31
時間はあっという間に過ぎて、すでに夜八時の少し前。
森斗たちは地元駅前まで戻ってきて、手近なファミリーレストランで夕食を取っていた。秋葉原を散々に歩き回ってヘトヘトだが、それでもお腹が減れば食事が進む。三人揃ってライス大盛りを軽く平らげていた。
「これだけ食べても太らないのは訓練のたまものですね」
食後のコーヒーを啜っているマリア。
シルフィが林檎のシャーベットを食べながら、ブラックコーヒーを苦々しい顔で見ている。
「……そんなに苦いものをよく飲めるな」
「これもまた訓練ですよ。父が飲んでいるのをマネしたのが最初ですね」
「身近な人の憧れということか……っと、少し席を外すぞ」
シャーベットを食べ終えて、シルフィはテーブル席から離れていった。
森斗はコーラを飲みながら横目で彼女を見送った。
テーブルの上にはシルフィの携帯電話が残されている。
「それにしても、シルフィさんのバイタリティには驚かされましたよ」
マリアがふぅーと小さなため息をついた。
「コスプレ撮影で相当疲れていたはずなのに、撮影が終わった途端、近くのゲームセンターで遊び始めるだなんて。それも目についたゲームを片っ端から遊んでいくとは! それに付き合う森斗さんも半端じゃありませんが」
「この辺のゲームセンターに入荷してないゲームもあったからね」
森斗は指折り数えてみる。
少なくとも五つくらいは新しいゲームをプレイしたはずだ。プレイヤーを登録するカードを作ってみたり、稼働前でロケテスト中のゲームを試しに遊んでみたり、体感ゲームのハイスコアに挑戦してみたりした。
ゲームセンターで率先して遊んでいたのはやはりシルフィだった。今回はゲーム筐体を蹴ることもなく、あらゆるゲームに対して驚異的なセンスを発揮していた。ただ、日本での知識を問われるクイズゲームには苦戦していたようである。
他にもアニメグッズのショップを見たりとか、気になっていたパソコンゲーム『本当は美少女なグリム童話~きみは夜の狩人~』の購入予約もした。店舗特典としてポストカードが、予約特典として添い寝シーツというものがついてくるらしい。
「私もかなり楽しませてもらいましたよ。グッズも大量購入しちゃいましたしね」
マリアが手持ちのバッグを探る。
「最後にはプリクラも撮れたので大満足ですね」
彼女が取り出したのは、森斗たち三人で撮影したプリクラのシールだった。
シールの中では森斗を中心にして、シルフィとマリアが左右に立っている。マリアはお得意のピースサインをしてノリノリだが、その一方でシルフィは頬を膨らませてそっぽを向いていた。二人が何を言っても、全然前を向いてくれなかったのである。
筐体から出てきたシールは三分割して、森斗もその一片をもらっていた。
目立つところに貼るのは流石に気が引けるが、自宅に帰ってから貼れそうなものを探してみようと思っているところだ。
ただ、シルフィはやはり「こんな恥ずかしいものを貼れるか!」とのことだった。
古き良き日本男児のように硬派な少女である。
「フフフ、いいことを考えましたよ」
マリアがおもむろにシルフィの携帯電話を手に取る。
携帯電話はスマートフォン型のもので、グリム機関から支給されている特別製だ。
彼女は携帯電話のカバーを外すと、プリクラのシールを本体の裏側に貼り付けた。そして、何事もなかったかのようにカバーを戻しておく。これで余程のことがない限り、シルフィはプリクラが貼られていることに気づかないだろう。
「素直じゃないんですから……」
独り言を漏らしたマリア。
森斗が何のことだろうかと思っていると、彼女がぐいっと身を乗り出してきた。森斗はテーブルに肘をついていたので、前のめりになったマリアと危うく鼻先がぶつかりそうになる。彼女のことだから、これも意図的にしていることなのだろう。
鼻先が三センチも離れていない位置で数秒の間。
先に下がったのはマリアの方だった。
彼女の頬が珍しく赤くなっている。
「……森斗さんには恥ずかしいという感情がないんですか?」
「ないわけではない、というくらいかな」
マリアがコーヒーカップを手に取る。
だが、すでに中身は空っぽになっていた。
「シルフィさんから聞いたのですが、森斗さんは彼女に対して『何があってもきみを守る』的なことを言ったそうですが本当ですか?」
