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グリム機関の赤頭巾  作者: 兎月竜之介
グリム機関の赤頭巾
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04

 翌日の深夜、森斗とシルフィは車に乗せられて移動していた。

 駅前の華やかさからはだいぶ遠ざかり、ここは本当に大都会東京の一角なのかと疑いたくなるくらいに暗い。電灯もまばらにしか存在せず、変質者でも飛び出してきそうな雰囲気だ。今はただ、大人しく目的地に到着するのを待っている。


 本来ならば、事前調査にはもう数日掛けるところである。だが、シルフィが大神煌の変異形態をズバリと言い当てたらしいと、森斗は美希から聞かされていた。必要な武器、取るべき戦法も自ずと絞られていく。そして、なによりも上がシルフィの提案した作戦を採用して、すぐさま作戦決行と相成ったのだ。


 ただ、森斗的には少々の不安が残っている。グールの変化、被害状況からして、大神がどのような変異をしているかはシルフィの予測で十中八九正解だろう。けれども、彼女の提案したおとり作戦がどうしても気に入らないのだった。


 作戦自体は非常にシンプルである。

 グリム機関が大神に対して呼び出しをかけるのだ。我々はお前の手下たちを始末した組織のものだ。お前たちを潰してやるから勝負を受けろ、と。シルフィ曰くシンプルであるほど効果的なのだとか。そして、呼び出された大神をシルフィが足止めして、森斗がその隙に対物ライフルで撃ち抜くのである。狙撃用の銀弾はまず有効だろう。

 最後の確認として、森斗がシルフィに尋ねようとする。


「今回の作戦についてなんだけど――」

「何だ、変態」


 途端、辛辣な言葉が飛んできた。

 今日もまた赤色のフードをかぶって、ロリータ調の衣装を着込んでいるシルフィは、まるでゴミでも見るような視線を森斗に向けている。彼女の両手は腰のホルスターに収められているグルカナイフに伸びていた。


「言っておくけれど、あのグラビア雑誌は元々僕のものじゃないんだ。戦闘班の人たちから、必要ないからと譲り受けたんだよ。いろんな種類が揃っているのは、そういった理由があるからなんだ。僕はあくまで、同年代の女の子のことが――」


 シルフィが森斗の足を思い切り踏み抜く。金属板の仕込まれたブーツ同士が衝突して、交通事故でも起こったような豪快な音が車内に鳴り響いた。しっかりと安全靴に守られていたおかげで、森斗の足にもノーダメージである。

 ダメージを与えられなかったのが悔しいのか、シルフィが顔を真っ赤にして森斗を睨み付けている。

 森斗は不意に重要なことを思い出した。


「そうだ……シルフィが部屋を掃除してくれたんだよね? ありがとう、助かったよ」

「は、はぁっ!?」


 エメラルド色の目を白黒させているシルフィ。

 開いた口がふさがらない、といった様子で口をぽかんとさせている。


「お、お前、このタイミングでそれを言うのか!?」

「いや、だって、掃除をしてもらったのは本当に助かったし……」


 事実、行方不明になっていた森斗の特に好きな雑誌も見つかっていた。

 シルフィは先ほどと一転して、真一文字に結んだ口をモゴモゴとさせて、満更でもないといった感じに視線を泳がせている。落ち着かない様子で腕組みすると、彼女のシャープな胸元がほんのわずかに強調された。

 彼女は声を張り上げる。


「そ、そんなことよりも、今回の作戦の話だっ!」

「確かにそうだ。僕もそのことが気になっていた」


 かねてからの疑問を森斗は問いかけた。


「そもそも、大神はちゃんと呼び出しに応じるのか?」


 当然、とシルフィが答える。


「大神煌は超常的な能力を手に入れて調子に乗っている。手下の雑魚にすら力を分け与えて、目撃例が残るような雑な手段で女性を襲わせている。自分の力を試したくて、わざと隙を見せているんだ。やつは必ずやってくる」

