52章 無垢
仰向けに倒れ、背中が布団につけられる。予想だにしなかったため、放った手は踏ん張りが効かなかった。
「繭……?」
上体を起こそうとして腕に力を込めようとすると、繭愛がそれを拒むかのように上に乗ってきた。浴衣越しに柔らかな繭愛の感触が、梶樹の感覚神経をスパークさせる。
そのまま滑るように身体を動かし、繭愛は覆うように梶樹を被さった。
「わたしの……気になることはね……?」
そういいながら、着ている浴衣の衿を引っ張る繭愛。しゅるり、と布が擦れ合う音が響き、真っ白な肩が露わになった。
「なっ……!?」
戸惑いのあまりに赤面する梶樹。しかしそんなことはおかまいなしに、繭愛は身体を任せるように倒し、梶樹の頭部の横下あたりに手をついた。
ちょうど、壁ドンならぬ床ドンのような形になる。
「おにぃは……わたしのこと、どう……思ってるのか、知りたいの」
……近い。ものすごく。
繭愛が手の力を緩めてしまえば、接吻してしまうほどに近かった。
「ど、どうって……それは……」
ーー心臓が早鐘のように脈打っている。
ばくん、ばくん。全力でダッシュしたあとのように、心臓が刻みこむ鼓動のひとつひとつが、感じられた。
そのせいか、言葉が上手く紡げない。だが、しどろもどろに答えるのは嫌だった。
結果、梶樹は聞こえない程度に深呼吸を繰り返し、高鳴る心を落ち着ける必要があった。その間、丸々二分。
どうにか鎮めることに成功した梶樹は、見上げるようになりながらもまともな返答をすることに成功した。
「俺は繭のこと、大事な家族だって思ってる。いちばん大事な、妹」
何故こんなことを繭愛がするのか、それはわからないが、おそらくは咲にいわれたことが尾を引いていると思われた。
いままでの関係が崩れてしまうのではないか、と気にしているのは梶樹も同じことだ。ここはしっかりと返答して安心させてやるべきだろう。
しかし、繭愛のリアクションは想定外だった。
「……ほんと?」
紅い瞳がみるみるうちに、うるうると涙の気配を帯びる。白い肩は震え、いまにも倒れてしまいそうなほどだ。
それが、あまりに綺麗でーー。
ごくり。梶樹は生唾を飲み込んだ。
「みて……おにぃ。わたしを……もっと、みて……?」
「あ、あぁ。分かった」
思わず、二つ返事をしてしまった。だがこれはどうしようもない。繭愛の、あんな表情を見てしまったら。
(見てって……繭を、だよな……?)
改めて、繭愛をじっくりと視界に収める。
流れる星屑なように輝く銀色の髪。宝石のような紅い瞳。真珠よりも白い肌。今は肩が露出しているぶん、くっきりとよく見える。
普段見えているだけでなく、新しい発見もあった。目元に咲くようについている、まつ毛だ。
(繭って……結構まつ毛長いんだな)
大抵の女性はまつ毛が短いことがほとんどだ。つけまつ毛はそんな多くの女性を解放する画期的なアクセだと聞いたことがある。
しかし繭愛はつけまつ毛などせずとも充分なほど長かった。ぱち、ぱちと瞬きをする度に瞼が上下し、必然とまつ毛が強調される。
まだ知らなかった繭愛の事案に触れたことで、少し気分が向上した。そう、家族以上の仲だから全て知っているなんて大仰な虚勢だ。まだまだ知らないことのほうがたくさんある。
こうしてみると、やはり繭愛は美人なのだと実感する。
この年の女の子にしては相当なものだろう。中学に上がって言い寄られることが増えたというのも、不思議ではない。
(確かに……ここまでじっくり見ることなんてなかったな)
すっかり気を落ち着いた梶樹は、露わな肩の曲線へと目線を向けた。
綺麗というだけでは片付けられない、美しい曲線美。冷静になったからこそ、今一度直視することができた。
しかし、冷静になった梶樹は気づいた。いや、気づいてしまった。
繭愛の肩から徐々に下がっていくと、下方……胸のほうへ目線が伸びた。昔、抱かれた頃より遥かに成長した肢体。華奢な身体に帯びる、柔らかさ。
自分とは改めて違うのだなと納得した、そのとき。
ーー見て、しまった。
それに気づいた瞬間、静まっていた心臓が、また爆速のビートを刻みはじめた。
いや、先程とは比較にもならない。あまりの速度に肋骨から突き抜けるかとさえ思われた。
繭愛の縛られた髪、それが辿るラインを下へと追っていくと確かに見える。
胸元からちらりと覗く、黒い、レースの下着が。
「……気づいた?」
繭愛が確かめるように、尋ねた。
実をいうと普段から洗濯は交代制で行っているため、ある程度なら着ているものについては把握している。
……が。繭愛の黒レースは、記憶にない。銀色で、白い肌とは反則級にコントラストが映える。その全体像を想像した途端に、梶樹はまともに見ることができなくなってしまった。
ごくり、と喉を鳴らす音がやけに大きく聞こえる。
日常では見ることのなかった姿に、梶樹は心底動揺した。肩をあえて出したのはこのための布石だったのか。
しかし、妙ではある。繭愛が、このような小悪魔じみたことを果たして知っていたのか。色香で迫ってくるようなことは、決してなかったはずなのに。
目線を逸らしながらも、梶樹の脳内はぐるぐる回り続けた。
時は数十分前。
「ふふふ。実はね、お姉さんここのお着替えにこんなの見つけちゃったんだー♪」
魅緒がうきうきしながら差し出したのは、ハンガーにかけられた、黒を基調とした豪奢なランジェリーだった。煌びやかなレースがたっぷりとつけられた、いわゆるオトナの下着。
「これを、あみゅたんに着てもらいまーす!」
「……いや」
手を交差させて拒否する繭愛。一歩ずつ下がり、臨戦体制へと移行する。
「サイズだって、合わないだろうし……」
採寸もしていないのに持ってきた下着が合うとは考えられない。そもそも繭愛は色合いに関してなるべく地味目なものを好んでいた。
「だーいじょうぶ。さっき、直接測ったから問題ナッシブルだよ」
わきわきと手を動かす魅緒に、繭愛がびくっ、と体を抱くようにして後ずさった。
……まさか、アレのことをいっているのか。
ハンガーを持ったまま近づき、内緒話を要求する魅緒。本当なら拒否したかったのだが、脳内テロを起こそうとしているこの状況では逆らえなかった。
「ちなみにあみゅたんのサイズは……」
ごにょごにょ。耳元で囁かれる、数字の羅列。それを聞いた瞬間、繭愛の魅緒を見る目が変わった。
「……お姉さん、やっぱり変態さんだ」
「あってたでしょ?」
ーーあってました。
それも、恐ろしいほど正確に。魅緒の手は神の手とでもいうのか、すさまじいまでの正確性だった。
あんなやり方でサイズが手にとるように。ある意味恐ろしい才能である。
「心配しなくても、あみゅたんなら絶対似合うって。カゲっちだっていつもと違う姿にドギマギのはずだよぉ〜♪」
楽しそうに笑う魅緒。……なんだか面白がっているようにしか見えないが。いや、実際面白半分なのだろう。悪戯好きもここまでくると立派な"個性"ともいえる。
「おにぃ……喜んでくれる、かな……」




