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グリム機関の赤頭巾  作者: 兎月竜之介
切り裂きジャック
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27

 何度か居眠りを注意されたが、森斗はどうにか今日の授業を乗り切った。

 シルフィに至っては授業中に何回もあくびをしたが、むしろ注意されるどころか「可愛いのでOK」と許されていた。一方、マリアは眠そうな気配を一切見せていなかった。どうやら、本当に三時間睡眠でも平気な体質であるらしい。


 問題の昼食についても、三人とも購買を利用したので問題なかった。

 シルフィだけではなく、マリアも森斗の手作り弁当を楽しみにしている一人である。だが、昨晩の出動を考えれば、弁当を作る時間がなくても仕方がないと納得してくれた。一番困っていたのは、一人だけ教室に置いていかれた春臣かもしれない。


 そして放課後。

 森斗、シルフィ、マリアの三人は、春臣から言われた通りに美術室に来ていた。


 美術室はクラス教室二つ分ほどの広さがあって、大きめの作業台が机代わりに並んでいる。展示パネルで仕切られたバックヤードには、美術部員専用のロッカーが置かれていた。窓からは教員専用の駐車場と裏門を見ることができる。


 部長の春臣を中心として、四人は作業台の周りに集まった。

 今後の活動について話しておきたい――と春臣は言っていたが、果たして何について話し合おうというのだろうか?

 森斗が疑問に思っていると、春臣が大げさに咳払いをした。


「さて、今回の議題はこれだ」


 彼が作業台の上に差し出したのは一枚のプリントである。

 そこには『文化部発表会について』と書かれていた。


「文化部発表会って……何だっけ?」


 森斗が尋ねた途端、春臣が大げさにずっこける。

 どうして転んだのか気になって、森斗は作業台の下を覗いてみる。

 すると、対面に座っているマリアが両手でスカートを押さえた。


「キャーッ! 森斗さんのえっち!」


 ただ、言葉とは裏腹になぜだか嬉しそうな顔をしている。


「……何をやってるんだ、お前は」


 シルフィに髪を引っ張られて、森斗は作業台の下から頭を上げた。


「で、文化部発表会って何だっけ?」

「お前は転校生じゃないんだから、学校行事くらい把握してろって」


 春臣がうんざりした様子で言った。


「文化部発表会っていうのは、五月中旬の土曜日に行われる行事だ。文化部の活動の成果を披露するとかで、学校が周辺住民にも開放される。文化祭のお堅いやつって感じだな。そういったわけで、俺たちも何か作品を発表しなくちゃいけない」

「なるほど、それは知らなかった」


 森斗は素直に感心する。

 学校のイベントには今まで大した興味がなかった。昨年はお堅くない方の文化祭ですら、ちゃんと学校に来なかった覚えがある。ましてや、文化部発表会を見に来ることなんてあるはずがないのだ。


 シルフィは微かに興味が湧いてきたのか、購買で購入したコーヒー牛乳をストローでちゅうちゅうと吸いながら、春臣の話に耳を傾けている。

 マリアが小さく挙手して質問した。


「ちなみに参加は義務ですか?」

「部活自体は必ず参加しなくちゃいけない。不参加の場合は廃部の可能性もある。だが、俺たち美術部はその場でパフォーマンスをするわけじゃないからな。とりあえず、みんなには当日に展示する作品を用意して欲しい」


