学園のイケメンが私には動物のきぐるみに見えるのですが。続
「あ」
「あ」
·····視界の端にちらっと茶色の何かが移った瞬間、嫌な予感がした。
その時、咄嗟にそちらに目を向けなければよかった。
しっかりとこちらを見ている犬のきぐるみを視界に入れながらそんなことを思った。
四月、私は今の学園に入学してから突然イケメンがきぐるみに見えるようになった。
いや、正しく言い換えれば学園でイケメンと呼ばれている二人だけが私の目には猫と犬のきぐるみにしか見えなかったのだ。
当初は戸惑ったし、大掛かりなドッキリを疑ったりもしたが、私にとってはきぐるみに見える男達はどうやら本当に周りの人には正真正銘イケメンにしか見えないらしい。
それならば私の目がおかしくなったのかと眼科に行ったりもしたのだけど、先生からは近年稀に見る目の良さだとお褒めの言葉を頂戴した。
まあ、だからつまりこうなった原因は不明ってことで。
それは四ヶ月ちょっと経った現在でも変わらず、最近はもうきぐるみがえげつない程にモテていたり、当たり前のように校舎内を歩いている状況になんにも感じなくなってきていた。
そしてそのきぐるみに見える男その二である黄山先輩が今私の目の前にいる。
渡り廊下の真ん中で私は立ち止まり、先輩の方へと体を向けた。
「えっと、こんにちは·····」
取り敢えず挨拶をしようと軽く頭を下げると、何故か犬のきぐるみ、もとい、黄山先輩がぐんぐんとこちらに近づいてきた。
その勢いに思わず一歩後ずさる。
そんな私を気にした様子もない先輩は仁王立ちになるとビシッと人差し指をこちらに向けた。
「いいか、最近ちょっと理生に好かれてるからって調子に乗るんじゃないぞっ!!」
「え、あ、はい」
「俺の方が仲良いんだからなっ!一緒にいる時間もこっちの方が長いし!!」
「そ、そうですね?」
·····なんと言うか、本当に紫田先輩のこと大好きなんだなあ。
突然始まった先輩のアピールに頭をからっぽにしていた私はそんなことを思った。
先輩のその見た目は完全に大型犬だけど、こうして喋ってるのを見ると完全に威嚇するために吠えるチワワかポメラニアンのように見えない。
黄山先輩の言葉をぼーっと流し聞きしながらそんなことを考えていると「聞いてんのか!」と再び指を刺された。
「あ、はい。聞いてます」
「·····とにかく!俺はお前なんかに負けないからな!」
「はあ」
私が曖昧に頷くと、黄山先輩はフンッと鼻息荒く私の横を通り過ぎる。
が、少し歩いてから彼は急にピタリと立ち止まった。
「あと!」
てっきりもう話は終わりだとばかり思っていた私は驚きながらも先輩の言葉を待つ。
すると彼はいつもより少しうつむき加減のまま口を開いた。
「俺はお前のこと気に入らないとは思ってるけど嫌いだとは思ってないから!」
その言葉に私が固まると黄山先輩は「なんだよ」と居心地悪そうにこちらを見る。
いくら見た目が犬のきぐるみで、怒り方もチワワにしか見えない可愛らしい怒り方しかしない人だとはいえ、黄山先輩はあの謎の宣戦布告をした日から私を見かけるとこうして毎日突っかかっりに来ていたからもしかしたら、とは考えていた。
別に不快になるようなことを言われた訳でもないし、先輩の見た目以外は特に怖いところもないので私自身は別に構わなかったけど、黄山先輩の方が私と顔を合わせるのは嫌なんじゃないかと最近思い始めていた頃だったのだ。
誰だって嫌いな人とはなるべく顔を合わせたくないだろうから私もなるべく黄山先輩と顔を合わせないようにした方がいいんじゃないかと考えたり、実際に少しずつ避けたりしていたのだけど、突然こんなことを言い出したということは先輩はそういう雰囲気をなにか察したのかもしれない。
