第四章 銃を手に取った者たち
そういえば中間テストがあった。
薄ぼんやりとしているうちにテストが始まって、気づいたら答案が既に手元まで返却されていた。
補習の課題も出されていなかったことからみるに、今回も無難に乗り切ったのだろう。
こうしてテストも終わり、最近は特に暇になった放課後を毎日一人、さっさと帰宅して怠惰に過ごしていたわけだが……。
今日はまだ自宅へ帰らず学校に残っていた。
管理棟二階の生徒会準備室前。
どうして俺はここにいるんだろうな。
ここ最近は雨も降らず太陽が仕事をサボらなかったので、久しぶりに暖かいと感じる日だった。
そのせいだろうか、俺の思考はいつもとは違う働き方をしたようだ。
「そうだよな、ちゃんと挨拶ぐらいはしないと」
一応非認可とはいえ部活だし退部の意思を伝えないといけない。
俺はそんな言い訳がましい結論を、今になって捻り出した。
もう一ヶ月も経ってから何を言っているんだとも思うが、この一ヶ月は悩んでいたんだ。
そうだ、それなら仕方がない。
「……俺は悩んでいたのか?」
違う違う。そういうことにしておこうって話だろうが、俺よ。
自分でもよく分からない自問自答を繰り返し、せっかくここまで来たってのに最後の決心が定まらず、部室の扉までなかなか手が届かない。
「くそっ、とりあえず開けろ。その後はどうにかなんだろうが」
「何しているの、橘くん?」
「うおっ! ふ、富良乃先輩?」
すぐ隣に富良乃先輩が立っていた。
不覚、こんな近くに寄られても声を掛けられるまでまったく気づかなかった。
でもこれで逃げ道は無くなった。後は一緒に部室に入って藤咲に言うだけだ。
「久しぶりだね」
「そうですね、すみません。その……今日はサバゲ部のみんなに言いたいことがあって」
「そうなんだぁ。でも今日は部活休みだよ?」
「えっ? そ、そうなんですか、知らなかった。てか休みあったんですね。あれ、それなら先輩はどうしてここに?」
「ふふ、実は教室棟から管理棟に向かっている橘くんが見えたから、もしかしてって思ってね」
「そうだったんですか。すみません、わざわざ」
俺のせいで要らぬ手間を掛けさせてしまったようだ。
「ねぇ部室に来たってことは、橘くん放課後暇なんだよね?」
暇というか……まあこの人も本気で今まで俺が来なかったのは忙しかったから、なんて思ってはいないよな。
「それならお願いがあるんだけど……今日はボクと一緒に遊ばない?」
「へ?」
その日の下校風景――。
俺は自宅とは逆方向の駅を目指し、愛用の自転車を置き去りバスの座席に姿勢正しく座していた。
マイ自転車を裏切っておいて、こんなにも行儀良く座っている理由はもちろん、隣に御座すこの方と一緒に下校しているからに他ならない。
「今日は風も気持ちいいね」
前に座っている生徒が窓を開けているせい――いや、おかげで、クセっ毛ではあるもののフワッフワの富良乃ロングヘアーが、俺の右端を柔らかくかつ官能的に撫で続けている。
今、全神経が右端に集中している。
一ヵ月前は俺のヘタレな部分が邪魔をして果たせなかった願望が、今日思いがけず叶ってしまった。
あまりにも突然舞い降りた幸運に俺はまともな思考が働かず、せっかくの甘い放課後会話を適当な相槌でしか返せないでいた。
女の子と一緒に下校、しかも密着し隣り合う座席に二人。
男子学生の夢を一つ実現させた俺は、ついさっきまでのダウナーな精神状態から一気にハイテンション! 気分も爽快――とは、必ずしも言い切れなかった。
どうしたって後ろめたい感情が楽しいはずの一時を邪魔していた。
駅に着いた俺たちは駅構内には向かわず街の散策に向かった。
富良乃先輩はかなり遠くから天陵高校に通っているらしく、普段はバスと電車を利用して登下校しているとのことだ。
今の道路交通法では自転車の二人乗りは厳禁ともあって、富良乃先輩と遊ぶなら駅周辺が丁度良かった。
「何をして遊ぼうか?」
スカートの裾を翻し振り返る富良乃先輩はとても愛らしかった。
