1-2.日常の崩落
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
――けたたましい音と共に照明が躍る。
暗転する視界、明滅する現実が目に入る。
伸びきった影が腰元のテーブルを蹂躙していた。濃い陰影は耳朶に触れる男の声に同調するように伸び縮みしている。激しい洋楽が耳を劈く。呼応するように男の声量が上がり、少女たちの歓声が上がる。
全くもって喧しい。煩わしい。姦しい。例えそれがこの場に相応しいものであるとしても、僕にとっては不快でしかない。
脳裏に敦彦が言った言葉が想起される。
――折角だからさ、高校生らしいことをしようぜ?
学生らしさ、らしいことの定義など曖昧に過ぎる。辞書を引いても出てこないし、これといったものも存在しない。そんなふわふわした提案に乗ってしまった女子二人――延いてはバーターである僕は、敦彦に連れられてカラオケに来ていた。
どうやら敦彦の中でのカラオケとは、学生らしさと等記号で結び付けられる存在であるらしい。唯々諾々と付き従ってきた栗栖さんと藍華のイメージも同様のものと見ていいだろう。
上記のような経緯で現在、僕らはカラオケ店の個室で大騒ぎしているわけなのだが。
僕は僕という存在に強烈な違和感を禁じ得ない。僕という一個人がこのような場所に来ていることに激しい異物感を覚えてしまう。
慣れないということもあるだろうが、感覚的に部屋や雰囲気の方から僕を拒絶しているといった方が正しいだろうか。ここにいる皆と、壁一枚隔てたような感覚が拭えないのだ。
……寂寥感はない。戸惑いは……少し。突然この場面に放逐され、若干驚いている。普通に生活していれば、来る機会のない店だ。況してや、大勢でなど。
かと言って、この貴重な機会にみんなと騒ごう! とか、この機を無駄にしないようにしよう! や、これを機に遊ぶことを覚えようなどという考えは一切ない。
しかし、珍しいことであるのは確かなので、少しくらいは脳裏に焼き付けておこうと思う。
僕は安っぽいソファーに背を預けた。僅かに軋む音が聞こえた。相も変わらず敦彦の声が聞こえる。女子二人の合いの手も。重い瞼を微かに持ち上げれば、楽しそうに歌う敦彦とタンバリンを打ち鳴らす女子の姿が見える。その背中は種々雑多と変遷する極彩色の光に彩られていた。
「楽しいね」
不意に、栗栖さんが笑いかけてきた。彼女はタンバリンを片手に僕の隣に座り込む。
「そうだね」
水を差す道理はない。僕は無難に返した。栗栖さんは笑いながらタンバリンを振っている。
「みんなでこうやって集まれるのも、平和だからだよねえ」
「うん」
世界全体から見れば、魔女との戦争を繰り広げている国は多い。決して平和というわけではない。ただ、日本に飛び火していないだけだ。戦線が拡大すれば、その影響は日本にも波及するかもしれない。だが、専門家も国も誰も日本が被害を被ると思っていない。理由は単純だ。
「日本は弱いからね。だから平和なんだよねえ」
日本は武力をもたない。日本に魔女が求めるほどの価値もない。そんな国を魔女が相手にするわけがない。
負け犬根性が骨の髄まで染み込んでいるのだ。何の根拠もない平和が続くと思っている。それが日本国民の総意だった。
……一部の人間はそうは思ってもいないようだけど。国の上層部でも、危機意識を覚えている人たちがいる。
だが、彼らにできたことは、精々が 教育上に於ける体育を護身術に置き換える ことくらいだった。本当は、戦争に向ける用意をしたかったに違いない。そうしなければならないからだ。
思考を落ち着けるために、グラスを手に取り口付ける。透明なグラスから汗が滴った。
カフェインの入った麦茶が脳髄まで突き抜ける。五臓六腑に沁み渡る快感。思考がリセットされる感覚がした。
「……そうかもね」
栗栖さんの問いに僕は頷いた。何度現実を見直そうと世界は厳然と変わらない。
のほほんと栗栖さんがほほ笑む。僕を気遣っているのだろうか。
「ずっと続いてほしいよね」
「え?」
「平和がずっと続いたらいいなって。そしたらまたみんなでカラオケ来れるし、素敵なことだよ」
僕は努めて平静を装う。苦虫を噛み潰したような表情を一瞬で取り繕った。
なんて返答したらいいか、一瞬分からなくなってしまった。
僕は知っている。
こんな――
「へい真白!」
――思考が中断される。
「何?」
「勝負しようぜ! ほら!」
敦彦が指し示す先には、テレビ。いや、その画面に92点と映っていた。
歌唱力が点数で評価されるのか。
というか、普段の成績は悪いのにこういうところでは優秀なんだな。
「好きな曲入れろよ。んまあ? 俺には勝てないと思うけどぉ?」
敦彦があからさまな挑発をかましてくる。
横に座る栗栖さんを一瞥する。
……気分転換には丁度いいか。
「敦彦」
「ん?」
「マイク、よこして。手本を見せてあげるよ」
そう言って、僕は薄く笑った。
敦彦は一瞬拍子抜けしたような顔をして、直ぐに好戦的な笑みを浮かべた。
「おし、やってみろよ!」
マイクを受け取る。背後に聞こえる、真白が笑っただの、嘘でしょ? などと言った言葉を置き去りにして立ち上がる。
視線を感じ、僕を見上げる栗栖さんと目が合う。
「真白くん、がんばれ~」
先の話などなかったかのように彼女は笑った。実際、彼女にとってはどうでもよく、他愛もない、ありふれたひとつの会話に過ぎないのだろう。
だけど僕は、口を開く。先の言葉に答えるため。
それは、自分に対する言葉に等しかった。
「栗栖さん」
「ん?」
エゴのままに言葉を吐く。
「このまま、ずっと平和は続くよ」
栗栖さんは表情を変えずに、うんと頷いた。
僕は知っている。
こんな――
こんな平和は、長続きしないことを。