·····でも、そうか。
気に食わないだけで嫌われては無いのか。
てっきり滅茶苦茶嫌われているとばかり。
そうか、気に食わないだけか。
つい、頬が緩んでしまう。
「な、なにニヤニヤしてんだっ。嫌いではないけど、気に食わないんだからなっ!勘違いするなよ、好きだとは言ってないからな!」
慌てたような黄山先輩の声が聞こえてきて私は「はい」と答えたのだけれど、ついまた頬が緩んでしまった。
傍から見れば「気に食わない」と言われてニヤついてるのだから気色悪いことこの上ないのだけれど、自分で思ってたよりも嫌われていなかったことが嬉しかったらしい。
「分かってますって」
どうしても緩んでしまう頬を抑えながら私はそう返事をした。
◇◆◇
「真理ーー!いよいよ文化祭明日だねっ!!」
放課後。HRが終わり、皆が教室を出ていくなか追突しそうな勢いで駆け寄ってきた由乃をどうどうと宥めながら私は「そうだね」と返す。
「高校生になってから初めての文化祭だよ!!楽しみだね!」
いよいよ待ちに待った文化祭が明日に迫っているということで由乃のテンションはいつもに増して高く、目もらんらんと輝いている。
私たちのクラスは喫茶店をすることに決まり、私と由乃は装飾係になったため当日の仕事はない。
準備も昨日のうちに全て終わらせたし、あとは明日文化祭を楽しむのみだ。
うちの学園は私立で行事が豪華なことで有名だから文化祭もやっぱりどうしても期待してしまう。
「そうだねえ。中学の時は合唱コンクールしかなかったもんね」
「うん!それにこの学園は毎年文化祭でミスコンをやるらしいの!」
「ミスコン?」
首を傾げる私に由乃は勢いよく頷いた。
「そう。ミスター&ミスコンテスト!この学園の顔面偏差値を考えれば美男美女の頂上決戦と言っても過言じゃないわ!!はぁ、想像しただけで胸が高まる·····」
·····私も面食いだという自覚はあるけど由乃は既に面食いがプロフェッショナルの域に達してると思う。
親友の様子に恐れ慄いていると由乃が不満げに私を見た。
「なによ〜、真理だってイケメン好きな癖に。ほら、もしかしたら紫田先輩も出るかもよ」
「な、なんでそこであの人の名前がっ·····」
「俺がどうかした?」
「びっ?!!」
慌てて抗議しようとしたその時、すぐ背後から声がして私はビクッッと大袈裟な程に驚く。
噂をすれば影がさすとはよく言ったもので、後ろをむくとそこにはきぐるみに見える男その一である、紫田先輩が立っていた。
私にとって黄山先輩は犬のきぐるみに見えるが、紫田先輩は黒猫のきぐるみに見える。
驚きでドッドッドッと、とんでもない速さで脈打つ心臓を抑えながら私は「びっくりさせないでくださいよ」と八つ当たり気味に文句を言う。
「ああ、ごめんね。それで、なんの話してたの?」
コテンと首を傾げるデフォルメフォルムの先輩。
「あー、えっと」
「先輩って今年の文化祭のミスター&ミスコンでるんですか?!」
私が言葉を濁すより早く、由乃が元気に割り込んできた。
·····貴女、この数ヶ月でだいぶ紫田先輩に対して図々しくなったよね。
当初の頃の恥じらいが嘘のようにニコニコと紫田先輩に話しかける由乃を見て私はなんとも言えない気持ちになる。
ちなみに紫田先輩はあれから毎朝かかさず私のクラスにきている。
そのせいで最近はみんな、まるで紫田先輩がクラスメイトかのように普通に挨拶してるし、なんなら私よりもクラスに馴染んでいる。実に解せない。
みんな、最初のあの驚きの気持ちを思い出して欲しい。
紫田先輩はこの顔面偏差値高すぎ学園でトップに入る程のイケメンなんだぞ!私はハッキリとその顔を見た事ないけど!
