07 狩人たちの学園生活
私立稀野学園高等部、二年一組の教室に突如として二人の転校生がやってきた。
一人目はシルフィ・ローゼン。
銀髪碧眼の持ち主で、真っ赤なパーカーがトレードマーク。目つきは肉食獣かってくらいに攻撃的だが、背がちっちゃいおかげでそれでも滅法可愛い。話し方がツンケンしているが、それもまた強がっているみたいで可愛い。
二人目は西園寺マリア。
黒髪青眼の日英ハーフで、モデルのような高身長と抜群のスタイルが自慢。性格は底抜けに明るくて、誰とでもすぐに話ができる。世界的に有名な西園寺グループの才女であるらしくて、週刊誌的な噂によれば誘拐されそうになった経験まであるとか……。
休み時間になると、当然のように他クラスから男女問わず見学者がやってくる。上級生と下級生も入り交じるようになって、さながらパンダ見物の行列のようだった。押すな押すなの大混雑状態で、教師たちが人払いを始めるほどである。
授業中にも二人の魅力はクラスに広まっていった。二人とも運動が得意なようで、体育の授業で行われた球技はバスケ、サッカー、テニスまでもがお手の物。英語の時間は二人ともネイティブ並みの発音を披露して、休み時間にねだられてドイツ語や中国語、スペイン語……世界の主要言語が次々と飛び出してきた。
二人を取り巻く女子だけでなく、もちろん男子たちも一歩離れて盛り上がっている。
「――シルフィちゃん、可愛すぎだろ。ドイツじゃなくて、妖精の国から転校してきたんじゃないのか? 瓶詰めに保管するしかないだろ、常識的に考えて」
「――お前、ロリコンか? 男なら西園寺さん一択で決まりだろ。清楚な社長令嬢でありながら、あのけしからんボディ……あざとすぎるのも逆にくるぜ」
「――おいおい、抜け駆けしようとするなよ。鉄の掟を破ってシルフィちゃんに近づいたら、お前のデリンジャーがデストロイされることになる。注意することだ」
「――西園寺グループに投資を始めること、それがスマートな男の選択だ。女性は自分にどれだけ尽くしてくれたかで男を測るものだ。西園寺さんもそれは同じさ」
男子って馬鹿ばっか、という女子の声が聞こえているのは森斗だけだろうか?
森斗は男子のバカトークに混ざることも、かといってシルフィに近づくこともできずに、いつものように自分の席で大人しくしているしかなかった。グリム機関のミッションには友達がいなくても問題ないけれど、学校生活は大問題だ……。
問題だとは思いつつも、高校二年生になるまで現状を解決できていない森斗である。
友達を作れずに困っていたはずが、今ではすっかり『作り方の分からない人間』になってしまっていた。クラスメイトの話を聞いていても、強烈に興味を引かれることがないのである。自分はシルフィや西園寺マリアと違って、決して黙っているだけで友達候補が寄ってくるタイプではないのだと痛感する。
そうして迎えた昼休み。
森斗はスクールバッグから弁当箱を取り出した。
中には自分で作った昼食が入っている。グリム機関から学生らしからぬ給料をもらっているため、わざわざ自分で弁当を用意しなくてもいい。だが、体調管理も仕事の一つだと、美希からなるべく栄養を気にして自炊するように言われているのだった。
シルフィと西園寺マリアの二人は、相変わらず女子生徒たちに囲まれている。いろんなグループから、私たちと昼食を食べましょうとお誘いを受けているのだ。西園寺マリアは女子生徒たちを上手くあしらっているように見えるが、その一方でシルフィは少々戸惑い気味であるようだった。
シルフィに関わっていいものか、悪いものかで迷ってしまう森斗。
彼が弁当の包みを開こうとしたときである。
「――おい、森斗」
不意に声が掛かって顔を上げると、森斗のすぐ目の前にシルフィの姿があった。
彼女は胸元に茶色の紙袋を抱えている。
それから、シルフィは唐突に言い放った。
「私を人気のないところに連れて行け」
流石の森斗であっても、彼女の発言が危険なニュアンスであることは察知できた。
「友達のいなさそうなお前なら、人気のないところくらい知ってるだろう?」
クラスメイトたちの視線が自分たちに集中しているのを感じ取るが、目の前でふんすふんすと鼻を鳴らしているシルフィを放っておくことはできない。ここで拒否したら「つべこべ言わずに連れて行け!」と回し蹴りを喰らうことになるかもしれない。
「分かった。人気のないところに連れて行く」
森斗はシルフィの袖を掴むと、そそくさと二年一組の教室をあとにした。
