魔王さまと勇者さま
むかしむかし、あるところに暴虐非道の限りを尽くす魔王さまがいました。人間とたいそう仲が悪く、争いばかり起こしていました。
魔王さま率いる魔族の軍勢は強力で、その戦いに人間たちは疲弊していきました。
そんな中、人間の中からとびきり強大な力を持つ者が現れました。様々な戦場で一騎当千の働きを見せて魔族を苦境に追い込むさまを見て、人間たちは彼のことを勇者さまと呼び崇めるようになります。
やがて、勇者さまは魔王討伐を決意します。このままではいずれ人間たちが魔族にやられてしまうからです。
そうして旅立った勇者さまは多くの試練を乗り越え、また各地で仲間を増やしてついに魔王さまのいるお城にたどり着きました。
魔王さまの側近たちも勇者さま一行に襲いかかりますが、さすがは勇者さま、鎧袖一触してしまいます。そうして魔王さまのいる玉座へとたどり着きました。
「ついにここまで来たか、勇者よ」
魔王さまは淡々と勇者さまに呼びかけます。一方、
「これまでお前に散らされた命たちの無念、とくと思い知れ!」
勇者さまは魔王さまへの感情を抑えられません。
それを見て魔王さまはまあ待て、と勇者さまを宥めつつ
「世界の半分をやるから我らのもとへとくだらないか」
と持ちかけました。
当然勇者さまは反対します。しかし、魔王さまも如何に人間が愚かなのかを、魔族に対する人間の惨たらしい所業の数々やそれに対する魔族の憤りを、それに対して如何に魔族が優れているかを滔々と説明しました。
「ここまで来ることができるのだからお前は優れた戦士なのだろう、だがそれに対して人間たちはなにかしてくれたのか」
と魔王さまは勇者さまを説得しました。
勇者さまは戸惑いましたが、よく考えると人間は自分と同じ種族であるというだけでなにかをしてくれたわけではありませんでした。
そうして魔族へと寝返った勇者一行は魔王さまとともに人間を攻め滅ぼし、勇者さまは広くなった魔族領で娶った魔族の娘と共に末長く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。
「なんだ、この結末!」
俺は持っていた絵本を床に叩きつけた。
「ひどいなあ、僕が昨日徹夜で作った絵本なのに」
なにが不満なんだい、と絵本を床から拾い上げているのは綺麗な黒い長髪の女だ。今日も勝手に人の家に上がりこんでくつろいでいるところだった。
「勇者さまが敵対勢力を滅ぼして幸せに暮らしたとさ、ってよくある大団円じゃないか」
「なにが不満かって? なんで勇者が寝返るんだよ! そこは断われよ、こんなん子供が読んだら泣くわ!」
こんな話がよくあってたまるものか。ツッコミに疲れて息を切らしている俺に向かって彼女は呆れたようにこう言う。
「べつに最終決戦の前に敵に説得されて改心するだけの話だろう?」
君だって仮に魔王さまが寝返ってたらハッピーエンドだと思うはずだ、と嘯く彼女にイラついてきてたまらずついこう言い返してしまった。
「はっ、最近よくある善悪は見る方向が違うだけで同じものだ、みたいな話か? そんなの聞き飽きたわ」
違う違う、と首を振り彼女はこう語る。
「この話から読み取れる教訓は『人は論理ではなく感情によって生きる』ということさ」
現に君だって僕にいま心を開いてるだろう?と嗤う。
なにを言ってるんだ、こいつは。お前と俺は古くからの友達で……。待てよ?
いつからこんな女と知り合ったんだ?
急に恐ろしくなり俺は彼女から後ずさった。しかし、何よりも恐ろしいのはここまで怪しい人間だと認識しているのにそれでもなお彼女に親愛の念を抱いていることだ。
「ほら、理性ではおかしいと分かったはずなのに君は自分の感情に従おうとしてる」
彼女がやれやれと首を振った。それに従って長く美しい髪が柔らかく広がる。
「魔族には精神系の魔法を使えるものもいると知っているはずなのにね。全く人間はどうしてこうも愚かなのか」
やっとこいつが誰なのかに気づき始めた。
「次は記憶を操作してみようかな。君のおかげでだいぶ人間の心について分かってきたよ」
彼女が俺に手を伸ばす。
「こんな大団円、ありふれてるだろう、勇者さま?」
彼女は凄惨に笑った。