そんな人がクラスにいることにもっと違和感を持とうよ!!
私は未だに紫田先輩が教室にいることにちょっとビビるぞ!
と、心の中で密かに荒ぶっていると「でないよ」と良い声がはっきりとそう言ったのが聞こえた。
「俺、そういう人前に出る場が苦手なんだ。だから去年も出なかったし」
「えー!!勿体ないですよ!絶対一位狙えるのに!」
由乃が悲しげに叫ぶと紫田先輩は少しだけその目を細めた。
デフォルメされた猫の顔だと分かりにくいけど多分、微笑んだのだと思う。
「それはどうかな。そういうのは華がある人がふさわしいと思うよ。明は出るみたいだし」
「十分紫田先輩も華あります!でもやっぱり黄山先輩出るんですね!!やったー!!絶対応援しよ!」
ルンルンと小躍りする由乃を見ながら私も紫田先輩が出ないことを意外に思っていた。
まあ、でも確かに紫田先輩はそういうの苦手そうだもんな。
·····それにしてもミスター&ミスコンか。
この学園の美男美女たち全員がきぐるみに見えるなんてホラーな展開が起きませんように。そうなったら私は本気で泣くぞ。
全身全霊でこんな状況にしやがった神に訴える。
未だに人間がきぐるみに見える仕組みや対象になる基準がわかっていない私は割と真剣に祈りを込める。
「真理」
と、祈りの最中に良い声で名前を呼ばれた。
声のした方を向けば紫田先輩がしっぽを先っぽのほうだけペシペシと僅かに左右に振っているのが見えた。
その顔は心做しか少し緊張している、ように見えなくもない。
このデフォルメされたお顔は表情を読み取るのに少しコツがいるのだ。
「なんですか?」
紫田先輩の呼び掛けに応えると先輩は私のことをその大きなお目目でじっと見つめる。
「明日、一緒に文化祭まわらない?」
「え、わ、私なんかでよければ全然大丈夫です。ただ私、由乃とも約束してて·····」
未だに小躍りしてる由乃の方をちらっと見ると紫田先輩は頷いた。
「俺は三人でも良いよ。でも真理とかその子が俺がいるのが嫌だって言うのなら、仕方ないけど、我慢する」
今度はしゅんと分かりやすくしっぽを下げる先輩に私はつい、笑ってしまった。
「私は全然大丈夫です!」
すぐそばで未だに小躍りしている由乃にも一応聞いてみると「いいに決まってるじゃない!」と即答された。
その勢いに後ずさりながらも私は紫田先輩に「だそうです」と苦笑しながら言葉を返した。
「でも、紫田先輩の方こそ黄山先輩とかとまわらなくてもいいんですか?」
「明は多分コンテストの準備とかで忙しいと思うから大丈夫だよ。最近ずっと忙しそうだし」
「ああ、なるほど。じゃあ明日ぜひ一緒にまわりましょう」
そう返事をすると、へたんとしていた先輩のしっぽがピンッとほぼ垂直に立った。
「うん。真理とまわれるの、嬉しい」
そう言った紫田先輩の頬が少し赤く染まった。
私の見間違いじゃなければ。
デフォルメされた猫の目が先程よりもキュゥと嬉しそうに細められた。
まるで本物の猫を彷彿とさせるその姿に胸がほんわかする。
·····まあ、実際は猫じゃなく、ねこのきぐるみの姿なんだけど。
きぐるみとはいえ、可愛らしいその姿に和みながら私は人生初の文化祭を想像し、心を弾ませた。
それから、まだクラスの仕事が残ってるという紫田先輩と別れ帰宅しようと駐輪場に向かったものの、自転車に乗ったところで私が忘れ物に気づいた。
「ごめん、由乃。私、教室に携帯忘れてきた!取りに行ってくるね」
「あ、オッケー。ここで待ってるね」
「うん!すぐ戻ってくるから!」
言うやいなや、私は急いで走り出した。
それから一度も歩くことなく自分の教室についた私は机の上に自分の携帯が置いてあるのを見つけ、ホッと息をついた。
危ない、危ない。あと充電少ししかないし危うく明日電池切れになっちゃうところだった。
私は携帯を手に持ち、直ぐに教室を出る。
廊下に出るとまだ準備の終わっていないいくつかのクラスがワイワイと作業をしていた。
いつもはシンプルな校舎も今はカラフルに飾り付けられている。
急がなければ、と思うもののつい周りの装飾に目を引かれチラチラと見ながら早歩きをしていると、視界の端に茶色に近い色の何かが映った。
あれ、黄山先輩じゃないか?
