第5話 聖女の休憩
まだ、のんびりしてます。
「大丈夫ですか?アンヌマリー、怪我などしていませんか?」
「ははい!大丈夫です、お方さま!」
へたりこんでしまったことに、羞恥と落胆を覚えながら、アンヌマリーは必死で立ち上がりました。
「周囲になにかいませんか?警戒を解いてはいけませんよ。」
「はい!お方さま!」
雑木林の周辺は、背の高いカヤの群生が合って、動物が姿を隠すにはちょうどよさげでした。
「にゃ、こいつめにゃ!」
馬車の方から、ミケの声がしました。
ばひゅ!
ミケの放ったクロスボウは、至近距離に迫っていたゴブリンを貫いていました。
「なんの気配もなかったのに、へんだにゃ。」
ミケは、ゴブリンを回収して、馬車をアンヌマリーの側に着けました。
まったく、この世界はのどかだにゃ~とか、安心はさせてくれません。
「回収できました、お方さま。」
「はい、けっこうですね。あ、ちょっと待って下さい。」
アンヌマリーのほほに、かすり傷がついていました。
「キュア、これでいいわ。」
「かたじけない。」
「いいえ、無事でなにより。」
アンヌマリーの腕に着いた丸いバックラーは、イノシシの牙につっかけられて、浅い筋がついていました。
「盾も、もう少し大きい方がいいかな…」
「あなたは攻撃主体なので、そのくらいでないと動きが悪くなりませんか?」
「ええまあ、もう少しだけおおきくしようかと。」
「そうですねえ、もう少し様子を見ましょう。」
「はあ…」
幌の中では、よく眠っているアンジェラを、ベンが必死で守っていました。
「ベン、もう大丈夫ですよ。」
「はい、お方さまはすごいなあ、こんな遠くから猪を倒すなんて。」
「お方さまは、聖女でもあるけど、一年も旅をしたから、魔物にも負けないにゃ。」
「一年?」
「王都と、ガイエスブルクは、そのくらい離れていたのにゃ。」
「へえ~、ガイエスブルクってどんなところなの?」
「そうだにゃ、横に海があるにゃ。」
「海?ってなに?」
「見渡す限り、水なんだにゃ。」
「見渡す限り水?でっかい池みたいなもんか?」
「そうだにゃ、ものすごくでっかい池だにゃ。その上、水が塩辛いにゃ。」
「ほえ~、塩辛い水!」
「ミケ殿、それは本当のことなんだろうか?」
話にアンヌマリーも参加してきた。
「まちがいないにゃ、なめてみたにゃ。」
「見渡す限り塩辛い水…」
「レーヌ川は向こうがかすむくらい広いにゃ?」
「ええ、広いですし、水も多いです。」
「それでも、淡水で辛くないにゃ。」
「そうですね。」
「海は、その何十倍の幅があるにゃ。」
「それは、泳いでも向こう岸に着けないと言うことですか?」
「そうだにゃ、レーヌ川に浮かべるボート程度では、とても渡れないにゃ。」
「では、どのくらいの船を使うのでしょう?」
「お屋形さまは、差しわたし二〇〇メートルはある舟を建造しているにゃ。」
「にひゃく?」
「すげえ、それで向こうに届かないのか?」
「ベン、そのくらいでは届きませんよ。深さも、レーヌ川は深いところで三〇メートルですが、海ではその何十倍も深くなります。」
「じゃあ、足がつかなくて、おぼれちゃうよ!」
「そうですね、海で流されたら、どうしようもありませんね。」
「ぶるぶる、そんなところには行きたくないなあ。」
ベンは、若干蒼い顔をして言いました。
「あら、海のお魚はおいしいですよ?」
「おかたさま、本当ですか?」
おいしいと聞けば、子供の興味はそちらに移るようです。
「ええ、川の魚も美味しいですが、それとは違ったおいしさがあります。」
「それは食べてみたいです。」
「うふふ、王都に帰ったら、一度行ってみましょうね。」
「はい。」