せっかく駅周辺まで来たのでこじゃれた店で男っぽく何かを奢ったり買ってあげたりしたかったのだが、最近はバイトもしていなかった俺の懐事情ではさすがに無理がある。
なので、した事といえばゲーセンで野口さん一枚分遊んだ事とウインドーショッピングをして回ったぐらいで、富良乃先輩の期待に添えたかは甚だ疑問が残る内容になってしまった。
肝心の彼女は終始笑顔を絶やさず、何でもない会話を交わしては無邪気に笑ってくれていた。
俺はそれだけで結構楽しかったな。
繁華街を軽く一周した後、駅前ペデストリアンデッキの広場にあるベンチに座って少し休憩することにした。
「ただ歩いただけになっちゃいましたね。すみません、女の子と二人で遊ぶ事なんて殆ど無かったから気の利いた場所とかも全然知らなくて」
「そんなことないよ。ボクも男の子と二人でなんて初めてだったけど凄く楽しかったよ?」
手をワタワタと動かして否定の仕草をする富良乃先輩……癒される。
「ボクが突然言い出したことなのに付き合ってくれてありがとね。本当に楽しかった。橘くんだったからかな?」
そんな言葉で微笑まれるとマジでヤバい。
富良乃先輩にそんな風にされたら男はみんな勘違いしちゃいますよ。
でも富良乃先輩はその後、顔を伏せて黙ってしまった。手遊びをしながら何かきっかけを待っているように見えた。
ここは少しでも俺が男を見せる場面だろう。
おそらく富良乃先輩が言おうとしていることは想像もつく。
「そ、その……どう、しました?」
こんな言葉しかでない自分が恥ずかしい!
「ごめんね……実は橘くんに話したいことがあったの。その……凛ちゃんとかボクたちの事とか」
ふぅ……やっぱりか。
俺は心の中で呟いた。
富良乃先輩が俺を誘う理由なんてそれしかないからな。
この展開が予想できたからこそ俺は喫茶店などに入らずに、街の喧騒で会話を聞かれないこの場所に腰を下ろしたのだ。
他人に聞かれても問題は無いが、死んだ、戦った、なんてどうしたって痛い人に見られる会話になっちまう。
今日は外だって暖かいし、店の中で冷たい視線を浴びるよりはこのほうがずっとマシだろ?
「俺が聞く必要のある話なんですか?」
わざと棘のある言い方をした。
「必要は……無い、かな。ボクが橘くんに聞いてほしいだけなの。駄目かな?」
そこまで言われたら断れるはずもない。
俺は黙って微笑みを返した。
「ありがとう」
それから一呼吸置き、富良乃先輩は話し始めた。
「今日はね、橘くんと遊んだことにもちゃんと意味はあったんだよ?」
「えーと、どんな?」
「思い出を作る事、えへへ……」
富良乃先輩は笑っていた。
ただ少し悲しそうにも見えた。
「それは……消える前にってことですか」
「もちろんそれもあると思うな。凛ちゃんは言わないけどね。けど一番の理由はこのまま生き続けられた時に楽しかった思い出を作っておきたいから。ただ生きるために天魔戦争で戦う事だけに過ごした青春の記憶なんて悲しいもの」
「それは藤咲が言っていることなんですか?」
「うん。天魔戦争の活動を部活にしているのもそう。ボクたち普通の部活だと本気ではやりにくいでしょ? ほら転生猶予の制限のせいで。だからボクたちだけの部活が必要だったの。非認可なのはのりちゃんのためだね。のりちゃんは中学生だから一緒の部活はできないもん」
後ろの植え込みから少し物音がした。
せっかくこの場所を選んだのに、盗み聞きをする悪い猫でもいるようだ。今は話の腰を折ってしまうので何もしないでおくが、富良乃先輩との話が終わったら脅かしでもしてやろうか。
「だから橘くんにそれが無駄だって言ってほしくない、思ってほしくないの」
「そう、ですか。すみません、あの時はカッとなって」
「ううん、いいの。ただ分かってほしかっただけだから。それに実はボクもね、このまま生き続けるのはちょっと無理だろうなって思っているから」
「先輩?」
悲しそうに見えたのはこれが理由かもしれない。
「ほらボクは先輩だから、見えないかもだけど。ボクは凛ちゃんや橘くんよりも一年早くタイムリミットを迎えちゃう。もう一年も無いんだ」
