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第七章 手の届く場所

 今になって自分はなんて無茶をしたのだろうと少し怖くなった。


 バイクに乗ったまま天陵高校に飛び込んだ俺は以前にも体験した感覚を味わい、それを懐かしく思う間もなく戦場のど真ん中に放り出された。

 考えている暇はまったく無かったな。

 目の前にバリケードが見えた瞬間、俺は何を思ったのかアクセルを全開にしてウィリーをかました。

 そのまま崩れかかったバリケードを土台にしてジャンプ。

 でも大したジャンプもできずに体育館と校舎を繋ぐ通路屋根にぶつかり、それで上手くというか強引にスピードが止まり、俺はそこから無理矢理車体を屋根に押し上げた。

 どうやったかなんて覚えていないさ。

 その間も周りからは銃弾がばんばん跳んで来ていたからな。無我夢中ってやつだった。

 その後もアクセル全開で走り抜けるしか手段が浮かばず、屋根をそのまま爆走し二階の壁に衝突させて窓に飛び込んだ。


 事前に天魔大戦用の装備を装着状態にしていて助かった。

 それでもかなりの衝撃が全身を襲ったが、装着していなかったら屋根にぶつかった時点でお陀仏だっただろう。

 まあこれから今以上の無茶をする事になりそうだけどな。

 それでも絶対に死ぬわけにはいかない。

 たった今誓ったばかりで、それを破るなんて真似は死んでも御免だ。


 あの時のリベンジだ。

 今度は二人で一緒に生きて帰るんだ。



 そして通信機で必死に呼び掛けて、繋がった時は神様に――天使に感謝したね。

「おい、藤咲! 俺はどうしたらいい? てか、お前は今何処にいるんだ?」

「……なんで……あん……あんたが……どう……」

 いつもは無駄に明瞭過ぎるぐらいの藤咲の声が吃ったようにしか聞こえない。

 無理矢理乱入したせいで通信の感度が悪いのかもしれない。

「おわっ! くっそ、少しは休ませろよ」

 その間も悪魔は空気を読まずに攻撃をしてくる。


 今回の悪魔は蛇頭だった。

 その所為なのか戦い方も蛇のようにねちねちとしつこい。

「藤咲、早く指示をくれ! 俺は何をすればいい?」

「……か」

「すまん、何だって? うまく聞き取れねえ」

「このバカ! その場で待機っ!」

「うおっ」

 突然感度が良くなっったのか、藤咲の怒鳴り声が耳を劈いた。

「奥の手を使うわ。あんたは何が起きても教室棟側の敵を抑えていて」

「管理棟側にも敵がいるみたいだぞ?」

「そっちは私たちでなんとかするから、じゃあ切るわよ!」


 通信が終わった直後から、教室棟側からの銃撃が激しくなった。

 俺の乱入で乱れた統率が立て直されつつあるようだ。

「しつこいんだよ。大人しく爆ぜ散っちまえ」

 手榴弾を影から投げ込み、手を止めさせてからアサルトライフルで弾幕を張る。

 管理棟方面からの銃撃が少ないおかげで、こっちは一人でもなんとかできそうだ。

 隙を突いて管理棟側にも銃弾を叩き込む。

 ちょっとした援護のつもりだ。俺に意識が向けば藤咲の言う奥の手とやらもやり易くなるだろう。

 だが援護もそこそこに、視線を教室棟側へ戻したその時だった。


 大気を震わすほどの轟音が校舎を揺らした。

 子供の頃に体験した、あの大地震を思い出すような大きな揺れだった。

「な、なんだっ!?」

 すぐに管理棟を確認する。


 ――なんと管理棟そのものが無くなっていた。


 目の前の廊下の先がなくなり、窓から見えていた管理棟の全景も全て丸ごと崩壊していた。

 爆発物でも使われて木っ端微塵にされたのだろう。

 地面に崩れ落ちた瓦礫で巻き上げられた砂埃も混じり、辺りは粉塵にまみれ濃い霧で覆われたかのように視界を奪っていた。



 呆気に取られた物の数秒後、天井でまた小さな爆発音が鳴り近くに瓦礫が降ってきた。

「おいおい、まさかこっちも――」

 管理棟の惨状が頭を過り少し、いやかなり焦った。


 ……すぐに拍子抜けしたがな。

 瓦礫と一緒に丸々とした飛べない鳥ども落ちてきた。

 何故ペンギン姿なのか未だに理解できない天使たちだ。

 その後ろから、むしろこっちの方が天使らしい少女たちも降りてきた。


 初めに現れたのは小学生にも見紛える幼い容姿でおかっぱ頭の女の子。

 次にこれまた幼い印象ながらも出るところははっきりと出ているグラマラスな女の子。


 そして最後に姿を見せたのは、赤みのある髪を上の方でしっかり纏め、前髪も林檎のヘアピンで留めた女の子。

 昔を思い出してから改めて見るその顔は、確かにあの時の少女の面影を残していた。


「……よう、久しぶり」

 一週間も経たずに久しぶりだとと思うのは、藤咲があの時の髪止めをしていたせいか、それとも幼いころの思い出のように僅かに赤くなっていた瞳が見えたからか。

「……なんであんたは現れるのよ。このばか……」

「色々とさ、話したい事はあるんだ。でも今はこの状況をなんとかしようぜ」

「……あんたの所為で考えていた作戦が全部台無しになったわ」

「うっ……それは済まなかった。でもあんな奥の手を使うなら事前に教えてくれよ」

「あ、……ごめんなさい」

 予想外の反応にマジで困った。

 まさか素直に謝られるとは……ただの戯言だったんだが。

「こんな光景もう見たくなかったわよね……ごめんなさい、怖い思いをさせて」


 こいつが何を言ったのか、

 何について謝ったのか、

 今の俺になら理解できる。


「怖くなんかないさ……お前もいるしな」

 だったらこう答えるしかない。

 今も昔も変わらない嘘偽りのない答えだ。



 だが俺の答えに返した声は、まったく予想外の方向からきやがった。


「……ははははははっ、随分楽しい事やってくれるじゃねえかよ。おいおい聞こえているか? せっかくだから挨拶でもしようぜえ。はーはっはっ、オレもなあ、もっともっと楽しい楽しいパーティになるように、これから大いに盛り上げてやるからよお」


 ヘルメットの通信機から聞こえてくる野太く下品な男の声。

 しかしゴールデンアップルズには俺以外の男はいない。

「なあ藤咲、この声は――」

「やっぱり……いたのね」

 何か不安が的中したと言わんばかりに藤咲は顔を顰めた。

「ははっ! そっちからの挨拶は無しかよ、詰まらねえなあ。まあいいか、もう詰まらねえ引き籠り作戦は終了だろう? じゃあ仕切り直しだ、次は楽しみにしているぜえ。ははははははっ、必死に足掻いてみろよお! そしてオレを楽しませろお! あっさりハジけるなよなあ、ははははははっ……」