「その気持ちは分からなくもない」


 森斗も狩人デビューする前は、自分の戦闘能力を試したくて仕方がなかった。

 実戦で痛い目に遭わなければ、そう簡単に自分を律することなんてできない。

 大神は誘いに乗るだろうけれど、問題はもっと別の部分にある。


「それよりも、納得できないのはおとり作戦の部分だ」


 提言する森斗。

 何が不満なんだ、とシルフィが苛立ちを露わにする。


「大神の変異形態が私の予想通りなら、グリム機関の用意した対物ライフルは間違いなく有効だ。狙撃用に特注された銀の弾丸も必ず効果を発揮する。お前よりも狩人歴の長い私の判断が信じられないというのか?」

「シルフィの予想は間違っていないと思う。でも、そうじゃなくて、僕はシルフィがおとりになるってことがイヤなんだ。たった一人で異端者と向き合わなくちゃいけない。失敗したときのリスクが高すぎる」


 異端者の強さはグールと比べものにならない。

 狩人は一人でも複数のグールを相手にできる。だが、狩人が異端者と戦うときは、最低でも二人以上のチームを組んで行動するのだ。異端者と一対一で戦える狩人は、グリム機関でも極めて少数――森斗やシルフィとはレベルが違いすぎる。


「他にも取れる作戦はたくさんあるはずだ」


 森斗は主張する。

 戦力不足を解消するなら、美希が関わっているという別件の解決を待てばいい。多少の時間はかかってしまうが、自分たちよりも実力が上の狩人たちが助けてくれる。敵よりも多くの戦力を確保するのは戦いの基本だ。

 大規模な戦闘を避けるなら、いっそのこと暗殺という手段を取ってもいい。グリム機関がするべきことは、異端者を人知れず確実に抹殺することである。不確実で危険をはらんでいる作戦を採用する必要はないのだ。


 シルフィが宝石のような瞳を彼に向けた。

 彼女の目があまりにも綺麗で、森斗は思わずドキリとしてしまう。けれど、ただ綺麗というだけには止まらない。シルフィが扱うグルカナイフのような鋭さが彼女の視線にはあった。殺意にも似た抜き身の感情が乗せられているのだ。


「大神を暗殺できる場所を探し回っている暇はない。その間にも被害者は増える。それに私には急ぐなりの事情がある。そして、上は私の提案した作戦を採用した。森斗、お前には自分の意見を押し通したい理由が何かあるのか?」

「別に押し通したいっていうわけじゃ……まぁ、でも、理由はある」


 森斗は臆せずに答える。


「僕は特別な理由があって狩人になったわけじゃない。父さんが元からグリム機関の狩人で、僕に跡を継がせようとしたんだ。実家の仕事を継ぐようなものだ。だけど、戦闘の訓練ばっかりで学校の友達と遊べなかったり、イヤなことも多少はあった」


 そのせいで、クラスメイトたちの盛り上がっている話題についていけなかったり、まともな友達ができなかったり、訓練していることを知られて乱暴者に絡まれたり……高校生になった今でも困っていることがあるくらいだ。


「それで苛立っていたとき、父さんから教えてもらったんだ。僕たちは当たり前のことを守ることが大切なんだ。仲間を死なせないとか、無駄に相手を殺さないとか、そういう当たり前のことを守るのはとても難しい。だからこそ、調子に乗って自分の力を誇示しようとか、相手を好きなだけ打ちのめしてやろうとかは駄目なんだ」


 現在も狩人として、海外で戦い続けている父のことを森斗は思い浮かべる。


「当たり前を守れなかったせいで、僕の父さんは自分の妻を――僕にとっての母親を失ってしまった。父さんはいつも笑ってる明るい人だけど、お母さんのことを話しているときだけはとても辛そうで――」


