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グリム機関の赤頭巾  作者: 兎月竜之介
切り裂きジャック
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 深夜、高級住宅街にある一戸建て。

 広々としたリビングにジャック・ジョーズの姿があった。


 閉められたカーテンには大量の返り血が飛び散っている。フローリングの床には、この家に住んでいる家族――父親、母親、娘の死体が転がっていた。三人ともジャックの能力で無惨に切り裂かれている。大量の血液が床一面を血溜まりに変えて、リビング全体にはむせ返るような血肉の匂いで溢れていた。


 ジャックは平然とした様子で、ソファでくつろぎながら冷凍食品のピラフを食べている。先ほど冷蔵庫を漁って、電子レンジで温めたのだ。窓を閉め切っているので、エアコンまで掛けてくつろいでいる。


 高級住宅街に殺人鬼が潜んでいることを誰も知らない。住人たちは悲鳴も上げさせることなく殺した。あとはカーテンを閉め切っておけば、隣家の住人ですら異変に気づかない。一夜限りの寝床としては十分だ。


 テレビでは深夜のニュース番組が流れている。今日も取り上げられているのは切り裂きジャックのことばかりだ。東京を悪夢に陥れた史上最悪の無差別殺人鬼。警察が必死の捜査を続けているにもかかわらず、未だに彼の尻尾は掴めていない。


 これも才能だろうな、とジャックは端的に思っている。

 殺人の才能がなければ、無差別連続殺人なんてやっていられない。これだけ殺しておきながら飽きてこないのも、追っ手を簡単に撒くことができるのも、自分が人殺しをするために生まれてきたからだ。

 ジャックはよく冷えた缶ビールをあおる。


「うわ、まっず……」


 口に合わなかったので、逆さまにして中身を死体にぶっかけて捨てた。

 大量の血と缶ビールの中身が混ざって、普通の人なら吐き気を催すような匂いがリビングに充満する。だが、ジャックは気にする様子を全く見せない。空き缶を適当に投げ捨てると、血溜まりがパシャッと音を立てた。


 テーブルの上には書類の束が乗っている。

 書類に記されているのは稀野学園の生徒一覧だった。

 生徒の実名、証明写真、住所と電話番号が掲載されている。


 学園側がいくら配慮しても、こういったリストを横流しして小銭を稼ごうとする悪党は現れる。ジャックは裏社会との繋がりを利用して、このリストを手に入れていた。ただ、手に入れるまで結構時間が掛かってしまった。


 赤頭巾が稀野学園の生徒だということは最初から分かっている。

 異端者たちの間では『東京で悪さをすると、赤頭巾がやってくる』と噂になっていた。中途半端な強さのものたちは、それだけで東京に近寄らなくなるほどだ。だが、むしろジャックにとっては『インペリアルを倒した男』を探すための重大な手がかりである。


 探している相手も、赤頭巾のような若手の狩人であるらしい。

 ならば、赤頭巾と同じ学校に潜伏している可能性も高い。


 ジャックはそう思ってリストを取り寄せてみたのだが、性別が男であるということ以外は全く手がかりがない。流石に一人ずつ殺して回ることはできないので、今はまた赤頭巾の単独襲来を待つしかなかった。

 いや、それとも自分が追いつめられる方が先か……。


 ジャックとて長居しすぎたことは自覚している。グリム機関東京支部にも相当な戦力が集まってきたことだろう。これ以上、東京に留まると国外脱出が難しくなる。標的を仕留めることができたとしても、他の狩人に囲まれたらつまらない。


「せっかくのスマホも役に立たなかったし……」


 ジャックは胸ポケットから携帯電話を取りだした。

 赤頭巾のパーカーから落ちてきたもので、きっと情報が得られると期待していた。

 だが、非合法のクラッカーに解析をさせたところ、データは完全に消去されていて、復元することもできないらしい。それどころか、解析しようとしたパソコンが逆に焼き切られて、ジャックは追加料金を請求されたほどだ。


 流石は最先端技術を有するグリム機関。

 ジャックは敵ながら感心する。

 とはいえ、やはり情報が得られなかったのは痛い。


「はぁ、これもどうだっていいか……」


 携帯電話を投げて、折りたたみナイフで華麗に一突きする。

 すると、ジャックの解体能力によって液晶パネル、内部基盤、電池カバーなどなど、携帯電話は無数のパーツにバラバラにされてしまった。

 ピッタリと填められていたスマホケースも外れて転がり落ちる。


 そのとき、何か変わったものがジャックの視界に映った。

 解体された携帯電話のパーツを拾い上げる。

 ジャックはそれを一目見て、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


 ×


 翌日。

 文化部発表会の当日を迎えて、森斗はパッチリと目を覚ました。

 シルフィと話したおかげか、寝付きも寝覚めもやたらと良い。


 毎朝の日課をこなしてから、森斗は今日も同じように一人で登校した。

 今日は教室に行く必要がないので、美術室に直接行くことにする。


 空は晴天だ。五月中旬であるにもかかわらず、天気予報によると七月上旬並の気温になるらしい。上着の下は半袖でも十分かもしれない、とテレビの天気予報士が言っていた。出かけるにはおあつらえ向きだろう。


