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シルフィがジャックと対峙した翌日。
放課後の美術室には、作業に追われる森斗と春臣の姿があった。
文化部発表会を明日に控えて、本日は多くの部活動が準備に追われている。廊下を駆けていく足音、トンカチを振り下ろす音、発表会のリハーサルを行っている声――今日の放課後はいつも以上に騒がしい。
森斗と春臣は二人だけで、明日の準備を行っていた。
作業台や椅子を片づけるだけでも、二人しかいないと一苦労である。頼りになる顧問の長山は予備校の授業に行ってしまった。とはいえ、愚痴ばかり言っていても仕方がないので、力を合わせて肉体労働をこなしていく。
二時間ほど頑張ったところで、展示パネルの設営は大体完了した。太陽もほとんど町並みに沈み込んで、空は橙色から藍色に移り変わろうとしている。美術部に残された作業は、あとは作品を飾ることだけだ。
森斗たちは椅子に腰掛けて小休止に入る。
「二人がいたら、もうちょっと楽だったのになー」
春臣は学ランを脱いで、ワイシャツを肘の上まで捲り上げている。
森斗も一緒になって脱ぎたかったが、学ランの下には愛用に二丁拳銃を隠してあるので我慢した。狩人の仕事は暑さとの戦いでもあったりする。調子に乗って薄着になったところを狙われたりしたら洒落にならない。
春臣がポカリスエットをごくごくと飲んだ。
「力仕事は俺たちがやるとしても、やっぱり飾り付けは女子の方が上手いもんだろ? リースを作ったりとか、花瓶を飾ってみたりとか……空間コーディネートも美術的センスの内だって言われたら、言い訳はできねえけどさ」
「シルフィは掃除好きだから、その辺は上手くやるかもしれない」
森斗は料理ができるけど掃除ができない。
そのため、シルフィは森斗の部屋に時々上がり込んでは、ゲリラ的に部屋の掃除を行っているのだ。部屋に散らばっている漫画を拾い上げれば「これは面白いのか? どんな作品だ?」と聞いてくる。グラビア雑誌を手に取ると「すぐに燃やせ!」と言ってくる……のだが、ちゃんと整頓して棚に並べてくれるから不思議だ。
「マリアちゃんは?」
「うーむ……」
マリアの自室を直接見たことはない。
けれども、以前送られてきた動画に彼女の部屋が映っていた。生活感の溢れる雰囲気だったことを森斗は覚えている。ものが多いからマンションを丸ごと買ってもらった、とも言っていた。整理する余裕がないのか、掃除が下手なのかは判断しかねる。
春臣が天を仰いだ。
「メイド姿のマリアちゃんに部屋を掃除してもらえたら最高だぜ、おい」
「確かに素晴らしい。金が取れそうだ」
マリアは時折、美術室のロッカーからコスチュームを引っ張り出しては一人ショーを繰り広げている。春臣がマリアのコスプレ写真を携帯電話で撮影しては、彼女から撮影料を請求される――というのがお約束の展開だった。
「……マジで撮影料を払っていたら、俺は今頃借金地獄だな」
ハハハ、と乾いた笑いの春臣。
彼が思いついたように言った。
「シルフィちゃんのメイド服も見てみたいところだな。だって、シルフィちゃんって『英国メイド物語シャルマ』のシャルマにそっくりだろ? ふわふわした銀髪とか、目つきが悪いところとか、身長が低いところとか……」
「確かに似ている。瓜二つと言っても過言ではない」
森斗は想像してみる。
メイド服を着こなして、家を掃除してくれるシルフィ。
彼女は満面の笑みを浮かべて「ご主人様☆」と森斗のことを呼ぶのだ。
「…………」
三回生まれ変わってもあり得ない気がする。
というか、そんなのシルフィじゃない。
「まぁ、いなけりゃ頼むこともできねーな」