富良乃先輩は両足をパタパタと交互に動かして空を見上げた。
ベンチで支えている手が離れたら、そのまま空の向こうまで飛んで行ってしまいそうな気がした。
「でもね、だからって全部諦めているわけじゃないよ? うん、諦めたくない。ボクにも生き続けたいって願う理由があるから」
それから俺に向いた瞳には、俺があの時変えてしまう前の、藤咲の瞳と似た強い力が確かにあった。
「ボクのお父さんってね、すこし変わった人だったの。ボクの名前も、その変わっているでしょ? お父さんはずっと男の子が欲しくてボクが女の子って判る前から名前も決めていて、その名前が『天下』だったの。天下を取る男になれって意味を込めたんだって」
「そ、それは凄い父親ですね」
「なんとかお母さんが反対してくれて漢字だけでも『甜瓜』に変えてくれたんだけどね。それでも変だよね。それに他にもあるの。子供の頃の言葉使いだってお父さんの教育のせいで酷かったんだよ? 今でもボクをボクって言うのだけは抜け切らなくて……」
違和感バリバリのボクっ娘にはそんな理由があったのか。
「それだけ子供の頃から徹底していたんだけどボクって小さいでしょ。それに運動神経もてんで駄目で、中学校に上がる頃にはもう男の子にすることを諦めたみたいなの」
「諦めたって言い方が凄いですね」
「ね。変わりに今度はものすっごく過保護になったの。中学、高校は女子校に強制的に通わされたし、その……許婚もいつの間にか決めてきて、びっくりするどころか呆れちゃったよ」
「今でも許婚ってあるんですか。あれ、でも女子校ってのは? 今は天陵にいますよね」
「実はボク、ズルしているの。凛ちゃんと会ってから軍曹さんに頼んで天陵生だったことにしてもらったの。しかも転校したとかじゃなくて初めから天陵高校に通っていたことにね」
そんなこともできるのかぺ天使、というか天界の連中は。
でもこれで俺の中のちょっとした疑問が一つ消えた。
天陵高校で俺たち男共から富良乃先輩の噂が一切立っていないことが不思議でしょうがなかったんだ。 きっと生徒会長から藤咲に注目が移った頃に天陵生になったんだな。
「生きたい理由は父親への反抗心ですか?」
「うーん、近いけどちょっと違うかな。死んだ時、正確には生き返った時かな。ボクは九死に一生を得た事になっているんだけど――あ、死んじゃった理由は内緒ね。結構しんどいんだ」
「……了解です。死んだ記憶なんてみんな辛いものですから」
そうは言ったが俺みたいに事故で死んだと軽く言えるような死に方ではなかったのかもな。
でもそれ以上深く考えるのは止めた。富良乃先輩に失礼だ。
「ボクは生き返った後にね、初めてお父さんに口答えしたんだ。もう死んでいるんだし、これからは自分の好きな事をしてやるって思ったの」
「それでどうだったんですか?」
「ふふ、もうびっくり! 何を言っても無駄だとずっと思っていたのに、お父さんボクの話をちゃんと聞いてくれたの」
「話のイメージだと聞く耳も持たない感じなのに」
「だよねぇ、ボクもずっとそう思っていた」
富良乃先輩は遠くを見つめていた。
「ボクね、自分のことをずっとお人形だと思っていた。お父さんの……誰かの望むように作られただけのお人形。壊れても無くしても、また新しい物を作ればいいだけの存在。でも違った……お人形で居続けたのはボク自身」
今の富良乃先輩は何を見ているのだろうか、何が見えたのだろうか。
「ボクは自分から愛することを捨てていた。自分をお人形って決め付けて、感情を持つ事を諦めて、それを周りの所為にして、人間になれない世界に絶望していた。でもお父さんはちゃんとボクの話を聞いてくれて理解もしてくれて人間として見てくれた。ずっと気づかなかっただけで、みんな一人の人間として見てくれていた。愛してくれていたの。でもそのことに気づいたのは死んでからだった。遅いよね、もう――」
「遅くなんか――っ!」
そこまで言って気づいた。俺は何を言おうとしている?
