阿片チンキ
ニタリ、ニタリといやらしく笑うのは目の前の主人であった。
「なにか良いことでもあったのですか」
「いいえ、近頃はそういった浮いた話はないのです」
「しかし、さっきから見ていますと…大層、機嫌がよろしいように見えます」
「はあ、私の表情ですか。これはですね、うれしくて笑っているのではありませんよ。悲しくて笑っているのです」
「それは…なんというか…おかしいじゃありませんか。あなたの笑い方…見ていますと、まるで心の底で笑っているのをこらえきれない様に見えます」
「なるほど、そう見えましたか。いえ、すみません。しかしあなたは心の底から絶望したことはないのでしょう。そういった人間には、私のこの表情の意味などわからぬものです」
「そうでしたか、いえ、僕にはわからないのでしょう。あなたとは先ほどお会いしたばかりです。僕は置き薬の販売のために来たのですから。訪問、押し売りの類ではありません。あなたから連絡を受けてきたのです。恐ろしいじゃありませんか。僕はね、商売がた恐ろしい体験をするのです。多くはありませんがね、しかしするのです。薬と勘違いをしてなにか違法なものを求められる方がいるのですが、僕のところはそういったものは扱っていないのです」
「いや、誤解をしないでいただきたい。私は…阿片チンキの欠片を貰えればそれでよいのです」
「あれは違法です」
「違法ですって? おかしいなぁ。私が子どものころは確かに売っていたのですがね」
「法律が変わったのです」
「あなたは法律家ですか?」
「いいえ、薬屋です」
「そうでしょう。あなたは薬屋です。そうであれば、あなたは薬を売るべきでしょう」
「すみませんが、阿片チンキは売っていないのです」
「しかし、どうやって手に入れるかはご存じでしょう。いくらか業者を紹介してくれればいいのです。もちろん、お礼はします。あなたが一月中、街を駆け回ってやっと集められるだけの金を渡しましょう」
「それでは…割に合わないでしょう」
「では、あなたがこの先働かずともよいだけのお金です」
「それならば…いえ、僕は紹介をするだけですからね」
「ええ、それで十分です」
「あなたは違法な業者を紹介したのでしょう。それは違法です」
裁判官は言った。
「いえ、違いますよ。あれは違法な業者ではありません。勿論、阿片チンキなど売ってはいません。ごく普通の薬屋ですがね、もしかしたら昔の物が残っているかと思い、紹介をしたのです。いいえ、売るなどとは思いませんでしたよ。何か情報を持っているなら十分だと思ったのです。僕は阿呆です。阿呆だからそんな勘違いをしたのです。皆さん、陪審員の皆さん。阿呆は罪でしょうか。いいでしょう。この国の憲法から法律の隅々まで目を通して一つでも阿呆を咎める文言があるのでしたら、どうぞ僕を有罪にしてください。もしあるのでしたら、僕は百年を超える懲役や死刑を喜んでお受けするでしょう。ですがもしないのでしたら、僕をこの裁判所のアノ立派な主門から出してください。こんなふうに、馬鹿みたいに大手を振って、腕がちぎれるのではないかというくらい堂々とした恰好で出ていくのです。僕はしがない薬屋ですがね、これでも生活をしているのです。あまり長い事待つのは、生活に支障が出るというものです。勤労や納税すらできなくなるのです。それでは違憲でしょう。あなたたちは違憲を犯そうとしているのです。僕のような、罪のない善良な人間をいじめるばかりか、違憲まで犯すのです。さあ、どうか判決をお出しください。裁判長。その立派な木づちを力いっぱいに叩いて、大袈裟な調子でこの無罪の人間にごくありふれた判決を言えばよろしいのです。しかし裁判長は御歳のようですからね。以前まで蔓延っていた国家の赤い犬が連れてきた市民に対して全く馬鹿げた判決しか言わなかったのでしょう。時代は変わったのです。今は正しくあるべきです。僕は無罪なのです。サア、判決を…。サア、サア…」
禿げあがった頭を紅潮させて、中身まで赤いその裁判長は、この無礼な人間に対して死罪を言い渡した。すっかり青くなった薬屋は、罪状を聞くことを忘れて只々放心をしていたのである。




