前
「アビス! お前との婚約は、これにて破棄とする! 今すぐに出ていけ!」
「もちろんです!!」
私は今日、リビルド侯爵に婚約破棄を言い渡された。
もちろん、答えはYESに決まっている。
この婚約は、いわゆる政略結婚というもので、私のお父様がお金に目がくらんで引き受けたものなのだ。
それも年の差は三十もある。
私がちょうど成人を迎える二十歳で、彼が御歳五十歳だ。
余分に食事を摂るせいか、顔は脂まみれ。ぶくぶくに膨れ上がった体は見ていて不快でしかない。
だと言うのに、夜の営みまで求めてくるのだ。
多分、それを全て断ってきたから今回の件に至ったのだろうけれど。
「今すぐに支度して出ていけ!」
唾を撒き散らしながら叫ぶリビルド侯爵を無視して、踵を返した。
自室に戻り、とにかく急いで荷物を詰める。
「やっとこれで解放されるのね!」
感極まって、ガッツポーズをとってしまう。
一応は伯爵令嬢なのだから、もしお父様が見ていたら叱責されていたところだろう。
それよりも、これからどうしましょう。
帰ったところで、きっとお父様は私を勘当するはず。
あれ……もしかして私の居場所ない?
「ま、大丈夫か」
ある程度の魔法は使えるし、剣術の素養もある。
困ったら冒険職に就けば解決するでしょう。
手鏡や化粧道具、剣やお菓子を詰め込んでリュックを背負う。幼い頃に冒険家に憧れて、お母様から貰ったリュックがここで役に立つとは。
少し小さいけれど、ギャップ萌え? 的なのでどうにかなるはず。
よし、と意気込んでドアノブをひねろうとした時だ。
――ガチャ。
突然扉が開いたものだから、思わず退いてしまう。
「ああ、ナトリ様でしたか」
リビルド侯爵のご令息である。
侯爵様とは違い、切れ長の瞳にすっと伸びた鼻梁。白銀の髪はいつ見たって美しい。
一体全体、どういった化学反応からこんな息子が生まれるのやら。
でも、彼とは複雑な関係だ。
なんてったって、リビルド侯爵は一度別の人と結婚を結んでおり、そこで生まれた息子なのだ。
ナトリ様にとって、歳の近い人がお母様になるなんて気持ちが悪くて仕方がなかったに違いない。
少しだけ、気まずくなってしまう。
しかし、その静寂を破ったのはナトリ様であった。
「アビス。お前、婚約……破棄されたんだってな」
喋り方は無事、お父様から受け継いだらしい。
けれど、リビルド侯爵とは違って憎たらしさは感じない。
「ええ……残念ですが、これでお別れですね」
正直、彼と別れるのは残念極まりないと思っている。
なんてったって、とにかくイケメンなのだから。
私は私で面食いなので、そこは問題かも。
だって、血は繋がっていなくても息子なのだから。
……いや、今は違うのか。
ナトリ様は悲しげな表情を浮かべている。
視線は床に落ちており、いつもの彼らしくない。
「どうしたんですの?」
思わず聞いてしまう。
しかし、それが嬉しかったのだろうか。
一瞬、彼は口角を緩めた。
「相談がある。部屋に入ってもいいか? 二人きりで話したい」
「え、ええ。構いませんよ」
そう言って、ナトリ様は椅子に腰を下ろした。
私も椅子に腰をかけ、向かい合う形になる。
……ナトリ様と二人きりなんて、少し緊張するわね。
別にリビルド伯爵と二人きりというシチュエーションは幾度となくあった。
が、やはりイケメンと一緒になると話は違う。
……最高です!
「それで、どうしたのです? どこか緊張しているご様子ですが……」
「あ、ああ……」
膝の上で、ギュッと拳を握っているようだった。
下唇を噛み締め、心底不安そうにしている。
どうも彼らしくない。
いつものナトリ様なら、堂々と、高圧的な態度でいるはずだ。
「お願いがある」
「? 私にできることがあるのであれば」
リビルド侯爵の頼みならあれだが、彼なら聞いてもいいと思った。一応、常識がある方だと認識しているので、無理難題はお願いしてこないはず。
子どものように、胸に手を当ててすぅっと息を吸う素振りを見せたかと思うと、
「俺も連れて行ってくれ」
と言われた。
「…………」
え、嘘でしょう?