103章 人形師
梶樹はあくまで筋力、握力等は平均的な数値しか持っていない。が、ハジメの基礎能力があまりに低すぎるためか一方的な展開になってしまっていた。
もちろん、それがハジメにとってカンに触ったのは考えるまでもない。
「つ……っよ……」
荒い息を繰り返しながら激しく動悸した。弾け飛びそうなくらいに心の臓が鼓動を刻む。殴り返したいと思う気持ちとは裏腹に体のほうは完全に萎縮していた。
それに、繭愛を操っていたモノが使えない今、ハジメの手札は全て使い切っている。
「くっ……そがぁ!なんでっ……なんで通らないっ!?」
「無駄だ。お前が仕掛けた糸はもう切った」
「い……と……!てめぇ、まさかボクの……!」
「あぁ、やっと分かったよ。お前の能力。なんで人を思い通りに操れるのか、不思議だったけどな」
そうして梶樹はズボンのポケットから何かをつまみ出し、見せつけた。傍目からすると何も持っていないように見えたのだが、よくよく目をこらしてみるとぼんやり細いものが挟まれている。
「光学迷彩の糸……それも経絡につけてあるなんてな。これをイチから考えたんだったら、確かにすごい発想だけどな」
「こうがく……めいさい…………?」
繭愛が不思議そうに首を傾げるので、梶樹はふっと微笑んで説明を始めた。
「光学迷彩っていうのは、カメレオンの保護色みたいに透明になる技術だよ。要するに透明になれる素材ってこと」
「そ、そんなのあるんだ……!?でも、どうしてわたし、体が動かなくなってたの……?」
この二つ目の質問に梶樹はハジメを問い詰める形で答えた。
「経絡は血液を基にする人のツボ……経穴の通る道。こいつでそのツボを突いて、自分の思うようにコントロールしてた。そうだろ?」
「……ッ!」
ハジメの顔つきがみるみるうちに強張っていく。
経絡とはその通り、血管のように全身に巡らされた気と血の回路のことを呼ぶ。その中でも気はエネルギーや活力といったものの通称とされ、実際には目で見ることのできないものではあるのだが、全ての人体に存在するものである。
一般的にはお灸を据える、という言葉があるように針を身体に刺す鍼治療がそれに該当する。経絡は経穴の集合体であり、適切に刺激を与えることで様々な効果、影響を見込むことができる。
つまりはあのとき……繭愛に平手打ちを加えた際、あらかじめ糸を仕込んだことになる。あの動作は全て仕掛けた糸を操るものだったというわけだ。
「侮ってたのは謝るよ。ツボを瞬時に突いて望みの効果を得る、なんてな。これだけ細かいことを気づかれずにできるのは確かにただもんじゃない」
それは梶樹の心からの言葉だった。なんの意図もない、真っさらの言葉。純粋な尊敬の一言。
だが、その気持ちが許すことには変わらない。絶対に。
「だから……余計に許せないね。他人じゃなく、自分でこいよ!黒鉄ハジメっ!」
「〜っ!だったら、だったらぁ!」
「……!」
と、それまで引く動作をしきりにしていたハジメの手が変わった。まるで釣り糸を放つように、投げる動作に変化した。
「今度はボクがっ!お前を引き裂いてやるよ!バラバラになって這いつくばりやがれぇ!」
見えない糸が、次々に張り巡らされていく。地下鉄のホーム全域を覆うほどのすさまじい量。毛糸の玉二桁ではとても足りないだろう。
「答え合わせをしてやるっ!ボクの力は確かに糸を操る力……けどただ操るだけじゃない!質も変化できるんだよ!」
「質……?何をいって…………」
梶樹がその意味に気づくまでに、既に糸は周囲一帯見渡す限りに広がっていた。その様相はまさに獲物を待ち構える蜘蛛の巣だ。
隙間がないほどに敷き詰められた空間、糸、質の変化。いくつもの要素が複雑に絡み合い、解けていく。そして、ひとつの可能性……いや、事象に辿りついた。
もし、この糸全てを鋼鉄の糸に変化させることができるとしたら?
「お前の能力……亜空間移動なんだろ?だったらもともと物質がある空間に移動したら……どうなるかなあ!?」
「……!そういうことか、こいつ……!」




