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グリム機関の赤頭巾  作者: 兎月竜之介
切り裂きジャック
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 窓ガラスを解体して、美術室に飛び込んできたジャック・ジョーズ。

 森斗以外の人間たちも、どうにか状況を理解し始めていた。

 ナイフを持った男が襲いかかってきた、という程度の認識だが……。


「なっ、なにっ――」


 沙耶が引きつった声を上げて、その場に膝から崩れ落ちそうになる。

 そばにいた春臣がとっさに彼女の体を支えた。


 一般客たちは切り裂きジャックの名前を口に出している。テレビで連日連夜取り上げられているせいで、彼の顔と名前はすっかり世間一般に浸透しているようだ。一般客の人々は殺人鬼が目の前にいると理解して、美術室から恐る恐る逃げていく。

 森斗はジャックと向き合ったまま言った。


「春臣、沙耶を連れて逃げろ!」

「逃げろって、お前はどうするんだよ!?」


 こんな状況でも仲間のことを気遣ってくれる。

 春臣は本当にいいやつだ、と森斗は改めて思った。


「分からんが、分かった。任せたぞ!」

「で、でも、真田先輩……」

「いいからいくぞ、沙耶!」


 戸惑う沙耶を連れて、春臣が美術室から出て行く。

 ジャックは余裕そうな笑みを浮かべて、二人のことを見送っていた。


 森斗はその間も気が気じゃない。

 校内でジャックと戦ったりしたら、自分が単なる学生でないことが多くの人たちにバレてしまうだろう。春臣と沙耶を逃がした時点で、二人からは間違いなく怪しまれている。海外の支部に異動させられる可能性は十分にある。春臣と沙耶、そしてシルフィとマリアからも離されることになる。物理的な離ればなれだ。


 でも、そんな甘ったれたことを言ってられる場合じゃない。

 グリム機関の方針がどうだかは知らないが、ここは人命優先が正しいはずだ。


 森斗は少し遅れて、美術室から飛び出した。

 ジャックがすぐさま追いかけてくる。


 第二校舎一階の廊下からはすでに人気がなくなっていた。野次馬が寄ってきたりしていないのはありがたい。相手は純粋な殺し合いを望んでいるようだが、追いつめられたときに人質でも取られたら厄介だ。


 森斗は外に出ないで、階上に向かう階段をのぼっていった。

 隠し持った二丁拳銃をいつでも抜けるように、学ランのボタンを外しておく。


「なんだ、きみは逃げるだけかい?」


 背後からジャックの笑い声が聞こえてきた。


「赤頭巾はやる気満々だったのに!」

「あんたが狙っているのは僕だけのはずだ!」


 森斗は手すりを掴んで、減速しないように踊り場を駆け上がる。

 これほど酷い鬼ごっこは初めてだ。


「……周りの人たちを巻き込みたくない!」

「グリム機関らしくない考え方だな」


 意外そうにしているジャック。

 だが、彼の表情を確認している余裕が森斗にはない。


「この程度の騒ぎだったら、きみたちは簡単に隠蔽してみせるだろう? 今更、人目を気にしたりしてどうするのさ。俺だって、人質を取ったりするつもりはない。グリム機関の狩人っていうのは、平気で見殺しにしたりするじゃないか」

「全ての狩人がそういうわけじゃない!」


 二階と三階の廊下には生徒と一般客が多少ながら残っていた。

 森斗は駆け上がりながら、とにかく逃げてくれるように呼びかける。


 だが、流石に四階ともなると完全に人気がなくなっていた。四階の音楽室は吹奏楽部の部室を兼ねていて、ちょうど吹奏楽部は体育館で発表会の真っ最中である。イベントが何もないのにわざわざ四階まで上がってくる人間はいない。


 森斗はペントハウスのドアを蹴り飛ばして、第二校舎の屋上に飛び出した。

 第二校舎の屋上には当然誰もない。第一校舎の屋上も見ることができて、そこにも誰もいないことが分かった。落下防止用のフェンス越しにバラのないバラ園が見下ろせる。高等部の敷地内で、最も気兼ねなく戦える場所だ。