 森斗の言葉が途切れる。

 一瞬、彼にはシルフィの瞳が赤く輝いたように見えた。

 けれども、それは目の錯覚だったのかもしれない。瞬きをした次の瞬間には、彼女の瞳はいつも通りの綺麗なエメラルド色になっていた。


「作戦は決定事項だ。今からではもう変えられない……」


 あまりに睨み付けすぎたと思ったのか、シルフィが窓の外にそっと視線を外す。

 口を噤んで、森斗は車の座席に体を沈み込ませた。

 彼女が昨日の夜、風呂上がりにハーゲンダッツを美味しそうに食べていたシルフィと同一人物なのか……それすら疑いたくなる眼光だったと森斗は思っていた。


 ×


 車内でのやりとりを思い返しながら、森斗はビルの屋上に対物ライフルを設置した。

 彼が陣取ったのは十階建ビルの屋上である。大神を呼びつけた廃工場まで、距離は五百メートル以上離れている。暗視スコープを覗き込めば、屋根に穴が開いた廃工場内部を安定して狙うことが可能だ。ほぼ無風状態で狙撃には絶好の調子である。


「で、顔が微妙に腫れているのは?」


 尋ねてきたのは観測手を務める戦闘班の男性だ。

 狙撃は基本的に二人一組で行われる。観測手が着弾の確認、周囲警戒などを請け合うことによって、狙撃手は的を撃つことだけに専念することができるのだ。森斗も十分に訓練を受けているが、一人での狙撃には少々不安がある。

 森斗は回し蹴りを喰らった頬を手でさすった。


「昨日、シルフィにやられました」

「格闘訓練とは、森斗くんも熱心だなぁ!」


 そういうことにしておこう、と森斗は考える。

 暗視スコープを覗いて、彼は廃工場の容姿を観察する。


 屋根は抜け落ちて、鉄筋コンクリートの壁も至る所が崩れている。ボロボロになった工作機械が放置され、何を吊していたのか、天井からはワイヤーやチェーンが垂れ下がっていた。足を一歩踏み出せば、土煙のようにホコリが舞い上がる。数多くの女性を襲い、ときには殺してきた悪党にはお似合いの場所だろう。


 シルフィは廃工場の中心で、大神がやってくるのを今か今かと待ちかまえていた。すでに両手にはグルカナイフが握られており、戦闘が発生した場合に備えている。約束の時刻まであと一分を切っていた。

 森斗は装着しているインカムに問いかける。


「そちらの様子はどうだ?」


 すると、同じくインカムを装着しているシルフィが答えた。


『ちょうど始末対象がやってきたところだ』


 彼女が言った通りに、廃工場の正面入り口から大神煌が姿を現す。

 彼は今のところ人間形態を取っていた。


 サラッとした茶髪、鼻筋の通った顔立ち、スマートながらも適度な筋肉を持った肉体、ファッションセンスも申し分ない。これでは彼のそばにいる女性たちは大変な思いをするのも仕方なく思える。


 それから、大神に続いて若者たちがぞろぞろと現れる。その数は十人以上、年下も年上も含まれているが、その大半がすでにグール化を済ませていた。金属バットや木刀といった武器で装備を固めている。


 シルフィを円状に囲んで、今は状況を静観するグールたち。

 大神が一歩前に進み出る。


「お前が俺たちの狩り場を荒らした女か?」

「そうだ」


 冷淡にシルフィは答えた。


「有名校のお嬢様たちを連れ去ろうとしていたからな。一匹目は首を刎ねて、二匹目は両腕を切断して腹部を裂き、三匹目は拷問に掛けて殺した。拷問に掛けた三匹目はタトゥーをしていたな。最後まで無様に命乞いをしていたよ、自分から化け物になったくせにな」


 彼女の挑発に大神は動じる様子を見せない。

 ……というか、そもそも挑発をするのがおかしい。シルフィはあくまでおとりであり、大神の動きをその場で固定させるのが役目だ。森斗の対物ライフルで仕留めるためには、大神を決して煽ったりしてはいけない。


 森斗の中で不安が大きくなる。

 シルフィの言っていた急ぐなりの事情とは何だ?

