回想3 存在理由
俺の欠点は何事も本気で取り組まないということだ。
どうしてかというと自慢するわけではないが、昔から何でも人並み以上にできてしまっていたからだ。
小学生の頃のテストはほとんど百点だったし、中高とテスト勉強をしなくても平均以上は必ず取れた。 運動も人より呑み込みが早く、中学はバスケ部に入っていたが小学校でミニバス経験が無い中では唯一のスタメンにも選ばれていた。
考えてみれば、その悪癖は死んでから余計に酷くなったように思える。
どうせ無駄だという考えが自然と頭に過るようになっていたのだろう。
元々の性格のせいもあるが、ある程度できればそれで満足してしまっていたのだ。
テスト結果でトップに興味は無かったし、バスケの試合も出られるだけで楽しかった。もちろん勉強も運動もその時にできる最大限の努力だけはしていたはずだ。
ただ、その限界を普段から引き上げようとはしなかった。
実はその弊害が思わぬ所で発生していた。
そんな兄の姿を見て育ってしまった妹に、てーげー文化が根付いてしまったのだ。
ここで問題なのは、妹のスペックが素晴らしく低かったという悲しい現実だ。
現在小学校六年生の妹はテストで五十点以上取ったことが無い。運動に関しても『とろい、のろい、にぶい』と、似たような評価を毎度三回は下されることが常だった。
なのに妹はそれに危機感が無い。
誰に何を言われても「なんくるないよ~」と、意味を履き違えた言葉が返ってくる始末。
実際になんとかなっていた俺の責任である。
俺が今も生きているフリを続けるのは、この妹が心配だからなのかもしれない。似たような母親もいる事だしな。
でも俺が居続けようとした理由が家族なら、死んた時に生きたいと思った理由もまた家族だったのだろうか?
今になって少し気になっている。
七歳の子供がそこまで家族の将来を心配したのか?
もしかしてその時に――その場所で――もっと身近に感じた理由が――他の目的があったんじゃないか。
今はそんな気がしている。
回想3 ~ 存在理由 ~