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魔女戦線  作者: 結城紅
プロローグ 魔女の目覚め
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0-2. プロローグ 魔女の目覚め

「さて、次はどんなものを見せてくれるのか……」


 一本道は終わり、最奥のアーチを潜る。途端に、濁声が聞こえた。


「ハァッ……ハァッ……!」


 濁声と叫び声の音源にたどり着いた。欲望を散らかす音が耳朶に触れる。

 そこは、小さな小部屋だった。少し開けたスペースの先に、横長の牢獄が姿を見せている。辺りは煤け、埃の臭いがした。それに混じるように、微かに血の匂いもする。


「ひぅっ……!」


 怯える声がした。続くように、鋭い音が響く。

 ――牢獄の中央に、少女がいた。年端もいかない、幼い少女だ。全身に痛ましい傷を負い、垢に塗れた顔面を苦痛に歪ませている。

 本能が揺さぶられた気がした。


「このっ! 醜い家畜がッ!」


 生皮が裂ける嫌な音がした。少女に鞭が振り下ろされている。呆然と視線を上げれば、館の主の姿が目に入った。


「ジャンさん?」


「……ッ!?」


 現実を再確認するように言葉が漏れた。鬼の形相でジャンが振り返る。双眸が血に濡れていた。瞠目する瞳が細められ、でっぷりとした顎が持ち上がる。


「ミスター本条、貴方も人が悪い。こんなところに来てはいけませんよ」


「プライバシーの侵害については謝罪しましょう。ですが……」


 言葉を区切り、背後を見遣る。血の匂いがまだ鼻にこびり付いている。血潮が上がる様が脳裏に浮かんだ。嬉々として凶器を振り回すジャンが容易に想像できる。


「ですが?」


「……」


「ですが、なんです?」


 ジャンはさも何もやっていないかのような口振りで言う。いや、違う。実際に、彼は何もやっていないのだ。罪の意識がなければ、どんな行為も須らく等しい。だから、間違いを犯していることに気付かない。

 聖夜の常識と理性が警鐘を鳴らす。彼の狂気は自分を殺しかねなかった。

 ジャンの血に飢えた双眸が聖夜をねめつける。


「それで、どうでした?」


「どう、とは……?」


 ジャンは答えない。ただ、獣のように細められた双眸が聖夜を睨みつけている。

 理性と常識が、無難な答えを弾き出そうとする。だが、その直前で眼前の男の殺気に気付く。彼は、実直な感想を求めていた。それ以外の解答は認められない。


「……素晴らしかったです。世界各国の美術展を渡り歩いても、あれほどの感動には出会えないでしょう」


 そう、まるで世界最高峰のギャラリーでした。締めの言葉の端に充足感が滲み出た。


「そうですか! 分かりますか!」


 初めて同志を見つけたのだろう。ジャンは素直に歓喜を現す。殺意を抱いた表情は砕け、相好を崩す。会談のときのような、柔和な笑みが浮かんだ。だが、それは狂気の笑みだ。


「では、これを見てください」


 これ、と少女を指す。


「……あ」


 少女が聖夜を見上げる。ぼやけた瞳が聖夜を映す。逆境の中にありながらも、その瞳は美しかった。恐らく、聖夜が見てきたものの中で一番美しい。

 ――全てを捧げたくなるほどに。


「これはね、魔女なんですよ」


「魔女……?」


 思い起こされるのは一冊の本。魔女の教典。直ぐ横の台に、それは置いてあった。

 本を手に取る。


「貴方も気になっていたでしょう。先ほど私は、そんなものはただの伝承だと言いましたが……いえ、実際に伝承なのですが、実在するのですよ。魔女は」


 そんなものはいないと吐いた言葉は嘘だったという。俄かに信じられないことだが、得心がいく。その美しさと、聞こえる筈のない声に。


「そうか、やはり君が私を呼んでいたのか……」


 魔法、なのだろうか。聖夜の頭中に、童話に出てくるような魔女が想起される。彼女たちは、魔法と呼ばれる外法の術をつかって主人公を苦しめていた。

 だが、現実に苦しんでいるのは魔女だ。

 聖夜の独白に気付くことなく、ジャンが凶器を手に取る。


「これにですね、人権はないのですよ。魔女は人間じゃない。昔の罪を背負いながら生きていくしかない、家畜同然の存在ですよ」


 握る鞭の具合を確かめながら、ジャンは続ける。


「世界には未だに魔女が跳梁跋扈しているんです。生き残りも多い。私の趣味はですね、そんな愚物どもを捕まえて裁くことなんです」


 ジャンが恍惚とした表情で語る。彼は自身の行いを正義だと陶酔している。悪を正義と履き違える利己的な思考に愚かさを覚える。


「だからですね……」


 ジャンが鞭を振りかぶる。少女の顔が悲痛に歪んだ。


「こんなことをしても! 罪には問われないんですよ!」


 宙に鞭が走る。撓んだ鞭が鋭利な音を響かせながら生皮を裂く。付随するように、叫喚が迸る。鞭を振るう手は休まない。それどころか、一層激しさを増す。

 ジャンの脂汗が散る。発汗量が凄まじい。聖夜の視界がぼやけていく。

 ……果たして、アレ(ジャン)は必要なのか?

