第10話 無知
恭仁京の縁者の藤堂総合病院に健司を搬送した上総達は、手術室の廊下で医者が出てくるのを待っていた。
上総の横に座っている壮介は難しい顔で腕を組み、口を開こうとしない。
重い空気に上総は身を縮め、時が過ぎ去るのをただ耐えていた。
今回の件は明るみに出ることはないであろう。
白い犬を左京達に任せて救急車を呼んだ後、上総は大老會會長の藤堂美舟に連絡を入れると、予想通りこっぴどく電話口で怒鳴られた。きっと、もうそろそろ黒服の護衛をぞろぞろと引き連れて美舟は父親の経営するこの病院にやって来る。
上総は頭を抱えた。
美舟は上総が何かをしてもしなくても、顔を会わせれば十中八九叱ってくる。その時間は苦痛以外の何物でもない。
それだけで大老會が上総を信用していないのが十二分に分かる。
『どうしたんだい? どこか怪我でも?』
壮介は頭を抱えた上総に声を掛けてくれた。
今日初めて会った子供を気に掛ける余裕など無いであろうに。
『ごめんなさい、怪我はないです。あの……』
はて、上総はすっかり目の前の男の名前を忘れてしまった。
『壮介だよ、立花壮介。下の名前で呼んでくれると嬉しい』
『は、はあ』
幼馴染みが心配でここにいるのだろうが、美舟の怒りの矛先を壮介に向けさせる訳にはいかない。
壮介は上総を助けてくれたのであって、困るようなことはされていないのだ。
あの時だって……。
白い犬を連れた男は簡単に壮介に打ちのめされ、敵わないと知るや否や犬を身代りにして逃げてしまったのだ。
上総から見ても壮介の内に秘めた力は相当だと思う。尚更あの男はその力を感じ取り不利と判断したのであろう。
では、この立花壮介は何者か?
確か如月健司の知古で、小説家と云っていたが。
『壮介さんは一体?』
そう、そこいら中に有能な陰陽師がゴロゴロいてはたまらない。
上総は国に認められた一族であるため公的陰陽師と云われているが、世間には大老會に所属していない陰陽師もいるにはいる。彼等は本職を別に持ち、正式な陰陽師でないことが殆んど。所謂『隠れ陰陽師』なんてざらといる。
しかし、壮介はその民間陰陽師でもない。
『親が陰陽師だってだけだよ。私は力はあるけど余り修行はしてない』
『そうなんですか? とてもそうは見えませんでした』
羨ましい、上総は思った。
それが顔に出てしまったのか、壮介が複雑な顔をして上総の頭を撫でてくれた。
健司もそうだったが、どうして頭を撫でるのか。
『君のことを健は凄く気にしていてね、それと頭の形が良いからついつい撫でたくなるって』
本当だね、とまた撫でられてしまった。
『私は目の前の友人を助けられるだけの力があれば充分だと思っている。君みたいにお家柄とか気にしなくていい立場なんでね』
『ご両親に跡を継いでほしいと云われないんですか?』
壮介は笑った。
『そうだね、云われたよ。何だかんだで、うちの立花家も一応は代々陰陽師してるからね。親だけじゃなくて親族にも五月蝿く云われた』
『代々って……有名なお家なんですか? 済みません、僕何も知らないで』
『ああ、いや、有名じゃない。だから云われはしたけど、しつこくはなかった。手に職を持ってしまえば、こっちの物だったしね』
成程、と上総は頷いた所で壮介の後ろにこちらへ歩いてくる異様な集団が目に入った。
『み、美舟お姉ちゃん……』
物々しい空気を醸し出す黒服の男達に護衛をされ、真ん中を優雅に歩く、着物で黒髪美人の女が鋭い目付きで上総を見ている。
『うう……』
蛇に睨まれた蛙状態の上総は首を竦めてしまった。
『遅くなって済まない、上総、大事ないか?』
『えっ!?』
思いがけない言葉に自分の耳を疑った。
『そこの者も、上総が迷惑を掛けた』
自尊心の塊の筈の美舟が壮介に頭を下げている。
『いや、私は何も』
壮介は美舟の生態を知らないからいつも通りの対応をしていたのだろうが、直後美舟は厳しい表情を作り上総に向き直った。
『しかしどういうつもりだ? お前はこの件に関わるな、と命令した筈だが。言葉が分からなかったのか?』
『あ、あの……』
言い訳は出来ない。
上総は美舟の云った通り、命令違反をし勝手に行動をとったのだ。
言い訳をした所で大老會會長が、そうかと簡単に許してくれる筈もない。
口ごもり俯くと、壮介が助け船を出してくれた。
『恭仁京君は居ても立ってもいられなかったようですよ。何せ自分の学校が例の事件に関係してくるから、怒られるのを承知で被害を食い止めようとしたんです。どんな凄惨な事件か知っているのに、勇気を出して来たんです。そこは称賛に値すると思いますよ、正義感がとても強い頼もしい子ですね。おかげで如月も命には別状ないんです。ありがとうございます』
にっこりと、壮介は満面の笑みを美舟に見せた。
『ああ、そう云えば、お互い自己紹介がまだでしたね? 私はしがない物書きの立花壮介と云います。不審な男に襲われた如月の友人です』
有無を云わせない壮介怒濤の畳み掛け攻撃に美舟は珍しくたじろいだ。
『……大老會會長の、藤堂美舟……』
『美舟さんと仰るんですか。お若いのにあの大老會の會長だなんて凄いですね』
すっかり美舟は毒気を抜かれてしまったようだ。
溜め息を吐いた美舟は、それで、と話を元に戻した。
『命には別状無いと云っても、重体に変わり無いんだろ?』
手術室の扉を見る。
『中学校の教師だと聞いたが、何者だ?』
『僕のクラスの副担任の先生です。えっと……』
助けを求めるように壮介を仰ぎ見た。
『如月健司は私の親友でね、彼は天涯孤独の身だから私達が家族みたいなものなんだが――』
言葉を止めた。
美舟が目を見開き驚いている。
どうしたのかと、上総と壮介は互いに顔を見合わせ首を傾げると、美舟は二人に背を向けた。
『……六徳会の気配を感じる。奴等が恭仁京を狙って動き出したようだ』
『りっとくかい?』
『恭仁京君は知らないのかい? 西の大老、東の六徳と呼ばれている』
『し、知りません。初めて聞きました』
知らない単語を今日一日で幾つもの聞いた。
何も知らないで『恭仁京の当主』を名乗っているのだと、そんなんで大老會の面々に憤っていたのかと、恥ずかしいを通り越して自分自身に絶望する。
『白い犬の飼い主は六徳会の者で間違いないだろう。上総、私は調べ物が出来た。被害者のことは任せる』
『え? あ、はい』
『立花の。医療費等は全て大老會が持つ。何かあれば上総を通してくれ』
『助かります』
黒髪を美しく靡かせ、美舟は颯爽と二人の前から去って行った。