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グリム機関の赤頭巾  作者: 兎月竜之介
切り裂きジャック
33/46

32

 ゴールデンウィークが明けて、放課後の美術室。

 森斗、シルフィ、マリアの三人は今日も今日とて部活動に参加していた。文化部発表会に向けて、春臣が進捗状況を確認したいと言ってきたのである。三人とも特別な用事があったわけではないので、時間通りに集まることができた。

 だが、


「――どうして俺を誘ってくれなかった!!」


 森斗たちを待っていたのは、春臣の悲しき嘆きだった。

 彼は作業台に突っ伏して、子供が駄々をこねるかのようにジタバタしている。

 三人はそれぞれ空いた席に腰掛けて、春臣が落ち着くまで待つことにした。


 森斗たちは三方から彼を観察する。

 そして、五分ほどジタバタの振動に耐えたところ、


「……俺に構って!!」


 春臣がしびれを切らして顔を上げた。

 構ってと言われても、と森斗はシルフィとマリアに目配せする。

 マリアがあっけらかんとして言った。


「春臣さんはアルバイトで忙しいとのことでしたので」

「クビになっても遊びに行ったっつーの!!」


 椅子から跳び上がる春臣。

 跳び上がって、そのまま再び椅子に座った。


「銀髪碧眼ドイツ人ロリ娘と黒髪青眼ハーフ女子高生から遊びに誘われたら、男たちはどんなリスクを冒してでも駆けつけるってことがどうして分からないんだよ! これだから、いくら可愛くても女の子ってのは!」

「私も女子高生なのだが……」


 ムスッとするシルフィ。

 マリアがスクールバッグを作業台の上に置いた。


「まぁまぁ、流石に春臣さんが一人だけ遊びに行けないのは可哀想だと思って、ちゃんとお土産も用意してあるんですよ! 流石は西園寺さん、気が利いてますね!」

「待ってました! それ待ってました!」


 春臣が手を叩いて喜ぶ。

 マリアはスクールバッグから便せんを取り出すと、その中から一枚の写真をおもむろに引っ張り出した。

 マリアのバニーガール姿を撮影したコスプレ写真である。


 写真の中にいる彼女は笑顔を振りまき、右手で抱えた金属トレイを胸の谷間に挟んでいる。左手はお得意のピースサイン。お尻をくいっと突き出しているので、レオタードにくっついているウサギの尻尾が正面からでも見えていた。


 春臣はマリアから写真を受け取ると、それを食い入るように見つめた。

 すると、マリアがそっと右腕を差し出した。


「一枚で一万円ですよ?」

「ほげぇーっ!?」


 春臣がおかしな悲鳴を上げる。

 マリアが彼の背中をバシバシと叩いた。


「冗談ですよ、春臣さん! 本当にお金を取るとしたら、この西園寺さんの生写真が一万円程度で買えるわけがないじゃないですか。これは私たちの友情の証として、あなたに無料でプレゼントしますよ」


 彼女は写真をもう一枚取り出すと、今度はそれを森斗に手渡した。

 森斗はじっくりと写真を眺める。


「これはとても素晴らしいものだ。ありがとう」

「当然です。毎日のように眺めてもいいですよ?」


 ムフフ、と思惑ありげな笑みを浮かべるマリア。

 森斗が彼女の写真をスクールバッグにしまっていると、


「――ほら、お前にくれてやる」


 シルフィまでもが一枚の写真を手渡してきた。


「本当は一枚だけ印刷するつもりだったのだ。だが、間違って二枚も印刷してしまった。同じ写真を手元に残していても仕方ないからな。せっかくだから、お前にくれてやる。おそらくは最も上手く撮れているやつだ」


 森斗はもらった写真を表にする。

 そこに写っているのはバニーガール姿のシルフィだ。


 身につけた赤色のコスチュームは撮影用ライトに照らされて輝いている。唇に薄く塗られているリップ、ツメに塗られている赤いマニキュアも艶やかだ。レオタードは腰回りにピッタリと貼り付いているのに、胸元の辺りだけぽっかりと隙間ができていた。


 写真の中にいるシルフィは真っ赤な顔をしながら、じぃーっとこちらのことを見ている。そして、何かをしゃべっているときにシャッターを切られたのだろうか……わずかに口を開いている。おそらく「ばか!」と言っているのではないかと森斗には分かった。