友達がいない=人気のないことを知っている、というシルフィの暴論にも似た予測が、ズバリ的中していることが地味に森斗のハートをグサッとしていた。
×
森斗がシルフィを連れてきたのは、高等部の敷地内にある寂れたバラ園である。
元々は校舎の裏庭として人通りの多い場所だったらしいが、第二校舎を新しく増築した際、三方を校舎に囲まれる形になってしまったのだ。校舎の窓のない面が向けられているので、校舎内から覗かれる心配もない。昇降口からぐるりと校舎を迂回しなくては来られないから、わざわざ利用する人がほとんどいないのだ。
「……薔薇なんてないぞ」
シルフィがバラ園を見渡して言った。
第二校舎が増築されてからはすっかり手入れが行き届かなくなってしまったようで、ここはバラ園とは名ばかりの廃墟と化していた。雑草しか生えていない花壇、枯れたツタの絡まっているアーチと鉄柵、穴が開いたトタン屋根の物置小屋……寂れているにもほどがある。本当に学校の敷地内なのか疑いたくなるほどだった。
森斗は御影石のベンチを見つけて、上につもっている落ち葉を払いのける。
「薔薇がないバラ園もある。水がない海もあるみたいに」
「それは月面の話だ」
彼に続いて、シルフィが御影石のベンチに腰を下ろした。
ようやく落ち着いて、森斗は隣にいるシルフィのことをまじまじと見た。
シルフィの血色はとても良くて、肌にはシミひとつなくて、昨日の夜に死にかけていた……あるいは本当に死んでいた、とは思えないくらいだ。そもそも、彼女がこの場所にいられるということ自体が魔法のような話である。人間と人狼のハイブリッドであることが判明して、グリム機関に身柄を押さえられていたのではなかったのか?
「まじまじと見るな、気色悪い」
いーっと八重歯を見せるシルフィ。
だが、なおも森斗は彼女を凝視する。
「見るに決まってるじゃないか。本当に体の怪我は完治しているのか? ハイブリッドってのは何なんだ? 機関に連れて行かれたんじゃなかったのか? どうして、この学校に転校してきたんだ?」
「うるさいぞ、お前。それを説明しに来たんだろうが!」
シルフィの正拳が顔面に飛んできたので、森斗は上半身を反らして回避した。
彼女も本気ではなかったらしく、追撃せずに話の本題に入る。
「体の怪我はちゃんと治っている。半身が吹っ飛んでしまったが、それも完全に元通りだ。オオカミの耳と尻尾も綺麗になくなっている。至って健康体だ。私の体を検査したやつらが、どんなデータを隠しているかは分からないがな」
「ほぉお、本当にオオカミの耳がなくなってる……」
髪の毛わしゃわしゃ。
「その手をどけろっ!」
「あっ、ゴメン……日頃から巧みに収納されているのかと思った」
「そんなわけあるか! お前は私の裸を二回も見ているんだろう!? 私のお尻に尻尾が生えてないことは重々承知しているはずだ、違うのか!?」
「見間違いってこともあるかもしれないじゃないか。あのときはきみの裸を見ることだけで精一杯で、尻尾が生えているかを確認する余裕がなかったんだ。というか、きみの体が高校生の僕にはあまりにも魅力的だったというか……」
ぎりぎり、と歯ぎしりをするシルフィ。
彼女は「今度、話の腰を折ったら目玉くりぬくぞ」と視線で語る。
「で、私は色々と検査を受けていた。まぁ、私自身はぐっすり眠っていたから、何をされていたかは知らないが……。ともかく、普通に生活するだけなら問題ないと判断されたんだろう。人狼化にはいくつか条件があるからな」
「……ちょっと待った。そもそも、人間と異端者のハイブリッド状態ってのは割とよくある状態なの? 全然聞いたことないんだけどさ」
森斗が質問すると、シルフィは自信なさげに視線を逸らした。
「私の叔父様――現在の保護者もグリム機関の人間なんだが、彼が言うには稀によくあるという程度らしい」
「なんだか曖昧なニュアンスだね……」
「私のような下位のエージェントには開示されていない情報なんだ。だが、噂で聞いたところによると、グリム機関の上層部にハイブリッドの人間がいるらしい。使いこなせれば非常に強力だからな」
それは昨日の戦いで森斗も体感済みだ。
大神煌の変異形態は強力で、森斗の自動拳銃もシルフィのグルカナイフも通用しなかった。だが、ハイブリッド状態になったシルフィの攻撃は容易く大神煌を解体して見せた。本来なら死んでしまうはずの致命傷すらも一瞬で回復してみせる。あれで暴走さえしなければ、異端者狩りの強烈な切り札になるだろう。
