31章 実験
次のマッチングを示す時計は残り二十分を切っている。このままの勢いで次の試合に挑むのも流れだが、梶樹はどうしても試したいことがあった。
「少し、付き合ってもらっていいか?皆」
「何をだ?」
「能力の実験にさ」
そういって、梶樹はドリンクコーナーに置いてあるコーヒー牛乳の瓶を手にとった。
そこから、イメージ。梶樹の能力、《迅雷鳴動》を使うための使い方。
しゅん、と僅かに空気が流れる音が耳についた。その瞬間、梶樹が右手に持っていた瓶が左手に移った。
「カゲっちは確かものを動かせるんだったっけ。でもちゃんと使えてるじゃん」
「いいや、さっきの対戦で一度だけ発動しなかったときがあった。……十束が蛟龍にぶっ飛ばされたときに」
うっ、と覚羅が嫌な顔をした。帽子を深く被り、視線をあさっての方向へと向ける。……やはり気にしているのだろうか。
「なんで使えなかったのかを知りたい。細かいかもしれないけど……使いたい場面で使えないのは困る」
ぐっと拳を握りしめてそこに目線を落とす梶樹。それから繭愛にもう片方の手から今さっき移動させたコーヒー牛乳瓶を渡した。
「繭、今から瓶をもう片方の手に移動させる。そこからもう一度同じ手に戻すから、落とさないよう気をつけてくれ」
「うん、わかった」
繭愛を空き空きのマッチングチェアのひとつに座らせるよう促し、梶樹はそこから少し離れた本棚の前に立った。
「いくぞ……」
再び、イメージ。繭愛の手からもう片方の手に瓶が瞬時に移動する光景を思い浮かべる。やってみるとこれがなかなか難しい。しっかりとした光景が見えていないと、うんともすんとも動いてくれない。瞬時に連続使用するのは慣れが必要そうだ。
結果は、成功。見事に繭愛の手から手へと瓶がスライドして移動した。瞬間移動でなくても動かせるのだから利便性が高い。
「なんだ、使えてるじゃねぇか」
フン、と鼻を鳴らす覚羅。実際のところ、ここで失敗したら試すもなにもないのだが。
(よし……ここから……)
繭愛の元の手に戻すーー移動させるイメージ。もときた道を引き返すように、反対方向へと向かって瓶は進む。
……はずだった。
「発動しない……!?」
イメージはできている。でなければ先の成功はあり得ない。ならばどうして?条件は揃っているはずなのにーー?
いや、違う。それは先入観だ。自分の身体で起きている営みを感じることができないように、自分自身という個体はとてつもない謎を秘めているものだ。もし……手を動かすとしたら、脳からの指令伝達が必要になる。こういうふうに動きたいと考えるからこそ身体は動く。
能力というのは手足の延長線。痒いところに届かせる孫の手のようなものだと認識していたが……
(違うのか……?俺の考えてる条件そのものが)
あり得ない話ではない。数学の公式だって、こういうものと定義しているフシがある。ましてや"異能"という人には過ぎる力なら、そもそも扱いを持て余すことも充分考えられた。
「おにぃ……?」
その様子に何かを感じたか、繭愛が瓶を手すりに置いて立とうとした。一歩目を踏み出そうとした、そのとき。
「ひゃっ……!?」
とん、と冷たい感触が繭愛の膝に到来した。急にやってきた冷感に思わず腰が浮き上がる。見ると、数秒前に手すりに置いたコーヒー牛乳瓶が足元に転がっている。
「うーん、あみゅたんいい反応するなー。お姉さんにもやらせてちょうだいよ〜」
瓶を拾いあげた魅緒が浮足立った繭愛のほっぺにそれをくっつけようとするが、空を切るような覚羅の手刀がそれを許さない。
「発動……した、のか?」
遠目で見ていた梶樹には今の現象がはっきりと見てとれた。急に瓶が手すりから横にスライドして繭愛の膝の上に落ちたのは間違いなく《迅雷鳴動》の能力だ。もともとの性質から考えて他にめぼしい理由はない。
(時間差発動……?)
瞬時に移動するのではなく、タイムラグがあるとするならばそれは何故なのか。瞬間移動を主軸にする以上は謎が多いままでは命など到底預けられない。
念じたタイミングより遅れた理由。しかし、この現象が答えに辿り着くヒントになってくれた。
(そういやあのときも……)
蛟龍に吹き飛ばされた覚羅を移動させようとしたとき、すぐには瞬間移動しなかった。あれと同じ条件が働いたとするなら類似点はかなり絞られる。
「そう……か……!なるほど、そういうことか!」
梶樹の脳内を電撃が走った。ひらめきがニューロンを活性化させ、スパークを引き起こす。まるでエナジードリンクを飲んだように気分が高らかと高揚する。
「十束、ちょっと借りるぞ」
「あぁ?って……それ、俺の帽子じゃねぇか!」
マッサージチェアに置かれた覚羅の冬帽子。そいつをひょいと掴みとって、もう一度能力を行使する。
予想通り、帽子は覚羅の頭の上に綺麗に着地してきっちりはまった。
「っ……とと」
「そして、ここから……!」
やはり、発動しない。さっきと同じように念じたはずなのに帽子はぴくりとも動かない。
「おい、一体何がやりてぇんだ水影ーー
と、それまで覚羅の頭に乗っかっていた帽子が急に魅緒の手のひらに舞い降りた。すかっと帽子がなくなった感覚に覚羅が困惑する。
(やっぱり……な。わかったぞ、新しい条件が!)
考えてみれば、単純なことだ。異能なんて力がなんの制約もなしに使えてしまったら、このゲームに参加している全員が主人公になる。いや、なってしまう。
あのゲームマスターの口ぶりからしてもそれはない。楽しむことが目的なら、常に無双しているシーンばかりになってしまうのは面白いはずがないからだ。ゲームの流動性を保つには、何某かの"縛り"が必要になってくる。
「返しやがれぇぇぇ!」
「えー?アッキーが「お願いるんるん♪」っていってくれたらいいよ」
「誰がいうかそんなもん!いいから俺の帽子をだな……!」
「きゃ〜襲われるぅ〜こわーいー」
「てめっ、いい加減にしろよこのやろおおおお!」
……見事なあしらわれっぷりだった。手をあげないぶん、覚羅の方がどうしても不利になるのだから堂々巡りだが、それを理解している魅緒はやはり手強い。
悪かった、と声をかけようと梶樹が抗争を繰り広げる二人に近づいたとき。
「「!?」」
ブーッとブザーが鳴り響き、四人を眩しい光が包み込んだ。第二回戦の、開始。それを告げるアラームだった。
「っく……!」
白く明滅する光の世界でそれぞれが心を新たに目を瞑った。ころころとコーヒー牛乳の瓶が誰もいなくなった広い部屋で床を転がった。