1-3.日常の崩落
「じゃあ、また明日学校で」
四人分の影が四方に散る。
街頭に照らされた影は、一人を残して思い思いの方へと消えていった。月に照らされた路面が不安げに見える。
「一人かあ」
栗栖京子が独りごちた。
先ほどまでの盛況とは一変した静謐さに違和感を覚えた。徐々に寂寥感が体を蝕んでいく。
「帰らないと」
せり上がった不安を払拭するように発破をかけ、彼女は踵を返した。
場所は駅前。カラオケ店からはほど近い位置にある。三人は電車に乗って帰るが、栗栖は違った。この駅こそが、彼女の最寄り駅なのだ。
彼女の自宅は徒歩で十数分のところにある。
栗栖は名残惜しそうに駅構内を一瞥し、歩き出す。
駅から吐き出される人ごみの中を縫うように移動し、雑音を背後に捨て去った。そのまま少し歩けば、僅かに聞こえてくる音も閑散としたものに変わる。
気付けば周囲には誰もおらず、彼女の足音だけが辺りに響いている。残響が耳を打つ。先ほどまで賑やかに騒いでいた分、孤独が身に染みて寂寥感が溢れそうになってしまう。
「楽しかったなあ」
夜空を仰ぎながら、京子が呟く。脳裏につい数刻前までの光景を思い描き、口元が柔らかく持ち上がった。
「真白くんと敦彦くんの勝負は面白かったなあ。真白くんが歌うとは思ってなかったし、まさか勝つとも思ってなかったよ」
悔しげに叫ぶ敦彦の姿が思い出される。僅差で負けたのだからその悔しさは一層深いだろう。
今日という日の思い出を胸に、京子は帰路を歩いていく。
「お父さんとお母さんにも話してあげよ」
上機嫌に歩を進め、やがて自宅の前にたどり着く。チャイムを鳴らさずに、懐から鍵を取り出して扉を開け、そこで違和感に気付く。
「あれ、明かりが点いてない……」
玄関だけでなく、家の中すべての場所で光源が絶たれていた。微かな不安が胸中を過る。
「もう寝てるのかな……」
ただいま、と出かかった言葉を飲み込み、静かに靴を脱ぐ。カタン、と少量の音を残して京子は居間へ足を伸ばす。
居間もまた、ぬばたまのような黒い闇に覆われていた。視界は悪く、足元もおぼつかない。居間に足を踏み入れるのと同時に、妙なにおいが鼻をついた。汚臭というには程遠いが、変に甘い香り。何故か本能が忌避している。思わず足を止めてしまうが、夕食を食べていないことを思い出し仕方なく足を踏み出す。視界も次第に慣れてきた。
朧げながら見える視界の中、手探りで照明のスイッチを探す。慣れている手つきで照明を点けると、安心感からかいつもの言葉が口をついて出た。
「はぁ、ただいまー」
返事が来る筈のない言葉。ただ日常的に繰り返してきた言葉の遣り取りによって生じた反射。そのことに気づき、返事などないと理解した彼女の頬が崩れる。自嘲するような笑みを浮かべた彼女は、キッチンへ向かおうと――。
「よう、おかえり」
返ってくるはずのない返事がきた。
反射的に体が音源へと向く。聞いたことのない声に全身が総毛立つ。
背後に立っていた人物が目に入る。その姿は、非日常を象徴するように黒かった。
「随分と遅かったじゃねえか」
眼前の女性が獣のように獰猛に笑った。
女性は所謂パンクロックな黒を中心とした服を纏っていた。腹部を覆う布はなく、上半身から下半身までの身体のラインが露骨に晒されている。顔立ちは整っており、黒の短髪の下の双眸が炯々と輝いていた。頬には星形の入れ墨がつけられており、相貌はとても美しいのに何故か卑しさが拭いきれない。
「あ、貴方は……?」
突如として現れた人物に対し、言葉を上手く紡げない。京子の思考が空回る。しかし、彼女は京子が何を言いたかったのか理解できたようで、野卑た笑みを口元に浮かべた。
「あたし? ああ、あたしは……」
紡がれる言葉は、俄かに信じがたいものだった。
「魔女だよ」