 登校時間は遅くないはずだったが、学校ではたくさんの生徒たちが作業を始めていた。どうやら、泊まり込みで準備をしていた部活もあるらしい。周囲が活気に溢れていて、森斗も楽しい気持ちになってくる。

 森斗が美術室にやってくると、春臣が入れ替わりで美術室から出て行った。


「ちょっと頼むわー」

「了解。行ってらっしゃい」


 彼は美術部の部長として、やらなければいけないことがたくさんある。今回は運営委員会と一緒に会議をするとのことだった。美術室が空っぽになってしまうので、春臣のいない間は森斗が留守番をすることになる。


 八時半を過ぎた頃になって、春臣が大量のわら半紙を抱えて帰ってきた。

 彼が抱えていたのは運営委員会から配られたアンケート用紙である。各部活動で来客に配って、今後の参考にして欲しいとのことだった。森斗たちもせっかくなので、美術室の入り口にアンケート用紙を置くことにする。


 文化部発表会は九時に始まった。

 ただ、美術室のところまではそう簡単に人がやってこない。

 森斗と春臣は出入り口脇の椅子に腰掛けて、とりあえず時間が経過するのを待つ。


「メジャーな部活とは人気が違うから仕方ないな」


 春臣がカラカラと笑っている。

 組織的なレベルが違いすぎるのか、全然気にしている様子がない。


「メジャー?」

「吹奏楽部とか、演劇部とかのステージ発表系の部活さ。さっさと席を確保しないと、立ち見になっちまうからな。とりわけ、その二つは全国レベルの実力あるところだから、森斗が見に行っても楽しいと思うぜ」

「なるほど……」


 森斗は暇つぶしも兼ねてパンフレットを眺める。

 昨年は気にも止めなかったどころか、学校にすら来なかったが……改めて見てみると、面白そうな企画がいくつも行われている。文化祭ほど開放的な感じではないけれど、それでも各部活動が趣向を凝らしている。


 最初の来客があったのは、午前十時を過ぎた頃だった。

 近所に住んでいるらしいおばあちゃんである。

 彼女を皮切りにして、ぽつぽつと客足が伸び始めた。


 生徒たちの家族であるとか、近隣学校の学生であるとか、近くに住んでいる人だとか、様々な人々が美術室を訪れる。真面目にアンケートを描いてくれる人も多かった。頑張ってみるものだと、森斗は報われた気がする。


 昼近くになった頃、担任の長山が美術室にやってきた。

 留守番を引き受けてくれるというので、森斗と春臣は学食で昼食を済ませることにする。今日は一般の人々も利用できるので、学食はいつも以上に混雑していた。シルフィとマリアがいるかもしれないと思ったが、残念ながら見つからなかった。


 春臣が留守番を任せろと言うので、森斗は学内を見て回ることにした。

 演劇部の公演は見られなかったが、吹奏楽部の演奏は体育館の外からも聞くことができた。軽音部が野外ライブをしていたり、科学部が巨大シャボン玉を作っていたり、料理研究会がお菓子を配っていたり、歩いているだけでも大いに楽しめる。


 ただ、どこかの発表会を留まって見てみようとは思えない。

 シルフィは昨日、絶対に文化部発表会を見に来ると言っていた。

 ならば、この学校のどこかにいるはずなのだ。

 それとも、やはり体調を鑑みて病室に残ることにしたのだろうか?


 森斗は仕方なく、美術室まで戻ってみることにした。

 そこからは、再び春臣と二人での留守番タイムである。


 長山は予備校の授業があるというので、早々に帰って行ってしまった。

 肝心の待ち人はやってこないが、客足だけは割と順調である。

 午後二時を過ぎた頃、


「おっと、来てくれたのか!」


 春臣がそんなことを言ったので、森斗は釣られて顔を上げた。

 シルフィとマリアの二人かと思ったが――やってきたのは中等部生徒の沙耶だった。

 彼女は図書委員のエプロンを身につけている。

 稀野学園の学内イベントはほとんどが中高合同で行われているのだ。


 期待を裏切られて、森斗は半分浮いた腰を椅子に下ろした。

 沙耶が目敏く見つけて迫ってくる。


「あーっ! がっかりしたでしょ!? あからさまにがっかりしたでしょ!?」

「ご、ごめん……」


 完全に失礼だったので、平謝りの森斗。

 沙耶は頬を膨らませている。

 ただ、彼女も森斗の心情については分からないでもないらしい。


「……シルフィ先輩とマリア先輩は今日も休みなんですか?」

「分からない。来るとは言っていたけれど……」


 森斗は自信なさそうに答える。

 改めて考えてみれば、この状況ならば来ない方が自然だ。


 シルフィは絶対に来ると言っていたが、彼女は大怪我をしているのである。命に別状はないけれど、両腕をほとんど使うことができない。数分の会話で疲れてしまうほど体力が落ちている。シルフィを外に出すことは危険だ。