この前の嫌いじゃない発言のこともあり、ついテンションが上がった私は距離を詰めると、よく見もせずにその茶色い何かの肩を叩いた。
「黄山先輩!」
「へ?」
私の呼び掛けにそのなにかが私の方へ振り返った。
そして声をかけてから一秒後。
私はそのなにかが黄山先輩では無いことに気づいた。
·····え、犬じゃない。
そう。その振り向いたなにかの姿は犬ではなく、狐のきぐるみだったのだ。
フォルムは犬によく似てるが、目元や耳の形が違う。
それによく見ると背中についてるしっぽがすごく大きい。
それに気づいた瞬間、私の全身から一気に冷や汗が吹き出してきた。
え、まてまてまて。じゃあこの人、誰。
テンション上がりすぎてよく確認もせず黄山先輩かと思った。やばい、浮かれすぎてた。だってこんな狐と犬のきぐるみってちょっと似てるじゃん。こんなきぐるみ初めて見たし。
てか、そもそも何でこの人きぐるみなの。
·····いや、まてよ?普通校内をきぐるみで歩くやつなんて居ない。
となるとこの人はまさか、黄山先輩、紫田先輩につぐ三人目のきぐるみにみえる人間ってことか?ということはイコール、イケメン?いや、そもそも性別が分からない。美女かもしれない。でもさっきの「へ?」って声は低かったし多分男だよね。
てかこれ、他の人には普通の人間に見えてるんだよね?
私の目がおかしいって判断で良いんだよね?
と、ここまでをコンマ2秒の速さで考えた私が次いで慌てて「すみません、人違いでした」と失言を訂正しようと思ったその直後、狐のきぐるみが首を傾げた。
「黄山先輩って明のことやんな?俺は黒川やで」
狐のきぐるみがそう言って自分のことを指さす。
想像よりずっと良い声が聞こえてきて密かにビビる私に狐は「この姿で明と勘違いされるとは思わんかったわぁ」と楽しそうに笑う。
紫田先輩程ではないにしてもマイペースに話を進める狐のきぐるみに私は困惑する。いや、元はと言えば私が勘違いしたのが悪いんだけど。
何をどうすれば良いのかよく分からなくなっていると「お前こんなとこで何してんだ?」と聞き覚えのある声がこちらに近づいてきた。
声の方を見るとそこには今度こそ見慣れた犬のきぐるみが立っていた。
「黄山先輩!」
思わずその見慣れた姿が嬉しくていつもより元気よく名前を呼ぶと、引き気味に黄山先輩が少し後ずさった。
「お、おお?今日はやけにテンション高いな。ていうかお前、雅とも知り合いだったのか?なんで一緒にいるんだよ」
雅というのは話の流れ的にこの狐のきぐるみの人の名前だろう。そうか、この狐さんは黒川雅というのか。
狐のきぐるみの名前をインプットしながらも、なんと説明しようか迷っていると先に黒川さんが「この子が明と俺のことを間違えたんよ」と黄山先輩に簡潔に伝えた。
すると黄山先輩が「え"」と、今度はショックを受けたように一歩後ずさる。
「こ、こんだけ関わりがありながら俺と雅を間違えたのか?!·····というかそれ以前になんで狐のきぐるみを着てる雅と俺を間違えるんだよ!!どんな間違い方だよ!」
·····はい?今、なんて?