 くるりと反転して、追いかけてきたジャックと向き合う。

 ジャックは屋上に出たところで、ひとまずは立ち止まって様子を窺った。

 そのとき、スピーカーから校内放送が聞こえてくる。


『ご来客のみなさま、生徒のみなさんは、その場から動かないようにしてください。現在、警備員が対応しています。係員の誘導があるまでは、その場に待機をお願いします。くれぐれも動かないようにしてください。繰り返します――』


 これは美術室だけの騒ぎではないな、と直感する森斗。

 案の定、ジャックが言った。


「グールたちには女の子二人の相手をしてもらっている」

「二人……シルフィとマリアが来ていたのか!?」


 もっと熱心に探しておけば良かった。

 森斗は後悔するが、今になって考えても仕方ない。


 二人はグリム機関に応援を頼んでいるはずだ。警察が駆けつけたところで、異端者相手では残念ながら役に立たない。グリム機関の狩人が来てくれるまで時間を稼ぐ。森斗は自分のするべきことを冷静に理解した。

 ジャックは折りたたみナイフをくるくると回している。


「他のエージェントがいなければ、わざわざグールたちを動かす必要もなかったけれど……とにかく邪魔をされたくないからね。俺がやりたいのは殺し合いだ。インペリアルと戦った狩人というのは……狩屋森斗、きみで合っているんだろう?」

「そうだ。僕で合っている」


 森斗の答えに対して、ジャックが「ふうん……」と唸った。

 そして、問いかけてくる。


「きみが逃げ回らなかったら、あれほど殺さなくて済んだはずだよね?」


 命を奪っておきながら、まるで他人事のような言い方。

 だが、森斗はただ誠実に事実を受け止めた。


「……犠牲者を多く出したことは申し訳ないと思っている。僕に力さえあれば、最初からサシの勝負だって受けて立った。だけど、グリム機関は僕程度の実力では無理だと判断した。犠牲者を出してでも、あんたを少しずつ追いつめる方法を採った」

「だが、それも無駄だった!」


 ジャックがナイフを振りかざしながら突っ込んでくる。

 掠り傷すらも命取り。


 森斗は大きめにサイドステップをして回避する。

 様子見だったようで、ジャックは追撃してこなかった。


「機関に縛られているようでは、きみはまだまだ下っ端らしいね。だけど、実力はそれなりにある。狩屋森斗、きみも武術というやつを使うようだね? 俺もインペリアルを追っていたから、その辺のことは調べてある」


 森斗は腰を落として構えを取る。

 刃物相手の格闘訓練は、父親から古武術を学んだときも、グリム機関でCQCを学んだときも散々やらされてきた。避けてばかりでは時間が保たない。どうにか相手との距離を詰めて、こちらの間合いで戦う必要がある。


「……殺さなくて済んだ、なんてのは嘘だ」

「何だって?」


 ジャックが怪訝そうに首をかしげた。

 森斗は鋭く指摘する。


「あんたは心の底から殺人を楽しんでいる。僕が出て行っても、きっと殺し続けていた」

「当然じゃないか。俺は殺人鬼だ。好きなように殺すだけだ」

「でも、生まれたときから異端者だったわけじゃない」


 互いの距離がジリジリと詰まる。

 森斗は一足飛びで踏み込める距離から、ジャックに向かって一気に飛び込んだ。狙うのは折りたたみナイフを握っている右手だ。解体の能力は刃物によって効果を発揮する。どうせ予備は持っているだろうが、それでも一瞬は隙が生まれるはずだ。


 前蹴りで武器を弾き飛ばそうと試みる。

 ジャックも右手を狙われることは想定済みだ。一歩前に踏み出して、前蹴りを回避しながら森斗に攻撃しようとする。カウンターで腹部狙いの突き。ナイフが内臓まで達すれば、たった一撃で相手の中身をミキサーに掛けられる。


 ……が、前蹴りはフェイント。

 森斗は蹴り上げようとした右足で踏み込むと、ジャックのナイフを手刀で打ち払う。本当は折りたたみナイフを弾き飛ばしたかったところだが、ともかく腹部を刺されることだけは避けられた。そこから右脇腹を狙った左フックを放つ。


 ところが、ジャックはそのまま勢いに任せて体当たりを仕掛けてきた。

 刃物の扱いに長けた人間が、投げ間合いでの近接戦闘?