 不審な通信はここで乱暴に切られた。

「倒れたメンバーの通信機を使われたみたいね。パターンをBに変更」

 どうやら藤咲が強制的に通信を切ったようだ。

 周りを見ると富良乃さんとみのりも不安そうな面持ちでいた。

「なんなんだ、このイカレた野郎は?」

「最初に少し話したけど、悪魔側に偶にいる凄い奴よ。私たちと同じ人間、しかもあの様子だとかなり天魔大戦にも慣れている。厄介な相手ね」

「えっ? 悪魔側にも人間がいるのか? 極悪人は即地獄逝きじゃなかったのかよ?」

「天使と悪魔の差は善と悪じゃないの。ただの秩序と自由、その人の持つ本質で配属先が変わるだけなの」

「あの言動を聞いている限りじゃ犯罪者そのものに感じますけど」

「まあ今の社会は秩序寄りだからね、悪魔側にいるような人は、だいたいあんな感じの人が多いかな」

「とりあえず今回の戦闘の一番面倒な障害って事か」

 それさえ分かれば今のところはいいか。

 それよりもこれからどうするかが今は重要だろう。


 その辺を指揮官様に確認しないとな。

「さてと作戦を無駄にしちまった俺が言うのもなんだが、お前ならもう他の作戦も思いついているんだろ?」

「当然じゃない。でもそれには……」

「なら俺が、いや今度こそ俺たちが一緒に戦って、その作戦を成功させようぜ」

「よくそんなことが言えるわね、この……ばか」

 それだけ言うと藤咲は周囲を警戒しているゴールデンアップルズの中心に立って、声高々に号令を上げた。

「これから撤退戦を開始するわよ! 執る作戦は単純明快、私たちゴールデンアップルズは一丸となって敵包囲網を突破する。恐れる事なんて何も無い。みんな私の作戦と、このバカ大和を信じなさい。絶対に生きて突破するわよ!」


 みんな思い思いの雄叫びを返した。

 もう誰も不安など微塵も抱えてはいない。


 さあ、ゴールデンアップルズの反撃開始だ。



 藤咲たちは以前とは違い、小型の情報端末を持っていなかった。

 替わりに藤咲は分隊支援火器という大雑把に言うならマシンガンを、富良乃さんはグレネードランチャー付きのアサルトライフル、みのりはサバゲーの時と同様にスナイパーライフルを手にしていた。

 富良乃さんにいたっては背中には携帯式の多目的ミサイルまで担いでいる。

「今回は戦力が足りないからね。私たちもサポートぐらいだけどできる事はするわ」

「お前らの装備は専門分野に特化って感じか――で、まずは一階に下りるのか?」

 ここから撤退するならまずは一階に降りなくていけない。

 だがここにある階段は既に(藤咲によって)破壊されていた。

 一階から二階に上がるのは無理そうだが、降りる分にはこの強化服を着ていれば特に問題もないだろう。

 それでも瓦礫で進路は狭くなっており、部隊として動くのは難しそうだった。

「ここからは下りないわ。一階に下りれば四方から銃撃を受けるだろうから身を隠せる障害物が多い場所じゃないと」

「それってどの辺よ?」

「まずは二階廊下を通って西側生徒用玄関口まで移動よ。管理棟の粉塵が収まりきる前にこの校舎から脱出するわよ」

 管理棟を吹っ飛ばしたことで、そっち方面の悪魔は無闇に行動する事ができない。

 視界が悪いと同士討ちの可能性も出てくるしな。

 数の差が逆に相手に足踏みを強いていた。

「時間が無いけど教室を一つ一つクリアにして進むわよ。大和はその際に一番手に突撃してもらうわ。私たちも援護はするけど……死なないでね」

「分かっているさ」

 そう言って俺は親指を立てた。

 それに合わせてみのりと富良乃さんも親指を立てていた。


「うん、大和とワン二人は援護するから廊下まで突っ込んで。その後は大和が西側を、ワン二人が東側を抑える。私たち本隊が合流したらすかさず両側の教室を制圧しに向かってね。――行くわよ!」

