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信仰心

作者: 泉 羅卯

 女は、突然に信仰に目覚めた。きっかけは偶然に過ぎなかった。

 友人に誘われ、ある宗教団体を訪れた。病弱な息子のことを案じるあまり、藁にも縋る気持ちからだった。

 その宗教団体の教祖は言った。人の不幸のあらゆるものは、体内の毒のせいである、と。毒を身体に溜めこんではいけない。清めて洗い流さなくてはならない。そのために、手をかざしなさい。内なる信仰心によって、あなたの体内からは光が生じるであろう。その光は、あなたの手を通して発せられ、他者の体内に澱んでいる毒を、洗い流してくれる。それこそが、神の御業である――。

 半信半疑ではあったが、女は息子の額に向けて、手をかざした。すると、効果がすぐに現れた。咳がぴたりと止まったのだ。女は喜んだ。そして、神の御業に感謝した。その日、息子が父親から、新しい薬を与えられていたとも知らずに。

 女はその日から、熱心な信仰者となった。宗教団体の教義を忠実に守った。教義を広めることにも尽くした。息子や夫も、信者にしようとした。けれど、そのために、息子や夫は女から離れていった。

 教義では、薬は毒であった。毒を身体に溜めこんではいけない。教祖の言葉を信じて疑わない女は、息子を現代医療から遠ざけようとした。むろん、夫は反対した。女の狂信的な態度に恐ろしさを感じた夫は、息子を連れて家を出た。

 女から離れていった者は、夫や息子ばかりではなかった。兄や妹も、女を疎ましく感じるようになった。女の母親が亡くなると、女は自分の宗教団体の儀式によって母親を弔おうと言い張った。むろん、兄も妹も反対した。とくに仏教徒ではなかったものの、そうであればこそ、得体の知れぬ新興宗教団体に母の御霊を委ねることに抵抗があった。

 親族でさえ女の言動を信じないのだから、隣近所の者も女をうさん臭く思った。女は、周囲の者から孤立した。そうして、一人きりになった。

 それでも、いや、それだからこそ、女は信仰にますますのめりこんでいった。不幸になるのは、自分自身の信仰心が足りないが故である――。そんな教祖の言葉を胸に刻みつけ、布教活動に全身全霊を傾けた。周囲の者の無理解も、自分に与えられた試練なのだと受けとめた。神は私を試していらっしゃる。この試練を乗り越え、もう一度、自分から離れていった者たちの心を取り戻さなくてはいけない。そうして、彼らに本物の信仰を、教え諭さなくては……。

 皮肉なことに、そんな女の信仰心は、それが篤ければ篤いほど、周りの者をよけいに遠ざけた。さらに皮肉にも、周囲の者が遠ざかれば遠ざかるほど、女の信仰心は火のように燃え上がっていった。

 やがて、女は年を取った。病気も抱えるようになった。それでも、いや、それだからこそ、女は信仰の力で病気を追い払おうとした。

 けれど、現代医療に一切頼ろうとしない女の肉体は、みるみるうちに病に侵され、衰えていった。

 ついに、女は命を失った。死ぬ間際まで、手をかざしてもらうことによる治療を、施してもらっていた。

 女の遺骸は、兄に引き取られた。仏教徒でもない彼は、そうであるがゆえに、仏教による儀式によって、女の御霊を弔った。

 今、女は、ある寺の墓石の下に眠っている。女の墓石は、母親の墓石のすぐ隣で、他の墓石と同じように朝日や夕日を浴び、月明かりに鈍く光っている。

 そんな女のもとに、ある日、夫と息子がやって来た。

 息子は、

「お母さん。僕、結婚することになったんだ。今度、教会で式を挙げるんだよ」

 そんな報告をした。

 その横で、夫が言った。

「これから、息子の婚約者と三人で、クリスマス会に出るんだよ。彼女はとってもいい子だ。クリスチャンだけど、……まあ、そんなに熱心ってわけでもないしね。今度、連れて来るよ」

 父と子は並んで立ち、墓石の前で手を合わせた。



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