シルフィは推論を述べる。
「おそらくだが、上層部のハイブリッドたちは自分の能力をコントロールできるのだろう。使い物のになるから重宝される。異端者を警戒して情報も隠される」
「僕らみたいな下っ端から情報が漏れたら、それこそグリム機関にとっては大打撃か……」
グリム機関と同じように異端者たちも世界に網を張っている。
異端者たちの組織はいくつかあって、そのトップが『超越者協会』と名乗る集団だ。
人間を超えたもの――超越者を自称して、組織的な行動でグリム機関を本気で潰しにかかっている。単独行動を好む異端者たちが多い中で、規律の取れた集団が存在することは非常に脅威だ。異端者たちの活動資金、隠れ家、渡航手段を提供して、破壊活動を推進する……悪人サイドの公的機関みたいな連中でもある。
そういった強大な敵が存在するせいで、グリム機関の『優秀なエージェントは大切にするけれど、駄目なエージェントはさっさと切り捨てる』という体制は極端化の一途を辿っている。さっさと出世しろよ、とは森斗の父親・狩野深山の言である。
落ち込んだ様子でシルフィが言った。
「私の変異コントロールはまだまだ不完全だ。命の危機に瀕したとき、大神煌のような人狼を相手取ったとき、私は我を忘れて人狼化してしまう。これが制御できるようにならないと、私は再び戦場に立つことができない」
「と、いうことは――」
察する森斗。
シルフィはがっくりとうなだれた。
「私には出撃禁止の命令が下った。この学校に転校させられたのも左遷扱いだ。単なる高校生の振りをしながら、戦闘訓練と精神コントロールに専念しろってことだな。一般人の振りをするのも仕事の一つだから、学生としての生活はそれなりに楽しんでやるさ……」
彼女がどれほど異端者狩りに心血を注いでいたかは、一緒に二度戦っただけの森斗でも十分に理解できている。
両親を人狼に殺されたこと、危うくグールになるところをハイブリッド化で免れたこと、香港の事件を投げ出してでも人狼を倒しにやってきたこと――そんなシルフィから戦いが奪われるのは相当苦しいことであるはずだ。
どう励ましたものか、と森斗は考える。
すると、シルフィがじろりと彼のことを睨み付けた。
「別に励ましなんかは必要ないからな」
「さ、さいですか……」
フンッと彼女は鼻を鳴らす。
「たった一度の出撃禁止でへこんでいたらハイブリッドなんてやってられるか。私はしばらくの間、普通の高校生として生活する。ただ、あまり目立つようなことはしたくない。お前も私には関わらないようにしろ」
「いや、すでに超絶目立っていると思うけど」
「な、なんだとっ!?」
全然気づいていなかったのか、シルフィは素で驚いているようだった。
森斗は現状をかみ砕いて説明する。
「きみは西園寺マリアと共に、二年一組に突然やってきた美少女として大注目されている。明日になったら、シルフィの下駄箱には大量のラブレターが詰め込まれているはずだ。男子生徒たちはきみを巡って、血で血を争う戦いに身を投じるだろう」
「くそっ……私はただ、平凡な日常を享受したいというだけなのに……」
真剣に嘆くシルフィ。
結構ズレている子なんだな、と森斗が再認識したときのことだった。
森斗とシルフィの二人は、第一校舎の陰に何者かの気配を感じ取った。音としては認識できない音、限りなく無臭に近い匂いの変化、視界の端に一瞬映った何かが、強烈な予感として狩人である彼らを刺激する。
次の瞬間、校舎の陰から何かが投擲された。
二人は投擲物を人差し指と中指で挟むようにして受け止める。
飛んでくる最中、すでに彼らは見極めていたのだが、投げつけられたのはプラスチック製の三角定規だった。
校舎の陰から、三角定規を投擲した犯人が姿を現す。
二人の前に登場したのは、同じクラスに転校してきた少女――西園寺マリアだった。
彼女は右手に三角定規、左手にコンビニのレジ袋を提げている。教室でマリアを取り囲んでいたクラスメイトたちの姿は見られない。数十人という規模で囲まれていたのだから、よほど上手いことをやって振り切ったのだろう。
「……本気ではありませんでしたし、やはり受け止められてしまいましたか」
そんな独り言を漏らすマリアに向かって、
「おりゃっ!」
シルフィは間髪入れずに三角定規を投げ返した。
「あ、あぶなっ!?」
マリアはハリウッド映画のようにジャンプして、飛んでくる三角定規を回避した。
落ち葉の上にずじゃぁーっ!
