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グリム機関の赤頭巾  作者: 兎月竜之介
切り裂きジャック
34/46

33 心理的な離ればなれ

 昨晩の出来事。


 深夜の路地裏を一人の女性が駆けている。

 女性は派手なドレスを着て、ブランド品のバッグを抱えていた。きつめのメイクに盛り上がった髪型から、彼女は夜の仕事をしている女性だと分かる。肩に羽織っているショールは、なぜだかボロボロに切り裂かれていた。


 彼女は必死に走りながら、携帯電話で警察に連絡しようとする。だが、ピンヒールで走りながらではボタンをまともに押すこともできない。そして、そうこうしているうちに携帯電話も取り落としてしまう。


 周囲に人気はない。人通りの多いところに出れば助けを求めることもできる。だが、いつもは覚えているはずの道のりも、気が動転しているせいで思い出せない。意思とは反して、路地の奥にどんどん迷い込んでしまうのだ。


「ハァッ、ハァッ――あぁっ!?」


 女性が角を曲がったところで転倒する。不運にもヒールが折れてしまったのだ。コンクリートの地面に勢いよく倒れたせいで膝に血が滲んでいる。足首をひねってしまったようで、立ち上がることすらできなかった。


 そのとき、そばにある雑居ビルの屋上から何者かが飛び降りてくる。そいつが地面に着地すると大きな音が鳴った。八階建てのビルから跳躍したのだから当然である。だが、何者かは受け身を取った様子すらないのに平気な顔をしている。


 そいつは切り裂きジャックの異端者――ジャック・ジョーズだった。

 彼は大道芸人のように折り畳みナイフをくるくると回している。幼顔のせいもあって、まるで無邪気に玩具で遊んでいるかのようだ。ただ、彼の瞳は血のような赤色をして、闇夜の中で爛々としている。


「逃げないでよ、お姉さん。お店の外でも遊んでくれるって約束だよね?」

「あっ、あなた、何なのよ!? ナイフで、こんなっ、ズタズタにっ……」


 女性は体を引きずるように後退する。

 肩に掛かっていたショールが地面に滑り落ちた。それはジャックのナイフがかすった瞬間、ズタズタに切り裂かれてしまったものである。連続で切りつけたわけではない。ただの一度きりだったことを女性はハッキリと覚えていた。

 ジャックが貼り付いたような笑みを浮かべて近づいてくる。


「なぜかって、それは俺が殺人鬼だからだよ。殺したくなるような相手を探して、どんな風に殺そうかと考えて、最後は現場でのインスピレーションを交えながら殺していく。殺し合いをするなら男相手の方が盛り上がるんだけど、バラすなら女の方が楽しいね」


 バラすなら。

 女性は今一度、自分は殺されようとしているのだと確信する。

 彼女はバッグに手を突っ込むと、そこから財布を取り出した。

 ありったけの紙幣とクレジットカードを投げ捨てる。


「お、お願い、殺さないで! ほら、お金ならあるから、カードも使っていいから! ねぇ、本当に死ぬのだけはいやなの! 殺すのだけはやめて! 見逃して! 他のことだったら、私は何だってするから!」


 女性は止めどなく涙を流している。

 涙でメイクが剥げてしまい、着飾った美しさもなくなりかけていた。

 ジャックが小さなため息をつく。


「……分かった、分かった。そこまで言うなら諦めるよ。きみのお店でお金を使ったせいで、財布の中身がスッカラカンなんだ。まぁ、そのお金は僕がきみに払った分だから、僕の手元に戻ってくるのは当然のような気がするけど」


 当然なんかじゃないわよ、と悪態をついた女性。

 どうにか命だけは助かったと安堵していると、


「――おやすみ、お姉さん」


 ジャックが女性の腹部にナイフを突き立てた。

 女性の体が痙攣する。


「どう、して……」

「……どうしてかって、殺人鬼が殺人を我慢できるわけないじゃないか」


 ジャックは逆手で持ったナイフを振り上げる。

 女性は腹部から喉元にまで切り裂かれて、瞬間、彼女の全身に無数の亀裂が走った。まるで全身を何回も、何十回も切り刻まれたかのような有様だ。まるでスプリンクラーのように女性の体から血が噴き出している。


 彼女の死体を目撃する人は人間が裏返ったと思うかもしれない。

 それほどまでに死体の損傷はひどかった。


「こいつは足がついちゃうからやめておくとして……」


 ジャックは紙幣だけをジャケットにしまって、クレジットカードを投げ捨てる。

 それから、女性の死体を蹴り飛ばしてうつぶせにした。


 死体の背中側は比較的に損傷が少ない。彼はしゃがみ込むと、大きくはだけた死体の背中にナイフで英語の文章を刻んでいった。死体を丁重に扱うような素振りは見られない。倒木に目印を刻むようにザクザクとナイフを突き立てる。

 刻み込まれた文章はこうだった。


『インペリアルと戦った男、出てこい!』


「これでグリム機関には伝わるかな?」


 ジャックは立ち上がって、ジャケットの胸元をバタバタとする。

 五月のまだ上旬だというのに蒸し暑い日が続いていた。一般人を追いつめて殺すことくらいは彼にとって朝飯前である。だが、革製のジャケットを着ているせいで、彼の額には汗の玉が浮かんでいた。


「本当はもっと時間を掛けてじっくりと解体したいんだけど、今回のところはゴメンね。事情があってゆっくりしていられないんだ。でも、お姉さんの死を無駄にしないように、狙った相手は必ず殺すようにするよ。約束する」


