回想6・凛子編 たとえあなたが忘れていたとしても
私は何でも一人でできる子だった。
物心がついた時にはもうママはいなくて、パパは仕事一筋で私と話す時も笑ったりはしてくれなかった。
親戚の伯母さんから聞いたことがあったわ。私はママによく似ているらしいって。
パパに訊いたことはなかったけど、たぶんそのせいなんだろうなって子供ながらに感じていた。
だから一人で私を育ててくれたパパにこれ以上迷惑を掛けたくないと思って、何でも一人で出来るようになろうって決めたの。お金だけはパパから十分に預かっていたから、電車もバスも一人で乗れるようになったし、お買い物だって一人でできた。
だからあの日も一人でお買い物に出掛けたの。
もう慣れていたから不安な事は何一つもなかったわ。
大きな地震が起きて……。
バスが横倒しになって……。
周りは誰もいなくて……。
これが本当の一人なんだって自覚するまでは……。
どうして自分だけが助かったかは分からない。
気づいた時には滅茶苦茶になった街の中で一人泣いていた。
一歩も歩くことができずに、私はその場で泣き続けた。
どのくらい泣き続けていたかなんて覚えていない。
でもずっとそうしていたら、不意に誰かに声を掛けられたの。
溢れても溢れても止まらない涙のせいで、その人の姿はよく見えなかった。
「どうしたの? 大丈夫?」
私はその言葉に、どう答えればいいか分からなかった。
だって誰かに助けてもらったことなんて……一度も無かったから。
だから生まれたばかりの赤ん坊みたいに、私はただ泣く事しかできなかった。
そんな私に、その人は手を差し出してくれた。
涙で一杯の目だったせいかしら、差し出された手がとても大きく見えたわ。
その手は私と然程も歳の変わらない、小さな男の子だったのにね。
でもその手は凄く温かくて、そして優しかった。
私はその日、初めて人の手の温もりを知った。
それから男の子に手を引かれて地獄のような世界を二人で歩いた。
私はまだ泣き止むことができず、肩を震わせてしゃくりあげていた。
そんな私に男の子は優しく声を掛け続けてくれたわ。
だから泣いてはいたけど、そんなに怖くはなかった。
それに目の前いる男の子の手を握っているだけで、とても安心できていたから。
「ねえ、君のお名前は何て言うの?」
私は自分の名前を告げた。
「そうかぁ、りんごちゃんって言うんだ」
泣いたまま答えたから、上手く伝わらなかったのかもしれない。
「あ、だからその髪止めもリンゴなんだね。凄くりんごちゃんに似合っていて可愛いよ」
でもそんな事はどうでもよかった。
初めて人から可愛いって言われた。
それが私自身の事なのか、それとも髪止めの事だったのか。今思い返してみるととても曖昧だったけど、嬉しいことには変わりなかったもの。
実は自分の名前もリンゴも、ずっと嫌いだった。
からかわれるとすぐ顔が真っ赤になって、いつもそれで名前と掛けてリンゴみたいって余計にからかわれていたから。
だからこの日は私がリンゴを好きになれた記念日。
嫌いだとずっと思っていたくせに手放さなかった二つのリンゴの髪止め。
ママが唯一残してくれたこの二つの髪止めは、この日私の本当の宝物になった。
「そうだ、りんごちゃん! これ、はい」
そう言って男の子が渡してくれたのは、白黒の身体をした変な鳥のぬいぐるみ。
動物園にも水族館にも行ったことがなかったから、この時の私はこのぬいぐるみが何か分からなかったけど、嘴があったから辛うじて鳥であることは判った。
「こいつがきっと君を守ってくれるよ」
どうして男の子がこれを渡したのかは分からない。
でも守ってくれると言われて渡された鳥のぬいぐるみは、ちょっと間の抜けた顔をしていて私は思わず笑ってしまった。
そんな私を見て男の子は気を悪くもせず一緒に笑っていた。
涙を止めてくれた白黒の変な鳥は、この日から私を守ってくれる騎士になった。
それから程無くして大きな余震が起きた。
私たちは近くの建物の中にあった大きな机の下に急いで隠れたけど、建物そのものが倒壊して二人一緒に暗くて狭い空間に閉じ込められてしまった。
閉じ込められて真っ暗になった世界でも、私たちはずっと手を繋いだままでいた。
だから私はもう泣いたりはしなかった。
体は動かせなかったけど、ぬいぐるみが私を守るように瓦礫との間に入ってくれていて、それほど痛みが無かったことも大きかったと思う。
でも閉じ込められてから、男の子はあまり喋らなくなってしまった。
だから今度は私が替わりに一杯喋ることにしたの。
でもそう思っても今まであまり人と話をしたことがなかった私は、緊張しちゃってうまく言葉が紡げなかった。
そうしたら男の子は、そんな私の手をギュッと握って言ってくれたの。
「大丈夫……聴こえているよ。りんごちゃんの、お話……ゆっくりでいいから、聞きたいな」
私の話を聞きたいって言ってくれる人なんて今までいなかったから嬉しかった。
それから夢中で話したわ。
全然ゆっくりになんて話せなかったけど声を出すたびどんどん気持ちが楽になった。
初めて気づいたわ。私って気持ちを声に出すことで、こんなにも心が落ち着くんだって。
今までずっと我慢して耐えることしかできなかったから、そんな自分がいるなんて思いもしなかった。
それでもちょっと緊張――ううん、照れって言うのかな。
そんな感情はずっと消えずじまいだったけどね。
だって好きになった男の子と話しているんだもの、女の子なら当然じゃない。
地獄のような世界で出会った男の子は、私の運命の王子様なっていた。
それから私は空腹と疲れで眠ってしまうまで、ずっと男の子の手を強く握っまま夢中で話し続けた。
男の子が黙って聞いてくれていたのを良いことに、自分勝手な約束もした。
だから気づかなかった……考えもしなかった。
男の子が何も話さなくなったことに――。
男の子の手が、私の手を握り返してくれなくなったことに――。
その手が……いつの間にか冷たくなっていたことに――。
真っ暗でも空間が存在していたのは、私が居た場所だけだったのに――。
次に目を覚ましたら、私は真っ白なベッドの上だった。
隣のテーブルには私の宝物が置いてあった。
隣の椅子には私の騎士が座っていた。
……でも私の手は何も掴んでいなかった。
私の王子様については、私を救助したという自衛隊の人に教えて貰えた。
最初ははぐらかされたけど、ぬいぐるみの騎士を返したいと言ったら微笑みながらも辛そうな顔で教えてくれた。
私の命は王子様が助けてくれた――男の子がくれた最後の贈り物。
この贈り物は、私一人だけの物じゃない。
あの男の子と私の、二人分の未来を生きる責任と意味がある――大切な二人の命。
回想6・凛子編 ~ たとえあなたが忘れていたとしても ~