 マリアの方だって、シルフィの穴を埋めるために忙しくしていることだろう。グリム機関の東京支部どころか、日本中の優秀な狩人が集合して事件解決に当たっている。狩人たちの威信に懸けて、切り裂きジャックだけは絶対に倒さなくてはいけない。

 春臣がおどけた様子で言った。


「森斗は女子二人と喧嘩中らしいぞ?」

「えっ!? 森斗さんを巡って先輩二人が喧嘩中!?」


 わざとらしく勘違いする沙耶。

 森斗は「ちがうちがう」と手を横に振った。


「いえいえ、分かってますよ。先ほどのちょっとした仕返しです……それで、どうして女性陣と喧嘩したんですか? 狩屋先輩って喧嘩するタイプじゃないですよね? というか、喧嘩できるほど器用じゃないですよね?」


 沙耶が改めて聞いてくる。

 森斗だって喧嘩をしないわけではないが、確かにあの二人とは事を構えたくない。

 ともかく、あらかじめ考えておいた言い訳を述べる。


「シルフィとマリアが下着の話をしていたので、話題に混ざりたくて二人のスカートをおもむろにめくってしまったんだ。人通りの多い場所だったから、二人からはかなり怒られた。そのせいで、未だに許してもらっていない」

「小学生か!」


 春臣が真相を聞かされて、激しくツッコミを入れていた。

 一方、沙耶はまるで推理中の探偵みたいに考え込んでいる。


「……シルフィ先輩はともかく、マリア先輩がその程度で怒りますかね?」


 それは盲点だった。

 マリアには見せたがりの気がある。普段の行動から見て分かる通りに、その趣味……というか性癖は結構強烈なものだ。スカートめくりが白か黒かは明かであるとして、マリアの逆鱗に触れるかどうかは怪しいところである。

 森斗はとっさに付け加える。


「パンツの柄がウサギさんだったから……」

「あぁ、それなら確かに恥ずかしいですね!」


 沙耶が納得してポンと手を叩いた。


「それにしても意外でした。マリア先輩のことだから、レースたっぷりの高級下着……あるいは黒でスケスケのやつを穿いていると思ったのに、まさかの子供パンツだったなんて。これは臨時で『マリア先輩を愛でる会』も開く必要がありそうですね」


 新しい組織が密かに結成される。

 不可抗力、と森斗は思った。

 沙耶がおもむろに迫ってくる。


「それで、シルフィ先輩の方はどんなパンツを穿いていたんですか?」

「……きみ、本当に性格変わったよね」


 森斗はシルフィの下着姿を何度か目撃しているが、そこは流石にノーコメントだ。

 言ってしまったら、本当に喧嘩することになってしまう。

 春臣が話題を変えた。


「……そういえば、沙耶ちゃんは今日も図書館で仕事なのか?」

「そうなんですよ。図書館で郷土資料の展示をしていて――」


 二人が話し始めたので、森斗は窓の外に視線を向ける。

 美術室からは裏門周辺を見ることができた。


 裏門を入ったところは教員用の駐車場になっていて、今日は一般の人々も利用している。自家用車がせわしなく出入りして、実行委員会の生徒たちが客人たちにパンフレットを配っていた。正門ほどではないが人は多く集まっている。

 ただ、何かイベントが行われているわけではない。シルフィとマリアが偶然通りかかることもないだろう。それでも、わずかな期待が森斗の胸から離れないのだ。美術室の来客そっちのけで、ぼーっと窓の外を眺めてしまう。


 そのとき、裏門に場違いな人影が現れた。

 真夏のような陽気であるのに、そいつは暑苦しい革製のジャケットを羽織っている。金髪の幼顔だが、両耳には大量のピアスを填めて、両手にはトライバルタトゥーが彫ってあった。いくらなんでも、入校拒否されるには十分な格好である。


 案の定、警備に当たっていた守衛が駆け寄っていった。

 金髪の青年が不意に振り返る。

 瞬間、森斗と目が合った。


 倒すべき相手の容姿は頭に叩き込んである。

 細かいことを考えるよりも先に声を張り上げた。


「――みんな、逃げろッ!!」


 突然の大声に春臣や沙耶、美術室を訪れた一般客が振り向いた。

 金髪の青年は守衛を容易く振り切る。

 折りたたみナイフを抜き払うと、振りかざしながら美術室に突っ込んできた。


 跳躍。

 金髪の青年がナイフを振るった瞬間、美術室の窓ガラスが粉々に砕け散る。

 幸いにも窓際に一般客はいなかったが、砕けたガラスが弾雨のように降り注いだ。

 破片だらけの床に着地して、


「インペリアルを倒した男、見つけたぞ!」


 金髪の青年――ジャック・ジョーズは森斗にナイフを向けた。

 異端者が狩人を追って、潜伏先の学校までやってくる。

 どう前向きに考えても最悪の状況だった。

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