33章 兄様
「俺が兄様って……何か勘違いじゃないのか!?」
すりすりすりすり。
梶樹の胸に顔を埋める少女は、つい先程に出会ったばかりのはずだ。というか、まず金髪ブロンドの美少女なんて一度会ったら絶対に忘れないと思うのだが。
正直いって嬉しくないといえば嘘になる。嘘にはなるが、可愛い女の子に迫られて嬉しくない男がいるもんかという常識的な気持ちよりも、初見の少女に兄様呼びされる違和感と困惑のほうが勝った。
すると、少女が顔を見上げてきっと梶樹を見つめた。宝石のような碧眼が交錯する。……まずい、上目遣いに負けそう。
「兄様は……私を、咲をお忘れなのですか?」
「咲って……俺に君みたいな知り合いなんていないし」
自身を咲と名乗る少女はぶんぶんと首を横に振り、
「嘘です!咲は……咲はずっと兄様を想い続けておりました!思い出してください。六年前の夏、兄様が咲に言ってくれたあの言葉を……」
「六年前って……」
その頃は梶樹が小学五年生、十一歳のときだ。まだ両親はいたし、繭愛にも出会っていない。確かその夏は……
そのとき、梶樹の脳内を電撃が走った。記憶というパズルのピースがかちりかちりと嵌っていくような感覚。兄様という呼び名、金の髪、そして六年というキーワードが次々に繋がっていく。そこから導き出される結論はーー!
「コウ……?コウなのか?だって、お前ーー
「はい!コウこと私皇咲ですわ!思い出していただけましたね、兄様!」
ぎゅっと再び梶樹を抱きしめる咲は、本当に嬉しそうな表情をしている。
コウとは、梶樹が小学五年生の夏休みに母方の祖父母の家に旅行に行った際に出会った少女だ。あの頃の咲はまだ自分の名前を漢字で書くことができなかったため、愛称としてひらがな読みのコウと呼んでいたのだった。
しかし、それでも疑問がいくつか残る。そもそもコウは記憶が正しければ黒い髪だったはずであるし、兄様などとは死んでも呼ばない跳ねっ返り娘だったはずだ。目の前の少女とは似ても似つかない。
「いや、お前……金髪じゃなかったろ。それになんでこんなとこいるんだよ」
梶樹が引き剥がすようにして問いかけると、咲は少し恥ずかしそうに語りはじめた。
「あの頃の私は目立たないようにと髪を染めておりましたから……それに、兄様はこうして私に会いに来てくれました。しかも……あの名高い、角でぶつかって……あぁ、これはなんという運命でしょう……!」
「おーい?コウ、……大丈夫か?」
大分妄想癖をこじらせてしまっているようだ。そういえばあの頃も思いこみは激しいほうだった気がする。今はなんというか……かなり進化しているようだった。
「私めのことは是非、咲とお呼びください兄様!」
「わかったって……じゃあ咲、なんでこのゲームにーー
「ときに兄様には想い人などいらっしゃいますか?」
「人の話聞けぇぇー!」
一直線なところも相変わらず。というか、全く進歩していない。攻めに百八十度振り切ったガン振りの姿勢は健在だ。……なんだか忘れていた理由を思い知ったような気がする。
「重要なことです!はっきり仰ってくださいませ、兄様」
じいっと視線を刃物にして飛ばしてくる咲には有無をいわさぬ圧力があった。流れる気まずい間に、梶樹はふいっと視線を逸らしてしまう。
(なんでこんなことに……)
知り合いにこのゲームで対面すること自体が意味不明極まりないのに、再会したら昔遊んだ少女が兄様呼びしてくるわ、おまけに今好きな人はいますか?とかストレートに聞いてくるわもう思考回路がぐるぐる回って混沌まっしぐらである。
というか、コウとはたった三日だけの付き合いだったはずなのにどうしてここまで彼女が入れ込むのかが謎だった。しかもなにやら約束の誓いを立ててしまったらしく、おそらくそれが原因でわんぱく少女は深窓令嬢に変身したのだろう。