「ふふ、ありがとう。うん、だから生き続けたいって思ったの。お人形だったボクは死んだことで自分が人間だったとやっと気づけたんだ。人間としてのボクを諦めたくないの。ボクはみんなを愛して生きてみたい。お父さんのことを好きになって、お母さんも好きになって、大好きな人と結婚して幸せになって、自分の子供を好きになって……それから死にたい。そう思えるようになったばかりなの」
強い想いだった。
小さくて柔らかくて可愛らしくて守ってあげたくなる、そんなか弱い少女から黄金のように輝く強い意思を感じた。
そうかこれが藤咲たちゴールデンアップルズが求め続けている、黄金の果実の輝きなのかもしれない。
丁度電車の時間が来たので富良乃先輩は帰ると言った。
「ごめんね、長々と話しちゃって」
「いえ、聞けて良かったです。その……先輩のこと少し解った気がして嬉しかったです」
ニコッと笑った富良乃先輩の顔は、あれだけの強い意思を秘めた少女の物とは思えないあどけなさがあった。
愛したい……富良乃先輩の生きる理由。
人が持つ感情の中でもっとも強くなるもの。
奇跡を起こすのは大抵こいつの役割だったりする。
ん? そういや、
「先輩、許婚がいるのに俺と二人で遊んじゃっていいんですか? これってデートとも言えるんじゃ……てことは浮気じゃないですか?」
「ほあ? え……ほああぁぁ、ど、どうしよう。そんなつもりじゃなかったのにぃ!」
真っ赤になって慌てふためく姿がとても可愛い。
「あはは、冗談ですよ。女の子同士でもデートって言ったりするじゃないですか。これも同じですよ、友達同士の付き合いですから」
「そ、そうだよね、そうだよね? もう橘くん、ひどいよ。本当にびっくりしちゃったよ」
「すみません、ふと思い付いてしまって」
「ふふ、許嫁って言っても実際にあったことはまだないから、ボクも実感なんてないんだけどね」
「そうなんですか? なんか安心しました。あはは」
「もーう……ん? そうだ友達なんだよね?」
「ええ、もちろん」
「じゃあ名前で呼ばないとね。うーん……そうだ! だーいくん?」
「は、はいぃ! だ、だいくん? ああ大和の大ですか。な、なんか照れますね」
なんか発想がうちの妹みたいで、まあそれが富良乃先輩らしいといえばらしいか。
「ねえ、ボクのことは?」
「え?」
「友達なんだよね、変な名前だけど呼んでほしいかなぁ」
「う……、その、て、甜……」
何故だ? すっげえ恥ずかしいぞ!
