48章 アイデンティティ
「むぅ……あみゅたん、そんな怒ることないじゃんかぁ」
湯船に浸かる魅緒の横で、繭愛はぶくぶく、と泡を立てている。
しかし、その距離は遠い。具体的には、人ひとりぶんほどの間がある。
ちょっとした悪戯のつもりが、逆に距離を離すことになってしまったようだ。
「……こないで」
ぷい、とそっぽを向いて我が身を抱くようにうずくまると、繭愛は細々と呟きはじめた。
「お姉さんの、えっち。おにぃだって、こんなことしないのに……ばか」
「ふふふ。気持ちよかったよー、あみゅたん」
ひけらかすように手をわきわき動かすと、
「……今度は静電気じゃ済まないから」
じろり、睨まれた。
……怒っている。本気で、怒っている。
怒りの表現技法は多々あれど、繭愛はその中でも特に怖い、静かに怒るタイプだった。
罪悪感と繭愛の気勢に、魅緒は慌てて土下座ーーもとい、水中土下座を披露する。
ぼこぼこぼこ。
吐く息が漏れて湯船に泡沫が浮かぶ。
「ぶはぁ!……ごめん、ほんとにごめん!あんまり可愛い反応するから、お姉さんつい楽しくなっちゃって」
謝りつつじりじりその間を縮めようとする魅緒だが、隣の湯船に逃げられてしまった。手強い。
へりに手を置き、その上に頭をのせ、繭愛はほわっとした空気に安堵の息をついた。もちろん、魅緒の動きを警戒することは怠らない。ある意味、対戦チームよりも要注意危険人物だ。
「……はぁ」
なにをしているのだろう、と繭愛は湯の熱に恍惚としながら自分を顧みた。
いや、あれは完全に魅緒が悪い。魅緒が悪いのだが。
そうではなく、こんなことでムキになっている自分が、不思議だった。
梶樹とごくたまに喧嘩するときでも、ここまで遠ざけるようなことはしないのに。
「まぁ、でもさ。結果論だけど、ちょっとは気持ちがほぐれたんじゃないかな?」
いつの間にか魅緒が目の前にまで近づいていた。浴槽のへりを通じて、繭愛が魅緒の背中を見据える形になる。
「……え?」
「ほらあみゅたん、さっきまでうーん、って悩んでた顔だったじゃん。そっちの方がかわいーよ、絶対」
にんまりと。夏の太陽を受けて開く向日葵のような笑みに、自然と繭愛も惹かれていった。
(かわいい……わたし、が……?)
自分を"可愛い"なんて、思ったことなど一度もない。周りはいつも、そんな"可愛い"上っ面だけで迫ってくるような人間ばかりで。
繭愛は自分の容姿を、好きになれないでいた。
これは呪いーー。求めずとも得てしまった、忌み嫌べき神からの恩恵だと。
だからこそ、繭愛は次第に心を閉ざすようになっていった。上辺だけの関係を作り、本物の気持ちは、全て梶樹に寄り合うように。
そんな堅く閉ざされた心の扉を、魅緒はおかまいなしにぶち破る。
「あみゅたんが悩んでるのはカゲっちのこと?アッキーのこと?それとも……アタシだと話にくい?」
僅かな間。しかし、
「……そんなこといっても、許してあげないよ」
ぷくぅ、と頬を膨らませ、対抗する。
すると、魅緒は後ろを振り返り、にまにました顔を見せる。
……とても、意地の悪い笑みだった。
「ふーん?いいのかなー、アタシの"能力"、忘れてないカナー?」
「能力……?」
いいかけて、はっと気づいた。
そう、魅緒の能力は《以心伝心》。実質テレパシーではあるが、実態は似て非なる別モノだ。
魅緒を起点として他人を繋げるのみならず、その気になれば相手の思考を読み解くことができる。つまり、隠しごとは絶対に暴かれる。
「どうしよっかなー、見ちゃおっかなー?あみゅたん、どんなこと考えてるのかなー?カゲっちとあんなことやそんなことしたいーとか思ってたりして〜?」
「そ、そんなこと……ないもん」
「ふっふふー♪お姉さんに隠しごとなんか千年早いのだ!いってくれないと、ほんとに覗いちゃうぞ?」
「ーーっ〜〜!?」
ほとんど脅迫である。突然の二択に、戸惑う繭愛。しかし、魅緒は容赦なく攻め続ける。
「ほんとはすっごい疲れるからやりたくないんだけどなー。でも、あみゅたんが喋ってくれないなら……しょーがないよねぇ?」
「や、やだ……!お姉さん、いじわるっ……!」
「どーれ、それじゃさっそく……」
んんんー、と念じはじめる魅緒。
流石にこれには参ったか、とうとう繭愛が根負けした。ぺしぺし背中を叩いて止めにはいる。
「うぅ……わかった、わかったから!頭の中見るの、やめてよぉ……!」
涙目な繭愛をよそに、ガッツポーズをする魅緒。
ここまでされては仕方なく、渋々繭愛は語りはじめた。
数十分後。
全身を火照らせて顔を隠す繭愛と、腕組みをして唸る魅緒の姿があった。
「……なるほどね、カゲっちの側にいたいけど傷つけたくない、と」
「……うん」
のぼせ防止に足湯状態の繭愛が、ぽつりとつぶやいた。何もかも暴露されて、顔から火が出そうになっている。
「羨ましいねぇ、こんなに健気に想ってくれる女の子がいるなんてさー。幸せものだよ、カゲっちは」
「そういうの、じゃない……兄妹、だから……」
「うむうむ。素直になれないあみゅたんも萌えるぜよ」
あっはっはと声を高らかにあげる魅緒。
どうしたものか、と繭愛は唸った。全く勝てる気がしない。完全にもて遊ばれてしまっている。
「まぁ……気持ちはわかるよ。人との距離ってさ、大人だって難しいものだし」
こくり、とうなずく繭愛。
実際、人との接しかた、つまりコミュニケーション能力に問題を抱えた人間が社会的不適合者となるケースは少なくない。
そういうのはなにかしら、心にゆとりを持たせる何かに依存することが大半だ。裏を返せば、繭愛もこれにあてはまる。
「要はカゲっちがあみゅたんをどう思ってるか、聞きたいんでしょ?だったら、聞いてみなきゃ」
……わかっている。そんなこと、いわれなくても。
けれど、下手に動けば、今の関係が崩れてしまいそうで。それがなにより、怖い。
「でも……」
またうつむいた繭愛に、魅緒が大きく胸を張った。なんだかとてもご機嫌な様子だった。
「だーいじょうぶ!お姉さんに任せときなさい!こういうときは、必勝パターンを使えば本音出してくれるって」
「ひっしょ……う?」
「うんうん!あみゅたんが本気出せば……カゲっちだって、イチコロで落ちちゃうよ♪…….やってみたくない!?」
両手を合わせて身悶えする魅緒。その仕草に、どこか不安を感じる繭愛だった。




