107章 決意
思わず声が出た。いや、これは出してもしょうがなかったといえるだろう。そうであってくれと願う。
乳母?執事?あまりにも唐突すぎて理解が追いつかない。
「ね、ねぇ……おにぃ?」
「……ん?」
「乳母ってなぁに?」
…………一瞬、ずるっと滑りそうになった。よくよく考えれば最近だと馴染みがないかもしれない。梶樹が知ったのも文庫本経由である。それに繭愛は超がつくほどのお嬢様な学校だった。最も、生まれはそうとはいえないけど。
「……乳母っていうのは、母親代わりに世話をする人ってことだな。今だとベビーシッターが近いかもしれないけど」
実際正しいのかよく分からない。歴史の授業なんかでも触れられることはないだろうし。間違って変な知識を植え付けたくなかった。
「ふむ。概ねそれで合っているでありますよ。最も貴女様に最後にお会いしたのは五つのときでありましたが」
「五歳……」
繭愛の表情が途端に暗くなる。その頃はまだ、両親と共に生活していたとき。もう遠くなってしまったあの時間に想いを馳せているのか。
「ってことは……あなたは繭のお母さんの方の人間ってことなのか」
「それも正解であります。……雪音様は月呼の良き主であり友人でありました」
そして、今でも。月呼はその言葉を飲み込んだような気がした。その瞳には哀愁の色が浮かんでいる。
嘆いている。この人はきっと、雪音に何があったかを知っているのだ。分かった上でこの場にいる。
「ーーー私めから話したいことも多いのですが……今はこれしかお伝えできませぬ故。ではこれから先、お嬢様の身に幸多からんことを……」
月呼は今一度丁寧に頭を下げ、優雅に踵を返して立ち去ろうとした。
「……待ってくれ!」
月呼が歩き出すよりも早く、梶樹は呼び止めていた。能力を使った反動はまだ完全に抜け切っているわけではないが、このまま月呼を行かせてしまったら謎が謎のままになってしまう。
「教えてくれ。このゲームは……繭が関わってるのか?それとも……」
運営側に天聖家の人間がいるということは、それに繭愛が関係していることを示す。それはすなわち、最悪の事態を意味していた。
誰も彼もがこのゲームには、巻き込まれた側の人間だと思っていたからだ。そしてその実態が見えないためにやりきれない気持ちをどこかに吐き捨てなければならなかった。
もし、その根源が繭愛にあるとしたら……。
(頼む……否定してくれ。頼むっ……!)
「……そうでありますな、少年にはお嬢様を庇護していただいた恩赦があります」
月呼はその場でターンし、梶樹の方へ瞳を向けた。
「今答えられる情報には限りがあります。ですのでひとつだけ、お答え致しましょう。このゲームの次のステージを勝ち上がること、であります」
「な……!」
「月呼は生憎とここの運営には接点がありませぬので………勝手なことをするの叱られてしまいます。ご容赦を」
困り顔の月呼をなんとかして引き止めようと、梶樹が手を伸ばしたとき。それを留めたのは繭愛だった。
「……繭、分かってるんだろ。だったら」
けれど、繭愛は了承しない。首を横に振って梶樹を押しとどめる。そこから背伸びして梶樹の口元に人差し指を置き、栓をした。
「……わたし、正直わかんない。これゲームってことも。なんでここにいるのかも。だけど、もし帰れるなら……」
「…………」
「わたしが全部、受け止める。だから、嘘はつかないで。おにぃは……素直じゃないでしょ?」
思いっきり虚を突かれた。自分の方が年上なはずなのにからかわれた気分。なのに霧のかかった窓ガラスが反射して光るように、何故か嫌な感じはしなくて。
「素直じゃないは余計だ」
てい、と繭愛の頭にチョップをかました。あうっ、なんてうめき声を漏らすけれど仕返しだから気にしてやるものか。
「……絶対に勝ち上がる。それに、約束したしな」
最後の方は上手く言葉にできたか知らないが、繭愛が明るくなったなら聞こえていたのだろう。
「……ご武運を」
月呼がパチン、と指を鳴らすとあの終幕を告げるブザーが鳴り響いた。