「吸血鬼『インペリアル』にシルフィが攫われる直前のことだね。いきなり約束を破ってしまうはめになったから、とてもよく覚えているよ」
森斗は恥ずかしげもなく答える。
仲間を守る、無闇な犠牲は出さない――そんな当たり前のことがとても難しいのだと思い知らされた瞬間だった。その後も勝手に一人で飛び出して、マリアと戦闘班の仲間たちが駆けつけてくれなければ、自分の身を守ることすらできなかっただろう。
マリアが母親譲りの青い瞳を彼に向けた。
「……それで、森斗さんは何があっても守りたいくらいのシルフィさんのことをどう思っているわけですか?」
「どうって言われても。そうだなぁ……」
森斗は言葉に出しながら考える。
「シルフィのことは大切な仲間だと思っている。だけど、なんだかそれだけではなくて……前にも言ったけれど、彼女のことが気になって仕方がない。僕が無茶な行動をしてしまうのも、シルフィの姿が頭から離れないんだ」
このようなことは今まで一度としてなかった。
といって、周囲に優しい子や可愛い子がいなかったわけではない。小中学生の頃、クラスに一人くらいはみんなのアイドルみたいな女子がいたものだ。だが、クラスメイトの少女に心惹かれた記憶はない。
考え込んでいた森斗がふと顔を上げると、マリアはさらに顔を赤くしていた。先ほどまでこちらを見ていたはずなのに、今は斜め下に視線を外している。そして、森斗から見られていることに気づいて、彼女は一瞬だけビクッと体を震わせた。
「森斗さん、それって――」
最後まで言い切らないマリア。
彼女は言葉を飲み込んで、それから改めて問いかける。
「……私も森斗さんの大切な仲間ですよね?」
「もちろんだよ、マリア」
「それなら、私のことも何があっても守ってくれますか?」
マリアがそっと森斗の手に自分の手を重ねた。
森斗は彼女の体温を感じる。
マリアの手は熱があるんじゃないかと思うほど熱くなっていた。
「僕は自分の仲間を誰一人として失いたくない。それが僕の目標なんだ。だから、マリアのことだって何があっても守る。それは約束するよ」
「……森斗さんは誰にも優しすぎですよ、ホント」
お気に召さなかったのか、マリアは手を引っ込めてそっぽを向いてしまった。
まるでシルフィのような拗ね方である。
森斗は彼女が何を考えているのか分からなくて困惑する。
困惑しているうちに店員がやってきて、空っぽになった食器を回収していった。
マリアがワンピースの胸元をパタパタする。
「さっき言ったことは、シルフィさんには内緒にしておいてくださいね。この前の動画とはわけが違いますよ。絶対に秘密でお願いします。もしも秘密をバラしたら、内部監査班の権限で上に報告して、海外の支部に異動させちゃいますから」
「うっ、分かった……」
どうやら、先ほどの回答は彼女の逆鱗に触れてしまったらしい。
マリアが「もう一杯入れてきます」と、コーヒーカップを片手に席を立った。
森斗は氷で薄まったコーラを飲む。
そして、女の子はやっぱり難しいな――と今更になって思うのだった。
×
森斗とマリアが二人で残されていた頃、シルフィは女子トイレの個室にこもっていた。とはいえ、何か済ませたいことがあったわけではない。ただ、少しだけ考えことがしたかったのである。律儀にパンツとスカートを下ろしているのは、そうしないと便座に腰を下ろしていて落ち着かないからだった。
シルフィの右手には小さな記録メモリが握られている。
これはコスプレ写真館『アリスの小部屋』で店長から渡されたものだ。シルフィとマリアのコスプレ写真が収められている。あの恥ずかしいバニーガールのコスプレが何十枚も記録されているのだ。
本当はすぐにでも投げ捨てたいところだが、そんなことをしたら真面目に仕事をしていた店長に失礼になる。マリアだって流石にガッカリするだろう。悪い夢だと思って、自宅のどこかに封印しておくしかあるまい。
思い起こされるのは森斗のことだ。
森斗はシルフィのバニーガールを見て、それはもう大変喜んでくれていた。オオカミのシルフィも可愛いけれど、ウサギもシルフィも可愛いよ――だなんて言っていた。人狼化したのは二回だけで、それも戦闘中の短い間だったはずだ。そんなことが言えるだなんて、どれだけ熱心に観察していたのだろう?