 ジャックが懐に飛び込んでくるが、それで押し倒されるような森斗ではない。狩屋流古武術の構えは受ける衝撃を足下に受け流せる。格闘技を学んでいない相手なら、体重が二百キロあっても倒される気がしない。

 森斗はジャックと組み合おうとするが、


「いただいたっ!」


 相手は唐突にバックステップして、こちらから距離を取ろうとする。

 目を見張る森斗。

 ジャックはいつの間にか、森斗が愛用している自動拳銃を握っていた。


 街中での戦闘を考慮して、自動拳銃には消音器が取り付けられている。銃弾の火薬も抑え気味なので、異端者を相手にするには多少心許ない。だが、人間を撃ち殺すには十分だ。森斗もボディアーマーまでは着ていない。


「最初からこれを狙って――」

「さぁて、当たるかなっ!」


 ジャックは安全装置を解除して、右手で自動拳銃をスライドさせる。

 弾丸を装填させて、左手だけでトリガーを引いた。


 大丈夫、拳銃の構えは素人だ。

 森斗は落ち着いて、ジャックの視線と銃口の動きを見る。並の戦闘班では不可能だが、狩人であれば弾道を予測するくらい可能だ。放たれた弾丸は嘘をつかないで真っ直ぐ飛ぶ。当たらない軌道の射撃を恐れる必要はない。


 くぐもった銃声が連発される。

 森斗の学ランを二発の銃弾がかすめて、残りは背後に飛んでいくか、あるいは屋上の地面に突き刺さった。結局のところ、ジャックは一発も当てずに銃弾を撃ち尽くしたのである。射撃の心得がない相手で助かった。


 ジャックがホールドオープンした自動拳銃を投げ捨てる。

 森斗は大きく息を吐いた。


「ジャック・ジョーズ、あんたの過去は調べさせてもらった」

「俺の過去についてなんて、ウィキペディアにだって載ってるさ」


 実際、ジャックの言った通りに調べるのは簡単だった。

 全ては十数年前――かの有名な『ジョニー・ジョーズ事件』に起因する。

 それはジョーズ夫妻によるおぞましき幼児虐待事件だった。


 幼かったジャックは保護されたとき、五歳だったにもかかわらず体格は三歳児にも満たなかった。薄暗い部屋に一日中閉じこめられていたせいで、言葉を話すこともできない。視力も低下している。足が不自然に折れ曲がって、自力で立つこともできなかった。


「あのときのことは不思議と覚えてるよ」


 ジャックは何でもないように語る。


「汚いカーペットの敷かれている部屋で、窓にはいつもブラインドが掛かっていた。犬が使うような金属ボウルが一つだけあって、それをとても大事にしていた覚えがある。親父とお袋は気が向くと、その金属ボウルに残飯を入れに来るんだ」


 五歳の誕生日を過ぎた頃、ジョーズ夫妻は幼児虐待の容疑で逮捕された。

 他にも麻薬所持などの余罪があれよあれよと増えて、現在もアメリカのどこかにある刑務所に収容されている。ジョーズ夫妻は服役中に自らの暴露本を出版したが、莫大な印税が使えるようなるのは数十年先の話だ。


 ジャックはとある施設に保護されることになる。

 虐待などで心身共に傷ついた子供たちの集まる場所だ。


 彼は大人達の賢明なサポートによって、どうにか年齢並みに成長していき、言葉も話せるようになった。ただ、分厚い眼鏡を掛けなければいけないほど視力は弱っていて、いつも片手で松葉杖を突いて歩いていた。