「……いちおう、聞くけど。俺、昔になんか約束したか?それ聞いておかないと答えられないな」
まずは探りを入れるつもりで咲の身体を引き離し、できる限り爽やかな表情で聞いてみた。
すると、咲は何故か少し頬を赤らめて、視線ビームを撒き散らしていたその瞳を大きくさせた。
「兄様は……本当に覚えていないのですか?」
「まぁ今の今まで思い出になってたわけだし……」
忘れていたわけではないが、この数年はあまりに衝撃的なことが多すぎた。両親を失ったのみならず、身近で殺人まで起きているのだ。さらにはその容疑で祖父まで囚われの身となってしまった。繭愛との暮らしで多少は癒えたものの、未だにあの出来事は梶樹の中で大きな"傷"となっている。
繭愛との関係は傷の舐め合い、依存、そしてお互いに失った家族という名の拠り所ーー。
過去は過去に、今は今に。未来は、未来に。時間の流れの中で人は変わる。良くも悪くも。忌むべき過去を忘れたいと思う梶樹にとっては同じ過去である咲との思い出も、もはや風化した化石に過ぎない。
しかし、それでも過去の事象を思い出せたのは……まだ忘れたくないとする心の揺らぎゆえのことなのかーー。
「あのとき……兄様はこういってくれました」
いくつか間をとってふりをつけると、咲は喉の奥から声を絞り出した。それは、弦が切れたヴァイオリンのような、凄まじくねじれきった声だった。
「なにがあろうと、お前は俺のものだ……と」
「ぶふぉっ!?」
思わず、耐え切れなくなって吹き出した。ええっ、なんですかそれそんなこと言いましたっけいや言った覚えなんてさらさらないんですがそもそもそれ本当に俺がいいましたかぁぁぁぁあああーーー!?
はぁ……はぁ……
まさかの爆弾……いや、地雷投下に梶樹特攻隊長はすでに虫の息である。いくら小学生でまだ世間に疎いといっても、流石にそれは言わないだろうと否定することすらできなかった。
よく恋愛ドラマや推理ドラマを母親が見ていた影響で、あの頃の梶樹は一足早い厨二病を迎えていたフシがある。キリっとした顔でそんなことを口走ってしまう可能性もなきにしもあらずだった。
「思い出していただけましたか?」
にこにこしながら覗き込んでくる咲。そこには期待の感情がこれでもかと漂っていた。
「ぐっ……」
このままでは新たな地雷を踏みかねない。咲にどうにかして引いてもらうには、やはり質問に答えるしかないのか。梶樹としても、一度した約束は果たすという自負がある。身に覚えないものに流されるのはシャクだが、ここは覚悟の決めどころだろう。
「……じゃあひとつ。今の俺はあくまで敵なんだ、だからお前を倒していかなきゃいけない。けど、正直いってお前とやりあうの辛いんだ。せめて、俺が話したらここでリタイアしてくれないか」
このまま咲を"敵"として闘るのはどうにも気が引ける。それに、向こうが自ら退いてくれれば精神的な呵責も軽くなる。さらには地雷を遠ざけることができるというお墨付きだ。
この提案に咲はしばらく悩んだ顔をしていたが、やがて髪をふぁさっとかき上げて頷いた。
「いいですわ、すでに一度勝っていることですし。兄様を手にかけるなど、私としても心苦しいですし。それで兄様の心境を知ることができるなら、安いものですわ」
ーーよしっ。
内心、梶樹は勝利を確信した。なんとかこれで敵を減らしつつ、平和的解決ができる。色々やられた部分はあるが、次に同じマッチングになるとは限らないだろう。ふうっと息をついた梶樹はその場を起き上がり、咲に向かい直った。
「俺に付き合ってる、もしくは好きな人がいるかって話だったよな?」
「はいっ」
「いいか、今の俺にそんな異性はーー
「……おにぃ、なにしてるの」
ーーー!?
続きを遮った声に、背筋が凍った。その声の主は紛れもなく……じいっと梶樹と咲が向かい合うのを見つめる、長い階段を登ってきた繭愛だった。