「ふ、富良乃さん……これで勘弁して下さい。急には無理です」
「えぇー、のりちゃんはすんなり呼んでいたのにぃ?」
みのりは完全に妹みたいなもんだしなぁ……。
「ふふ、仕方ない、今はそれで許してあげましょう。またね大くん」
「……はい、富良乃せん――富良乃さん。また」
富良乃さんはとてとての駅の中に消えていった。
――と思ったら掛け足で戻ってきた。
「ほああぁぁ、肝心な事を忘れていたぁ! ボクの話はついでのはずだったのにぃ!」
「ど、どうしたんですか?」
「凛ちゃんの事! お願い、凛ちゃんの事、誤解しないであげてね」
「誤解ですか? 誤解するも何もないと思うんですけど」
「えーと凛ちゃんは照れ屋なの。普段、悪態を付いているのは素直になれていないだけなの」
あれが照れだと……。
「我慢しちゃうと顔が真っ赤になっちゃうから、矢継ぎ早に言葉を捲し立てて色々吐き出しているみたいなの、あれで」
あれで……。
「それにね、ボクの口からは言えないけど凛ちゃんにも生きたいって願う理由は当然あるんだよ。それは凄く単純な事かもだけど、きっと何よりも凛ちゃんにとって大切な理由だってボクは思うの」
「藤咲の生きたいと願う理由……」
「凛ちゃんは大くんにその理由を話したりはしないかもしれないけど、一度ちゃんと話してみてほしいの」
「……富良乃さんのお願いじゃ断れないですね。あ、それよりも電車もうすぐみたいですよ」
「ほああぁぁ! じゃ、じゃあ今度こそ、またねぇ!」
慌ただしく再度方向転換をして走り出した。転んだりしないか不安になるな。
しかし少しばかり難易度の高いミッションを受けてしまったな。まあ俺が勝手に難易度を上げているだけかもしれないが。
さてこれで俺も帰るわけだが、その前に確認しておくことがある。それは富良乃さんとの会話中に確信したことで、
「おい、お前も何か話があったりするのか?」
ある潜入者の存在だ。
まったく話を聞かれないようにこの場所を選んだのに、こいつのせいで台無しだ。
「……こんにちは、偶然ですね。はろー」
「みのり、何で天陵高校の制服を着ているんだ? 今日は部活休みなんだろ」
「別に忘れていたわけではありません。外着がこれぐらいしか無いだけです」
「分かった、分かったからどこかに座るか……」
「……みのりは少し小腹が空きました」
……。
仕方がないので近くのドーナツがメインのファーストフード店に入って話を聞くことにした。
話があるとは言っていないがこいつもあるのだろう。そうでなければ俺と富良乃さんの話が終わるまで待っていた意味が無い。
みのりは富良乃さんの事情ぐらい知っていただろうしな。
それともう周りに聞かれて変な目で見られてもいいや。なんかふっ切れちまったよ。
「なんであんな場所に居たんだ?」
「やまとこそてんかとデートですか? りんこが知ったらまた荒れそうです」
「止めてくれ。聞いていたなら分かるだろ、ちょっと歩いて話をしただけだ」
「人それをデートと言う。やまとも言っていました」
「……何でも頼んでいいから。それと話があるならそっちの話をしよう」
「……一応付いて来て下さい、一応ですよ」
どうやら注文の勝手が分からないみたいだったので、一緒に頼んでから店の端っこの席を占拠した。みのりは小さい体の割に食欲は旺盛なようで、野口さんが更に一枚ほど消えた。
ムシャムシャと小さい口を開けてリスのようにドーナツを頬張っていく姿を眺めつつ、自分から話そうとしないみのりに俺から尋ねてみた。
「お前も何か生き続けたい理由とかあるのか?」
みのりにとってこれが触れてはいけない内容だったのなら、即座に話題を変えようといくつか選択肢を用意していたのだが、反応を見る限りその必要はなさそうだ。
相変わらずの無表情だけどな。
「生き続けたいとは少し違ってきますが……そうですね。みのりにも、もう一度だけ生きたいと願う理由は確かにあります」
「藤咲と一緒にいるんだから当然か……」