それから、シルフィに続いて森斗も三角定規を投げつける。
だが、割と本気で投げたはずの三角定規は、再びハリウッドジャンプをしたマリアに回避されてしまった。ナイフなどの投擲も多少の自信があったので、命中させられなかったのがちょっと悔しい。
落ち葉の上でマリアがわめく。
「あなたたち、やることが鬼畜過ぎます! 奇襲を仕掛けてきた相手がなぜか手加減していた場合は、新しい仲間キャラがレギュラーメンバーの実力を試そうとしているパターンだと、どうして分からないのですか!?」
「……そうなのか?」
「いや、漫画は読んだことがないから……」
顔を見合わせるシルフィと森斗。
マリアは立ち上がると、セーラー服についた落ち葉を両手で払った。
「あぁ、もう、私が悪かったです。面白半分で三角定規を投げつけた私が悪かったですよ。演出なんか考えないで、最初から普通に接触していれば良かったわけですね。あなたたちが、これほど空気の読めない人たちだとは知りませんでした!」
「お前は機関の人間か?」
シルフィが問いかけると、マリアは大きくうなずく。
「その通り。私はグリム機関の人間です」
「さっきみたいなことができるってことは、きみも戦闘班の狩人ってこと?」
森斗の質問に対して、彼女は首を横に振った。
マリアは二人の方にゆっくりと近づいてくる。
「私は内部監査班に所属しています。戦闘班で狩人として戦うだけの実力はありますけどね。そして、私の仕事は組織内で問題が起こらないように見張ること……今回はシルフィさん、あなたを監視するために派遣されました」
「じゃあ、シルフィと同時に転校してきたのも?」
「上が手を回したからです。同じクラスだと何かと都合も良いですから」
シルフィを挟むようにして、マリアは大理石のベンチに腰を下ろした。
「……私は出撃が禁止されてるから、そう簡単に人狼化しないと思うのだが?」
あからさまに嫌そうな顔をするシルフィ。
マリアも「私だって、好きでやってるじゃ……」という顔をした。
「万が一という場合だってありますよ。それとも、シルフィさんは特別な施設に叩き込まれることをお望みですか? グリム機関の研究室は実験体になってくれるハイブリッドをいつでも歓迎してくれますよ」
「うっ……」
シルフィの背筋がブルブルと震える。
彼女はようやく事態を受け入れたようだった。
「そういったわけで、シルフィさんが暴走してしまわないように注意しつつ、暴走したらそれなりの対処をさせてもらいます。そして、学校では友達の一人として付き合っていけたら嬉しいですね。プライベートまで、そんなにピリピリしたくありませんから」
仲良くしましょうね、と右手を差し出すマリア。
シルフィは少しだけためらったあと、
「……楽しい高校生をやるのも任務のうちだからな」
小学生みたいに小さな手で、マリアとそっと握手を交わした。
エメラルド色の瞳と、深い青色の瞳が互いを見つめ合う。
シルフィとの握手を終えたあと、マリアは森斗にも握手を求めた。
「森斗さんもよろしくお願いしますね。シルフィさんが戦えない間、私と森斗さんはコンビとして活動することになります。シルフィさんに万が一のことがあった場合も、動けるのは私たちだけですからね!」
彼女の思いに答えて、森斗は握手を交わそうとする。
途端、シルフィがいきなり二人の間に割り込んできた。
「マリア、こいつとは握手しない方がいい」
こいつとはすなわち狩屋森斗のことである。
手を引っ込めずにマリアが問いかけた。
「どういうことですか?」
「森斗は自室にポルノ雑誌を溜め込むような男だ。握手するのは止めた方がいい。彼には私たちのような女子生徒を性的な眼差しを向ける癖がある。気安く握手しようものなら、どんなことをされるか分からないぞ」
異端者の存在を警告するかの如く、本気の目をしてしるシルフィ。
だが、マリアは明るく笑ってみせる。
「いやいや、健全な男子高校生にはよくある話じゃないですか。それくらいは大目に見ましょうよ、シルフィさん。えっちな本を持っていない男子高校生だなんて、白いカラスみたいな存在ですからねー」
というわけで、改めてよろしくお願いします!