 本人はカメラに向かって怒っているだけなのだが、そのせいで意図せずして前のめりになっている。そのため、しなを作っていたマリアのようにウサギの尻尾がぴょこんと見えていた。胸元もギリギリの感じで危険である。


 とてつもない写真だ、と森斗は思った。

 これは可愛すぎて危険かもしれない。


「ストップ! ストーップ!」


 森斗がじぃっと写真を見つめていたら、急にシルフィが視界に割り込んできた。

 鼻と鼻がぶつかりそうな距離で見つめ合う。

 先に避けたのはやはりシルフィの方だった。

 彼女は大げさに咳払いをする。


「……写真はお前にくれてやるが、決していやらしい視線を送るんじゃないぞ? その写真を一日に眺めていいのは三秒までだ。それ以上眺めていたら、お前がどんな卑猥なことを考えるか分かったものじゃないからな。鏡越しに眺めたりするのも駄目だ」

「えぇえ……」


 森斗の口から悲しみの声が漏れた。

 これほど素晴らしい写真を一日に三秒までしか見られないだなんて……。


「分かった、我慢するよ」


 喜びと悲しみを飲み込んで、森斗はひとまず写真をスクールバッグにしまった。

 春臣がシルフィの肩をツンツンする。


「シルフィちゃん、俺には写真をくれないの?」

「存在を忘れていた」

「…………」


 クラスメイトから存在を忘れられる男、真田春臣。

 彼のことを忘れてしまうくらいにゴールデンウィークを楽しんでくれたんだろうな、と森斗は勝手ながら好意的に解釈する。


 そのとき、美術室の引き戸がガラリと開けられた。

 入室してきたのは美術部の顧問である『長山英俊』である。山ごもりをしている空手家のような男だが、れっきとした美術の非常勤講師だ。放課後は教官室にいるか、あるいは美術系の予備校で授業を受け持っている。


「全員揃っているのか。お前ら、随分と熱心だな」

「――はっ!?」


 長山の声を聞いて、春臣が何かを思い出した。


「そうだ、俺たちは文化部発表会について話し合おうとしていたんだ」

「進捗状況を確かめるんでしたっけ?」


 マリアがスクールバッグからファイルを取り出す。


「まだ下書きの段階ですけど、いくつかデザインを考えてみました」


 その中から引っ張り出したのは、鉛筆で描かれた数枚のイラストだった。

 描かれているのは一人の少女とバラ園である。


「――って、これは私じゃないか!?」


 シルフィが絵の少女を指差した。

 下書きなのでラフタッチであるが、かなり特徴を捉えている。

 じとぉーっとした目つきなどそっくりだ。


「背景は私たちがたまに利用しているバラ園を選んでみました」


 マリアの言っているバラ園というのは、第一校舎と第二校舎に挟まれている中庭のことだ。第二校舎を増築した関係で、校舎の窓のない面に取り囲まれている。そんな場所が流行るはずもなく、今ではすっかりバラのないバラ園になってしまっていた。


 ただ、その人気のなさも逆に利用できる。森斗たちは校内で仕事について話し合うとき、いつもそのバラ園を利用している。わざわざ校舎をぐるりと迂回して、覗きに来るような生徒は皆無なのだ。


「イラストの中だけでも薔薇を咲かせてみようと思いまして」

「下書きの時点ですでに上手いな……」


 春臣が深く感心している。

 マリアは下書きを回収して、再びファイルに収めた。


「シルフィさんはどんな感じですか?」

「私は……まぁ、春臣と同じようなところだ。部室でコツコツと進めている」

「俺も順調だ。というか、元から展覧会に応募するために前々から描いていたからな。スケジュール的には余裕がある」


 二人が描いている途中の絵は、掲示板で仕切られたバックヤードに置いてある。森斗たちの位置からは直接覗き込むことはできない。どんな絵になるのかは、出来上がってからのお楽しみということだ。


「で、問題の森斗だが……」


 シルフィが恐る恐る森斗に視線を向ける。

 怖がられるようなことはしてないはずだが、と森斗はスクールバッグを漁った。


「いくつか新しい絵を描いてきたんだ。まずは犬だね」


 森斗は新作イラストを仲間たちに見せる。

 途端、シルフィがいきなり半泣きになった。


「な、なんで犬を描いているはずなのに顔が人間なのだ!?」

「リアルを追求してみた」

「これがお前のリアルだとしたら、さっさとカウンセリングを受けろ!」


 マリアと春臣も渋い顔をしている。

 森斗は気を取り直して二枚目のイラストを出した。

 二枚目は『英国メイド物語シャルマ』のリベンジとして、シャルマのライバルであるメイド少女のエミリーを描いたものである。シャルマを描いたときは腕の位置が上すぎたので、今回は細心の注意を払って人体を模写した。