ズズッとソフトドリンクを流し込み、一息ついたみのりは今度こそ話し出すと思いきや、またドーナツに手を伸ばしたので、もう一度俺のターン。
「駅前にはよく来るのか?」
「はい。何度見ても新しい発見があるので定期的に見に来ています」
「見るだけか? いつも何を見ているんだ?」
「景色、でしょうか。品物を見たりもしますけど」
「そんなんが楽しいのか? もう少し遊べばいいのに」
「十分楽しいですよ、初めて見る物ばかりですから」
「初めてって、みのりも富良乃さんと同じで遠くからこっちまで来ているのか?」
「いえ、みのりは死ぬまでずっと寝たきりでしたから外に出る事が楽しいのです」
自分の耳を疑った。
寝たきりって、ずっと歩けなかったのか。
「大丈夫ですよ、今はもう何の不自由も無く動けます」
馬鹿だ俺は、思わず顔に出していた。
みのりを傷つけたかもしれない。
それも今さらか。
俺はもうみのりだけじゃなく藤咲も、それに富良乃さんも全員の夢を貶し傷つけている。
「子供の頃は多少動けたのですが、小学校に上がる頃には自分の足では立つ事もできなくなっていました。指はしばらく動かせていたのでパソコンとかゲームはよく触っていました」
「天魔大戦で情報処理を担当しているのもそれがあってか」
「はい。生き返った時に病気自体は無くなりましたが、運動なんてした事が無かったので前線じゃ役に立てそうにありませんでしたし……。これで分かりましたか? みのりは運動音痴ではなく慣れていないだけなのですよ」
「分かった、分かったから……」
軽く馬鹿にしていた自分を今すぐ殴りたい気分だった。
俺が自分で作ってしまった沈黙に耐えきれなくなり、つい突っ込んだ質問をした。
「みのりが生きたい理由ってのは普通に……自由に動きたいってところか」
「それは違います」
「じゃあ他にどんな……」
「みのりはりんこやてんか、やまとたちとは状況が違います。不慮の事故や都合で死んだわけではありません。天性の病気で死にました。それも現代医学では治せない不治の病です。それは寿命で死んだようなもの。例え生き返ったとしても、すぐにまた命を落とすと思います」
「それならなんで……なんで、もう一度生きようなんて思うんだ。また苦しむだけなんだろ?」
とてもじゃないが理解できなかった。
もう言わないと思っていたけれど、みのりに関してだけは天魔戦争をやるだけ無駄どころか、生き返ったとしてもただの苦行じゃないか。
「やまとは死んだ時なんて思って死にましたか?」
「……すまん、覚えてない。でも生きたいとかその辺りじゃないのか」
「みのりは「ごめんなさい」でした。死んだことを謝ったわけではありません、みのりをずっと看病して迷惑を掛け続けて「ごめんなさい」と最後にお母さんへ言いました」
言葉が出ないっていうのはこういうことなんだな。
「指も瞼も口もゆっくりちょっとずつしか動かせなくなってからはずっと死にたいって思っていました。辛かったです、生きている事も迷惑を掛け続けている事も。だから最後に謝りたかったです。ちゃんと言葉になっていたかは分かりませんけど」
本当に何も言う言葉が見つからなかった。俺はただ黙って淡々と語る少女から目を逸らさずにすることしかできなかった。
「みのりが死ねばお母さんたちを苦しめる枷も外れて、みんな楽になると思っていました。でもお母さんずっと泣いていました。死んでから天使と話している間もみのりはずっと見ていました。みのりが生きていた時よりもずっと苦しそうでした。それでみのりはやっと気づきました」
「気づいた?」
「最後に言う言葉を間違えていたことです。それに死にたいなんて……みのりの傍にずっと居てくれたお母さんの気持ちを裏切っていたことにも」
ずっと無表情だったみのりの口元が僅かに綻びた。
「もし本当に生き返れたなら、生きる気力を無くしたことで減ってしまった時間の分は生きていられるかもしれません。そして今度は「ありがとう」って言いたいです。それがみのりのもう一度だけ生きたいと願う理由です」
