樹くんはどうする?辛いなら私達から親族の方にいっておいてあげるわ」


 それは、願ってもないことだった。終わるなら見ていないところでさっさと終わってしまったほうが、いい。そう、思っていた。……先程までは。


 「わたし、もいっしょに行くから」


 小さな手が梶樹の袖口を引っ張った。……繭愛だ。


 「だから……そんな顔、しないで」


 梶樹は何度も何度も繭愛の瞳を見返す。けれど、そこに他意の色は微塵も入っていない。この言葉足らずでまだ十にも満たない少女は既に自分が手放そうとした大切なものを、持っている。


 それは梶樹が挫折で失いかけた光という名の希望。明日を生き続け限りある人間の生命活動の中で最も重要かつ、難解なもの。その答えはある人が一といえば別の人がニと答えるように千差万別でそれを見出せず一生に幕を閉じる者も少なくない。


 梶樹にとってそれは最愛の両親であり、唯一の家族。それを失ったからこそ死をも考えるほど荒れた。だが希望は()()()()に留まらず()()()こともできる。ちょうど野球少年がプロ選手に憧れを持つように。


 ーー敵わないな。


 少なくとも今の自分には絶対に無理なことだ。やり方はどうであれ他人に希望を分け与えるのは並大抵のことではできないから。それにここまでされて断るのは無理だった。


 「僕も、行くよ。……あんなことしたんじゃ、断れないし」


 それを聞いて、繭愛の両親はにこっと笑いあった。今の今まで土砂降りだった空が明け陽光が差しこんで虹のアーチを描いた。



 その後、雨に濡れた服を着替えた梶樹は式場に戻って両親と最後の別れを終えた。親族席に座るよう勧められたが繭愛がとって聞かないので遺族挨拶の礼拝だけという約束で断った。


 葬儀のあと、銀の少女はよく自宅を訪ねてくるようになった。梶樹の方も未練多いこの家を離れさせるのは可哀想だと梶樹の祖父母は代わる代わる自宅に訪れた。


 それから二年。あの雨の出逢いから月日は流れ、梶樹は中学二年に進級した。バスケ部所属、今はエースも張るほどの腕前だ。


 白い帯を引く線香が夏のそよ風を誘うようにゆらゆらと凪いだ。午前五時。盆休みにも関わらず、これから部活の朝練に向かうために乗ってきた自転車には制鞄の他に網に包まれたバスケットボールが積まれている。


 梶樹はもう一度、墓標の前で手を合わせた。


 「父さん、母さん、俺、結構元気でやってるよ。……そういや繭の親父さんの龍騎さんが亡くなっちまったんだ。繭、すごい泣いてさ。けど、病気だったから仕方ないのかもしれないけどやっぱ知ってる人や大事な人を失うのって……本当に辛いよ」


 そうして梶樹は二本目の線香を先端を蝋燭の火につけて墓石に添えた。


 「……今度は、俺が繭を助けてやらなきゃ。それが一番の龍騎さんへの恩返し、だよな?」


 答えてくれる人は、いない。それでも、自分にもう一度生きる光を与えてくれた()を次は自分が守ってあげたい、そう天国にいるであろう両親に想いを馳せた。


 梶樹は蝋燭の火を仰ぎ消し、荷物を手際よくまとめると駐輪場のほうへと向かっていった。その後ろ姿はあの日、葬儀場を駆け出した少年とは見違えるほど、大きく見えた。



 


 


 


 

 

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