102章 看破
別にそれでどうにかなると思ったわけではないのだけれど、現実から目を背けてしまいたかった。もう梶樹がいないのだという事実から、逃げ出してしまいたかった。
「散々手かけさせやがって…………!その顔、ぐちゃぐちゃにしてやるよ」
ハジメの手が繭愛のスカートのホックにかかる。だが当然、抵抗はできない。「動くな」という命令だからかさっきと違って身じろきだけでも激痛が走る。
(やだっ…………やめ……て……)
目を閉じていても感覚で何をされているのかくらいははっきりと分かる。実際、内心はもう諦めかけてしまっていた。どう足掻いても人形のように体が動かないのでは、どうしようもない。
パチン、とホックが外れる。ハジメはわざとらしくずるずると繭愛の腰からずり落としていく。
「そう悲観するなって。じっくりいたぶってやるよ」
全身を芋虫が這い回るような嫌悪。
それは今まで繭愛が感じたことのなかった、強烈なものだった。
「ほらほら、あとすっこし、あとすっこし♪…………ねぇ、見ないの?目開けろよほら…………」
「随分と立派な身分なんだな、天才っいうのは」
「はーーー?」
突如として現れた第三者の声に、ハジメは振り返る………がそんな暇も与えられず、腹に重い衝撃が加わり、身体が吹き飛んだ。
実に四メートルの距離を転がり、柱のひとつに激突する。
「ぶっ……が…………!?」
衝撃が強かったせいかハジメの口から吐瀉物が撒き散らされた。いきなり腹に強いショックを受けたのだから無理もないことではあるが。
「ぐぇ…………なっ!?お前…………」
その人物は繭愛のもとに駆け寄って、そっと髪に触れた。最初、誰か分からなかったのか怯えた反応だったのだけど、手櫛をしてやるとだんだん枯れかけた涙が戻ってきた。
(この声、この感覚…………)
よく耐えた、よく頑張った、と投げかける声に、それが誰なのかがはっきり分かった。
「おにぃ……!」
雷の槍で貫かれたはずの、梶樹であった。まだ目を開いてもピントが合わないだろうが、間違いなくここにいる。
「生きてる…………生きてるよね……?」
「あぁ。流石に死体は喋らないと思うぞ」
小粋なジョークを交えつつ、自分の着ていたパーカーを繭愛に羽織らせた。
それから辺りに散ったボタンと抜けてしまった髪の毛のひとつひとつに目をやる。
「お前っ……死んだんじゃないのか!?」
狼狽えるハジメに対してごくごく冷静に切り返す。
「死体も見てないのに決めつけるのは早いんじゃないのか?まぁ、無理もない話だとは俺も思うが」
普通ならショック死だとしても跡形もなく消滅するということにはならない。よほど大きな力で圧殺したとしても血痕は必ず残る。
しかし、雷の槍が見た目以上の破壊力だったため、それを失念してしまっていたのだ。本来のハジメであればすぐに気づいたことであろうが、状況を覆した余韻に浸り落ちた結果だ。
「勝手に人を殺すなといいたいとこだが……それよりお前にいっておかなきゃいけないことがあるな」
梶樹の目つきが鋭利な刃物のような怒気を帯びる。その眼力でもってハジメを睨みつけた。
「繭を泣かせたこと、ごめんなさいで済むなんて思うなよ」
ハジメの拳が小刻みに震える。柱に思い切り叩きつけられたにも関わらず、その目は煮え滾る炎のような怒気で満たされていた。
「どっちが…………だよっ!」
ぐんっ、と手繰り寄せるように見えないなにかを引っ張る。
「このボクをぶん殴ったこと、さっさと詫びろ!その気がないなら……今度こそ殺してやるよ、チリも残らないようになぁ!」
「あ…………!」
繭愛は再び、あの強烈な痛みを受けることを覚悟した。先の通り、ハジメの操り人形同然となってしまっているのだから逆らえる道理はない。
けれど、今度こそ。今度こそ、耐えてみせる。
梶樹を目の前から消すようなことは、もうーーー。
「…………?」
しかし、事態は予想しない方向へと動いた。
「……は?なんで、なんでだよ?なんでそこにつっ立ってるんだよ!」
泡をくって激しく引っ張る動作をするハジメ。……なのだがどうしたことか、繭愛には何一つ伝わっていなかった。
「お、おいっ!冗談じゃないぞ!ほら、動けよっ!動けったら!!」
「いい加減……」
梶樹がハジメの傍まで近づく。一生懸命集中していたハジメに避けるという概念などなく、気づいたときにはその横っ面を引っ張たかれていた。
バチン、という高い音。あまりに綺麗に入ったためかハジメが頬を抑える。
「いっっ……!」
「自分の手を使えよ」