人狼化した自分は怪物のはずなのに……。
可愛いだなんて、そんな……。
「嬉しい……」
シルフィは記憶メモリを握りしめてうつむいた。
森斗にバニーガール姿を見られて、可愛いだなんて言われてしまって、本当はとても嬉しかった。あんなに恥ずかしかったはずなのに、ジロジロと舐め回すように観察されて、胸元に手を突っ込まれたりしたのに――それでも嬉しさが上回っている。
「は、恥ずかしいのが嬉しいだなんて、私は森斗と同じ変態なんじゃないか!?」
シルフィは耐えきれずに銀色の髪をワシャワシャとする。
見られたくない。
だが、見られてみたいと思っている自分もいる。
自分の心は一体全体、どうなってしまったのだろう?
何もかもが、あの狩屋森斗とかいうやつの責任だ。
最初はただの協力者に過ぎなかった。日本に来たとき、手の空いている狩人があいつだけだったという話である。それがいつの間にかクラスメイトになって、美術部の仲間になって、大切な友人になって、それどころか「きみを守る!」だなんて言ってきた。
口だけの男ではない。人狼化したシルフィの暴走を止めるため、森斗は命の危険を冒してまで呼びかけてくれた。彼がいなければ今の自分はいなかっただろう。それなのに自分は彼に辛く当たってばかりで……。
でも、自分の気持ちがよく分からないのに正直になんてなれない。
ただ一つ確かなことがあるとすれば、日頃の感謝の気持ちが足らないことは間違いない。マリアの忠告の通りだ。言葉にするのか形にするのかは決まっていないが、とにかく森斗にお礼の一つでもしなくてはいけないだろう。
お弁当のことだけではなくて、命懸けで守ってくれたあいつのために……。
「……長居しすぎたかな?」
シルフィは携帯電話で時間を確認しようとするが、今になってテーブル席に置いてきてしまったことに気づいた。席を離れて何分経過したかは分からないけれど、かなり長く居座ってしまったのは確かだろう。
お店の迷惑になるし、二人からも心配されるかもしれない。
シルフィは下ろさなくても良かったはずのパンツとスカートを履き直した。
「…………」
だが、やっぱり脱いで便座に腰を下ろした。
ドリンクバーだからといって、欲張って飲み過ぎたかもしれない。
×
マリアが二杯目のコーヒーを手にして戻ってきたとき、シルフィもまたトイレの方から戻ってきた。二人は並んで席に腰を下ろして、なぜか意味ありげにお互いの顔を見た。そして、示し合わせたかのように森斗の方に視線を向ける。
「……何かあった?」
森斗の問いかけに二人は答えない。
一同の間に微妙な空気が流れたところで、突然マリアの携帯電話に着信が入った。
彼女はすぐさま携帯電話を手に取る。
「グリム機関からのメールですね」
森斗たち三人は同い年だが、役職はマリアが一番上である。というのも、彼女は当初シルフィの監視役としてやってきたからだ。そのため、リーダー役であるマリアに三人の中だと真っ先に連絡が来る。
「メールなので緊急出動というわけではなさそうですが……」
マリアがメールを開いた。
途端、彼女が「むっ……」と難しい顔になる。
「美希さんからの情報です。東京に異端者が一名侵入しました」
「何だとっ!?」
異端者と聞いて、森斗とシルフィも携帯電話の画面を覗き込んだ。
添付された画像ファイルには日本の都市部が映されている。おそらくは監視カメラに映ったものを拡大したものだ。グリム機関の調査部に掛かれば、監視カメラに偶然映った異端者を拾い上げることも可能である。
クローズアップされているのは金髪の西洋人男性で、耳に大量のピアスを付けている。サングラスをしているので詳しい人相は分からないが、全体的な顔立ちから美形であることは間違いない。両手には禍々しいタトゥーが彫られていた。
森斗は覚えている限りの異端者と照らし合わせてみる。
だが、まだまだ勉強不足なのでそいつが何者なのかは分からなかった。
「シルフィは知ってる?」