春臣が空になったペットボトルをゴミ箱に投げ捨てた。
シルフィとマリアは美術部を休んでいるだけではない。
二人は学校自体を休んでいた。
森斗にはおおよその見当がついている。
昨晩の七時頃、上野のホテル街で殺人事件が起きた。被害者は刃物で細切れにされて、道ばたのポリバケツに突っ込まれていた。駐車場の車が火災を起こしたり、電線が切られたり、人命以外にも大きな被害が出ている。これも当然、切り裂きジャックの犯行であることがテレビで報道されていた。
シルフィとマリアのどちらか、あるいは両方が戦いに参加していたのだろう。正確な情報は森斗に伝えられていない。森斗の方も連絡を取ろうとは思わなかった。つい先日、二人と電話で話したことで、重要なことがあれば彼女たちの方から連絡してくれると分かったからだ。忙しい側の都合で電話してくれたらいい。
だが、二人まとめて学校を休んだのは流石に気になった。
余程のことなら美希から連絡が入る。
それがないのだから、致命的な事態には陥っていないはずだ。
「残りの作業もやっちまうかー」
春臣に続いて、森斗は椅子から立ち上がる。
飲み終わった小岩井コーヒー牛乳のパックをゴミ箱に放り込んだ。
森斗たちは休憩を終えて、完成した作品の数々を展示パネルに飾っていく。
最初に飾ったのは春臣の油絵だ。展覧会に応募するために完成させた作品で、ラピュタのごとき空中庭園をド迫力で描いている。ペインティングナイフで荒々しく塗った部分と、細かい筆で繊細に仕上げた部分の対比が美しい。
「今回はファンタジー色を強めに出してみた」
春臣にとっても会心の出来であるようだ。
森斗は興味が湧いてきて尋ねる。
「今までの作品とは少し違うの?」
「そうだなぁ……今まで描いてきたのは絵画らしいものが多かったな」
二人は春臣が以前描いた作品を並べていった。
その多くは写実的な風景画である。春臣はあまり作品のクオリティに納得していないようだが、文化部発表会で飾れる作品が少ないので展示に加えることにした。何事も物量が必要になるときはある。
春臣が珍しく真面目な顔をして言った。
「今までは漫画系のイラストと、展覧会用の絵画を分けて考えていたわけだ。どちらにも受けの良さってのがあるからな。でも、そう考えると描いていて窮屈な気がして……思い切って両方の画風を合わせてみたわけだ」
「なるほど。だからアニメ風の題材で、使っている画材が油絵の具なのか」
森斗は深く感心する。
真田春臣という少年はお調子者を装っているが、絵を描くことに対してはひたすらに真っ直ぐだ。そういう真面目なところを見るたびに、実に格好いいやつだなと森斗は思うのである。自分がグリム機関の人間でなかったら、もっと心の底から親しくなれたはずだ。
……いや、もうすでに十分親しい。
春臣が異端者の人質になったとき、森斗は彼を見捨てられる気がしない。グリム機関から命令されても、きっと反発してしまうはずだ。東京支部の支部長――二階堂玲司が言っていたような『状況を変化させる強さ』があれば、そんなの些細な問題かもしれないが……。
続いて、マリアのイラストも展示した。
彼女の作品はシルフィとバラ園を題材にしたデジタルイラストだ。満開のバラ園でシルフィモチーフの少女が微笑んでいる。線画は鉛筆で描いたもので、それをスキャナーでパソコンに取り込んでから、イラストソフトで彩色したのだと春臣が解説した。
「すでにプロ並みの腕前だな」
春臣が素直に驚いている。
「これは……この夏の即戦力になりそうだ」
「夏の即戦力?」
森斗は問いかけるが、彼は不敵にほくそ笑むだけだった。
今はまだ話すべきときではない、という感じだろうか?
