73章 合流
ズタズタに引き裂かれて肉塊となるのは、耐え難いおぞましさがあった。想像しただけでも体の節々から嫌な汗が噴き出してくる。
あんな死に様になるのは、御免だ。
ーー動け、動いて、動いてよ……!アタシの身体……!
逃げなければ、すぐに見つかって餌食となるのは理解しているのにそれを理解してくれない。縮み上がった肝をもとに戻すには魅緒自身の力では足りなかった。
そうこうしているうちに、カマキリは大鎌の手入れをし終えて満足したのかゆっくりと動き出した。ぴくん、ぴくんとはねる三角形の頭部から生えた触覚が、周囲の情報を取り込んでいく。視力に乏しい生物にとって"触覚"はなくてはならないモノであり、それは人間にもいえる。
触覚があるということはそれすなわち痛みを感じるということだ。神経の通っていないロボットには当然触覚などありはしないが、"痛み"、痛覚は触覚があるなら必ず存在している。なにも感情を持つのは霊長類だけではなく、子孫繁栄を願う生命体に共通するカテゴリなのだから。
このときの魅緒もそれに同じく、痛みを恐れたからこそ、思う通りに身体が動かなかった。昨晩さんざん年上ムーブをかましておいてこの有様という情けなさにつくづく嫌気がする。
(頼むぅ……どうか、見つからないで。お姉さん一生のお願いだから……)
カマキリよ、何処へと去ってくれと魅緒は心から願った。カミサマというのが存在するかはわからないけれど、今はとにかく脅威が過ぎ去っていくことを願った。
しかし数秒としないうちにああ、神様なんていないのだと否定することになった。
カマキリの触覚に触れたのか、頭がこちらを振り向いて近づきはじめたのだ。数秒とかからず、目の前に巨大な影が迫る。ぎらりと光る大鎌の棘が、魂を貪る死神のそれの如く鋭利な表面を覗かせた。
「あ……あ……!」
魅緒は頭を押さえながらその場を退き、反対方向へと足を踏み出すのだが、薮の影を離れてしまったため完全にカマキリの視界に捉えられてしまった。
きちきち、という不気味な音を反響させ、カマキリが腹を持ち上げ羽を広げ、カマを左右に大きく開いて威嚇の体勢をとった。
これは自分を大きく見せる誇張の役割と、獲物を仕留めるための前振りのふたつのパターンがあるのだが……今回は間違いなく、後者だった。
ーー上から、金槌のように破竹の勢いで二本の鎌が振り下ろされる!
「わ……!」
間一髪、魅緒が身体を転がして後ろにずれたため、目の前の地面に突き刺さる。長さにしておよそ二メートルもの刃物が、眼前に突きつけられたときの人間の反応として、正しいものはなにか。
答えはーー逃げる気力すら失うほどの、圧倒的な恐怖だ。
ずっぽりとカマキリが地面から鎌を引き抜いて、再び体の正面で合わせるようにして構えた。今度ばかりは、もう万にひとつも奇跡はないだろう。魅緒の能力では振り払うことも脱出することも、この状況では不可能。
「い……や……いや……!」
怖さのあまり、ガチガチと顎が震え歯が擦れる音が鳴る。気温は決して寒くはないのに、爆発的な恐怖の反動で、まるで冷蔵庫の中にいるかのような寒気を感じた。
毛穴という毛穴が開き、熱を逃すために汗が滲み出る。
舐めるような死への忌避が、魅緒を飲み込んでいく。
瞬間ーー鎌が電光石火の勢いで振り下ろされる。
「いやあぁああー!」
耳をつんざく音を奏で、空気を切り裂いてくる。身を裂かれるであろう激しい痛みを覚悟した。
…………。
………………。
……………………。
(…………あれ?)
来ると思っていたものが、いつまで経ってもやってこない。それに、何故だか得も知れぬ浮遊感がある。
「ーー死んでないですよ、魅緒さん」
この声はーー。
ずっと、探していた声。目の前に、少年の、水影梶樹の姿があった。
「カゲっち……!」
感動の再会に心打たれる魅緒だが、なんともしまりが悪いところで出会ったものだ。あれだけうわぶって発言しておきながら、助けてもらうというのは面目が立たない。
けれど、今は心を許せる相手ができたことになにより安堵した。
「感動の再会……んん、イイわね。けどまだ情に浸るのは早いんじゃないかしらん?」
今度は聞きなれない声。それも、台詞回しからして女口調なのだが音程は完全に男のそれだった。
声のした方向に視線を移すと、そこには半裸ベストの筋骨隆々ないかつい男が、濃いめのメイクにさらに口紅を塗っているところだった。
「え……!?ちょ、誰!?」
混乱する魅緒を差し置いて、梶樹はふふっ、と僅かに微笑みを浮かべる。
「ええ。あとは任せますよ」
「任されたわ〜ん。んじゃあちしも本気でやっちゃうわよぉ」
口紅をしまい、新たに現れた筋肉マンはカマキリ目掛けて腕を直線上に伸ばし、パーの形に手のひらを広がる。
すると、瞬きをする間よりも早く、男の二の腕から先が銀白に光る金属へと変質した。
「焼きカマキリにしてあげるわぁ……観念しないさぁい!」
瞬間、金属が一瞬膨張して文字通り火を吹いた。
まだ標的見失っていたカマキリは、その爆発をまともに食うこととなった。
閃光のような速さと、紫色を帯びた光の奔流が視界を染め上げていく。それはまるで花火のような美しさを持つ一方で、何か背筋がひやりとするものがあった。




