49章 懸念
「……それで、ショックだったんだと思う。俺も正直やりきれないことのほうが多くて……」
食器をしまい終わり、今度は我が身を洗い流した梶樹は、頭を泡だらけにした覚羅に二回戦でのことを話していた。
昔馴染みの女の子と会ったこと、それが敵側のチームだったこと、今はもう見る影もなく変わってしまったこと……。
思い出しても、心が沈む。海に釣り糸を投げたように、どこまでも深く。
「なるほどな」
シャワーヘッドを片手にした覚羅が、頭の泡を落とした。排水溝へと向かって白い泡沫が流れていく。
しゃかしゃか。
指先で泡を落としきり、二度ほど顔を拭った覚羅。体に洗い残しはないかと辺りを見回す。
それが済むと、静かに、梶樹が入った浴槽に少し離れて入水した。覚羅の分の体積が湯を押し広げ、へりから溢れる。
「……で、お前は平気なのか。水影」
安息の息をつく覚羅に、梶樹は視線を落とした。
平気か、と聞かれればそれは違う。殺し、血を見るようなことは日常ではないはずなのだから。
ただ、梶樹が懸念しているのは……
「……繭のほうが心配、かな」
不幸。離別。拒絶。罵倒。
咲が繭愛に植え付けたものはあまりに大きい。それは、今の自分たちーー兄妹であるという関係を真っ向から否定するものだ。
しかし、納得できない、という咲の言い分もわかる。
上辺ではなんといっても、所詮は血も繋がらない他人同士であることに変わりはない。下手をすると、義理の兄妹などよりも薄い繋がりなのだ。
到底、世間から許されることではない。
「そうか」
短く、覚羅が相槌を打った。
「それなら、俺がカマかける理由もねぇな」
「……え?」
覚羅の台詞に、梶樹が反応した。
「天聖の心配できるだけ余裕があんだろ?だったら、殺しや血見てナヨってるわけじゃねぇ。ビビってんなら、そんな余裕はねぇはずだからな」
目を瞑って答える覚羅。その見解に、梶樹は感銘を受けた。
ーー俺が余裕、か。
確かにその通りかもしれない。同じ光景を見た、とはいっても雪音との関係はあくまで一歩引いたものだったから。
目を閉じれば、今でも思い浮かぶ。雪音と繭愛が楽しく笑っているところを。しかし、それは思い出。もう、一生取り戻すことのできない光景。
いくら頑張っても、梶樹は雪音の代わりにはなれない。だから無意識のうちに、繭愛に対してはかなりの過保護になってしまっている。
ここからこのようならことが頻出するとなると、心が折れてしまうようでは生き残れない。
覚羅が懸念しているのは、そういうことなのだろう。
「なんていうか……優しいな、十束。番長スタイルで見た目不良なのに」
「……見た目不良は余計だ」
覚羅はため息をついた。自分でも思うところはあるらしい。
「気に入ったやつ、はな。基本はお前が思ってるガキ大将と変わらねぇよ」
「でも魅緒さんには手、出してないじゃないか」
揉め沙汰にはなったが、結果的には覚羅は暴力解決にはいたっていない。梶樹は、本当は心根の優しい人物なのだと思っていた。
すると、覚羅は意外にも声をくぐもらせて、
「……男子校、だったからな。女の扱いはよくわからねぇ」
と、つぶやいた。
これには流石に意表を突かれてしまった。まさか、覚羅が女の子苦手系男子だったとは……。
ただ、確かにそういう免疫は周りの環境が形成すると聞くので、無理もない話だろう。
「なんていうか、その……ごめん」
「は?なんで謝んだよ」
「いや、案外見た目なんてアテにならないな、ってさ」
そう、あてになどならない。梶樹は自分にいい聞かせるように繰り返した。
泥水もすくってみれば清水になったりするものだ。評価というのは、あくまで一方向から見た結果でしかない。
「俺も、最初会ったときはロクな奴だと思ってなかったぜ?一見二枚目野郎だからな、お前。まぁあの妹がいるんじゃ、女遊びなんてできねぇか」
嘲り気味の覚羅に、梶樹は苦笑した。
実をいうと、梶樹はモテないわけではない。バスケ部エースということも相まってか、高校ではまずまずの人気がある。
ただ、付き合いたい、ひいては彼女が欲しいと思ったことは一度もない。
友人付き合いにしても、基本バスケ部仲間としかつるんではいなかった。
繭愛に対する負い目ーーというのもあるが、もともと人付き合いが得意なほうではないからだ。コミュニケーション能力に秀でた人間は、もっと軽い付き合いを好む。
……そういえば、覚羅が嫌いなタイプも"軟派な奴"だった。
「まぁ、確かに……」
「天聖はお前が慰めてやれよ。アニキだろ」
「あぁ、それはもちろん。何をするかはまだわからないけどな……」
「そんなの、お前がよく知ってるんじゃねぇのかよ」
それはそうなのだが、繭愛が受けた傷は測れない。具合によってはさらに傷を深めかねない、とも思う。
だからといって何もしないわけにもいかないのだが。
(繭……)
無理な慰めは逆効果になることもある。しかし、これからのことを考えるならば……繭愛の能力は必要不可欠なものになるだろう。
最高レアリティ、虹色のプリズムレア。全ての"異能"を超える"超能力"。
この力は、梶樹が繭愛を想う気持ちゆえに授かったもの。自分ひとりの都合で振っていいものではない。
ーー少し、話してみるか。
何もしないよりは遥かにマシなのは違いない。それに、咲の件については梶樹のほうにも非がある。一度、謝りたかった。
(いつも側にいるのに……大事なことって、なかなか伝えられないものだな)
いくら繋がりが強くても、同一の身体で動いているわけではないのだから当たり前といえば当たり前の話だが。"他人"である以上は必ず壁が存在しているものだ。それを、梶樹はひしひしと実感した。
「ありがとうな、十束。繭のこと心配してくれて」
湯船から立ち上がり、振り返った。やはり覚羅はいい奴だ、と心からの感謝だったが、どうしたことか、いつもの仏頂面が歪み、心なしか赤くなっていた。
「気に……いってるだけだって、いったろ……」
頭に乗せたタオルを肩にかけ、同じように湯船を出る覚羅。隣に浸してある冷や水を一杯すくい、我が身に浴びて熱を発散させる。
振り払うようにしてもう一度足を湯船につけると、うつむき加減につぶやいた。
「単純に、俺の好みなだけだ。天聖は……なんとなく、姉貴に似ててな……」
「え……?」
まさかの告白に、梶樹はたじろいだ。