マリアは気を利かして、昔描いたイラスト数点も持ってきてくれていた。アクリルパネルを額縁代わりにして、イラストを挟んで展示パネルに飾る。急ごしらえの代用品だが、これはこれでシンプルな感じがしてセンス良く見える。
次に展示したのは森斗のイラストだ。
犬や猫といった動物、樹木や花々のような自然物、身近な人たちを描いた人物が、漫画のキャラクターの模写――などなど、夢中で描いていたら五十枚を超えていた。せっかくなので、森斗は全ての作品を飾ることにする。案の定、割り当てられた三枚の展示パネルは、多数のイラストで埋め尽くされた。
「……トンデモねえ威圧感だな」
飾り終えて、春臣が言った。
「あらゆる方向から、誰かに見られているような気がするぜ……」
展示パネルの上辺から、足下ギリギリに至るまでイラストは飾られている。動物も人物も共通して、なぜだか目に光が入っていない。ただ単に『目に光を入れる意味』を森斗は知らなかっただけなのだが、春臣は底知れぬ恐怖を感じずにはいられなかった。
森斗は一方、展示の具合に上出来だと納得していた。
「みんなに囲まれている感じが癒されるね」
「そ、そうか……」
触らぬ神に祟りなし、といった様子の春臣。
森斗の作品を設置し終えて、最後はシルフィの作品に取りかかった。
彼女が用意したのはモノクロのデッサン数点とカラーイラスト一点である。
モノクロのデッサンは、シルフィが美術部に入部してから描きためていたものだ。シンプルな円柱、ギリシャ人の彫刻、美術室に置かれているゴミ箱などなど、目についたものを好きなように描いてみたのだろう。
カラーイラストはシルフィが以前言っていたように色鉛筆を使っている。マンションの一室を背景にして、テーブルの上に置かれたドーナッツを描いたものだ。森斗にはそこがシルフィの自室であると一目で分かる。
ドーナッツのそばにはミスタードーナッツの空き箱が置いてあった。五つほどドーナッツが並べられているが、その中の一つ……ポンデリングだけは一口囓られている。シルフィが我慢できなくなって、摘み食いしたのかもしれない。
「甘党のシルフィちゃんらしいな」
クスッと笑っている春臣。
シルフィの甘党は校内でも有名になっている。というのも、昼休みに必ず購買を訪れてはデザートを買っているからだ。森斗が聞いた噂によると、購買前の廊下は一種の観察スポットになっているらしい。
「美術室に来られないくらいに忙しいはずなのに、二人ともよくやってくれるぜ」
春臣がうんうんとうなずいた。
森斗は二人が電話してくれたことを思い出す。
切り裂きジャックの事件に追われて、最も忙しくなっているのは彼女たちだ。それにもかかわらず、シルフィとマリアは森斗を励ますために電話をしてくれた。そんな二人のためのも、文化部発表会は絶対に成功させたい。
「おっと、森斗は気合いが入りまくってるな?」
またもや顔に出ていたようで、春臣がからかうように言った。
「それだけの気合いがあれば、あの二人とも仲直りできるだろ」
「……早くに解決することを祈っているよ」
森斗は彼に合わせて言葉を選ぶ。
別段、森斗はシルフィ&マリアと喧嘩をしているわけではない。最初は春臣の勘違いだったのだが、シルフィと電話で話した際、辻褄が合うので喧嘩をしているということで口裏を合わせることにしたのだ。
この作戦にはマリアも了解済みである。
あとで仲直りをしないといけませんね、と彼女は楽しげに笑っていた。
ともあれ、これで文化部発表会の前日準備は必要だ。
当日はまた朝から忙しくなるが、今日のところは明日を待つばかりである。
春臣が提案した。
「どこかでラーメンでも食べていくか?」
「それがいい」
ちょうど空腹になっていたところである。
森斗はすぐに食べたいものが思い浮かんだ。
「野菜マシマシ、ニンニクマシマシ、油マシマシ、豚ダブル、麺固めを食べてみたいところだったんだ。シルフィやマリアの前だと、ニンニクたっぷりのラーメンは食べにくいからね。春臣と二人なら気兼ねない」
「もはやラーメン以外の何かだろ、それ!」
ノリノリでツッコミを入れる春臣。
言葉とは裏腹に乗り気であるらしい。
二人は戸締まりをして、美術室をあとにする。
シルフィとマリアの二人も、どこかで美味しいものを食べてくれていたらいいな……ということを森斗は思わずにはいられなかった。