 春臣は答えながら、先ほどのプリントを折り始める。

 出来上がった紙飛行機をゴミ箱に向けて飛ばした。


「俺が描いた絵を飾るだけでも、イベント自体は誤魔化せるが……それだとやっぱりつまらないだろう? せっかく四人も集まったんだ。全員で取り組まなくちゃな!」


 紙飛行機がゴミ箱にストンと入る。

 ふぅむ、と森斗は頭をひねった。


「参加するのはいいとして、どんな作品を発表すればいいんだろう?」

「俺とシルフィちゃんはいつも通りでいいんじゃねえかな?」


 春臣がイーゼルに立てかけられたキャンバスを指差した。

 彼は現在、絵画コンクールに向けて油絵を仕上げている最中である。コンクールに出品してしまう前に文化部発表会で展示すれば一石二鳥だ。

 また、シルフィは入部してからコツコツと静物画のデッサンを続けている。最近はモノクロだけではなく、色鉛筆を使ったカラーイラストも描くようになった。


「それなら私は問題ないか」


 もう少し一波乱あるかと思ったが、とシルフィ。


「私たちのような弱小部活動は常に廃部の危機にさらされているかと思ったぞ」

「シルフィちゃん、それは漫画の読み過ぎだぜ」

「ぐぬぬ……」


 美術部に入部して一ヶ月あまりのうちに、森斗とシルフィの二人はすっかり漫画の虜になっていた。美術部のロッカーには名作から最新作まで、大量の漫画本が保管されている。漫画を一冊も読んだことがなかった反動で、森斗とシルフィはその魅力に猛スピードではまってしまったのである。

 また、春臣&マリアという知識豊富な二人の存在も大きいだろう。二人のオススメしてくれる本は軒並み面白い。ときには非公式作品である『薄い本』というやつまで貸してくれる。漫画の世界はまだまだ奥が深い。


「みなさんが頑張るのなら、私、西園寺さんも本気を出すしかないですね」


 マリアがニヤリとする。

 だが、森斗の覚えている限りだと、彼女の本気とやらに思い当たる節はない。


「マリアも絵が描けるの?」

「そこそこですね。主にパソコンで描いています」

「――って、パソコンで絵が描けるの!?」


 驚きの声をあげる森斗。

 彼の自室にもグリム機関から支給されたパソコンが一台ある。だが、もっぱら任務で送られてきた資料をチェックするくらいにしか使っていない。最近、ようやく漫画や小説についてインターネットで調べ始めた程度だ。


「パソコンで絵が描けるどころか、ゲームだってできるぞ?」


 春臣の言葉に、森斗はさらなる衝撃を受ける。


「……それじゃあ、ゲーム機なんていらないじゃん!?」

「あかん。その暴言はあかん!」


 真顔で待ったを掛ける春臣。

 けれども、すぐに耐えきれず笑顔になった。


「お前、本当に遊びに関しては原始人だよな。ゲーム機にはゲーム機の、パソコンにはパソコンのゲームってのがあるんだよ。それはあとで貸してやるとして……文化部発表会における最大の難関は森斗、お前だ!」


 森斗は指差されてキョトンとする。

 最大の難関、確かにその通りである。美術部に入部してから、森斗は一度として創作的な活動をしていない。漫画か小説を読みあさっているだけだ。そもそも、自分が創作活動をするという発想が森斗にはなかったわけだが……。