「――って、口が耳の辺りまで裂けてるじゃねーか!?」


 オーマイゴッド、という感じに頭を抱える春臣。

 森斗はそれから次々と新作イラストを提示していった。だが、仲間たちは悲鳴を上げるばかりで、どうにも反応が悪い。自分なりに努力をしてみたつもりなのだが、どういうわけか結果がついてきていないようだ。


「森斗さんは感性のベクトルが違うというか、なんというか、うーん……」


 褒め上手のマリアですら言葉を詰まらせている。

 春臣がイラストを引っ掴んで、長山に向かって付きだした。


「先生からも何かを言ってくださいよ!」


 長山は無精ヒゲを指でこすりながら、イラストを一枚ずつ丁寧に見ていく。

 顔色が徐々に悪くなっていくのが森斗以外の三人にはハッキリと分かった。


「これは実におぞまし……個性的な絵だな。お前には普通の方法論というものが通用しないのだろう。他人の意見に囚われることなく、自由に絵を描くといい」

「投げたよ、この人!?」

「分かりました、先生! 僕、もっと頑張って描きます!」


 初めての肯定的な意見を聞けて、森斗の気分も盛り上がってくる。

 その途端、次々と新しいイラストのアイディアが湧いてきた。

 森斗は新しい紙を取り出して、思いついたことを片っ端から描いていく。


「……じゃあ、ここからは個人作業スタートで」


 春臣の諦めたような声が美術室に響いた。


 ×


 美術部での活動を終えて、森斗は仲間たちと帰路についた。春臣とマリアとは別れて、森斗とシルフィの二人だけが残っている。こうして二人並んで夕暮れの住宅地を歩くことも、すっかり日課となっていた。


「シルフィは今日の作業は進んだ?」


 森斗が問いかけると、シルフィはビックリしたのか小さく飛び跳ねた。

 どうやら、集中して考え事をしていたようである。


「な、何か言ったか!?」


 聞き返したシルフィ。

 森斗は改めて彼女に尋ねる。


「今日の作業は結構進んだの?」

「あぁ、その話か。とりあえず、一つ目のデッサンは近々完成しそうだ」


 シルフィが嬉しそうに答えた。


「一つ目ということは、他にも描く予定があるの?」

「モノクロだけでは寂しいかと思って、色鉛筆でも使ってみようかと思っている」

 彼女は日本に来る前、ドイツの学校で美術部に所属していたらしい。最近はデッサンで勘を取り戻すことに専念していたが、そろそろ本領発揮といったところなのだろう。シルフィの絵に対する情熱はかなり熱いものがある。

「ついにカラーとは楽しみだなぁ!」

「……なぁ、森斗?」


 マンションに到着する寸前、シルフィが不意に立ち止まる。

 彼女はマンション前にある児童公園を指差した。


「少し話しておきたいことがある」


 森斗はシルフィと児童公園に移動する。

 ちょうど太陽が沈みきったところで、児童公園には点々と街灯が灯っている。滑り台にも、ジャングルジムにも、砂場にも、いつも遊んでいる子供たちの姿も見られない。森斗とシルフィの貸し切り状態だ。


 シルフィがブランコに腰を下ろしたので、森斗もその隣に腰掛けた。彼女はしばらくの間、何も言わずにうつむいていた。漕いで遊ぶのかと思ったが、そのつもりはないらしい。ブランコのチェーンを両手で握りしめて、両足をブラブラさせている。


 森斗の身長が一七五センチを越えているのに対して、シルフィの身長は一四五センチほどしかない。小学五年生の平均身長と同じくらいだ。端から見ていると、彼女が異端者と戦える狩人だということを忘れてしまいそうになる。


