65章 遭遇
時と共に大きくなる奇怪な音。
やがてそれが耳を痛めるほど近くまでに迫ると、辺りを巨大な影が覆った。
瞬間。突風が吹き荒れ、身体が煽られる。風圧で木から落ちてしまいそうになった。
「くっ……!」
幹にしがみつき、体勢をなんとか立て直した梶樹。上空に現れたものに、戦慄が走った。
「は、蜂……!?」
息を呑むほど巨大な、黄色と黒の危険色。あまり詳しくはないけれど、それが毒持ちのスズメバチだということは理解できた。
ーーなぜ、こんなところに?いやそれよりも……
出現する怪物は一体ではないのか、というところに疑問符が浮かぶ。
乱入システムの記載欄には書いていなかった情報だ。これが本来の仕様だというのなら、想定よりもぐっと危険度が上昇することになる。
「……はっ!?」
思考の世界が、ノイズのような不快音でかき消された。目をやると、スズメバチがゴルフ場南のフェアウェイに着陸したところだった。隣接した砂場……バンカーから勢いよく砂が舞い上がるのが見える。
しかし、それに気をとられたのがよくなかった。ノイズのような音の発生源はそこではなかった。
カマキリが梶樹の避難した木まで、ほんのわずかなところまで迫ってきていたのだ。
(やばい……!)
反射的に瞬間移動。そこから十秒と経たずに樹木がまるで髭を剃るカミソリみたいにスッパリと横切りされる。
支えとなる中間地点を失った木はダルマ落としに失敗したかの如く、横倒しに体を地につけた。
二度も襲撃を受けた梶樹。気分は一撃でも喰らったら即ゲームオーバーのホラーゲームをやっているかのように、冷や汗が止まらない。
恐ろしくは鎌の切断力。蛟龍の高圧ウォーターカッターまでとはいかなくとも、まともに当たれば五体満足でいられるような甘い威力ではないのは確かだ。
カマキリの背後に回った梶樹は、なるべく音を立てないようにして後退した。
(悪いが……俺には相手してる暇はないんでな)
カマキリに殺された男には無念だが、方法がない以上はこの場を離れるのが得策だ。繭愛、覚羅、魅緒。脱落通知が入ってこないあたりまだ無事なはずだ。ひとまずは離脱して作戦会議のパターンだ。
と、それまでフェアウェイ付近を徘徊していたスズメバチが急に動きを変えた。翼を高速で動かして、飛翔する。
一秒に何十回というすさまじい速さで羽翼の筋肉が上下し、明らかに重量過多な蜂の体が浮いた。
そのまま、梶樹に向かって猛烈なスピードで襲いかかる!
「今度はこっちか……」
《迅雷鳴動》を連続で行使し、かなりの脱力感が身体を縛っている。体力はまだ大丈夫だが、能力なしで逃げ切るには相手が悪すぎる。蜂の飛行速度は種類にもよるが、およそ時速二十〜三十キロ。戦闘時にはさらに速くなる。全速力で走れば振り切れない距離ではない。そう、普通なら。
巨大蜂は特有の警戒音を鳴らしながら、先を行く梶樹にじりじりと近づいていく。その距離、約十メートル。
(……追いつかれる、か)
僅かではあるが、蜂のほうが速い。背後から迫る死の恐怖に毛穴という毛穴がアドレナリンによって開口する。
そう。普通サイズの蜂なら梶樹も逃げおおせたに違いない。だが相手は《怪物》といわれる敵役なのだ。そう簡単に逃してはくれなかった。
通常であればスズメバチの大きさはおよそ四センチほど。だが追いかけてくる怪物蜂は、目測でもざっと十メートルはある。体長に合わせてそのぶん羽も巨大化しているため、ちょうど足幅と歩数の関係のように速くなっているのだ。
滑らかな光沢をもつ黒い針が不気味な羽音が響くたびに近づいてくる。それはさながら、髑髏を片手に魂を刈り取る死神のようであった。
蜂毒は基本、刺されてもよほどのことがない限り死ぬことはない。世間で知られている毒蜂の脅威はアナフィラキシーショックによるものだが、それはいうなれば過剰免疫反応の一種で花粉症や食物アレルギーと変わりはない。
しかし、それはもちろん通常サイズでの話。注射針どころではないあの毒針に刺されようものなら、注入される毒液の量は考えたくもない。
梶樹はひらけたゴルフ場からOBゾーンにあたる森林のなかへと急ぐ。カマキリはともかくハチは直進できないと考えたためだ。
(よし……ここで……!)
蜂の鋭利な牙が迫る瞬間、梶樹の身体がその場が煙のように消えた。
「はぁ……はぁ……っ、くぅ……!」
吐く息が荒い。目眩がする。視界が二度三度暗転して、頭がずきずきと痛んだ。全速力のダッシュと何回もの《迅雷鳴動》の行使によって、相当の体力を使ってしまった。暑さもあって喉が執拗に渇いている。こうなるのなら、あらかじめ何か持ってくるべきだった。
梶樹は大きく深呼吸ののち、ふらつきながらも立ち上がる。それから遠くにぼんやりと見える巨大蜂を一瞥し、もう追いかけてくれるなよ、と淡い期待を込めて祈った。
ここはゴルフ場から離れた位置にあるアスレチック広場。高台の上にあるためか、先程までいた場所がよく見渡せた。
古ぼけた木製のブランコの横には小さなシーソーが置いてあって、ささやかな植木鉢の集団には薔薇と書かれたネームプレートが垂れ下がっている。春の時期は咲いていたのだろうが季節外れなためか、土が入っているだけの寂しい限りを尽くしていた。
「来てない……な」
振り切ったとはいえ未だ油断はできない。相手が人間なら能力があると鑑みて迂闊には攻めて来られないハズだ。そういう駆け引きがあるからこそ、デッド・オア・ディアーは単に与えられた力の強弱で決まるガチャゲーではないという認識だった。
しかし向こうが思考らしい思考をしないバケモノ相手となれば、撃退できる力を有していないプレイヤーは即、命取りとなる。現にカマキリに捕食された男は爆発系とそこそこ使えそうな能力であったにもかかわらずあっさりと殺されてしまった。
梶樹は手を膝につき、ポケットのスマホを取り出してアプリを確認する。
やはり男のものと思われる脱落通知が届いており、レーダーは激しく点滅を繰り返していた。ちょうどここから見える蜂のものだろう。
(アレに遭わずに抜けるのはできなさそうだな……)
カマキリか蜂のどちらか一匹であればスルーという選択もあったが、レーダー自体に正確な位置を掴む手段がないため不意打ちは避けられない。急に出てきた場合は回避しようがなかった。
どうしたものかとため息をついたとき、不意に背後から声が聞こえた。
「お困りのようね、アナタ」