「とりあえずは絵心チェックだ」


 春臣がそう言って、森斗に数枚の紙と鉛筆を手渡した。


「お前も大好きな『英国メイド物語シャルマ』のシャルマちゃんを描いてみてくれ」

「あぁ、それなら結構読み込んでいるから大丈夫だ」


 森斗はサラサラと絵を描き始める。

 シルフィも『英国メイド物語シャルマ』は読んでいるので、どんな仕上がりになるのか気になってそわそわし始めた。

 マリアも当然のように読んでいるので「前期コスチュームを描くか、後期コスチュームを描くかで森斗さんの趣味が分かりますね」とほくそ笑んでいる。


 一分もかからずに描き終わって、森斗はシャルマの絵をみんなの前に出した。

 そこには可憐で愛らしい銀髪美少女メイドの姿が――


「――えぇええっ、なんじゃこりゃぁああっ!」


 なかった。


 春臣が一目見て、何かおぞましいものを目撃したような悲鳴を上げた。

 マリアは両手で顔を覆いながらも、どうにか指の隙間から絵を見ている。

 シルフィに至っては完全に目を背けて、「シャルマはこんなんじゃないもん……」と、いつもの口調を忘れて半べそをかいていた。

 森斗が首をかしげる。


「上手く描けていると思うんだけど、顔が似てないのかな?」

「そういう問題じゃねえよ! 人間の腕は頭から生えてねーんだよ!」


 春臣に言われて、森斗は自分の描いた絵とシルフィやマリアを見比べてみた。

 確かに腕の位置が少しだけ高かったような気がする。

 森斗は両腕の部分に二重線を引くと、改めて腰の位置に腕を書き加えた。


「低い! 今度は低すぎる! 人間はもういいから、今度は猫でも描け!」

「猫なら簡単じゃないか」


 二枚目の紙に変えて、サラサラと猫の絵を描いていく。


「……今度こそ大丈夫なんだろうな?」


 震え声のシルフィ。

 マリアが彼女の背後に回り込むと、何を思ったのか両手で目隠しをした。


「シルフィさんには刺激が強すぎるかもしれません。私たちが先に絵を見て、大丈夫そうだったら目隠しを外しますね。いたずらにトラウマを作る必要はありませんから。春臣さんと西園寺さんに任せてください」

「……頼んだぞ、マリア」

「よし、できた!」


 森斗は完成した猫の絵をみんなに見せる。

 そこに描かれていたのは、とても可愛らしい子猫――


「――何で足が六本もあるんだよぉおおおっ!」


 ではなかった。

 春臣が椅子の上でのけぞっている。

 シルフィの両目を覆っているマリアの両手が、尋常ではない量の汗をかいていた。


「なんだっ!? 何が起こった!?」

「どうやら、私たちは目覚めさせてはいけないものを起こしてしまったようですね……」

「うーん、足って六本くらいだと思ってたんだけどなぁ……。もしかして、五本……いや、七本くらいだっけ? とりあえず、この辺に一本だけ描き足しておくね」

「背中かよっ! どうして背中から足が生えるんだよっ!」


 阿鼻叫喚。

 この場で平気な顔をしているのは森斗だけだった。

 森斗自身としては大真面目に絵を描いたつもりである。手を抜いたわけではない。だが、それにもかかわらず仲間たちの反応が悪い。どうやら、自分と彼女らの間には大きな隔たりが存在するようだ。

 春臣が目元を手で押さえている。


「……分かった、動物もやめよう。木を描いてくれ」

「それくらいなら今度こそ大丈夫だ」


 森斗は三枚目の紙に絵を描いていく。

 流石に木ならば平気だろうと、マリアがシルフィの顔から手を放した。


「これならどうだ!」


 森斗が自信満々に三枚目を仲間たちに見せる。

 そうして、三人が目の当たりにすることになったのは――雷に打たれて真っ二つになっている枯れ木の絵だった。

 シルフィが森斗の手を握る。


「私が言うのもアレだが、お前はカウンセリングを受けた方がいい。一人で受けるのが不安だったら、私と一緒に受けよう。そんなに怖いことじゃないから、な?」


 両手でそっと包み込む……とても慈愛に満ちた握り方だった。


 ×


 下校時刻がやってきて、森斗たちは美術室をあとにした。

 五月に入って、日没までの時間がだいぶ伸びてきている。森斗たちがさっさと下校している一方で、運動系の部活動はやっと片づけに入っているところだった。無数の影が校庭の端から端まで伸びているのはなかなか絵になる光景だ。


 森斗は歩きながら、自分の絵のどこが悪かったのかについて考えていた。腕の位置、足の本数……注意するべきところはたくさんある。自分の絵について考えれば考えるほど、やはりプロ漫画家のすごさを感じた。


 いつものY字路にさしかかったところで、森斗たち三人と春臣はお別れである。

 春臣がカーブミラーに寄り掛かりながら嘆いた。


「明日からゴールデンウィークだっていうのに、店長にごり押しされてアルバイトのシフトを入れられちまったぜ……」

「それは災難だったね」


 森斗の慰めの言葉も彼の耳には届いていないらしい。

 じゃあな――と手を振って、春臣は分かれ道に去っていった。


 どうやら、ゴールデンウィークに楽しい予定が控えていないのは、男子高校生に共通の悩みであるらしい。それを気にしているか、気にしていないかの差はあるだろうけれど……と森斗は思った。


