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学食の外にある休憩スペース。
シルフィとマリアの二人は、藤棚の下にあるベンチで休んでいた。
二人が稀野学園に登校してきたのは数分前のことである。正門から運動場を抜けて、ここまで真っ直ぐにやってきた。美術室に向かっても良かったのだが、その前にシルフィの体力が尽きてしまったのである。
マリアはシルフィに寄り添って、いたわるように背中を撫でている。
「……無理をしないで、病室で寝ていた方が良かったんじゃないですか?」
東京支部のビルから稀野学園まで、二人はグリム機関の輸送車でやってきた。安全面での問題もあるが、何よりもシルフィの体調が芳しくない。彼女は本来ならば、大人しくベッドで寝てなければいけないのだ。
だが、それでも来たいとシルフィが騒いだので、ついに美希が折れたのである。彼女はどうにか上を――二階堂玲司説得して、彼女の外出許可を取り付けてくれた。実際、シルフィとマリアはずっと働きづめで、一日でもいいから休息が必要だったのだ。
「私は文化部発表会に来ると約束したんだ……」
シルフィが苦しそうな声で言った。
彼女はフードを被って隠しているが、両腕から上半身にかけては今も包帯だらけである。グルカナイフの入ったスクールバッグもマリアに持ってもらっている。彼女一人ではドアノブをひねることすら難しい状態だ。
現在、午後二時を過ぎたところである。
そろそろ来客がストップして、一般客が帰り始める頃合いだ。パンフレットによると吹奏楽部の最終ステージが終わって、今度は演劇部の最終公演が始まったところである。美術室からも人が少なくなってきているはずだ。
マリアが問いかけた。
「……シルフィさんが無理をして、森斗さんが喜ぶと思いますか?」
「あ、あいつが喜ぶとかは関係ないだろ……」
シルフィは弱々しく反論する。
すると、マリアが彼女の頬を指で引っ張った。
「どの口で言っているんですか、どの口で! 今更、しらを切り通せるとでも?」
「あわわわ、私は一介の美術部員としてだな……」
とにもかくにも誤魔化そうとするシルフィ。
自分が森斗に会いたいのは確かだが、だからといってそれが何だというのか?
そんなのはマリアだって同じのはずだ。
シルフィはたどたどしく主張する。
「森斗は大切な同僚だ。さらには命を助けてくれた恩人で、いつも励ましてくれたり、お弁当を作ってくれたりする。だから、森斗が一生懸命に文化部発表会の準備をしてくれたなら、ちゃんと見に行くのが常識というものだ」
「……じょうしきぃ?」
マリアの疑うような視線。
シルフィは虚勢を張ってうなずいた。
「そうそう、常識的に考えて私の行動は間違っていない」
「ふーん……」
全然納得してない様子のマリア。
彼女はそっと耳打ちする。
「……回りくどいことばかりしていると、あとで足下をすくわれますよ?」
「なっ、それはどういう――」
――ガシャン
少し離れた場所からガラスの割れるような音が聞こえてきた。
音の発生源は第二校舎の方角――美術室がある場所だ。
学校行事にトラブルはつきものだが、どうにも嫌な予感がする。
シルフィとマリアの二人は音を聞いた瞬間、反射的に立ち上がっていた。
そのとき、正門の方から驚いたような声が多数聞こえてくる。
藤棚の下にいるシルフィとマリアからは、真正面なので正門の状況を見ることができた。どうやら、十人近い男たちが無理やりに正門を突破してきたようである。それに加えて、彼らの手には何らかの凶器が握られている。
運動場を挟んでいるので、詳しい状態はすぐに分からない。
だが、男たちが真っ直ぐこちらに向かっているのは確かだった。
動きは総じてかなり機敏だ。スーツ姿の中年サラリーマン、派手な格好をしている若者、近所を散歩しているような老人まで、まるで陸上選手のようなスピードで接近してくる。おまけに武器を持っているので、守衛や体育教師では手が出せない。
「マリア、やばいぞ……」
シルフィが真っ先に気づいた。