 ジャックの異常な行動が始まったのは十歳を過ぎたときだ。施設の子供たちに対して、彼は執拗な暴力を振るうようになる。大人達からたしなめられると、今度は近所の犬や猫を殺し始めた。死体を刃物で解体して、人目のつくところにばらまいた。


 そして十三歳の誕生日。

 ジャックは施設の管理者である女性を殺して、運営資金を奪うと施設から脱走した。女性はガレージに縄で吊されて解体されていた。以後、彼はティーンエイジャーにして全米を震撼させる無差別殺人鬼になったのである。


「警察や賞金稼ぎが俺を追ってきた。だけど、男たちと殺し合うほどに、女たちを解体するほどに……俺の体は軽くなっていた。弱っていた視力も回復して、松葉杖がなくても自由に走り回れるようになった」


 彼は気がつくと『切り裂きジャック』という異名で呼ばれていた。

 ジャック・ジョーズが異端者と化した瞬間である。


 異端者になったことで、ジャックはグリム機関からも追われるようになった。彼は超越者協会の協力を受けると、世界各国の犯罪都市を中心に活動するようになる。ただ、ジャックと超越者協会の関係は長く続かなかった。彼が狩人相手だけでは飽きたらず、異端者を襲うようになったからである。


 それからは森斗たちも知らされている通りだ。

 ジャックは『インペリアルを倒した男』を追って、ついにここまでやってきた。森斗はどうして自分が補足されたのかを知らない。というか、もはや気にしている場合でもない。巡り合わせの悪い日はある。

 森斗は言った。


「テレビだとか、雑誌だとか、インターネットだとか……多くの人たちが様々な場所で、あんたが殺人鬼になった理由を推測している。そして、ほとんどは幼少期の体験が原因で、心がねじ曲がってしまったのだと結論づけていた」

「まぁ、あながち間違ってはいないんじゃないか?」


 ジャックが曖昧な笑みを浮かべる。


「……それで、ワイドショーでも流れているようなことを知ってどうするのさ?」

「本当のことを知りたいと思っている」


 森斗だって、時間稼ぎをするためだけに話したわけではなかった。


「命の奪い合いは納得してから行いたい」

「不思議なことを言うな、きみは」


 ジャックが鼻で笑った。


「俺が可哀想な幼児虐待の被害者で、今でもあのときのことを毎日夢に見ていて、誰かを傷つけることでしか自分を保てないから――だなんて言ったら、きみは僕のことを許してくれるのかな? 哀れな異端者の存在を受け入れてくれる?」


 試すような表情。

 森斗は首を横に振る。


「あんたは殺しすぎた。もはや後戻りもできない。あんたが何者であろうとも、滅ぼすという結果は変わらないだろう。ただ、僕が納得したいだけなんだ。あんたが哀れな被害者を名乗るのなら、最後は花束くらい添えてやる」

「……それなら気にしなくていい」


 ジャックが折りたたみナイフを構えた。


「あのときの光景は覚えているけど、何を感じていたかは覚えていないんだ。俺が殺人を繰り返しているのに大した理由はない。生物が生きて、動いている。物心ついたときから、それを見るだけで気分が悪くなる。だから、殺してしまいたい……それだけだッ!」


 素早く距離を詰めてくるジャック。

 戦いが再開される。


 ジャックは冷静に森斗を攻撃してくる。首筋や脇腹を正面から狙うのは効果的でない。解体の能力があれば、相手の指先を少し切りつけるだけでいいのだ。突いて、切り払って、切り返して……コンパクトな攻撃で追いつめる。


 森斗はナイフ攻撃を紙一重で回避し続けた。

 ジャックの動きは速い。誰かに教わったわけでもないのに、ここまでナイフを上手く扱えるのは才能と呼ぶしかなかった。殺人の才能。けれど、森斗だって負けてはいられない。光の線にしか見えない太刀筋を見切る。


