28 狩人たちの休日
ゴールデンウィークも半ばにさしかかった日のことである。森斗とシルフィとマリアは、かねてから計画していた通りに三人で外出することにした。時刻はもうすぐ正午になろうというところで、三人は電車に揺られながら移動中である。
流石は連休中なだけあって、車内は結構な混み具合だ。座席は空いていなかったので、三人は自動ドア付近に集まっている。森斗とシルフィはつり革に掴まっているが、シルフィは手が届かないので、座席のフレームに寄りかかっていた。
「……いつもこうだ。どの国に行っても、つり革に手が届かない」
シルフィがふくれっ面で窓の外を眺めている。
「日本ならばもしかしたらと思ったが、案の定この有様だ……」
窓の外を流れていく東京の風景は、高層ビルの群れであったり、山中と疑うほど緑に溢れていたりと、バリエーションに富んでいて飽きが来ない。ただ、それをシルフィが楽しめているかは別の話だ。
森斗は彼女を気遣って問いかける。
「肩車しようか?」
「そこまで求めてない!」
シルフィがコンパクトなローキックを放つ。森斗は基本の構えからの重心移動で、ローキックの衝撃を受け流した。ダメージは抑えられたがスパァンッ! と大きな音がして、乗客たちから注目を集めてしまう。
「な、なんでもないですよー?」
愛想笑いで場を誤魔化したマリア。
ちょうど乗り換えで客層が入れ替わって、大して空気がおかしくならずに済んだ。
シルフィが話題を変えようと、声の音量を落として言った。
「……森斗、お前がさっき使っていた技は何なんだ!」
「あぁ、あの受け方か……」
森斗はシルフィのローキックを受けた左足をさする。かなりダメージはカットできたはずだが、少しだけジィンとした痺れが残っていた。シルフィのキックが鋭かった証拠である。ダメージを抑えていなかったら、結構冗談ではなかっただろう。
「それは私も気になっていました」
マリアが一つ隣のつり革を掴んで、スッと森斗の方に身を寄せてきた。
「古武術でしたっけ? グールの攻撃を手で弾いたりして驚きました」
「私も使ってみたいぞ、森斗。教えろ!」
美少女二人に左右から迫られて、なかなか悪くない気分になる森斗。
ただ、そのことを公衆の場で正直に口に出すのは流石にはばかられる。
森斗は古武術のことに思考を戻した。
「僕が使っている古武術は狩屋家に代々伝わっているものなんだ。特に名称があるわけじゃないんだけど、あえて名前を付けるなら『狩屋流古武術』ってことになるかな? 父さんに聞いてみれば、正式名称は分かるかもしれないけどね」
「自分の苗字が入ってるとか格好いいですね!」
マリアが目を輝かせている。
シルフィは「……そうか?」とセンスの違いを感じているようだった。
森斗は説明を続ける。
「狩屋流の基本理念は単純で、両足で地面にしっかりと立つこと……これだけなんだ。両足を地面に付けて、腰を落として柔軟に体重移動をする。それだけできれば、投げ技を仕掛けられても体がぶれないし、攻撃されても衝撃を受け流すことができる。それとは逆に相手を攻撃したときも、反動はなく、衝撃が一〇〇パーセント相手に伝わるようになる」
「なんだそれ、無敵だな」
率直なシルフィの感想。
森斗も自分で言っておいて、確かに強そうだとは思っている。
だが、言うのは簡単だけれど実際にするのはとても難しい。
「……といっても、それはあくまで理想的な話なんだ。ダメージを完全に受け流すとか、衝撃を一〇〇パーセント相手に伝えるとか、そんなことは僕の父さんでも無理だ。そもそも銃で撃たれたり、刃物で斬られたりするのには対応できないしね」
「それでも十分に便利そうだが」
シルフィが見よう見まねで構えを取った。
彼女にも近接格闘の心得があるので、それなりに様になっている。
マリアも一緒になって構えを取っているが、そのおかげで端から見ていると、二人揃って変身ヒロインのマネでもしているような感じになっていた。
「僕がもっと古武術を極めていたら教えられるんだけど、それ以前に二人の戦い方とは相性が悪い気がするんだ。二人とも一カ所に留まらないで、素早く移動したり、飛び跳ねたりするじゃないか」
森斗の説明を聞いて、女子二人が互いの顔を見合わせる。
シルフィとマリアは恥ずかしそうに構えを解いた。
「私には私の戦い方がある。そういうことだな」
咳払いをするシルフィ。
マリアが「あはは……」と乾いた笑い声を漏らした。
「なんだか、ついつい仕事関係の話をしてしまいますね」
「仕事といっても、間違いなく趣味以上に打ち込んでるしね」