 藤咲とぺ天使数羽が教室棟廊下に向けて発砲する。

「うおおおおおおおおおお!」

 藤咲たちの援護を背に、俺とワン二羽が廊下へ滑り込むように飛び出る。

 続けて廊下の飛び出た柱を盾に付近の悪魔を掃討する。

 いつもは掃除の度に欠陥構造かと疑う邪魔な柱だが、今回に限っては感謝せざるを得ない。

 とはいえ安全な防壁でもない。交戦中にアップルワンが倒されてしまった。


 遅れて藤咲たち本隊が駆け付ける。

 俺は作戦通り西側の七組教室に飛び込んだ。

 本体からは新たに二羽、俺と一緒に教室の制圧のため突入した。

 突入した七組の教室には悪魔が二体いたが、俺たちの電撃作戦に動揺しており、あっさりと倒すことに成功。

 まず一つ、七組の制圧完了だ。


 俺は気を抜くことなく扉の前に移動し、西側方向への牽制射撃に移る。

 それを確認した本隊は七組に移動。

 東側唯一の教室、八組の制圧に向かった天使もそのミッションを終え、本隊と一緒に合流した。

 しかし八組の教室から戻ったのは二羽だけ……また一羽倒れてしまったようだ。

 藤咲が廊下に倒れたままのアップルワンを見つめて唇を噛んでいた。

 それからすぐに前を向いた藤咲の眼には再会した時と変わらない強い炎が灯っていた。

 そうだ、こいつは強くて、そして優しい奴なんだ。

 指揮官を演じるには優し過ぎる……そんな女の子なんだ。

 そんな奴だからこそ余計に守ってやりたくなる。

「どんどん行くぞ、支援宜しく」

 俺は再び銃撃の隙間をぬって隣の教室の制圧に向かった。



 隣を制圧したらまた次へ。

 繰り返し拠点制圧の要領で西側階段近くの一組と二組の教室まで進んだ。

 俺の活躍――というよりもゴールデンアップルズの連携が熟練の域に達しているので、短時間でここまで到達できた。


 短時間とはいっても管理棟跡で撒き上がっていた粉塵はさすがに収まりつつあった。

 目標としていた一階到達には間に合いそうにない。

 階段前には悪魔たちが集結し、即席のバリケードまで作って俺たちの妨害をしているからだ。

 しかも相当数が集結している。

 手数で負け逆にこちらが攻め込まれるかもしれない。

「窓から降りたらすぐに集中砲火を浴びるか……どうする?」

 窓の外にも敵はまだまだうじゃうじゃといる。

 俺たちの位置は既にバレていて、窓に近づくだけで外から銃弾が飛んでくる。

「簡単じゃない――爆破するわ」

 あっさりと言い退けた藤咲は一組の教室に入り、掃除用具入れをがさごそと漁り始めた。

「こんな時の為に遠隔だけじゃなく、手動の爆破装置も用意してあるのよ」

 藤咲は赤いボタンが付いたスイッチを拾い上げ、逡巡の躊躇いもなく押し込んだ。


 その結果は管理棟が崩壊した時と同じ轟音。


 規模こそ教室棟と管理棟を繋ぐ二階建ての通路のみなので小さかったが、それでも体を激しく震わせる震動は相当なものだった。

「お前自分の学校をよく躊躇なく爆破できるな……」

「どうせ戦闘が終われば全部元通りになるんだから気にする必要無いじゃない」

「そりゃあそうかもしれないけどさ……強く育ったんだなと思っておくか」

「はあ? 何を言っているのよ。それよりみんな瓦礫の上から一階に降りるわよ。周囲には十分気を付けてね」

 何はともあれ粉塵煙幕が切れる前に、一階到達という最初の目標は達成した。

 次は敵の包囲網をどうやって突破するかだ。



 一階は既に悪魔たちに侵入された後なので全方向への警戒は怠らない。

 バリケードに隠れてはいても、いつどこから攻撃されるか分からないのだ。

「校庭は駄目、射線を遮るものが無い……なによりこれ以上遠回りをしたら、包囲されて身動きができなくなる……残るはやっぱりあそこから……」

 藤咲がメンバーからの情報を聞き、次の進路を模索している。

 予測していたより包囲が厚かったらしい。

 勢いのまま正面突破に踏み切らず、敢えてここで待機している理由だ。


 確かに悪魔たちの動きは、俺が今まで経験した戦いと比べ遥かに迅速だった。

 今回は悪魔側にあのイカレ野郎がいる所為で、ゴールデンアップルズの天使たちのように悪魔の動きが良いのかもしれない。

 だとしたらなんて傍迷惑な野郎だ。


「第二体育館の脇を通って学校林を抜けるルートで行くわ。みんなにはまた危険な道を進ませることになるけど……」

「こんな状況で危険じゃない道なんてねえよ。お前が最善だと判断した道を信じるさ」

「そうだね、ここで安全なルートなんてあったら絶対に罠だよ」

「みのりはいつだってりんこを信じています。りんこもみのりたちを信じて下さい」

「……ありがとう、みんな、絶対に死ぬんじゃないわよ」



 俺たちは意を決してバリケードを飛び出した。

 最初の目標は第二体育館前の実習棟。

 今の自分たちの場所から二十メートルほどだが、そこまでは何の遮蔽物も存在しない。

「駆け抜けろぉーーーーーーーーっ!」

 手榴弾で最低限の牽制を掛けた後は銃弾をばら撒きながらただ走る。


 まずは俺が窓ガラスにダイブして実習棟に辿り着いた。

 続けて他のメンバーも飛び込んでくる。

 藤咲が、富良乃さんが、みのりが次々と到着に成功する。

 そして三人を守るように横を走っていた天使たちがまた二体倒れていった。

 三人がどんな表情でいたかなんて敢えて言う必要もない。

 無表情なみのりですら、はっきりと見て取れた。

 天使たちは三人の盾になれ等と、断じて命令されたわけじゃない。

 それでもあいつらは自分たちの隊長を守るために自ら行動した。

 くそ、これじゃあ、もうあいつらをただのペンギンだなんて言えないじゃないか。


「立ち止まらない……あの子たちの為にも!」

 藤咲は誰より早く立ち上がり反対側の窓まで走った。

 俺もそれに続き様子を窺う。

「結構な防壁を造っているな。数もいそうだ」

「また読まれたっ? いいえ、どのルートだって敵がいるのは予測していた事。むしろあれだけ戦力が集中した箇所を今のうちに突破できれば、その後の撤退行動も少なからず有利になる。これはチャンス、あそこを短時間で攻略できれば……っ! 危ない伏せてっ!」

 藤咲の声で反射的に窓の下へ隠れる。

 ――と同時に単発的な銃撃が跳んできた。

 俺は間に合ったが天使がまた一人その銃弾で倒れた。

「スナイパー!? まずいな、この距離からじゃ表に出たら狙い撃ちだぞ」

「それでも何とかするしかない。みのり! お願い、私たちが弾幕を張るフリをして囮になるから逆にその瞬間を狙って狙撃して」

「できるのか? かなり無茶な芸当だろ」

「みのりならできるわ」

「だそうです。みのりを信じてくれているならそれに答えなくていけませんね」

「かっけえな、みのり」

「……今頃気づいたのですか?」

 みのりはぎこちなくニヒルな笑みを作り配置に着く。

「甜瓜ちゃんはミサイルの発射準備を。私が合図したら敵の拠点にぶち込んで」

「どんとこぉい!」

 富良乃さんは背中に担いだ多目的ミサイルを軽々と構えた。

 この装備、現実世界と同種の物なら普通は二人掛りで運用するのに、なんてパワフルな御方だ。

「これをただの力持ちで済ませていいのか? その細腕に一体どんな秘密が……」

 むんっと腕を曲げて力瘤を出そうとする富良乃さん、残念ながら筋肉の隆起は見られない。

 ここにきて非常に気になる謎が生まれてしまった……後でこっそり触らせてもらえないかな。


 邪な考えもそこそこに、実習棟から第二体育館前に陣取った悪魔に向かって牽制射撃を掛ける。

 藤咲の掛け声で一斉に攻撃を開始した。

 負傷している天使二人は後方の警戒に専念し、残りは正面の敵拠点に向けて派手に撃ち続ける。

 だが物の数秒で天使たちが返り討ちに遭ってしまう。

 原因は正面からではなく横からの挟撃だった。

「くぅ、なんとかスナイパーだけでも倒さないと甜瓜ちゃんのミサイルが撃てない」

 このままではジリ貧だ。

 なので俺は少々強引な行動に出ることにした。

「みのり頼むぞ!」

 敢えて銃だけを晒した状態のまま攻撃をし続ける。

 俺の行動を即座に理解してくれたみのりはこくんと小さく頷いた。

 この距離からなら普通の銃ではピンポイントで狙いは付けられない。あえて動かない的を見せてスナイパーを無理矢理にでも誘ってやる。


 この餌に敵はあっさりと食いついた。

「ぐあっ!」

 俺のアサルトライフルに弾丸が喰らい付き弾き飛ばされた。

 引き金を引いていた右手が痺れる。

 だがこの痛みの元は十分に取れた。

 顔を出したスナイパーをみのりが一瞬で仕留め返した。


 これで本の一瞬だが攻勢に出るチャンスが生まれていた。

 もちろん藤咲がそれを見逃すはずもない。

「甜瓜ちゃんっ!」

「了解、行っくよぉ!」

 ボシュッと軽火器では聞く機会のない重厚な発射音が鳴り、富良乃さんはその反動で軽く後ろに転がる。

 飛び出したミサイルは大型の鳥類が滑空するように敵拠点へ加速していった。


 そして着弾!


 ハリウッド映画張りの爆発音と爆炎が敵拠点から上がった。

「よっおぉし! 後は一気に突破よ」

 俺は壊れた銃の代わりに倒れてしまった仲間の銃を借りた。

 右手を何度も繰り返し握り、少しづつ戻ってきた感覚を確かめる。

 大丈夫まだ戦える――絶対に守ってみせる。



 ミサイルで吹っ飛ばした拠点を突破し、ゴールデンアップルズはようやく学校林が広がる地点まで到達していた。

「大和は先頭をお願い。撤退可能地点まで最短距離を突っ走って」

 藤咲の指示でこれまで通り先頭を任されたが、俺的にはこの作戦指示には一抹の不安が残る。

「後方は私が引き受けるから、みんなは大和の後を全力で追い駆けて。もちろん周囲警戒は怠らないように」

 隊の殿を藤咲が務めると言ったからだ。

「藤咲、殿はやっぱり俺がやる。お前が隊を先頭で率いて突破しろ」

 撤退戦において一番危険な位置は最後尾だ。

 敵の追撃を真っ先に受ける場所。

 当然逃げるのも一番後になる……囮になるような役目だ。

「駄目よ。今までの事を考えたら、このルートもきっと敵に読まれている。数はそう多くないでしょうけど待ち伏せだってありえる」

「それなら即座に状況判断が出来るリーダーが先頭にいた方がいいだろ」

「だめよ、少しでも足を止めたら視界の悪い森の中で包囲される。迅速且つ確実に遭遇した敵を倒して走り抜けるしかない。私じゃとてもじゃないけどそんな遭遇戦を乗り切れない」