マリアに再び握手を求められて、森斗は彼女の右手をしっかりと握った。
それから、森斗はシルフィに向かって手をさしのべる。
「シルフィもこれからよろしく。仕事だけじゃなくて学校でも」
「だから、どうして今の流れで私に握手を求められるんだっ!?」
森斗から逃げようとしたことで、シルフィは必然的にマリアの方に寄っていった。
すると、マリアが彼女の体を後ろからギュッと抱きしめる。胴回りにしっかりと腕が回されていて、その捕まえ方が戦闘班で使われている近接戦闘の技術であると森斗には一目で分かった。後ろを取られたら最後、簡単には抜けられない。
「ちょ、ちょっと、お前も何をやってるんだ!」
「ふふふ、シルフィさんは本当に可愛いですねぇ……。あなたを担当にするようにと命令を受けて、パソコンに写真を送られてからというものの、実物のシルフィさんに会いたくて仕方がなかったんですよ。さっきもクラスメイトたちを振り切ってきて良かったです」
男にまとわりつかれるならまだしも、マリアに抱きつかれてシルフィは対応に困っているようである。マリアの組み付きから逃れようとしているが、力任せに引きはがそうとするばかりで彼女の魔の手から全然逃れられない。シルフィとマリアは体格差があるので、逃げるのには否が応でも技術が必要になるのだが。
「シルフィ、敵に背後を取られたときはまず……」
「そういうアドバイスはいいから、こいつを引きはがせっ!」
「いや、なんか、二人とも楽しそうだし……」
「私は全然楽しくなんかない! 遠くから監視されるならともかく、近くでベタベタされるのはイヤだ! 上に抗議してやるぞ、抗議をっ!」
大暴れし始めるシルフィ。
ホクホク顔になっていたマリアだったが、不意に彼女は素の表情に戻った。
「あ、そうだ。さっさと昼食を食べなければいけませんね」
飽きてしまった玩具を投げ捨てるかのようにシルフィを解放する。
抱きつかれていたと思ったら、今度は急に投げ出されて、シルフィは釈然としないモヤモヤとした表情をしていた。
「……確かに食事は大事だ。私も昼食を取るぞ」
「昼休みの時間も残り少ないし、僕もここで昼飯を食べておくか」
森斗は包みを開いて、それから弁当箱のふたを開ける。
中身は美希から言われた通りに、栄養のバランスを考えた手作り料理だ。お腹の減る盛りなので、ご飯は多めに入れてある。今日の目玉料理は豚のショウガ焼きで、これさえあればご飯はいくらでも食べられる。
彼の左隣では、シルフィが手持ちの紙袋からおもむろに何かを引っ張り出していた。
「シルフィ、それは?」
「ミスドで買ってきたドーナッツだ。甘くて美味しいぞ。何か変なところがあるか?」
彼女はそう言って、おもむろにチョコレートをまとったドーナッツにかじりつく。
シルフィのさらに隣では、マリアがレジ袋からポテトチップスを取り出していた。
「……ええと、マリアが持ってきたのは?」
「フフン、目の付け所が良いですね。これは高級オリーブオイルで揚げられたポテトチップスでして、一流セレブの間では大人気の商品なんです。品質の良い素材を使っていますから、ポテチだけど体にも良いんですよ? 流石は私、昼食選びも一味違う!」
マリアは袋を開けると、とても美味しそうにパリパリとポテトチップスを食べ始めた。
彼女も西園寺グループの社長令嬢なので、一流セレブの仲間であることは間違いないだろうけれど、ポテトチップスの食べ方は普通に手掴みだ。
シルフィの方は一応ペーパーナプキンを使ってドーナッツを持っている。はぐはぐとドーナッツを食べる姿は、さながら森でドングリを拾った子リスのようだ。可愛いことは可愛いけれど、それでお腹が一杯になるのか不安に思う森斗である。
「あの、二人とも……弁当作ってこようか?」
問いかける森斗。
すると、シルフィとマリアの二人が同時にこくりとうなずいた。