「……シルフィ?」


 森斗は心配になって声を掛けた。

 シルフィがややあって口を開く。


「話しておきたいのは、美術室で渡したコスプレ写真のことだ」

「あぁ、あの写真か!」


 森斗がスクールバッグに手を突っ込むと、


「バカ! ここで写真を出すな!」


 シルフィが前のめりになって、森斗の右手を掴んできた。

 二人の手が重なる。

 だが、それも一瞬の出来事で、彼女はすぐに手を引っ込めてしまった。


「ご、ごめん……」


 森斗はスクールバッグを足下に置く。

 シルフィが顔を赤らめて、彼のことを睨み付けている。

 ただ、そこに戦闘時のような殺意みたいなものは感じられない。口元をムニムニとさせて、感情の爆発を頑張って我慢しているようだった。本当なら、ここで回し蹴りの一つくらいは飛んできそうなものである。


「あの写真は、その、日頃のお礼というやつだ」


 シルフィが森斗から視線を外して言った。


「大神やインペリアルとの戦いで、お前は命懸けで私の暴走を止めてくれた。お弁当を毎日作ってきて、私の体を気遣ってくれた。もしも私一人だったら、きっとマリアと打ち解けることもできなくて駄目になっていたかもしれない」


 彼女は身を縮めて、制服の胸元を掴んでいる。

 その表情は恥ずかしさ以上に苦しげだ。


「それだけじゃない。私の半分はおぞましい異端者と同じになっている。このことを誰かに知られたらと思うと、それだけで怖くなってくる。グリム機関の中にだって、私のことを気持ち悪く思っているものがいるはずだ」

「そんなことはないよ、シルフィ」


 森斗は即座に否定する。

 少なくとも自分とマリアは、そんな馬鹿なことを思っていない。

 シルフィは嬉しそうにはにかんだ。


「ありがとう、森斗。私が人狼のハイブリッドだと知ってからも、お前の態度は一切変わらなかった。それどころか、私のことを守ってくれると言った。か、可愛いとも……。私はそれが嬉しかったのに、お前には失礼なことを言ってばかりだ」


 彼女は両手で頬を押さえる。


「だから、その、お前が私を可愛いと言ってくれるのなら……あの写真を喜んで受け取ってもらえると思ったんだ。部室では一日三秒までなんて言ってしまったが、自室なら好きなだけ見てくれて構わない。というか――」


 見て欲しい、と言ったような言っていないような。

 でも、シルフィの気持ちは十分に伝わった。

 彼女はグリム機関の狩人で、人狼のハイブリッドだけれど、実際は普通の女の子だ。恥ずかしがることも、怖がることもある。自分の気持ちを真っ直ぐに伝えるまで、時間が掛かることもある。だけど、それも含めてシルフィなのだと森斗は思うのだ。


「分かったよ、シルフィ。あの写真は部屋で見るようにする」

「あぁ、そうしてもらえると助かる。みんなには内緒だ」


 シルフィはそう言って、ブランコからぴょんと飛び降りた。

 スカートに付いた汚れを払って、右肩にスクールバッグを掛ける。

 彼女は余程緊張していたのか、首筋にうっすらと汗をかいていた。


「……そ、そうだ。今日の夕食は自分でなんとかする。だから、私の部屋には絶対に入ってくるなよ。隠れてビールを飲んでいるとか、そんなことではないから心配するな。それじゃあ、また明日だ!」


 シルフィは振り返ることなく、そのまま児童公園から走り去ってしまう。


「また明日、迎えに行くから!」


 森斗は彼女の背中を見送って、少し遅れてマンションに向かった。

 階段を上って、自室に帰宅する。


 ドアを後ろ手で閉じたところで、森斗は夕食の材料がないことに気づいた。

 夕食はいつもシルフィの部屋で作っている。そのため、購入した食材はシルフィの部屋の冷蔵庫に運んでしまったのだ。だが、シルフィからは部屋に来ないようにと言われている。今日は大人しく、買い置きしたカップラーメンでも食べることにしよう。


 森斗がベッドに腰掛けたときのことである。

 彼の携帯電話に着信が入った。

 相手は上司の葛原美希である。


「もしもし、森斗です。何かありましたか、美希さん?」


 通話ボタンを押すと、東京支部オフィスの騒がしさが伝わってきた。

 大声と足音がひっきりなしに飛び交っている。

 それらは森斗に何か大きな事件が起こったことを予感させる。


『大事な話があるから落ち着いて聞いてね』


 美希が低いトーンで言った。


『森斗くん、あなたは今日から無期限の出動禁止になったわ』

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