「でも……」

「それができるのは大和……あんただけ。あんたが来てくれたから私はこの作戦を取れるの。お願い、あんたの手で私たちを引っ張って」

 これ以上は言い返せなかった。


 藤咲の判断はきっと正しい。

 隊が生き残るにはこれが最良の選択肢なのだろう。


 でも人間ってのは――特に俺は、正しいだけの選択肢を素直に選べるほど要領の良い頭はしていない。

 作戦には従いつつも俺はある決意を心に誓った。



 月明かりはあれど深い木々に覆われた森の中は、いつ捕捉されるか分からない恐怖に怯えながらの行軍ともあって、予想以上に神経を磨り減らし体力をみるみると奪っていく。

 それでも俺たちは足を止める訳にはいかない。

 生き残るため、明日も笑って過ごすために、今は歯を食いしばって走るしかない。


 俺が悪魔を見逃した時のフィールドは、学校林に入ってすぐの所までしかなかった。

 今回はそこから更に先、学校の敷地外の山の奥までフィールドが設定されている。

 おそらく参加チームの多さが作戦領域を拡張させているのだろう。

 あのイカレ野郎がそこまで考えて戦略を立てたのだとしたら、性格以上に頭も相当切れるのかもしれない。

 これはかなりの数の待ち伏せも警戒する必要があるな。


「……っ! 敵だ、気をつけろ!」

 案の定、進路上に悪魔が待ち構えていやがった。

 藤咲の言う通りこんな状況で足止めを食らったら一巻の終わりだ。

 多少の無茶は承知の上で、俺は木を盾にしながら可能な限り全力で走り抜けた。

 銃弾を回避し、悪魔が身体を晒した瞬間を狙って引き金を引く。

 瞬く間に悪魔二体の撃破に成功。

 逆境が人を強くするってのはどうやら間違いではなさそうだ。

 とはいえ、そんな余韻に浸っている暇はなかった。

 この接触を機に次々と悪魔たちが現れるようになった。

 一度に現れる数はそれほど多くなかったが、断続的な襲撃によって隊の速度は著しく乱された。

 遭遇間隔は次第に短くなり、藤咲が後方に向かって射撃を行う頻度も増していく。


 度重なる戦闘の末、俺は左腕を撃たれてしまった。

 動かせなくなるほどでは無いが、それでも痛みが腕から広がるように身体を蝕む。


 横からの襲撃で天使がまた一人倒れた。


 それでも俺は止まらない。

 例え歩みが遅くなろうとも、この足を止めたりはしない。

 少しでも早く、少しでも先へ、少しでも多くの仲間と共に、俺がすべき事、考える事はそれだけだ。

 今は立ち止まる時じゃない。


 それに走り続けているのは俺だけじゃない。


 茂みに隠れて倒せない相手を富良乃さんが榴弾で吹き飛ばす。

 離れた相手を正確な射撃でみのりが援護する。

 前方ばかりに集中せざるを得ない俺の代わりに天使たちがサイドをカバーしてくれる。


 ゴールデンアップルズが一丸となって走り続けた。



 そうして俺たちはようやく撤退地点のすぐ傍にまで辿り着いた。

 しかしそこに文字通り壁が立ち塞がった。

 高さ三メートルほどの崖が行く手を阻む。

 ざっと見渡しても崖は一面続いており、迂回するとどれほどの遠回りになるか見当もつかない。

 何より隊の消耗が激しい。

 これ以上の戦闘はもう不可能だ。

 周囲の状況も悪くなる一方だ。今も殿では藤咲が交戦している。

 この崖を――壁を乗り越えるんだ。それしか道は残されていない。

「行くぞ、みんな! こんな所で立ち止まっていられるか」


 重い銃器は先に崖上に投げ込み、俺は三角飛びの要領で近くに生えた木を蹴って、右手で崖の頭を掴む。

「ぐ……うっうぅおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 撃たれた左腕を歯を食いしばり無理矢理動かす。

 左腕からは電流が走るように痛みが押し寄せてきた。


 それでも何とか崖の上まで這い上がった。

 この戦場が天魔大戦という仮想現実であることに感謝すべきか。現実の世界で銃弾を浴びていたのなら、このように腕を動かす事もできなかったはずだ。


 腕からはまだ痛みが引かないが休んではいられない。

 次は他のみんなを引っ張り上げないと。

「まずはみのりだ、来い!」

 一番上背の無いみのりを最初に上げることにした。


 ――だが、一発の銃声が俺の動きを止めた。


 それは殿を務めている藤咲の方からではなく、崖に上った俺の真後ろから聞こえた。

 崖下に伸ばそうとした腕のすぐ横の地面に小さな丸い穴も空いている。

「ざぁんねん! まずはオレの相手をしてもらうぜえ?」

 俺は振り向き様に拳銃を抜き構えようとしが、拳銃を持った手を思いっきり蹴り上げられ、逆に俺の鼻先に相手の銃口が突き立てられた。

「ぐっ……」

「待ちくたびれたぜえ。やっぱり御荷物が居たんじゃあ、あんたでも苦しかったかあ?」

 こんな状況で馴れ馴れしく俺に話し掛けてくる野郎の顔を見て俺は驚いた。

 こいつは蛇の頭をした悪魔ではなかった。

 この口調もそうだ。目の前のこいつは間違いなく、通信で随分とイカレ具合を披露してくれたあの悪魔側の人間とかいう奴だ。


 だが俺が驚いたのはその事じゃない。


 そいつの顔を俺は知っていた。

 あったのはたったの一回。

 それでも十分印象に残るほどのインパクトと個人的な借りのある相手――以前現実のサバゲーで出会った、あの色黒野郎だ。

「お前も死んでいたのか」

「ああ、何年前だったかなあ? 済まねえなあ、今のオレは時間なんて意味が無くてよお、はっきり覚えてねえんだ」

 あの時見たよりずっと歪んだ笑顔で、この色黒イケメンイカレ野郎は俺を見ていた。

「だからよお、オレは生きているって実感が欲しいんだ。楽しみたいのさあ、このクソッタレな世界でえ! 死んでいたら楽しめないよなあ! 楽しいなら生きているよなあ! だからオレは生きているぜえ、こんな世界でもなあ!」

 完全にイッちまっているじゃねえか。

 くそ、天界の裁判官は仕事してんのか? こんな危険人物はとっとと地獄の底に堕としておいてくれよな。

「大和!? どうしたの」

「崖の上でイカレ野郎に遭遇しちまった。悪い少し時間をくれ」

「大丈夫なの……撃てる?」

「はは、信じろって。お前も気をつけろよ」



 さて、ちょっと強がって見たがどうする?

 現状、銃を向けられ超ピンチ。

 しかも今の俺には手持ちの武器がナイフ一本だけ。

 先に放り投げた銃器は少し離れた所に落ちている――チッ、こいつが遠ざけやがったな。


 この状況を潜り抜けてあそこまで行けるか?