ベンは、明るく答えました。
畑の続く丘陵地は、ビエルゾン子爵の努力が実ったものなのでしょう。
少々のウサギやイノシシには、負けない領民のしたたかさのようなものが見えます。
「鹿嶋発ちの人たちが少ないんでしょうか?旅人がいませんね。」
「そうですね。」
アンヌマリーも、首をひねっていますが、みなさんより一時間ほど早く出てしまったようです。
休憩地点で、パリカールを休めせていると、大きな馬車と護衛を五人も連れた商隊がやってきました。
「これは聖女さまではありませんか!」
「あら、ロヴェルさん、あなたも旅に出ていたのですか?」
「はい、ベリー地方の都市を回ります。次はブールジュです。」
「では、途中までいっしょですね。」
「おお、それはありがたい、聖女さまがご一緒とは、縁起がいい!」
「私は、福の神ではありませんよ。」
ティリスは、若干怒ったような顔をしました。
「わっはっは!」
豪快に笑うロヴェルは、王都の商人で遠方への商いで一財を築きました。
ビエルゾンからブールジュ、ノロンデス、ラ・ゲルシェ・シュール・ロボワを経て、ネベルが最終地点です。
「聖女さまは、どちらへ?」
「はい、私たちはクレルモンフェランの山岳修道院へ巡礼します。」
「おお、クレルモンフェランといえば、修道院に行くまでに険しい山道を登らねければなりませんな。」
「ええ、それが巡礼の修行と申すもの。」
「まさにまさに。これは、聖女さまに喜捨でございます。」
「まあ、かようなことはご遠慮くださいませ。」
ティリスは、軽く手を出して拒否の姿勢。
「いえいえ、女神オシリスのご加護の御礼でございますよ。」
「かしこまりました、ではありがたく。みなさまに、オシリス神の加護がありますように。」
ティリスが聖印を切ると、光のエフェクトが広がって、商隊を包みました。
「おお!これはありがたい!みな、聖女の祝福をいただいたぞ!」
「「「おおお!」」」
商隊の面々は、歓喜の声を上げました。
焚き火を囲んで、昼ごはんの準備を始めました。
「私たちもいただきましょうか。」
「はい、お方さま。」
「はいにゃ。」
ミケは、皮袋から先ほど捕れた、ウサギを出して解体しました。
フライパンを暖めて、ゆっくりと焼き始めます。
アンヌマリーは、薬缶を出してお湯を沸かし始めました。
「では、私はスープでも作りましょうか?」
「お方さまは、子供たちと待っていてくださいにゃ。」
「でも…」
「まあ、手持ち無沙汰なら、その辺を回ってきてくださいにゃ。」
ティリスは、しかたなく子供たちの手を引いて、休憩所を回りました。
学校の教室ぐらいの広さしかない、道端の休憩所ですのでそれほどの時間もかけず、周囲はまわれてしまいます。
「おや、どうされましたか?」
見れば、商隊の若い男が、青い顔をして座っていました。
「はあ、今朝から腹具合が悪くて…」
「それはいけませんね、キュア、これでどうですか?」
「気分は良くなりましたが…」
「それは重症ですね、ヒール、これでどうですか?」
「あ、おなかの痛いのが治りました。」
「それはよかったですね。」
「聖女様、ありがとうございます。」
青年は、しきりに頭を下げながら、商隊に戻っていきました。
彼は、仲間から冷やかされて、顔を赤くしています。
「お方さまはすごいなあ。」
ベンは、顔を上げてティリスに聞きました。
「あら?どうしたの?」
「お話しながらでも、治癒魔法が使えるんですか?」
「そうですね、それほどむずかしい術式でもありませんし、魔力も減りませんよ。」
ティリスは、休憩所のすみに、白い紐のようなものを埋めていました。
さっきの青年のおなかの中にいたんですね。