 二階堂玲司との組み手が脳裏をよぎった。

 あの組み手のおかげで、素早くてトリッキーな動きには目が慣れている。


 ジャックの切り払いに合わせて、森斗は体をスピンさせた。

 後方回転からの足刀蹴りが、ナイフを握っているジャックの右手に命中する。森斗のかかとが彼の右手首を粉砕して、そのまま後方に体を吹き飛ばした。ジャックはナイフを手放して、ふらふらとよろめいている。


 森斗の技はまだまだ未熟だ。正拳ならばともかく、蹴りでは異端者を仕留められるだけの威力を出せない。けれども、隙を作っただけでも十分だと割り切って、彼は残ったもう一丁の自動拳銃を抜いた。


 ジャックが同時に予備のナイフを手に取る。

 自動拳銃をフルオートで連射する森斗。


 だが、ジャックは左手で折りたたみナイフを構えて、臆することなく突っ込んできた。そして、飛来する銀の弾丸をナイフでいとも簡単に弾き落としてみせる。弾丸は一発だけ肩口に命中したが、それでもジャックの動きは止まらなかった。


 銀の弾丸は多くの異端者に効果的だが、全く効果がない相手も少なからず存在する。となれば、脳や心臓といった重大な器官を破壊するか、それでも駄目ならば全身を粉微塵に粉砕するしかない。


 目前まで接近するジャック。

 肩口の銃創はすでに塞がり始めていた。


「拳銃程度で止まるかよ!」


 ジャックの攻撃を森斗は自動拳銃で受け止める。

 どうせ、弾倉をリロードしている暇はない。

 自動拳銃は解体の能力によって、一瞬で鉄くずレベルに分解された。


 返す刃が森斗の学ランに小さな傷を付ける。

 瞬間、まるで裁断機に掛けたかのように学ランが細切れになった。ワイシャツの上に装着したホルスターが露わになる。この攻撃を肌に直接受けたら、自分の体が同じような目に遭うのかとヒヤヒヤさせられた。

 ジャックがナイフを突き出してくる。


「もらった!」


 相手は勢いに乗っている。安易な首筋狙い。

 森斗は首筋を切られる寸前、折りたたみナイフの刃を両手で挟み込んだ。


 真剣白刃取り。

 流石のジャックもこれには驚きを隠せない。


 そのままナイフをもぎ取ると、森斗はジャックの顔面にエルボーを叩き込んだ。斜め上に向かって突き上げる形になる。グール程度ならば即死しているレベルのダメージだ。顔の骨が砕ける音がして、ジャックが白目を剥いてのけぞる。


 本来ならば森斗は反動で動けないところだが、狩屋流古武術は反動すらも攻撃のダメージとして相手に伝える。カウンター気味に入った右肘にも、殴った感触はあっても痛みはほとんどない。だから、素早く次の攻撃に移ることができるのだ。


 森斗は深く腰を落として、かかとで屋上の地面をしっかりと踏みしめる。

 地面から両足、両足から腰、腰から肩、肩から拳……。

 全身のバネを最大限に活用して、森斗は渾身の正拳突きを放った。


 堅く握られた拳がジャックの胸部を捉える。

 手応えあった。

 森斗が確信した瞬間である。


「――残念だな、狩屋森斗!」


 ジャックの胸部を殴りつけた右手に鋭い痛みが走った。それは刃物で何重にも切り裂かれる痛みだ。森斗の右腕に鋭い亀裂が走って、上半身に向かって駆け上ってくる。自分の体から吹き出した血のせいで視界が真っ直ぐに霞んでいる。


 後ろに向かって弾き飛ばされていたのは森斗の方だった。

 落下防止用フェンスに衝突して、どうにか屋上から落とされることだけは免れる。フェンスが大きく歪んで、森斗はまるで磔にされたようになっていた。身につけていたホルスターやワイシャツも八つ裂きで、右腕から上半身にかけては血塗れになっている。


 何をされた? 何が起こった?

 森斗は必死に考えようとするが、彼の意識は少しずつ遠のいていった……。

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