とてもささやかで、それでいてなんて切ない願いなんだ。
悲痛にすら思える理由も、みのりにとってはとても大切で意味のある願いだった。
「そういう意味ではみのりは死を受け入れています。だからやまとの言っていたことも理解できるつもりです。てんかも死んでから気づいたことのある口なので同様だと思います」
「今は二人の話を聴いて、俺が間違っていたって思うよ。俺にはみのりや富良乃さんのような強い目的みたいなものが無かったから、藤咲の言葉も理解することができなかったんだ」
「本当に無いと思いますか?」
「……どういう意味だ?」
「やまとは転生猶予を受け入れました。やまとに限らず受け入れた人たちは何かしらの理由があったのではと思います。無いのではなく忘れてしまったのではないですか?」
「忘れている……」
「ぜひ思い出してほしいです。その上でりんこともう一度話をしてほしいです」
「お前も結局それかよ」
「喧嘩は良くないです。仲直りをしましょう。はっぴーです」
「喧嘩ってのとは違うと思うんだが、まあ富良乃さんとも約束したし話はしてみるよ。何か仲直りのアドバイスみたいなものないかな?」
「アドバイスですか? そうですね、りんこは死んだ事が許せないと思っています。だからあの時のやまとの言葉が信じられなかったのだと思います」
「俺たちと違って死を受け入れていないってことか」
「正確には受け入れたくないだと思います。それはりんこにとって何よりも大切な事のようですから」
「分かった、ありがとな。俺のせいで余計な心配させているみたいでよ。お前も富良乃さんも藤咲がよっぽど好きなんだな」
「みのりもてんかもりんこに救われました。りんこに会わなかったら生きたいと思っていても何もできなかったですから。これはちょっとした恩返しみたいなものです」
恩返し……か、どうしてそれに俺まで含まれているか。何かむず痒いな。
「じゃあその恩返しを成功させてやらないとな」
「宜しくお願いします」
その後、店内で三品目のドーナツを食したみのりは店員を呼び、残りを持ち帰り用の入れ物に詰めて立ち上がった。
「こんなに食べられるわけありませんよ。初めからお持ち帰り用に頼んだのです」
俺の視線をどう受け取ったのか、みのりはそう言っていた。
俺たちは店先で別れた。
辺りも暗くなってきたので送ろうかとも言ったが、近くに住んでいるので無用だと丁重にお断りされた。
雑踏の中に消えていったみのりを見送ってから、俺は普段はめったに乗らないバスを待って、色々なことを知れた今日の駅を後にした。
家に淡々と近づくバスの中、誰も座らない隣の席に寂しさを感じつつも今後の事を考えてみた。
「話をするにもきっかけがな、どうするか……」
学校で話しかけて無視されでもしたら、その後ますます話し掛け辛くなってしまう。
どうにかお互い逃げられずに二人で話せる状況を作らないと。
帰り道、自宅の部屋と久々に頭をフル稼働して考えた結果、俺はある結論に達した。
「遅いぞ、藤咲。時間ギリギリじゃねえか」
きっかけを作るところから始めた。
「や、やま――んんっ、あんた……っ? どうしているのよ!」
俺のスマホには天魔大戦の参戦確認の通知が毎週かかさずきていた。
今までは全て無視していたのだが、今回は十秒と待たずに参戦を決めた。
何よりまずは行動で示したかった。
「お前の命令は絶対に守る。もうニ度と死なない」
「今さら何言っているのよ。そんな話信じられるわけないでしょ」
「その上で俺はお前たちゴールデンアップルズを守りたい。そのために俺はここにいたいんだ」
まだ俺には生きたいと願う理由が見つけられなかった。
でも富良乃さんやみのりの理由を聞いて全力で力になりたいと思った。
だから俺はそんな彼女たちを守るために戦おうと決めた。
もちろん藤咲のことも――。
第四章 ~ 銃を手に取った者たち ~