 死体に語りかけるジャック。

 遠くの方からパトカーのサイレンが聞こえてくる。


 ここにも近いうちに人がやってくるだろう。ジャックほどの実力があれば、日本の警官がいくら集まっても負けることはない。だが、厄介なのは事態を聞きつけると同時に派遣されるグリム機関の狩人たちだ。今はまだ戦うべきときではない。


 ジャックは女性のドレスでナイフを拭う。

 ナイフを折り畳んでポケットにしまうと、その場から速やかに撤退した。


 ×


 昨晩の事件について、森斗は美希から一部始終を聞かされる。

 深夜三時を過ぎたころ、新宿で一人の女性が遺体となって発見された。鋭い刃物で全身を切りつけられて、バッグからは現金だけが盗まれていた。犯人はクラブで女性を指名した男で、店員たちの証言から犯人がジャック・ジョーズであると判明する。


 連続殺人鬼による犯行。

 メディアではすぐさま大々的に報道されることだろう。つい先日、ジョニー・ジョーズ事件が久方ぶりに取り上げられてから、わずか数日後に起こった事件だ。世間の関心は間違いなく高まっている。


 ただ一つ、遺体の背中に刻まれていた文章についてだけは、グリム機関の手によって情報規制された。インペリアルと戦った男、出てこい。世間一般の人々が知ったところで理解はできないが、グリム機関と超越者協会ならば話は別だ。


 森斗自身も当然理解している。

 美希が確認するように言った。


「ジャック・ジョーズは森斗くん……あなたを狙っているわ」

「……そのようですね」

「調査班の調べによって、ジャック・ジョーズは吸血鬼の異端者『インペリアル』を狙って動いていたことが分かったわ。生粋の戦闘狂であるジャック・ジョーズにとって、インペリアルは殺し合うのに絶好の相手だったのでしょうね」


 ここで話は先月の事件にリンクする。

 インペリアルが日本にやってきたのは、人狼のハイブリッドであるシルフィの血液を狙っていたからだ。だが、インペリアルは森斗たちに倒された。ジャックはその情報をどこかで聞きつけたのだろう。超越者協会と関係が薄れているとしても、その程度の情報なら手に入れられるはずだ。


 そして、ジャックはインペリアルを倒した狩人たちに目を付けた。彼は以前から、男性を殺し合いの相手として、女性を解体する相手として捉える傾向がある。ジャックはインペリアルの代わりに森斗を選んだのだ。


 グリム機関と連絡を取る方法はある意味では簡単である。普通の人間が起こしたと思えないような事件を起こせばいい。ジャックの思惑通りに、女性の死体はグリム機関に彼からのメッセージを届けた。


 森斗は思わずベッドから立ち上がる。

 携帯電話に向かって、熱くなって訴えた。


「美希さん、僕が切り裂きジャックと戦います! 相手は僕を指名している。僕が直接出て行けば、これ以上の被害を増やさなくて済むじゃないですか。それなのに、どうして僕を出動禁止にするんですか!?」

『……落ち着いて、森斗くん』


 美希とて上からの命令には逆らえない立場である。

 彼女だって心苦しいことは森斗にも分かってはいた。


『相手は十年近く活動している異端者よ。森斗くんが正直に出て行ったところで、別の狩人からの奇襲を警戒して出てこないわ。切り裂きジャックの狙いは、インペリアルを倒した男の情報を少しずつ集めること。狩屋森斗という人間を特定して、邪魔の入らない状況を作ってから勝負を仕掛けてくるわ』

「そんなっ……」


 携帯電話を握る手に力がこもる。

 これでは足手まといもいいところだ。


『あなたを海外の支部に異動させるという選択肢もあるわ。だけど、それでは根本的な解決にならない。上はジャックが日本にいるうちに片を付けるつもりね。だから、あなたには一般学生の振りをして今後も生活してもらうわ』


 受け入れる他はない。

 海外の支部に異動させられたら、自分の安全は確保できるだろう。だが、ジャックはそれを知ったら間違いなく姿をくらます。それならば、戦力にならないとしても日本に残った方がまだマシだ。


 それに自分だけ海外に異動したら、シルフィやマリアとの約束はどうなる? 美術部も参加する文化部発表会は? グリム機関の狩人としては間違っているかもしれないが、森斗はこの場所から離れたくなかった。


「……分かりました、大人しくしています」


 森斗は命令を受け入れる。

 現場で戦うことができない以上、狩人である自分にできることはない。


『ありがとう、理解してくれて』


 美希が安堵のため息をついた。


『念のために普段の生活でも注意した方がいいわ。シルフィさんとマリアさんには切り裂きジャックとの戦いに参加してもらう予定なの。だから、たとえ学校でも二人と安易に会話しないようにして欲しい。電話もなるべくしないで』

「会話すら、ですか……」

『切り裂きジャックを倒すまでの辛抱よ。受け入れて、森斗くん』

「……分かりました」


 そこで美希との通話が終わる。

 つい先ほど、日が沈んだばかりの公園で、シルフィは森斗に「また明日だ!」と言った。森斗も「また明日、迎えに行くから!」と答えた。それが二人の日課だった。明日も同じことを繰り返すのだと思っていた。


 当たり前の日常すら守ることができない。

 それが狩屋森斗の現状なのである。


 森斗は携帯電話を投げ出して、そのままベッドに倒れ込んだ。

 カップラーメンのお湯を沸かせる気力もない。

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