「そうなんですか?」
「そうですよ、キュアなんか思っただけで使えますし、口に出すのは相手に認識させるためですよ。」
「ほえ~。」
「そのうち、ベンにも魔法が仕えるようになったら、わかります。」
「かあさま、アンジェラも?」
「ええ、アンジェラは、お父様からいただいた魔力が強いので、今は抑えてもらっているのです。」
「お方さま、それはどういうことですか?」
「ええ、アンジェラは大人より魔力量が多いので、暴走しないようにお屋形さまが、制御の魔法をかけています。」
「制御の魔法…」
「そうしないと、魔法が暴走して周りが破壊されてしまいますからね。」
「へえ~、アンジェラはすごいんですね。」
「アンジェラすごい~。」
アンジェラは、えっへんと胸をそらしました。
「すごいすごい。」
「じゃあ、着火の魔法を使ってみましょう。」
「はい。」
「着火の魔法は、指先に火が出るところを想像してから使うのです。」
「火がつく?」
「ろうそくの炎を思い出して。」
「はい…思い出しました。」
「では、それが指先に灯るように想像するのです。」
「指先…」
ぽんっと音がして、ベンの立ち上げた人差し指のさきっぽには、小さな炎がありました。
「できた!」
ぽふ
声を出したとたんに、火は消えてしまいました。
「ほかごとを考えると、消えてしまいますよ。」
「はい~。」
ばほん!
大きな音がしたので、ティリスが振り向くと、アンジェラの指先からは一メートルも炎が吹き上げていました。
「アンジェラ!」
「ほえ?」
ぷしゅ~っと炎が消えます。
「アンジェラは、大きすぎます。」
「うう、小さくできない。」
「練習しましょうね。」
「はい、かあさま。」
「アンジェラすげえ~。」
ベンは、アンジェラの炎の大きさに驚いてしまいました。
「アンジェラの炎が大きいのは、魔力が強いから?」
「そうですよベン。潜在魔力に比例します。」
「潜在魔力?」
「人間が体の中に持っている魔力のタンクのようなものです。」
「へえ~、じゃ僕のは小さいんだな。」
「いいえ、これからの練習しだいで、大きくも小さくもなりますよ。」
「そうなんですか?じゃあ、練習します。」
「そうなさい。」
昼ごはんがすんで、みなめいめいに休息をしています。
陽は中天にあり、今日も暑さはきつくなってきました。
「さすがにこの暑さは、こたえますにゃ。」
ミケは、空を恨めしそうに見上げます。
「そうですねえ、カルカン族にはちょっときついですねえ。昼からは私が御者をしましょう。」
「そそ、そう言う訳にはいきませんにゃ。御者は、ミケの仕事ですにゃ。」
「困ったわねえ、では帽子を編みましょう。」
「帽子ですかにゃ?」
「ええ、草をこう集めて、ちょいちょいと重ねていくと、ほらほら、こんな感じで…」
ものの三〇分ほどで、ひさしの大きな麦藁帽子が出来上がりました。
まあ、雑草で編んでいるので、草帽子なんでしょうか?
「どうです?きつくありませんか?」
「ちょうどいいですにゃ。」
「では、それをかむって御者をすると良いでしょう。」
「お方さま!かたじけないにゃ。」
「はい、どういたしまして。」
「お方さま、私にも教えてください!」
アンヌマリーは、不器用なりにそれを克服しようと、いろいろやってみるのですが…
「いいですよ、ベンもアンジェラもやってみましょうね。」
キャラバンでは、ミケのかぶる緑色の帽子はセンセーションだったようです。
まあ、被り物なんて庶民は、ほっかむりくらいしか知りませんからね。
キャラバンのリーダーのロヴェルさんは、立派な布の帽子をのせていますが。
この暑い日差しの中、顔全体が陰になる大きな草の帽子は、うらやましいですね。