 藤咲に比べ物足りない頭で色々と考えていたら、目の前の色黒はそんな俺では予想もできない行為に出た。

「安心しろよ、折角のタイマンだあ。フェアに行こうぜえ」

 色黒は俺に向けていた銃を後ろに放り投げ、空いた指で俺に立つように促した。

「銃なんか使ったらすぐに終わっちまうだろお? それじゃあオレは楽しめない」

 完全に遊んでやがる。

 こいつの笑みは負けるはずが無いという自信だけじゃない、純粋に楽しんでいやがる。

 そいつが無性に気に食わねえ。

 このゴールデンアップルズとは絶対に理解し合えない。

「あんたも腰に付いているんだろ? こいつでヤリ合おうぜえ。あんたとなら楽しめるとずっと思っていたよ」

 色黒は刃渡りが長めのナイフを抜き、挑発するように蛇のように舌を出した。

 そのナイフの刃がこいつと同じ様に黒く塗られていたこともあり、異様な邪悪さを感じる。

「後悔すんなよ」


 俺も立ち上がり腰のナイフを抜き構える。

 さっきの圧倒的不利な状況からしたら、これは少なくとも対等に近い勝負だ。願ってもない。

 だが流石に俺はCQCどころか、まともな喧嘩の経験もナイフを扱ったことも無い。

 こいつとまともに遣り合うのは危険か……。


 それに藤咲にも念を押されたが、俺は人間相手にこの刃を突き立てられるだろうか。

 銃なら引き金を引くだけだ。

 でもこれは違う……手に残る感触に俺は耐えられるのか。

「んあ? 何だあ、その目はよお。もしかして躊躇ってんのかあ? おいおいおいおい、止めてくれよお。本気で来てくれなきゃあ、オレ楽しめないだろお」

 目だけで見抜かれるほど覚悟が鈍ったか。

 俺の動揺をこいつはあっさりと看破しやがった。

「もしかしてよくある正義のヒーロー気取りかあ? 虫や動物、人外は喜々として殺すくせに、人間様だけは殺さねえとかいう詰まらねえ偽善を振り翳すとはなあ……。いいかあオレたちはもう死んでいるらしい。言うならゾンビよゾンビィ。それにただのゲームだろ、殺したくても殺せねえだろうがあ!」

 分かっている。解ってはいるさ。

 でもつい考えちまう。

 悪魔を相手にしても、実際撃った後は気分が悪かった。

 そしてこいつは同じ人間だって分かっちまっている。

 どうしても理性が余計な考えを横から拾ってくる。

「どうすればヤル気になるかねえ……。そうだなあ……オレはお前と楽しんだ後、下にいる詰まらなそうな女共も当然殺す訳だがあ?」

 ……くっ! そうだよな、そんな当り前の事を忘れていた。

「ありがとうよ、おかげで躊躇なくお前を刺せそうだ」

 生きることに必死なら、そもそもこの状況でも迷いなんてしなかったはずだ。

 きっと富良乃さんもみのりも、そして当然藤咲だって生きるために引き金を引いたはずだ。


「それに思い出したぜ。てめえにはでっかい借りがある。それも纏めて返してやる」

「あぁん、何かあったかあ?」

「てめえの所為で俺はうちの指揮官様に延々と説教食らってんだよ!」

「ははははははっ、いい目だあっ!」


 俺は一直線に刃を突き刺した。

 だがそれをあいつは身動ぎ一つせず、俺の刃の軌道上に自分のナイフを合わせた。

 今まで戦場に飛び交っていた銃声とは違う、金属が重なり合う鈍くも甲高い音が響き合う。

 鍔同士がぶつかり勢いが止まった。

 だが動きは止めない。

 そこからナイフを弾くように横へ薙ぎ払い、大きく一歩進んでナイフを返す。

 当たる――そう思った刃が空を切った。

 あいつは軽く体を後ろに引いただけで、俺の渾身の一撃を躱しやがった。


 今度は反対にあいつの攻撃が始まった。

 前に出過ぎた形になってしまった俺の横から黒い刃が襲う。

 俺は飛び跳ねるように横へ転がった。

 黒い刃が周囲の闇に溶け込むようで間合いがいまいち掴み難い。

 地面に片膝を付いた俺に向かって、今度はその地面を這うようにナイフが振り上げられた。

 俺はまた大袈裟に後ろへ下がり攻撃を躱した。


 必要以上に間合いを取り直して、再度俺は攻撃に移る。

 今度は間合いを計らせないように体でナイフを隠すように構え、一気に鞭のように腕を撓らせ切る。

 だがまた寸での差で届かない。


 次はフェイントも交ぜ、タイミングを変えて攻撃する。

 だが悉くそれらの攻撃は躱された。

 フェイントにはまったく動じず、本命の一撃は全て紙一重で届かない。


 そして攻守交代。

 軌道の読み難い一閃が次々と俺を襲う。


 一度目のしなるような斬撃で、ナイフを持った腕ごと弾かれた。

 二度目の叩き割るような振り降ろす斬撃で、ヘルメットを大きく抉られた。

 三度目の点からそのまま伸びてくるような突き刺す斬撃で、腰部の収納スペースに入れたスマホが串刺しにされた。


 その度に俺は大きく間合いを取るしかなく、あいつのように素早く反撃に移れない。

 そんな俺に対して、あいつは決して急いで追ったりしない。

 ゆっくりゆったりとした動作で詰め寄ってくる。


 そんな攻防を数度繰り返し、嫌でも気付かされる。

 明らかに遊ばれていた。

 その証拠にあいつはあの歪んだ笑みを一切崩していない。

 偶に声すら上げて笑っていやがる。


 それだけじゃない。

 俺の左腕がまともに使えない事に気付いているのか、あいつもナイフを持っていない右手を一切使ってこない。


 そしてそれだけ余裕を見せても、決して隙だけは見せなかった。

 どんな攻撃を繰り返しても、あいつは俺に正面を向いたまま死角を作らせない。

 立ち回りに差があり過ぎる。

 俺は体全体を動かして躱しているのに、あいつは必要最低限の動きで俺の攻撃を完全に見切っていた。


 俺も腹を括るしかない。

 まともに戦おうとしても勝てる相手じゃないことはよく解った。


 俺はわざと大振りの攻撃を見せる。

 例えそれで警戒されてもいい。

 全ては次の瞬間に賭ける。


 俺の攻撃はまたもやギリギリのところで躱された。

 そして同じ様に飛んでくる鋭い反撃。

 躱せない攻撃ではない。

 あいつもわざとそんな攻撃を繰り返している。

 今までなら大きく仰け反って、仕切り直しに持ち込むところだが――、


 俺はその場に踏み止まった。


 肉を切らせて骨を断つ――もちろんむざむざと切らせるつもりはない。

 何度か攻撃受けて大体の距離感は掴めてきた。

 俺もあいつと同じ様に紙一重で避ける覚悟を決めたのだ。


 闇の一刃が俺の眼前を通った。

 俺の前髪がはらりと何本も落ちる。


 よし、やった! ここまでして掴んだ最大のチャンスだ!