先輩の言葉に固まるの隣で狐が声を抑えながら笑うが、よく見てみるときぐるみの表情は黄山先輩と違って一切動いていない。
·····えっと、もしかして。
「え、あの、もしかして、黒川さん狐のきぐるみ、着てます?」
恐る恐る問いかけた私の言葉に二人はきょとんとした後、「え、今更?!」と叫んだ。
·····まじか。私の目、正常だったかあぁぁ。
いや、だってまさか校舎内をきぐるみで歩く人がいると思わないじゃんか。
でも確かによく見てみれば黄山先輩のデフォルメされたお顔には驚きの色が浮かんでるのに比べて、黒川さんの表情は変わらないままだ。
黒川さんはカッカッと変わった笑い声を上げながら私の肩を楽しそうに叩いた。
「君、面白いなあ。いつもそんな変なこと言うとんの?」
「いや、いつもはここまで変なやつじゃないんだけどな」
「あはは·····」
今回ばかりは黄山先輩の言葉にも反論できずに曖昧に笑う。
私が話を逸らすために黒川さんになぜきぐるみを着てるのか問いかけると、「なんでやと思う?」と逆に質問で返された。
「えっと、明日使うから·····?」
「ざっつらいと!」
黒川さんはひらがなに聞こえる英語で楽しそうに答える。
「明日クラスの宣伝する時に使うんよ。まあ当日実際に着るのは違うやつなんやけど。俺、2年5組でやっとるから良かったら顔出してな」
「あ、はい!私は1年4組でやってるのでお時間あったら是非!」
頷いてから私はふと時計に目をやり、だいぶ進んでしまった時計の針にやばい、と口を抑えた。
由乃に待ってもらってるのに話し込んじゃった。
「す、すみません!私、友達待たせてるのでこれで!」
それだけ伝えると私は二人の返事を待たずに背を向け、由乃の元へと走り出した。
◇◆◇
次の日。
文化祭一日目の今日、我が友である由乃のテンションは怖いほどに上がっていた。
「かぁぁっこいいよおおおおおおおおお」
隣で舞台を眺める由乃が瞳を潤ませながら叫ぶ。
ただいま、絶賛ミスコンの真っ最中であり舞台の上では彼女の大好きな黄山先輩のアピールタイムが始まっている。
まあ、だから由乃がこうなるのも仕方が無いんだけど·····。
「うああ、ヘディングうま·····。あ、やば今の汗ふく仕草やば、あああ、それかっこいいいいいいいいですううう」
いくら長い付き合いとはいえ、言葉にならない言葉を発する由乃に若干の恐怖を感じてしまう。
目がやばい。まじでイッてる人の目になってる。血走っちゃってる。
危ない人と化している由乃に声をかけるべきか迷っているうちに黄山先輩のアピールタイムが終わり、次の人がまたアピールを始める。
すると、つい今さっきまで怖いほどに興奮していた由乃がまるでひと仕事終えた職人のように隣でふう、と息をついた。
「あー、かっこよかった。今日だけで一年分叫んだ気がする」
満足気に話す彼女に私は「おつかれ」と取り敢えず労りの言葉をかけてみる。
今だって体育館中にボディービルダーの大会さながらの合いの手のような声援が飛び交っている。
「あ、そう言えばそろそろ紫田先輩と待ち合わせの時間だよね?」
体育館のすごい熱気にあてられ、ボケっとしていると由乃がそう言った。
私は時間を確認してから頷く。
「確かにもうそろそろ向かわないと」
「あのさ、ひとつ提案があるんだけど」
「提案?」