学校、趣味、仕事を人生の割合に振ってみると、森斗の人生で一番多くを締めているのは間違いなくグリム機関での仕事である。その次が毎日の学校生活で、最後が漫画や小説やゲームといった趣味だ。
でも、別に悪い話ではない。最初こそ、父親から無理やりに訓練させられていたが、今では狩人として働くことが生き甲斐の一つになっている。まぁ、その影響があって高校二年生になるまで漫画の一つも読んだことがなかったのだが……。
「そういえば、シルフィさんはいつも同じパーカーを着ていますよね?」
「マリアはいいところに気づいたな!」
話題を振られた途端、シルフィが嬉しそうに言った。
彼女はくるりと二人に背を向けて、パーカーに描かれているロゴを指差した。
「これは私が大好きな地元ドイツのメーカーの品だ。いつも着ていたいから、同じものを何着も持っている。同じデザインでも夏物と冬物があるから、全ての季節に対応している優れものなのだ」
「作画に優しそうですね」
おかしな角度から褒めるマリア。
森斗が興味津々に尋ねた。
「任務のときに着ている赤頭巾っぽい格好も同じメーカーなの?」
「そ、そうだが……」
シルフィの反応が鈍くなる。
どうやら、彼女の恥ずかしがりポイントに引っかかる話題であるようだ。
赤頭巾とゴスロリ調ドレスの組み合わせは、森斗が見た限りではシルフィにとても似合っていた。本当はじっくりと観察したいところであるが、戦闘中は任務のことで頭が一杯になってしまう。そして、任務が終わると彼女はサッと着替えてしまうのだ。
「フフン、分かりましたよ」
マリアがおもむろにシルフィの肩を抱き寄せた。
「任務の直前にテンションが上がって、今日はお気に入りの格好で出動しちゃうぞ! と思ったのはいいけれど、任務が終わると冷静になってしまって、どうして自分はあんな恥ずかしい格好をしてしまったのかと後悔しているパターンですね?」
「ど、どうかな……」
シルフィの目が泳いでいる。
マリアは彼女の顔にぐいぐいと胸を押しつけた。
「そんな風に誤魔化さなくても、お姉さんにはお見通しですよ?」
「誰がお姉さんだ! 同い年だろ!」
ぐいぐいとマリアを押し剥がしたシルフィ。
森斗は純粋に疑問に思って尋ねた。
「戦闘中の服装にこだわらないなら、グリム機関から支給されているボディスーツでもいいんじゃないかな? シルフィは武器を隠し持ったりするタイプじゃないから、僕みたいにコートを羽織ったりする必要もないし」
言われて、シルフィがボディスーツを着た自分を想像する。
数秒後、彼女は真っ赤な顔をして首を横に振った。
「ない! あんな全身タイツみたいなのは絶対に無理! まるで裸じゃないか!」
「私は好きですけどね、ボディスーツ。ロボットものっぽくて」
すると、シルフィがマリアの脚部にじろーっと視線を這わせる。
「……お前はそういうの好きそうだな」
「それはもちろん!」
マリアは今日もストッキングを穿いている。短めのワンピースにショートパンツ、そこから自慢の美脚がすらりと伸びていた。ストッキングは学校に穿いていく無地のものではなくて、小さなドット柄があしらわれているものだ。
彼女は森斗の方を見ると、他の乗客には見えない角度で、くいっとショートパンツの裾を引っ張って見せた。
伊達に若干の露出癖があるとは言っていない。
シルフィに刺されては大変なので、森斗はやむを得ずに視線を逸らした。
「で、森斗の服装についてだが……」
ふむふむ、とうなずいているシルフィ。
「まぁ、悪くはないんじゃないか?」
「服装に興味がないタイプだと思っていましたけど、なかなかセンスはいいですね」
マリアは純粋に褒め言葉を贈ってくれる。
森斗は改めて、今日の自分の服装を確認した。
実際のところ、服装に興味がないタイプであることは当たっている。漫画やスポーツなどと同じように、森斗は小中学生のときにそれらの話題を完全にスルーしていた。仕事のおかげで金銭には困っていないが、いまいち服を買う意欲が湧いてこないのだ。
「この服は自分で買ったものじゃなくて、仕事の先輩が選んでくれたんだ」
「だとしたら、その人は良いセンスをしてますね」
前屈みになって服装を観察するマリア。
森斗はふと思い出して付け加えた。
「そういえば、僕の部屋にあるグラビア雑誌もその先輩がくれたものだったな……」
「……そいつにも、いつか蹴りを入れる必要がありそうだ」
シルフィの瞳に殺意が宿る。
ちょうどそのとき、三人を乗せた電車が減速を始めた。
目的の駅が迫ってきたのだ。