 俺は最大限の力を込め、体全体で突貫した。

 今までとは違い速攻の反撃――それはあいつの鼻に付く邪悪な笑みを確かに消し去った。


「ははははははっ、惜しかったなあ! 悪くねえぜえ!」

 しかし、それも一瞬だけだった。

 あいつは今までの様に見切る余裕が無いと見るや、一転して大きく飛び退いた。


 躱された――だが、それだって予測済みだ。


 俺は突貫した勢いそのままに真っ直ぐ駆け出した。

 藤咲たちを見捨てて無様に逃げる訳じゃない。


 俺が目指す先は地面に転がっている逆転の可能性。

 そこには俺が崖下から投げた銃器があった。

 初めから俺はこれを狙っていた。


 まとも戦っても勝ち目が薄い事は初めから何となく気付いていた。

 ならすべき事は相手より有利な立場に立つ事……武器の優位性は一番に考えたことだった。


 なので攻撃はしつつも何とか反撃は躱せる状況を維持しつつ、武器を取りに走っても安全な位置を狙っていた。

 だが思った以上にあいつとの力の差があって中々実行に移せなかったので、俺は賭けに出たわけだ。


 そしてその賭けに俺は勝った。


 あれだけ大きく体勢を崩させれば、すぐには追い掛けられまい。

 あと怖いのは手にしたナイフを投げ付けてくる事だが、唯一の武器をそう簡単に手放したりはしないだろう。

一応、走りつつ背後に目をやったが、あいつは棒立ちのままで投げてくる様子はない。


 勝った、そう確信し転がったアサルトライフルに飛び付いた――。


「ぐあああああああああっ!」

 ――が、銃を手にするより先に、何故かすぐ後ろから銃声が俺を追い抜いていった。

 同時に左腕から電気ショックのような衝撃が駆け昇ってきた。


「前に言わなかったかあ? オレには教科書(マニュアル)通りじゃ勝てない。もちろん騙し合いの才能(センス)もなあ」

 痛みを堪え這いずるように後ろへ目を向けると、あいつは今まで使ってこなかった右手に一丁の拳銃を持っていた。

「出し抜こうとしたのはお前が先だあ、文句はねえよなあ」

 くそ、やられた……っ。

 初めに拳銃を投げ捨てた事ですっかり騙された。

 あの野郎、背中にもう一丁隠し持っていやがった。ナイフでの戦闘中も、決して後ろ姿見せなかった理由にはこれもあったのか。

「それにオレは言ったぜえ、楽しみたいってな。楽しむためにはオレは絶対負けちゃならねえ。そんなオレが対等な勝負を挑むとでも思っていたのかあ?」

 こいつの余裕は、よくある悪党が慢心して失敗する類のものではなかった。

 絶対に自分が勝てる状況を決して逃さない範囲での余裕。

 遊んでいるようで、こいつは誰よりも勝利に執着していた。

「ここで待っていたのもそうだぜえ? 戦場じゃあどこから撃たれるか分からねえから二人だけで楽しめないもんなあ。だからお前らの逃走経路を先回りして、こんな崖の上で待っていたわけだ」

 圧倒的自信とそれに驕らず計算しつくされた戦術。

 確かにこいつは強い。でも――、


「オレはタイマンなら誰にも負けねえ、どうするう? 一応右腕は残してやったが、もう少しオレと楽しむかあ?」

「……いや止めておくぜ。どうやら俺一人じゃあ、てめえに勝てそうにない」

「ほう、やけに諦めがいいなあ? まあ確かにこれ以上は楽しめねえか」

 あいつは今までと同じ様にゆっくりと俺との距離を詰めてきた。

 あの位置から正確に俺の左腕を撃ち抜いたんだ、近付かなくとも俺に止めはさせたはず。

 なのに近付いて来るのは、やはりあいつの勝ちに対する周到な拘り。

 俺が強硬手段に出れば即座に対応し、来ないのであればより確実に勝てる状況を作る。

 教科書(マニュアル)通りの戦い方を圧倒的な才能(センス)でねじ伏せる。

 あいつは自分の力を良く理解している。でも――、


「楽しむのはいいが、少し喋り過ぎだぜ?」

「ああん? 何だってえ」

「それと他人を過小評価し過ぎだ。俺は妥当だが――」

「なら最後に妥当な評価を下してやるよ。もうあんたは詰まらねえ」

 俺は目の前の色黒イカレ野郎に負けない精一杯の笑みを浮かべてやった。

「――ゴールデンアップルズは、お前が思うほど詰まらなくねえ」


 銃声が鳴り俺の体に真っ赤な血飛沫が舞った。


「……なっ?」

 だが鳴り響いた銃声は拳銃のものではなかった。

 何十発という銃声が目の前の人影を揺らした。

「あれくらいの壁じゃあゴールデンアップルズは止められないって事さ」

 何が起きたのか信じられないであろう状況をその身で直に味わい、目の前の男は最後に確認するように後ろを振り向きながら倒れた。

 そして俺はその後ろにいる小さな影をはっきりと視界に映す。

 その影は小さくとも頼もしいゴールデンアップルズの指揮官の姿だった。

「俺の――俺たちの勝ちだ。ざまあみろ!」



 それから藤咲と二人で、まだ下にいるメンバーの引き上げ作業を行った。

「なんとかここまで漕ぎ着けたな」

 俺は隣で息を切らしていた藤咲に声を掛けた。

「あ、当り前でしょ! 私が……私と、その、甜瓜ちゃんやみのりと育て上げた天使たちがいるんだから、まあ、その……あんたもね」

 暗くてよく判らんが少し藤咲の顔が赤く見えた気がした。

 それが息を切らしていた所為か、それとも別の要因かは判らないけどな。

「そうだな、それにしてもお前よくこの崖を登れたな?」

「努力!」

 ふんすっ、と鼻息を発した藤咲は、今日初めて笑みをこぼした。

「それに二人に協力してもらってやっとね。まったく面倒な進路を取ってくれたわね」

「悪かったな。でもやっぱり俺は信用ないのね」

「何よ、急に?」

「信じろって言ったのに無理しやがって、まあそれで実際助かったわけだから何も言えないけどさ」

「……一緒に」

「ん?」

「今度こそ私たちは一緒に戦うって、そう言ったから……」

 そんな事言ったっけかな、今日の俺のテンションはちょっとおかしいからな。もしかしたらどこかでそんなクサい台詞を吐いていたかもしれない。

「ま、いいか。それよりもう行こうぜ。また追撃が来るかも」

 俺は立ち上がり崖から離れた。

 藤咲も俺に続くように立ち上がり、そして――


 一発の銃声が木霊した。


「えっ……」

 目に見えない遥か後方からの凶弾。

 殆ど流れ弾のような一発が藤咲の脚を貫いていた。

 立ち上がろうとした体はバランスを崩し後ろに倒れる。

 不自然に力が加わった崖端が運悪く藤咲と一緒に崩れ落ちていった。

「藤咲ぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」

 咄嗟に駆け寄り離れていく藤咲の手を追い掛ける。

 藤咲は――、

「あっ……」

 俺に伸ばし掛けた手を引き戻した。

 手の向こう側に見えたあいつは微笑んでいやがった。


 馬鹿野郎がっ!


 頭が良くて状況判断にも優れたこの指揮官様は、今掴んだら俺も一緒に落ちてしまう事に気づいたんだ。

 誰よりも生きることに執着していたあいつが、この状況で微笑んだ理由はなんだ?

 もしかして自分が犠牲になることで俺を守れたとでも思ったのか?

 だとしたら俺なんかよりもずっと、ずっと正真正銘本物の大馬鹿野郎だ。


 これがゴールデンアップルズの毒林檎『ポイズンアップル』の選択した未来。


 動物、植物問わず、毒を持った生物でも全身に毒を持っている事は少ない。

 ある物は牙に、ある物は皮膚に、ある物は棘に、自らを守るために体のごく一部にその毒を持つ。

 その一部は命を守るために敢えて毒を持ち、他の犠牲となる。


 藤咲はゴールデンアップルズという命のために、自ら選び毒林檎となった。


 このまま藤咲が下に残されたらきっと命令を出すだろう。

 先に行けと……足を撃たれた自分はもう上がれないと、この状況下でもっとも正しい判断を下すだろう。

 あいつがこのまま落ちてしまったら……。


 そんなこと――させるかよっ!