復唱すると由乃がにたりと笑い頷いた。
「そう、提案。実は私、この後もう何人かみたい出場者の方がいるんだけど、その人達を見てたら紫田先輩との待ち合わせに遅れちゃうでしょ?だから真理は先に先輩のところに行ってて欲しいの」
「·····え?そ、それだと私と紫田先輩で二人っきりじゃない」
「まあそうなるね」
「そ、そうなるねって·····!」
なんでもない事のように言う由乃に反論しようとすると彼女はポンッと私の肩に手を置いた。
「私はここで色んなイケメンを楽しんでるから。真理も青春してきなよ」
「え、いや、何言って·····」
「というか進展無さすぎて焦れったいし。ほら、もう向かわないと時間ないよ。大丈夫、私もミスコン見終わったら合流するから」
そう言うと由乃は私の背中を押してニッと笑った。
「ミ、ミスコン終わったら絶対に来てよ?!」
「行くってばー!それまでは二人きりを楽しんでね」
ひらひらと由乃が手を振る。
私はそんな彼女をぐぬぬ、と睨みつけてから紫田先輩との待ち合わせ場所へ向かった。
「紫田先輩!」
待ち合わせ場所―――人気のない校舎裏へ向かうと既に先輩が壁によりかかって待っていた。
私が呼びかけると先輩がこちらを向く。
「真理、おはよう。あれ?お友達は?」
「あー、その事なんですけど、なんかもう少しミスコンを見てから合流するらしいです。それまで二人っきりになっちゃうんですけどいいですか?」
「俺は全然構わないよ」
デフォルメされた大きな目がキュッと細くなって微笑んだのだとわかる。
私は紫田先輩に嫌がった様子がないことに安堵しながら「じゃあ行きましょうか」と声をかけた。
正直、紫田先輩のことをどう思っているのかと聞かれると自分でもまだはっきりとした気持ちはわかっていない。
ただ、たまに先輩がする心臓に悪い行動に胸が高鳴るのも事実で素直にその事実を受け入れれて良いのか、それとも猫のきぐるみにキュンとしてる自分にやばさを感じれば良いのか頭を抱えてしまう今日この頃だ。
「そう言えば紫田先輩のクラスって何やってるんですっけ?」
ある程度学園を周り終わった頃、私が問いかけると彼は「お化け屋敷だよ」と答える。
「ほら、これ。結構怖いらしくて評判良いよ」
「こ、怖いんですか·····」
紫田先輩がパンフレットを開いて 自分のクラスを指さす。
そこに載っていた写真からは確かにおどろおどろしい雰囲気が伝わってきた。
「うちのクラスは喫茶店をやってるんです。と言っても私は装飾係なので今日は仕事ないんですけど」
「へえ、喫茶店か。楽しそう、あとで行く?」
「はい!ぜひ」
頷いてから私は他に何があるのかを見るためにパンフレットをペラペラめくっていると、ミスコン出場者達のページが載っていることに気づいた。
「ミスコンの出場者ってここに全員載ってるんですね」
「うん。明も載ってるよ」
紫田先輩に言われて、私は黄山先輩の写真を探す。
この場合って私の目にはどう映るんだろう。
写真でも犬のきぐるみに見えるのかな。
·····見えるんだろうな。多分。
なんてことを考えながらミスコン出場者に目を通していると『黄山 明』という名前を見つけた。
そして、そこに載っている写真を見た私は見事に硬直した。
だって、だって!!
そこには芸能人顔負けの美青年が写っていたから!!!