 確かに、彼が美しいものをつくったことは事実だ。ある種の猟奇的な芸術性は魅力的でもある。だが、しかし。

 

 彼女以上に美しいものは見たことがない。



「はぁ……はぁ……。大分丈夫ですねぇ。普通はここらへんで壊れる筈なのですが」


 鞭を下ろし、肩で息をつく。視線の先の少女はぶれることのない視線を聖夜に送っていた。

 私に何を伝えようとしているんだ。言葉が喋れないというわけでもあるまい。

 普通に考えるならば、それは、助けてほしいという意なのだろう。だが、少女にそのような意思は見られなかった。


「さぁて、壊れるまで続けるとしましょうか!」


 再び鞭が振るわれる。血潮が空に花弁を咲かせる。それは毒々しく、薔薇を連想させた。

 皮を裂かれる度、彼女は鳴き声を上げる。悲痛だが、それ以上に何かがあった。

 見れば、彼女は懐に何かを抱えていた。


「それは……?」


「ああ、それはですね。これの母の遺骨ですよ」


 ジャンは鞭を振るう手を休め、歪んだ趣向を語る。


「これには、私が手ずから母こそが神だと教えたのです。よく慕っていましたよぉ。だからこそ、それを壊したときの表情は見ものでしたねぇ。今は、私がこれの神です」


 ハンカチで絶えず流れる汗を拭きとりながら、ジャンは嗤う。同意を求めるように、媚びへつらうように、賛意を欲するように、嗤った。瞬間、聖夜は理解した。

 彼はただ、自分の欲求に満たしているに過ぎないと。そこに、芸術や美しさなんてものはない。そもそも、追求されていない。途端に全てが色褪せた。


「……」


 少女がじっと聖夜を見つめる。爬虫類のように、その目は微動だにしない。


「お客様にそんな汚らしい目を向けるな! ……もう一度抉ってやろうか?」


 感情の起伏が激しい。ジャンは突然怒りを見せたかと思うと、少女の顎を掴んで揺さぶった。前髪で隠れていた片目が露わになる。

 聖夜は思わず息を飲んだ。

 自重のままに、少女が前傾姿勢のまま項垂れる。両手は天井から伸びる拘束具に縛られている。


「いかがでしたぁ?」


 いやらしい笑みを浮かべながらジャンが揉み手をする。称賛を求める動作に吐き気がした。

 鮮烈な怒りが強く臓腑を焼く。殺意と憎悪を禁じ得ない。視界が真っ赤に染まる。


 ――少女に、片目はなかった。


 片目がある筈の位置には、ただ無窮の闇を映す鏡しかなかったのだ。眼窩を直視した。必要なものが欠けている。そこに芸術性を見出すものもいるかもしれない。だが、聖夜にとって神聖なものを汚され蹂躙された気しかしなかった。


「盗人猛々しい」


「え?」


「貴方のした行為は、世界一美しい芸術品から彩を奪うようなものだ」


 バランスの取れていた美しさを天秤ごと捻じ曲げるような、汚穢じみた愚行だ。

 それでも彼女は美しい。だが、彼は許せない。

 聖夜がジャンとの距離を詰める。


「貴方に彼女はどのように映りますか?」


「か、彼女……? あ、ああこれか。ただの家畜だろう? 存在する価値もない」


血が滲むほど、拳を握る。

威圧されたジャンの挙動が愚かに映る。彼は同意を得ようと必死だ。


「私には、至上の美女に見えますよ。やはり、貴方と私とでは違う」


 少女が息を飲む音が聞こえた。

 聖夜の目が細められる。双眸に明確な殺意が滲む。殺意を孕んだ目は、ジャンを射殺すほどに冷たい。

 ジャンが後ずさる。本能的な恐怖が彼を支配した。鞭を握る手が湿る。全身の発汗が止まらない。

 高らかに靴音を鳴らしながら、聖夜が接近してくる。ジャンの瞳が痙攣するように揺れた。

 彼我の距離が数歩分のところに至る。ジャンは後退しようとするものの、壁面に背が衝突し、かなわない。死が脳裏を過った。


「価値がないのは貴方の方だ」


 一歩、詰める。


「貴方は、要らない」


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