問いかけると、シルフィは首を横に振る。
そして、なぜか自信満々に言った。
「人狼系以外はサッパリだ!」
「日本ではあまり縁のない異端者のようですからね」
マリアが画面をスクロールさせながら説明する。
「こいつの名前は『ジャック・ジョーズ』といって、アメリカを中心に無差別殺人を繰り返している異端者ですね。被害者を刃物で切り刻むことから、メディアでは現代の切り裂きジャックと呼ばれています」
「普通の人間にしか見えないな」
森斗は率直な感想を述べる。
マリアがさらに画面をスクロールさせた。
「無理もありません。こいつは変異形態を持っていないタイプの異端者ですから」
「吸血鬼なんかよりも、さらに見た目の変化が少ないってことか」
「ジャック・ジョーズは『切り裂きジャックの異端者』なんですよ、森斗さん」
森斗は面食らうが、異端者の世界では有り得る話だ。
異端者たちは元々人間だ。彼らは重大な禁忌を犯した結果、人間という枠を離れて怪物に変異する。そして、異端者たちの変異は彼らの持つ怪物のイメージに大きく左右される。かつて実在した切り裂きジャックという殺人鬼が、吸血鬼や人狼といった怪物の一員として考えられることもあるだろう。
「切り裂きジャックの異端者、その属性は『解体』か……」
シルフィが気になった一文を指差した。
「……む? この『ジョニー・ジョーズ事件』というのは何だ?」
「あっ、なんかテレビで見たことがあるな……」
森斗は先日のニュースで取り上げられていたことを思い出す。
だが、登校の準備をしているときに聞き流していた程度なので、詳しい内容までは覚えていなかった。
マリアがメール本文を読み上げる。
「経歴が簡単にまとめられていますね。異端者であるジャック・ジョーズは、アメリカの有名俳優であるジョニー・ジョーズの息子であるようです。十代半ばから殺人行為を繰り返して、その残忍さが彼を異端者にしてしまったと」
「異端者には大抵人間の死が関わる。気分の悪い話だ」
口がへの字になっているシルフィ。
マリアは続けて読んでいく。
「端正な容姿とは裏腹に凶暴で、異端者にすら襲いかかることもあるそうですね。そのため、最近は超越者協会との関係性が薄くなっているとか。また、密航を依頼されたとおぼしき男性が殺されています」
「無差別殺人鬼であり戦闘狂か……」
森斗は自分で口に出して、その危険性を改めて認識する。
「でも、超越者協会との繋がりが薄いのはまだマシなのかな?」
「隠れ家に引きこもられる心配はないでしょうね。ですが……」
マリアが名探偵のように指をあごに添えた。
「超越者協会のサポートも受けられないのに、どうして日本に密入国したのでしょう? ジャック・ジョーズの目撃例はデトロイト、サンパウロ、ヨハネスブルグ――犯罪率の高い都市に集中していますね」
シルフィも彼女に意見に同意する。
「確かに変だな。犯行に及ぶには日本は狭すぎる。毎日のように殺していたら、すぐさまグリム機関に居場所を補足されるはずだ。それとも何か目的があるのか?」
森斗たちは三人揃って「うーん……」と考え込んだ。
けれども、これだけでは情報が少なすぎて判断できない。
考えている間に、マリアの二杯目のコーヒーも飲み終わってしまった。
彼女は携帯電話をポケットにしまう。
「ともかく、私たちに仕事が回ってくる可能性もあります。注意するに越したことはないですね。夜も遅くなってきましたから、そろそろお店から出ましょう」
「仕方ない。そうするか……」
マリアとシルフィが席から離れる。
森斗も二人に続いて腰を上げた。
一階フロアの窓からは駅前通りを見ることができる。駅を乗り降りしている社会人、飲み屋を探している大学生、塾に急いでいる中高生……無数の人々が行き交っている。そして、彼らは自分たちのすぐ隣に異端者がいるかもしれないことを知らない。
守らなければいけない。
森斗はそう思いながら、シルフィとマリアの二人を追いかけた。