パッチリとした二重の目に筋の通った高い鼻梁。全体的に色素が薄く、恐らく天然であろう茶髪は今どきと言った感じに緩くセットされている。
そんな完璧とも言える容姿の青年がパンフレットの中でニカッと眩い程の笑みを浮かべていた。
誰だ、このどイケメンは。
「え、え、え?」
突然、謎の声を発し始めた私に紫田先輩が不思議そうに私を見る。
が、私はあまりの驚きでそれを誤魔化すことさえ出来なかった。
·····え、この人が黄山先輩なのか?という事は写真だと普通にイケメンに見えるってこと?そう言えば試したこと無かったな。
というか滅茶苦茶イケメンじゃないか。当たり前だけど全然犬のきぐるみじゃない。人間だ。しかも超絶怒涛のイケメンだった。私、いつもこんなに人と話してたのか。
グルグルと色んなことが一気に頭に浮かんできてパニックになりながら私はもう一度確認の意味を込めてパンフレットに目をやる。
そこにはやはり、爽やか青年が写っており、その写真の下にはしっかりと『黄山 明』という名前が印刷されていた。
「黄山先輩、滅茶苦茶イケメンじゃん·····」
「確かに明はイケメンだと思うけど、なんで今更?」
思わず独り言のつもりでポツリと呟いた言葉に紫田先輩が少し訝しげな様子で反応した。
私はそれに慌てて「いや、やっぱり改めてイケメンだなと思って!」と言い訳をする。
「や、やっぱり顔立ちの整ってる人は写真写りもいいんですね」
「そうだね」
「せ、先輩は写真写りいい方ですか?」
半ば無理やり話を続けるために質問を投げかけると紫田先輩はフルフルと首を横に振った。
「俺は写真好きじゃないからあんまり自分の写真とか見た事ない」
「え、写真嫌いなんですか?」
問いかけながら私は残念な気持ちになる。
もし、写真があるなら紫田先輩のお顔も拝見したいなと思っていたから。
でも、そんな気持ちとは裏腹に何故か紫田先輩のお顔はしっかりと直接自分の目でみたいという気持ちもあって写真が嫌いと聞いて少しほっとしている自分がいた。
紫田先輩はそんな私の質問に頷く。
「うん。自分でもなんでか分からないけど苦手。カメラを向けられると落ち着かないんだ」
「あ、でもその感覚少しわかる気がします。なんかそわそわするっていうか·····」
「あれ?君、昨日の子やんな?」
話している最中に突然後ろから声をかけられ、振り返るとそこには狐のきぐるみが手をヒラヒラと振って立っていた。
「えっと、黒川、さん、ですか?」
うろ覚えの名前を呼んでみると、狐は勢いよく頷いた。
「そうやで〜って、ん?隣におるのってもしかして理生か?」
え、このふたりも知り合いなのか。
黒川さんの問いかけに紫田先輩が顔を上げた。
「あれ、雅だ。真理、雅と知り合いなの?」
「ちょうど昨日知り合って·····」
というか狐のきぐるみ着てるのに、紫田先輩よく黒川さんだって分かったな。
と考えてから私はあれ?と首を傾げた。
·····待てよ?よく見たら黒川さんの着てるきぐるみ、昨日と少し違わないか?
それに、なんかきぐるみの表情が昨日より柔らかい気がする。
一瞬、私の頭に嫌な考えが浮かんだ。
―――そう。つまり、黒川さんもきぐるみに見える系イケメンなんじゃないかという考えが。
·····いや、でも、そんなまさか。
フルフルと頭を振って否定するものの、一度浮かんだ可能性は消えない。
様子見のつもりでチラッと黒川さんの方に目をやると、ニコッと笑みを向けられた。見た目、狐のきぐるみなのに。
そして、近づいてきた狐のきぐるみは「昨日ぶりやね」と両手で私の手を取るとブンブンと上下に振った。
その感触はモコモコとした見た目とは裏腹に明らかに人間の手だとわかるものだった。
·····うん。これ、決まりなやつだな。
という事は昨日は狐のきぐるみに見えるイケメンが狐のきぐるみを来ていたというわけで。
私は昨日、黒川さんがきぐるみに見えるイケメンだと思っていたけど実は本当にきぐるみを着ていて、でも実際はそのきぐるみを脱いでもきぐるみに見える人だったってこと·····。