 この撤退戦に入る前にした俺のある決意。

 それは藤咲の命令が俺にとって絶対に納得のいかないものだった時に一回だけ……あと一回だけ、あいつの命令を無視する覚悟。

 例えそれで藤咲が怒ろうとも、例えそれで藤咲が悲しもうとも、例えそれで藤咲が泣いてしまったとしても、俺は絶対に藤咲凛子を守ると心に誓った。


「……あっ」


 だから崖の下に飛び込んでも藤咲の手を掴んだんだ。

 ばかやろうが……さっきと今とで作る表情が逆なんだよ。


 体を半分以上も投げ出したので浮遊感はある。

 でも崖下に落ちてはいない。

 何故なら富良乃さんとみのりが支えてくれているから。


 無防備な体勢のまま格好の的になっている。

 でも悪魔から攻撃は受けていない。

 何故なら残った天使たちが、ありったけの弾幕を張り続けているから。


「これがお前の作ったゴールデンアップルズみたいだぜ」


 相変わらず表情選択は間違えてやがる。

 なんで目に零れそうなぐらい水を溜めてんだ。

 俺は力一杯、藤咲を引き寄せた。

「掴まれよ」

「……うん」

 藤咲は素直にしがみ付いてくれた。

 お互いの頬が触れ合って、その時に爽やかな林檎の香りも一緒に届いた気がした。

 崖の上によじ登る振動で藤咲の瞳から一滴が零れ落ちる。

 その一滴は頬から頬を伝い俺の口元にまで流れてきた。

 味のしない熱い涙……味がしない場合はどんな感情の時だったかな。



 崖の上に登り切っても藤咲は俺にしがみ付いたまま何も喋ろうとしなかった。

 まあ次に放たれるべき命令は俺にだって分かる。なにせ一つしかないからな。

「後は走り切るだけだ、行くぜ!」

 藤咲の代わりに最後の指示を出す。

 富良乃さんは笑顔で、みのりは頷いて、

 そして藤咲はしがみ付く腕に力を込めて俺に答えた。


 脚を撃たれた藤咲は俺がこのまま背負うことにした。

 この件について藤咲は何も反論しなかったので、勝手に了承を得たものと判断させてもらった。

 しがみ付いている力が弱まることもなかったし、個人的にも体に密着する藤咲のほのかな温かさや心地良い重みをすぐに手放すのは、一応思春期真っただ中の男子高校生としても惜しかったからな。



 最後に俺たちの前に立ち塞がった崖は、そのまま俺たちを守る壁になったようだ。

 悪魔たちの追撃はなくなり、撤退完了地点まで邪魔な障害は何もなかった。


 そう俺たちゴールデンアップルズの作戦は、ようやく成功したんだ。


 撤退完了地点まで残ったメンバーは九人。

 二十四人もいた天使たちはたったの五人にまで減ってしまった。

 手放しで喜べる被害状況ではない。

 それでも俺たち人は、四人全員確かに生き残った。


 この絶望的な戦場でも決して諦めずに、未来を信じて最後まで希望を失わずに生き抜いたんだ。



 撤退完了と判定された地点は森の切れ目だった。

 撤退戦を繰り広げた森の中とは気の持ちようの違いもあってか、満天の星空と幽かな月明かりに照らされた空間は神秘的な雰囲気を演出していた。


 命がけの戦いを終えた俺たちには、この景色が本当に美しい物に見えた。

 地べたに座り輝く星々を見上げると、硝煙に包まれていた時間がまるで夢現のように思えてしまう。


 どうやら俺たちは今回の戦場から撤退したことになっているが、それは戦闘エリアから脱出しただけであって、ここも天魔大戦のエリア内という扱いらしい。

 銃刀法違反全開のままなのだから当然と言えば当然だが、天魔大戦エリアの解除時間通知が届くまで、そんな事も忘れるぐらい、今ここにいる喜びを全員で噛み締めていた。



 普段なら藤咲がこの後の戦後処理をテキパキとこなしていただろうが、今回に限ってはそれも無理というものだ。

 何故なら藤咲は今現在も俺にピッタリと抱きついたままで、しかもこの場所に着いてからは声も抑えずに泣き出し、いくら時間が経っても泣き止む気配が無い。

 とりあえず立たせようとしたのだが、こいつはガッチリと俺に組み付いたまま中々離れようとしなかった。

 やっとのことで左腕だけでも剥がせたかと思ったら、今度はその左手を俺の右手にがっちり繋ぎ合わせてきた。

 愚図る赤ん坊のような藤咲との規模の小さな攻防の末、結局は正面に抱き抱える形になっただけで、今は俺の脚の上に乗ったまま、肩に顔を埋めて耳元で泣きじゃくっている。


 だから藤咲を戦闘服から制服に着替える時も俺が世話をしてやった。

 ボタン一つで終わってしまうので、脱がす着せるといったロマンを感じる事は一切無かったがな。

「ふふ、役得だね大くん」

「勘弁して下さいよ。どうすれば泣き止んでくれますかねぇ?」

「……ぷりてぃー」

 ちなみに俺は既にヘルメットは放り投げたが、他はボロボロになった戦闘服のままだ。

 あのイカレ野郎にスマホのド真ん中を刺されたからな。アプリどころか電源すら入らない。

 天魔大戦のフィールドが解除されても戻らなかったら、あの野郎どうしてくれようか。


 仕方がないので俺が伝えるべき事だけは、この状態のまま話すことにした。


 どうして俺がこの場所に来られたのかということ。

 ペンギン軍曹は俺の所為でもう来られないこと。

 ある程度は知っていたであろう、俺と藤咲の過去の関係について全部思い出したこと。


 ざっくりと簡潔にしか話さなかった。

 これ以上はまだ上手く話せそうにない。

 ペンギン軍曹の件は後でしっかり話さなくちゃな……。


「そうかぁ、うん分かったよ。じゃあ大くん、また部室で。凛ちゃんの事も宜しくね」

 富良乃さんはそう言ってくれた。

「ノックは忘れずに。それでは、ないとー」

 みのりも去り際に手を振ってくれた。

 五人の天使たちも俺に向かって敬礼をして消えていった。


 こうしてこの場所には俺と藤咲だけが残された。

 人がいなくなり静かになった世界で、藤咲の嗚咽だけが俺の耳に届く。

 繋いだ手と懐かしい声に、軽いデジャビュを感じていた。



 さて、泣き止まない女の子にはどう接したらいいだろうか。

 唯一自由な右手で頭を擦ってやったり、震える背中に軽く手を置いてやったりと、色々試してみたがどれも効果は薄かった。

 あと自分にできる事といったら――やっぱり話し掛けるぐらいだな。

 昔も今も変わらない。俺にできるのはたったそれぽっちのことだけだった。


「忘れていたよ、お前って泣き虫だったよな」

「……ばか」

 ただ昔とは違い少々捻くれちまったかも知れないがな。それはこいつだって少々――いや、かなり口が悪くなったのでチャラにしてくれ。

「りんごちゃん……だったんだな。ごめんな、ずっと忘れていて。お前に会っても思い出せなかった自分が本当に信じられねえよ」

「仕方ないわよ……辛い記憶は忘れちゃうものだもの……」

「そんなことねえよ。あの時の記憶は俺にとって辛いものなんかじゃ無かった。お前に会えた最高の思い出だ」

「わ、私も……私も辛い記憶なんかじゃなかったよ」

「そうか、嬉しいよ。でも一つだけ……その、お前に謝らないといけない事があるんだ」

「……何を?」

「……死んじまってごめんな。そのせいでお前に重たい十字架を背負わせちまったみたいで」

「そんなことない! 言ったでしょ、私も辛い記憶なんかじゃないって。私を守ってくれたことをそんな風に重たいだなんて感じたこと……無いよ。……大和は例え死んでしまっても私に力をくれたの、今でもずっとそう思っているよ……」

