62章 狩人
青く澄み切った空に、あるはずのーーいや、いるはずのない異形の化物が、優雅に空を飛び回っていた。
黄色と黒の、危険色。腹部と胸部はほとんど離されていて、くっついているのかどうかすら見えない。頭部から屹立した触覚は、長く、そして太い。極めつけは、腹部の先端からギラリと鋭く光る、黒い毒針だった。
蜂ーーそれも、スズメバチだ。大きさは流れる雲とほぼ同等まである。
「あ、あれ……って……」
「静かにしてろ、ハチは音に敏感だからな……」
無言で頷く繭愛。悲鳴を上げなかっただけ、上出来といえるほうだろう。虫系統が苦手な人口は年々増えてきているため、そういう人にとってはホラー映画よりよっぽどホラーかもしれない。
(マジでバカでかいハチだとはな……)
覚羅は昨年の夏、ハチ駆除のバイトをしていたことがある。不良仲間から時給が良いと誘われたのだが……正直、あれは思い出したくもない。
超巨大蜂はかなりの速度で空を横断、飛翔している。このままやり過ごすことができれば、蜂は飛んでいって見えなくなるはずだ。
「あんな、の……わたし、みたことないよ……」
「俺もだ。とにかく、このまま大人しくしてろ。匂いやら音やら敏感な野郎だが、こっちから手出さねぇなら……」
蜂に限らない話だが、虫の眼というのは複眼と単眼に分かれている。単眼が明暗を感知するセンサー的存在なのに対し、複眼はそれより細かい粒のような視覚機関の集合体だ。要は目玉がいくつもあってひとつに見えているという話なのだが、色彩や形状、明るさ、ものの動きから人には見えない紫外線までをも感知することができる。
しかし、カラフルな世界を見ているわけではないため音に敏感だったりするのがほとんど。蜂のように羽がある昆虫類は微弱な超音波をコミュニケーション代わりに使用することもあるそう。
音波の反響でものを見る技術は、海軍隊のソナーレーダーにも応用されている。下手に動くわけにはいかなかった。
ナメクジどころではなく、生物としての大きさを遥かに超越している。もしかすると、一戦目で撃破した蛟龍よりも大きいかもしれない。
「あれが怪物だとしたら相当なクソゲーだぜ……!」
息を潜め、覚羅は歯噛みをした。
キャンプ場からしばし離れたゴルフ場、そこで、梶樹は点滅する赤い点が高速で動いていることに気づいた。
しかも、こちらへと迫ってきている。
「いったい何が……」
進みかたからしてかなりの速度だ。ナメクジのように巨大な虫や魅緒がいっていたような熊、動物である可能性もある。
正直いって、戦って敵うかどうかは五分五分といったところだ。あのときは舞台が住宅地、それも慣れた地元だった。地理ならびに情報に乏しい現状ではよほど能力相性の良い相手でなければ戦闘は避けるべき事態だろう。
《迅雷鳴動》は利便性に優れるが、今のところ攻撃変換できるのは飛び道具の軌道を変える程度。実質"逃げ"が本命な能力となっている。
(……来る……!)
赤い点滅が自身の位置を示すアイコンに、迫るーー。
瞬間、ゴルフ場隣に植えている植林から巨大な影が飛び出した!
ぎょろっとした大きな二つの眼、ぴんと立った触覚、三角形を逆にしたような形状の頭、なにより……両腕のチェーンソーのように鋭い刃を持った巨大なカマ。緑黄色のボディが、芝生と溶け込んで擬態色となっている。
それは、戦車ほどもあろうかという、巨大なカマキリだった。
「カ、カマキリ……!?」
梶樹は驚いた。大きさもそうだが、相手の種別にもだ。
カマキリはれっきとした肉食昆虫である。食性は極めて貪欲で、成長真っ盛りの夏場は自分と同程度のサイズを誇る蝉でさえも狩りの対象となる。
それに、いちばん厄介な点は動く獲物ならば襲いかかってくるというところだ。有名な話だが、カマキリは生き餌しか食べないという説がある。梶樹も小学生時代、祖父宅で捕食する姿を何度か見かけたことがあった。
(こいつが、怪物なのか……?)
どう見てもナメクジより強そうだ。専門知識には明るくないが、このサイズならば鳥でも食べてしまいそうだった。
と、そのとき。
カマキリの背後からなにか、動くものが現れた。
ぼろぼろに引き裂かれた服と、傷だらけの麦わら帽を被った三十代くらいの男性だ。今回の相手チームで間違いない。
男はずるずると足を引きずりながら、前進するカマキリへと近寄っていく。見ると、鋭利な刃物で切られたような深い傷が右足をえぐっていた。ビッコ歩きなのは怪我を負っているせいか。
「こ、この……バケモンがぁ……!」
男は手頃な木の枝を掴むと、パキンと折って握りしめた。すると、木の枝がみるみるうちに形を変え、手のひらサイズの鉄の塊になった。
ーー能力か!
おそらくは物質変換系の能力。これまた定番といえば定番ものの"異能"だが、ダメージが大きいのか男は手にした鉄塊をうまく持ち上げられないでいる。
それでもなんとか踏ん張ると、男は精一杯の音量でバケモノカマキリめがけて吠えた。
「ふっとんじまえぇ!」
鉄塊が投げられる。淡く銀色に光るアルミホイルのようなボールは、直線距離を最速で詰めてカマキリに迫る。
(……なんだ、なにをした……?)
ゾクリ、という背筋の感触に、梶樹は男のほうへと目を向けた。何か意図したわけではないが、反射的に身の危険を感じて動いたような……そんな感覚だった。
魅入るように開かれた瞳、そこには悦楽と、興味におぼれた人間の闇があった。
刹那、梶樹は半ば無意識に《迅雷鳴動》を介した瞬間移動で後方へと退いた。
それとほぼ同時、カマキリにぶつかった鉄塊から炎が吹き出し、爆発した。