ああ、ダメだ。もうややこしくなってきた。
なんだかとても複雑な気持ちになりながらなんとか黒川さんに笑みを返す。
「紫田先輩と黒川さんもお知り合いだったんですね」
「うん。元々明が雅と仲良くてその繋がり」
「ああ、なるほど」
「理生のやつ、酷いんやで?俺はもっと理生と仲良くなりたいって常日頃言うとるのに、俺とずっと一緒にいるとエネルギー吸い取られそうとか言う意味わからん理由でいつも逃げるんよ」
「俺は悲しい」と泣き真似をする黒川さんに確かにエネルギー吸い取られそうとつい失礼な事を考えてしまう。
「だって雅、体力おばけじゃん。いつも元気だし」
ボソリと呟かれた先輩の言葉に思わず吹き出すと黒川さんが「二人して酷いなあ」とそんなこと一ミリも思ってなさそうな楽しそうな声色で文句を言う。
猫のきぐるみに見える紫田先輩と狐のきぐるみに見える黒川さんが話してる姿を見ながらここに黄山先輩が加わったら色々とカオスになるんだろうな、なんて思った。
そんなやり取りをしばらくしていると、黒川さんが「あ、そろそろ戻らな」と時計を見ながら言った。
「じゃあ俺はここら辺でお暇するな」
「あ、引き止めてすみませんでした」
「全然ええよ。元はと言えば俺が話しかけたんやし、おじゃま虫は早めに退散しとくわ。じゃあ、あとはお二人でデート楽しんでな」
「デェッ?!」
突然爆弾を投下され、驚く私の隣で紫田先輩が「うん」と頷く。
そんな先輩の様子に発言した当人である黒川さんが目を見開いた。
「ほぉーん。なるほど、理生にも人間っぽい感情あったんやなあ」
「なにそれ」
「いーや、面白いことになりそうやなと思って。ま、馬に蹴られたくないし今日のところは退散しとくわ」
そう言って悪戯っぽく笑うと反論の余地を与えられないままに黒川さんはその大きなしっぽをもっふもっふと揺らしながら去っていった。
「·····あ、嵐のような人でしたね」
「うん。毎回、本当にエネルギー吸い取られた気分になる」
「でもなんか、憎めない感じがします」
ニコニコと笑っている狐の顔を思い出していると先輩も「うん」と頷く。
「だから厄介なんだけどね」
「確かに」
そうして二人で黒川さんの後ろ姿を眺めるという謎の緩い時間が何秒かあった後に紫田先輩が「次どこ行く?」と私に問いかけた。
「そうですね·····。じゃあ次は私たちのクラスとか、どうでしょう。案内しますよ?」
「いいね」
そう言った紫田先輩が一瞬、はにかむ黒髪の美青年に見えて私は慌てて目を擦ったものの、もう次に見た時には猫のきぐるみにしか見えなかった。
最近、よくこういうことがある。
紫田先輩と一緒にいるとたまにこうして今みたいにこの猫のきぐるみフォルムの先輩がモデル顔負けの美男に見える時があるのだ。
ただあまりにも一瞬だし不定期に起こることだから、私はこんなイケメンいたらいいのにな、という自分の幻想だと思うことにしている。
それに、こうして紫田先輩と関わっているうちに先輩がもし仮に噂されているようなイケメンじゃなかったとしても先輩と一緒にいたい、と思うようになってきた。
そんなこと考えている時点でもう私の気持ちは決まっているようなものなのかもしれないけど、今はもう少しだけこのあやふやな感情を大事にしたいと思う。
「真理、いこ」
「はい」
猫のきぐるみの姿をした先輩に返事をして私達は文化祭の喧騒へと紛れた。
こうして文化祭をゆったりと楽しんでいる私は知らない。
実は黒川さんは最近この学園にやってきた転校生で黄山先輩と似た雰囲気のイケメンとして話題になっていることも、そんな黒川さんが私たちの周りを色々と引っ掻き回すことも、黄山先輩が見事ミスコンで優勝したことも、この文化祭をきっかけに何故か紫田先輩が美青年に見える回数が増えていくことも、黄山先輩のイケメン度を知ってしまった私が無意識に彼を避けてしまうことも、その様子を勘違いした紫田先輩に問い詰められることも、この時の私は何も知らない。
そんな嵐のような出来事が起きるとはつゆしらず、私は由乃を待ちながら紫田先輩と二人文化祭を楽しむのだった。