 森斗とシルフィとマリアの三人は、もう一方の道を歩き始める。

 夕暮れの住宅地は結構人通りが多い。自転車に乗った中学生、買い物を終えて帰ってくる主婦、定時で退社できた幸運な会社員――明日から始まる連休のおかげか、それとも綺麗な夕日のおかげか、心なしか表情がキラキラして見える。


「ゴールデンウィークは何をしようかな……」


 森斗はぽつりと呟いた。


「僕も春臣みたいにアルバイトでもしてみようかな?」

「……私たちがバイトをしてどうする?」


 シルフィが右隣から怪訝そうな顔を向けてくる。


「それもそうか……」


 彼女の言うことももっともだ、と森斗は考え直した。

 自分たちはグリム機関の狩人として、一介の学生らしからぬ給料をもらっている。使いどころがなくて困っているくらいなので、頑張っている春臣には申し訳ないが、わざわざアルバイトで稼ぐ意味はないのだ。


「それなら、もっと楽しいことがありますよ?」


 すると、マリアが左隣から提案してきた。


「三人でゴールデンウィークにお出かけしましょう。私たち自身の復帰祝いも兼ねて!」

「僕たち三人で?」


 森斗は指折り数えて聞き返した。


「シルフィとマリアと僕と……春臣はどうするの?」

「皆まで言わせないでくださいよ、森斗さん」


 マリアはおもむろに森斗の左腕に抱きつくと、人差し指で彼の胸板をツンツンする。

 シルフィが彼女にじとーっとした視線を向けていた。


「私たちは森斗さんと出かけたいんですから、他の男子の話はナシですよ!」

「マリア、お前っ……私たちってのには私も含まれているのか!?」


 目を白黒とさせるシルフィ。

 当然ですよ、とマリアがうなずいた。


「それとも、私と森斗さんの二人で遊びに行ってしまっても構いませんか?」

「私は森斗のことなんか、べ、別に何とも思っていないからな……。二人が勝手にどこかへ遊びに行こうが関係ない」

「ふーん? そうなんですか? へぇー?」


 背を向けてしまったシルフィに、ピッタリとマリアが背中から貼り付いた。そして、指先で彼女の頬をツンツンしたり、銀色の髪を両手でくしゃくしゃしたりする。だが、それでもシルフィは全然反応しようとしなかった。


「かくなるうえは……こうです!」


 マリアがおもむろにシルフィの耳を甘噛みする。


「ひゃんっ!」


 シルフィがスカートをめくられた小学生みたいな声を上げて飛び退いた。

 彼女はスクールバッグの中に手を突っ込む。

 隠し持っているグルカナイフの柄をしっかりと握っているようだ。


「そういう冗談はやめろ! 上に報告して海外に異動させるぞ!」

「ごちそうさまでした……じゃなくって、森斗さんも何か言ってあげてくださいよ!」


 強引すぎたのを反省して、マリアがこちらにバトンタッチしてきた。

 シルフィが真っ赤な顔をして森斗を見上げる。

 彼女は困ったように視線を右往左往させた。

 何か言いたいことがあるようで、何度か口をパクパクさせてからようやく問いかけた。


「……森斗の方こそ、私と出かけたいのか?」

「もちろんだよ!」


 森斗は即答する。

 それは心の底から出た素直な気持ちだった。


「美希さんからシルフィの話を聞いてから、僕はきみのことが気になって仕方がなかったんだよ。だから、大神煌の事件が終わったあと、どうしてもっと話さなかったんだろうと後悔していたんだ。その気持ちは今でも変わっていない」

「お、お前はまた、そうやって恥ずかしいことを……」


 シルフィが制服のスカートを両手で握りしめる。

 森斗はなおも彼女に訴え続けた。


「僕はきみともっと仲良くなりたいと思っている。だから、ゴールデンウィークに僕たちと一緒に遊んでくれないかな? 僕は遊べる場所なんて知らないから、その辺はマリアに任せることになるけどね」