「ありがとう」

「……変なの、私の台詞よ?」

 まだ泣き止んでくれなかったが、少しずつ藤咲も落ち着いてきたようだ。

 俺も何だか今までで一番自然に話せた気がする。

 ……そういえば十年前もそうだったな。


「そうだ、謝る事もう一つ」

「……今度は何よ、どうせ大した事でもないくせに」

「名前だよ、『りんごちゃん』じゃなかったんだよな」

「……何だ、やっぱりそんな事か。別にいいわよ……その……嫌でも……なかったし」

「そうなのか? じゃあこれからはどっちで呼べばいい?」

「別にどっちでも……好きに呼べばいいじゃない」

「りんごちゃん?」

「ちゃ、ちゃん付けはちょっと……。うぅ、やっぱり今になってそれは……それに私って、りんごは別の渾名って言うか悪い印象が……」

「毒りんごの話か?」

「……やっぱり知っているんだ……」

「結構派手な事、仕出かしていたみたいだな。本当の事かは知らないけどさ」

「……たぶん全部本当の事よ。以前に聞いたことあるし……」

「……全部本当かよ」

「うぅ……」

「まあでも良いんじゃないか。どれも凛子に非があるような話でも無かっただろ? やり過ぎだと思える物もあったけど気にするなよ。その……何だ、あの噂が本当ならある意味安心もしたからさ」

「ど、どんな意味でよ……あ、今……」

「なんだよ凛子?」

「……っ! ううん、何でもない、何でもないわ……大和……」

 くうぅ、まずい! このままじゃあ俺がどうにかなっちまいそうだぁ。


「そ、そうだ、聞きたい事もあるんだけどさ、なんで天使たちはペンギンの姿をしてんだ?」

「だってペンギンは私を守ってくれるから……」

「ってことはやっぱり凛子が天使の姿を決められるんだな……」

「……全員じゃないわよ? 軍曹は初めからあの姿だったし……」

「なんであのオヤジは……いやその事はいいか。もしかして、あの時に俺が渡したぬいぐるみと関係あるのか?」

「うん……あの時もちゃんと私を守ってくれたのよ?」

「へぇ、そうなのか?」

「そうよ? うふふ、あははは、思い出したらまた笑っちゃった。あのペンギンったら面白い顔しているわよね。今でも部屋で見る度に笑っちゃうのよ」

「そうだったか? ていうことは今も持っていてくれているんだな」

「もちろんじゃない。ちょっとお腹に傷が残っちゃっているけど、部屋にちゃんと置いてあるわよ? そうだ、もう大和に返さないといけないよね……」

「別にいいさ、あれが凛子を守ってくれるならそのまま持っていてくれよ。その方が俺も、そのぬいぐるみも嬉しいだろうからさ」

「うん、ありがとう大和」

 どうやらあのペンギンのぬいぐるみには、今も昔も凛子の涙を止めてくれる不思議な力があるらしい。


 とにかくこれで凛子に本当に伝えたかった話ができる。

 これからは話す事はどさくさ紛れに伝えたくなかった。

 しっかりと落ち着いてから、きちんと凛子に聞いてほしかった。


「凛子……」

「なぁに?」

「俺が今ここにいる理由を話しておきたいんだ」

「みんながいた時に聞いていたわよ?」

「凛子にはもっと伝えたい事があるんだ。思い出したからさ……すぐにでも会いに行かなきゃって思ったんだ」

「……」

「思い出したんだ。お前との約束を……友達になるって、一緒に遊ぼうって約束したよな」

「ちゃんと聞いていてくれたんだ」

「当り前だろ? でもあの時は返事もできなくて、ごめんな」

「また謝るの? 大和が聞いていてくれただけで私は嬉しいよ」

「返事はできなかったけど、ちゃんと約束は交わしたつもりだった……でもその約束を俺は破っちまった。ごめん、凛子」

「謝らないでよ……」

「ごめん……あ、いや、その……ありがとうって言えばいいのか。でも凛子がそう言ってくれても約束を破ったことには変わらない。だからさ、もう一度やり直したいんだ」


 凛子は肩に乗せていた顔を上げた。

 俺の眼の前に真っ赤な林檎色に染まる目と頬をした、あの時の女の子が現れた。

 吐息すら掛かりそうな距離で、昔とは違う艶のある唇が悩ましく映る。


「今度こそお前との約束を守りたい。もう一度だけ、あの時の約束を交わしてくれないか?」

「……同じ約束は何度もしないものよ」

「同じじゃないさ、今度は俺から凛子に約束する」


 凛子は俺の命を重みに感じたことは無いと言ってくれた。

 でもここまで追い込んでしまったのは、やっぱり俺のせいなんだ。

 だからこそ、そんな凛子の手を掴んで一緒に歩いてやるのは、俺の役目なんだって思う。


「約束したよな。友達になって、一緒に遊んで、ずっと一緒にいるって」

「……それ、だけじゃない……覚えている? あの時の約束、全部……」


 俺は凛子の左手と繋がれたままの右手を二人の間に掲げた。


「やっとできたんだ、俺にも。ゴールデンアップルズで戦うための俺の生き続ける理由が」

「あ、あう……やま、とぉ……あぅ、ううぅ……」

 一度は止まったはずの雨が、俺の体にだけ静かに降り注いでいた。

「俺の戦う理由は凛子、お前との約束を守るためだ。そのためには凛子も俺も生きなくちゃいけない。それを叶えるには凛子のゴールデンアップルズに入ることが一番の道なんだ」

「う、うぅぅ……大和、やまとぉ……」


 大粒で止め処無く流れ続ける雨はとても――とても温かかった。


「俺には凛子、ゴールデンアップルズが必要だ。なあゴールデンアップルズに、俺は必要ないか?」

 凛子は首を横に振る。

「……何でも……私の命令……聞くの、よ?」

「了解」

「私の命令……破ったら許さないわよ?」

「了解」

「呼んだらすぐに駆けつけるのよ、十秒以内。命令が無い時は私の傍に居るのよ、一メートル以内。無理しないでよ。毎日部活に来るのよ。休みの日は遊びに行くのよ。教室にも偶には顔を見せに来なさいよ。お昼も偶にみんなで食べているのよ。少しぐらいなら私のお弁当食べてもいいのよ。感想ぐらいなら聞いてあげてもいいのよ。そうだ甜瓜ちゃんにえっちな事しちゃダメよ。みのりに変な事教えちゃダメよ。どうしてもっていうなら私と手を繋いでもいいわよ。それ以上はダメよ、絶対よ。あとは、あとは……」

「りょ……そんなに条件があるのか……」

「そうよ、私の隊は規律が第一なんだからね? まだまだあるわよ」

「うぐ……」

「だから絶対に……もう絶対にいなくならないでよ……」

「――ああ、了解だ」

 繋いだままの手はより強く結ばれた。


「ようこそ――未来を繋ぐ部隊、ゴールデンアップルズへ」


 藤咲凛子の笑顔に、黄金の林檎――そのものの輝きを見た気がした。



 俺が求める林檎はここにあったんだ。


 もう手放してはいけない。

 もう放り投げてはいけない。


 そっと手を差し伸べよう。


 いつか、きっと――きっと今よりも大きく美しく光り輝くだろう。

 その時には俺も輝こう――彼女に、その手に届くように。



第七章 ~ 手の届く場所 ~

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