 大神が不敵に微笑んだ。


「ヤクザ連中から噂は聞いたことがある。超常的な力を得た人間の元には、どこからか必ず始末屋がやってくると。しかし、ずいぶんと可愛らしい始末屋だ。すぐに殺すのは惜しい。迷惑を掛けられた仲間たちにもお詫びして欲しいところだしな」


 周囲を取り囲むグールたちが下品な笑い声を上げる。

 シルフィは品定めするような、肉体を見透かすような視線を感じていた。

 彼女はグルカナイフを回転させて構え直す。


「お前の変異形態はすでに予測が付いている。太い牙、鋭いツメ、体毛が伸びて、女性を積極的に襲うようになることから考えて、お前の変異形態は――人狼!」

「……正解だ、赤頭巾ちゃん」


 感心した様子の大神。

 シルフィは続けて問いかける。


「そして、人狼の属性は『色欲』だ。お前……誰を犯して禁忌を破った?」


 大神煌という人間が異端者に変わった――言うなれば、現在の彼を形作った根源に関わる質問である。それを語るか語らざるかは当人の判断によりけりだ。だが、大神は自ら犯した大罪を偉業のように語り始めた。


「俺の人格を決定づけたのは……そうだな、あれはまだ俺が赤ん坊の頃だ。寝かされている俺の脇で、父と知らない女が交わっているのを目撃したんだ。少なくとも母ではなかった。まだ幼稚園にも上がらないときのことだったが、それだけは良く覚えている」


 彼の語り口調からして、それがショッキングな出来事だったようには聞こえてこない。

 むしろ、何か天啓を得たように大神は語るのだ。


「俺は成長するに従って、異常な性欲を持つようになった。この衝動を収めるため、最初に体を捧げたのは俺の母親だった。俺の手から妹を逃れさせるため、母は自らの息子である俺に体を差し出したんだ」

「近親相姦の禁忌……畜生以下の外道め」


 吐き捨てるシルフィ。

 彼女が嫌悪の感情を露わにするほどに、大神は恍惚としていく。


「俺は禁忌を破り、人狼に変化する術を手に入れた。それからは周囲の女を手込めにしては使い捨てた。男に無理やり犯されるだけでも心が壊れそうなものだが、相手が人狼なのだからな……女どもの精神は面白いように崩壊していったよ」


 大神に襲われた女性たちは、まさしく人狼の食い物にされたということだろう。性的暴行を受けただけでも相当のショックだが、自分を襲った相手が人狼では何も言い出せないのも仕方のない話である。

 シルフィの怒りもいよいよ限界を迎えた。

 事件の真相を聞き出せた以上、もはや大神煌に用はない。


『……殺せ』


 シルフィが一言、インカムのマイクに向かって呟く。

 森斗はすぐさま、大神の頭部に狙いを合わせた対物ライフルのトリガーを引いた。

 瞬間、正面からぶん殴られるような反動が彼に襲いかかる。放たれた銀の弾丸は音速を突破して、一直線に大神の頭部に向かって吸い込まれていった。まるで、弾丸が意思を持って大神を狙っているかのように綺麗な軌道を描いている。


 異端者はたとえ心臓を失っても生きていることがある。だから、代表的な殺害方法は三つ――一つ目は銀の武器でダメージを与えること、二つ目は脳を完全に破壊すること、三つ目は全身を粉微塵にすること。

 大神が人狼形態に変異していない。

 否、変異していたとしても対物ライフルを頭部に受けたら即死する。


 わずかに遅れて、内臓を揺さぶるような重低音が一帯に響き渡る。

 大神煌はこれで木っ端微塵……人間の形すら保っていられない。

 そのはずだった。


「――大神煌、生存を確認!」


 観測係の鋭い報告。

 森斗は暗視スコープから視線を外し、手持ちの双眼鏡で廃工場を確認する。


 大神は確かに生きていた。

 その両目は真紅に光り輝き、肉体は人狼へと変異しつつあることが分かる。


 事実、すでに彼の右腕だけは部分的に人狼化を終えていた。上着がはち切れるほどに肉体が巨大化して、針金のように鋭い体毛が皮膚にびっしりと生えそろっている。ツメは鋭く尖り、一本一本が磨き上げられたナイフのようになっていた。

 ツメの先端から黒い煙がぶすぶすと立ち上っている。


「ここらの女はおおかた食わせてもらったからな――」


 大神は驚くべき反射速度で、対物ライフルから放たれた弾丸を受け止めていたのだ。


「今の俺はいつになく最高だ!」

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