「任せてください。いい場所を知ってますよ!」


 マリアが自信満々に胸を張った。

 チリンチリン、と自転車のベルの音が聞こえる。

 数秒の間があって、シルフィが大きく息を吐いた。


「……分かった。そ、そこまで言うなら仕方がないな。予定は空けておくぞ」

「それはよかった!」


 森斗はホッとして笑顔になる。

 シルフィがこちらをチラリとだけ見たが、すぐさまそっぽを向いてしまった。

 強気な態度に似合わず、彼女は案外恥ずかしがり屋なのだろう。


 ×


 深夜、一隻の漁船がとある波止場に到着した。

 漁船――正確に言えば漁船に偽装した小型船舶は、真夜中だというのにライトも付けないで防波堤に船体を寄せる。操縦席から出てきた小太りの男性――船長が、すぐさまロープで船体を固定した。そして、船体から防波堤に板を渡して作業完了だ。


「日本に到着したぜ、兄ちゃん」


 船長が声を掛ける。

 すると、甲板で居眠りをしていた青年がむくりと起きあがる。


 青年は金髪青眼の西洋系で、すらりとした体型で背が高い。年齢は二十代前半だが、まるで少年合唱団がそのまま大きくなったような幼顔だ。月明かりを受ける姿は、性別問わずに見惚れてしまうことだろう。


 だが、そんな彼には物々しい点が二つある。

 一つ目は両耳にズラリと並んでいるピアスだ。数えるのが馬鹿馬鹿しくなるほどの量で、慣れないものが見れば痛々しく感じられるだろう。そして、見るものが見れば相当に金がかかっていると分かる。

 二つ目は両手に刻まれているトライバルタトゥーだ。手の甲から手首に向かって続いているが、青年がジャケットを着ているため全体像を見ることはできない。ただ、青年の幼顔と相まって、ピアスとタトゥーは彼のセクシーさを際立たせていた。まるで完成されたイラストレーションを見ているような心地にさせる。


「うーん、長かった。無理せずに南から入ればよかったかな?」


 青年の声もまた、少年期の面影を残していた。

 彼は少し暑そうにジャケットの胸元をバタバタとする。

 ジャケットの下に着ている何かがギラギラと月明かりを跳ね返していた。

 船長が声のボリュームを抑えて笑った。


「兄ちゃんみたいな優しそうな面の男が、どうして面倒な手間を踏んでまで日本に密入国するかねぇ? まぁ、俺は稼がせてもらってるからいいけどな。もしかして、世界を股に掛ける結婚詐欺師だったりして?」

「いやいや! 生まれてこの方、女性とまともに付き合ったことがなくてさ!」

「へぇ……それなら、どんな悪いことをしちゃったんだい?」


 問われて、青年はジャケットのポケットから一本のナイフを取り出した。

 慣れた手つきでナイフの刃をパチンと開くと、


「――俺、人殺しなんだよね。それも根っからのシリアルキラーなんだ」


 青年は船長の腹部にナイフを鋭く突き入れた。

 船長の顔にぶわりと汗が滲み出る。

 そして、青年がナイフを真横に切り払った瞬間のことだった。


「あがっ――」


 腹部の刺し傷を中心にして、まるで地面に亀裂が走るかのように傷が全身に広がったのである。高速で切り刻んだのではなく、切り払ったのはあくまで一度きりだ。ただのそれだけで、船長はミキサーに掛けられたかのようにバラバラになってしまった。


 甲板に血溜まりが広がり、むせ返るような匂いが立ちこめる。

 それから、青年は周囲を見渡した。


 あっという間の犯行だったので目撃者は見当たらない。

 深夜の漁港に向けられる青年の瞳は、足下に広がった血のような赤色になっていた。


「なんだ、誰か見ていたら面白かったのに……」


 青年は残念そうな顔をして、折り畳んだナイフをポケットに収める。

 すると、彼の瞳は先ほどまでのような青色に戻った。


「……さてと、とりあえずは十人くらい殺しておきたいな!」


 甲板から防波堤に移った青年。

 彼はとても軽い足取りで、深夜の町並みに消えていった。

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