25章 蛟龍
「もうひと押し、ふた押しくらいかしら」
真紀は上空の水の塊ーータンクに川の水を吸い上げた。
《遊泳人魚》は特徴として水が補給できるか否かで戦略性が大きく変わることがあげられる。具体的には、海、川、雨などの供給可能な場所、天候によってその扱いは非常に繊細なものになる。より簡単にいうと地形や舞台ーーコンディションを選ぶ能力だった。
これは、彼女が勝負を引き下がれない理由のひとつでもある。次の対抗戦が同じ場所で行われるとは限らない。一度は勝たなくては処刑される追加ルール、ここを逃しては確実な勝利は得られない。
「……はっ!」
水タンクから強烈な水圧で圧縮された水の槍が左右に伸びて空を切り裂いた。直線上に並んだ木々や漂流物を薙ぎ倒しながら対岸へと突き進む。
防波堤のコンクリートが破砕する音が聞こえる。ガラガラと形を崩し、川の中へと落ちていく。それを見ていた後ろの少年ーー、石川康太が声をかけた。
「お姉さん……ぼくは……」
「康太くん、私なんて君からしたらおばさんでしょう?遠慮することなんてないわ」
律儀な子だ、真紀はそう思った。開始早々に脱落した男二人は全くもって話が通じない(というより話にならない)どうにもできない俗物だったが、この康太は違う。
聞けば、祖母が重い病気に罹患しているのだとか。それを案じた上の参加理由に、真紀は心打たれた。
ーー遅い!考えるより先に動け!
ーー君には社会人としてのプライドがないのか?
ーー追加だ、明日の朝までに報告書を仕上げておくように
真紀の脳裏に浮かぶのは、会社の上司とのやりとりばかり。入社して四年の真紀にとっては現実と夢現を隔てるには充分すぎるほどの闇だ。
所詮この世は縦社会。権力のある者はふんぞり返り、力無き者は弱者として踏み台にされる。手柄を横領し、仕事を押し付け、業務上の過失を一切認めない典型的なクズだったあの上司と言葉を交わすだけでも、大切な何かが壊れていくような喪失感があった。
しかし、この少年は違う。純粋な善意と覚悟でこの場所に立っている。それが今の真紀にとっては羨ましくて。それでいてとても眩しかった。
「私が絶対にこのDODを勝ち抜いてみせる。康太くんは、その気持ちを持ち続けて欲しいの」
いつから失くしてしまったのか分からない。子供の頃、学生時代には確かにあったはずの輝き。純粋さというかけがえのない太陽の光。真紀がもう手にすることはないとした輝きを、この少年は持っている。
大人として。未来ある子供を守るために。そのためには、目の前の相手を倒さなくてはならない。真紀の内に秘めたるは譲れなき覚悟。それが彼女を突き動かす原動力であり、真意だ。
水圧の弾が緑の芝生を土色へと変えていく。川から水が補給できる限り、この爆撃は止まることを知らない。ならばどうするか。
(いちかばちか……ぶつけるしかない!)
仮に本当に全ての衝撃を殺してしまえるなら、この作戦はもともと意味がない。可能性としてはまだ見えてすらいない机上の空論。
だが、今の状態で突破口があるとするならここしかない。
「……水影、頼むぞ。このままやられんのはゴメンだからな……!」
そういうと、水弾のひとつに向かって覚羅が突進ーー。地面に着弾するほんの一瞬、覚羅がその場で足を踏ん張った。
足元の芝生が円形に陥没し、その衝撃で水弾が破裂する。さらに近辺の剥き出しになった土と砂場から大きく土煙が舞い上がった。
「むっ……これじゃあ見えないわね」
土煙のせいで目測が定められなくなった真紀はこれでは向こう岸の少年達に当ててしまうかもしれない、という恐れから水大砲を止めてしまう。
それが、命取りだった。
「繭、離れるなよ……」.
「……うん」
まだ向かってくる水弾のひとつに、梶樹は意識を集中させた。自身の能力ーー、《迅雷鳴動》。その発動条件は……。
(何が、どこに、どうやって。俺の思い描いたように移動させる力だ……!)
対象は、迫ってくる水の弾。消えるように移動するーー瞬間移動。そして移動させる場所は……
「いっけぇぇえええ!」
梶樹の目の鼻の先にまで近づいた巨大水弾が、まるで煙に巻かれたように突然として姿を消した。その行き先は……上空。まだ推進力を余した砲弾が直進するその先はーー。
風船が割れるような破裂音。直後からものすごい地響きと共に真紀の上空に浮かんだタンクがどこからか現れた水の弾によって撃ち抜かれた。
そう、これこそが梶樹の作戦。圧倒的な破壊力を持つ最強の矛、どんな衝撃も無効化する最強の盾。ならばどちらが真に最強か。昔の逸話では相入れることなく終わった先人の知恵である。
ならばそれを実践すればよいだけの話。事実、移動させた水弾は上空の貯水槽たるタンクを崩壊させた。同じ水ならば貫通すると呼んだ梶樹の勝利であった。
「なっ……!?康太くん!避けてーー!」
形を失った巨塊は次第に不定形な流水に戻り、質量を保ったまま降り注ぐ。屋外プールもかくやという特大のシャワーが真紀たち二人の身体を叩きつけた。
「……よし、成功だ!」
「すげぇ……!向こうの弾返を逆に使って攻めるとはな。こりゃあひとつ貸しができちまったか……?」
水の弾が貯水タンクを貫いたのを見届けた梶樹達はようやく安堵の息をつくことができた。澄み切った空に舞う水滴に太陽光が反射して虹ができている。
だがしかし。降り注ぐ水の嵐が収まり向こう岸の様子が徐々に見えてくると、まだ安堵するには早いと分かった。
どろりとしたその巨塊はまるで生きているかのようにゆっくりとした渦を描く。まともに受けたと思われた少年ーー、康太を中心として蛇がとぐろを巻くかのように蠢いている。
「ぼくも……戦うよ、お姉さん」
石川康太の能力、《命渡》。生命という概念がない物に命を与える力。今、水の流れという形なきものに新しい意志が芽生えるーー!
川の水が螺旋状に唸りをあげ、天へと昇る。それは渦巻く回転へと吸い込まれてひとつの生物へと変貌を遂げた。螺旋の回転に沿うように鱗が、牙が、頭が形成される。ぼこっと爆発するような音を立てて、体が膨れあがった。
「こ、康太くん……!?これは……」
「……蛟龍。蛇の神様。ぼくが一番好きな蛇の水神様だよ」
河川敷の半分を覆うほどの巨大な透明色の蛇。その頭部に、二人はジェットコースターに乗るように上半身を出している。瞳の色がないその水の大蛇は、ごぼごぼと沸騰するような鳴き声をあげた。
「なっ……!?嘘だろ……こんなこともできるのか!?」
梶樹の全身に戦慄が走った。