男たちの瞳は不自然な赤色に輝いている。
「あいつら、もうグール化してる!」
シルフィは先日の戦いを思い出した。
切り裂きジャックには異端者としての変異形態がない。能力が発動するとき、瞳の色が赤くなるだけだ。それは彼から能力を与えられたグールたちにも共通している。外見の変化が少ないため、一般人とグールを見分けるのは困難だ。
真っ先に突入してきた一体目が、出刃包丁を構えて突進してくる。
周囲の生徒たちから上がる悲鳴。
シルフィはスクールバッグに手を伸ばそうとするが間に合わない。
マリアが彼女の前に踏み出ると、グールに向かって鋭い跳び蹴りを放った。
「せやぁっ!」
跳び蹴りはグールの顔面に突き刺さる。
出刃包丁は掠りもしないで、グールはそのまま仰向けにひっくり返った。
ゴキン――と首の骨が外れたらしき音がする。
グールは全身を痙攣させて、すぐさま出刃包丁を手放した。
異常事態で戸惑っていた生徒たち、一般客たちから小さな歓声が起こる。あまりに突然の事態に竦んでいたものたちも、マリアの華麗な跳び蹴りを目撃して、どうにか少しは緊張が和らいだようである。
マリアが周囲の人々に言った。
「私は護身術を学んでいますから、この程度の暴漢はなんてことありません! 私たちのことは心配ありませんから、みなさんは先生たちの指示に従って避難してくださいね! それではみなさん、ごきげんよう!」
彼女はスクールバッグを肩に引っかけて、それからシルフィの手を優しく握る。
そして、藤棚の下から急いで離れることにした。
グール化した男たちは二人のことを追いかけてくる。正門から突入してきたときよりも、人数が増えてきているようだ。もしかしたら、ずっと前から校内に潜んでいたのかもしれない。敵の数が分からないのは厄介だ。
シルフィは手を引かれて、どうにかマリアに付いていく。
グールたちが二人以外に見向きもしないのが唯一の救いだ。
「第二校舎から聞こえてきた音……森斗が危ないかもしれない」
「助けに行きたいのは山々ですけど、私たちだって相当ピンチですよ!」
マリアが急ぎながらも落ち着いて判断する。
「……とにかく人気のないところまでグールを誘導します。グールと一般人の見分けが付かないのは厄介ですからね。この事態を上手く収めないと、私たちはいよいよ海外の支部にバラバラで異動させられちゃいます!」
「くっ……」
シルフィは大人しく従うしかない。
異端者の存在が一般人に知られるのも大事だが、狩人の正体がバレてしまうのも大問題だ。正体が割れてしまった狩人は海外支部に異動させられる。少なくとも数年は東京に戻ってこられないだろう。
二人は第一校舎に沿って走り続ける。
シルフィはどうにか平然を装ったが、正直言って息が上がりそうになっていた。
上半身の手術跡が強烈な熱を帯びてくる。
マリアが携帯電話で救援を呼び始めた。
「ジャック・ジョーズといえども、何の確信もなく学校を襲うはずがありません。森斗さんはすでに交戦していると考えて間違いないでしょう。だけど、どうにも解せないのは……どこから情報が漏れたかということです」
携帯電話がグリム機関に繋がって、マリアが手短に事態を伝える。
彼女は話が終わったあとも、通話状態のまま携帯電話をポケットに戻した。
「シルフィさんは心当たりがありませんか?」
「心当たりと言われても……」
どうにかシルフィは記憶を掘り起こそうとする。
「携帯電話は落としてしまったが、アレはデータが消去されるから問題ないだろう?」
「――えっ!?」
マリアが驚きの声を上げて立ち止まりそうになった。
だが、どうにかプロ意識で堪えて走り続ける。
彼女は死ぬほど申し訳なさそうな顔をして言った。
「……私、シルフィさんの携帯電話にこっそりとプリクラを貼ってました」
「なっ、なにぃ!? お前、なんてことをっ!?」
「すいません! 本当にすいません! 何でもしますから許して!」
生徒たちと一般客の流れに逆らって、二人は敷地の奥に向かって移動する。
大人数が集まっているはずの文化部発表会で、徐々に周囲が静かになっていった。




