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グリム機関の赤頭巾  作者: 兎月竜之介
グリム機関の赤頭巾
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 デブリーフィング的な報告。

 インペリアルの死亡が確認されたあと、グリム機関は速やかに情報操作と背後関係の調査を開始した。


 倉庫での一件については、処理班が『暴力団の引き起こした事件』として世間に誤情報を広めた。ビルからビルへ飛び移る謎の影についても、鳥の群れを見間違えただとか、単なる目の錯覚であるというのが通説となった。中には『燕尾服の男が少女を攫った』と主張するものもいたけれど、ネットの片隅で『大都会東京に出現した吸血鬼の末裔?』などと小さく話題になっただけである。


 インペリアルと超越者協会との繋がりについては、事件から一週間が経過した現在でも調査中だ。埠頭の倉庫、日本への渡航手段、大神煌の事件に関する情報――超越者協会の関与は間違いないが、相手もそう簡単には尻尾を出さない。倉庫に残されたインペリアルの手記から、世界各地に点在する彼のアジトを暴くことができたのが、今のところの一番大きな成果と言えるだろうか……。


 戦闘で負傷した森斗、シルフィ、マリアの三人であるが、たった一週間の治療で日常生活レベルなら困らない体調まで回復していた。


 狩人の才能があるものとして、そもそも常人より回復能力が高いのも一つの理由であるが、何よりもグリム機関の医療技術が世間一般より何歩も先に進んでいる。おかげでボロ雑巾状態になった森斗の左腕も、まだギプスで固められてはいるが、時間さえかければ元通りになると保証してもらえた。何十回とわけの分からない精密機械に突っ込まれたり、詳しく説明できない注射を打たれたりしたけれど……。


 入院中、森斗は無事だった右手で何十枚も始末書を書いた。紙切れで済まされるんだから安いものですよ、とはマリアの言葉である。彼女の方も監督不行届ということで、やっぱり始末書を書かされていた。完全なとばっちりだ。


 ともかく、森斗の命令違反はなんとか許してもらえた。

 残る問題は一つ――シルフィの今後についてのことだけである。


 ×


「あのときは本当に助かりましたよ、美希さん!」


 右腕にスクールバッグを引っかけて、さらに携帯電話を持って通話をする。

 一週間の入院生活で、森斗はすっかり片腕だけの作業に慣れていた。

 左腕は未だに三角巾で吊っている。学生服に袖を通すことができないので、まるで昔の番長みたいに上着を肩に羽織った。春もすっかり終わりを迎えて、これから気温が高まっていく一方である。この格好でも全然寒くないだろう。


 森斗がマンションの自室に戻ってきたのは昨日のことである。そして、今朝からもう学校に行くつもりなのだ。シルフィとマリアからも登校する予定だと聞いている。今は上司の美希に一報を入れているところだった。


『どういたしまして。でも、今度は無茶をしては駄目よ?』


 美希の声に混じって、慌ただしいオフィスの物音も聞こえてくる。

 一週間前からの事件が続いているのか、それとも別の事件が発生したのか、彼女の周囲は今日も慌ただしそうだ。


「いやいや、そう簡単に無茶はしませんよ。よほどのことじゃない限りは」

『本当でしょうね? ……まぁ、今は退院おめでとう。学校生活を楽しんできてね』


 通話はそこで切れる。

 携帯電話をポケットにしまうと、自室を出て階下のシルフィを迎えに行った。


 階段を下りたところで、廊下で待っている彼女の姿を発見する。

 セーラー服の上に赤いパーカー。暑くなってきたら、この格好もそうそう見られなくなるだろう。太陽の日差しを受けてなんだか眩しく見える。ゴスロリ戦闘服の彼女も可愛いが、制服の彼女も森斗は好きである。


 シルフィも操られた大神沙耶に刺されたり、インペリアルに噛みつかれたりしていたが、ほとんどの傷は人狼化の時点で治っていた。彼女が入院させられていたのは、いわゆるカウンセリングとしての意味合いが大きかったと森斗は聞いている。


 病院では面会できなかったので、顔を合わせるのは丸々一週間ぶりだ。

 でも、二人は昨日の今日のように挨拶を交わす。


「おはよう、シルフィ。学校に行こうか」

「……そうだな。遅刻はしたくない」


 それから、二人並んで学校までの通学路を歩いた。

 一週間ぶりに歩く町並みは新鮮みがある。興味がないものは見えない。でも、今は電信柱に貼ってあるポスターも、新しく開店した雑貨屋も、コンクリートの隙間に咲いている花も、いろんなものが目に飛び込んできた。


「お前、私のことを抱きしめただろう?」

「は、はいっ!? ……あ、あぁ、あのときのことか」


 唐突なシルフィの話題提示。

 驚きのあまりに立ち止まったが、森斗はすぐ駆け足で彼女に追いついた。

 彼女は少し恥ずかしそうに問いかける。


「森斗のことだから、勝手に私の匂いを嗅いでいたのだと思うが――私は、その、なんというか、ええと……獣っぽい匂いだったか?」

「え、いや、あまり正確には覚えていないんだけど。ただ、犬とか猫の匂いが癖になってる人もいるって聞いたことがあるし――」

「そこは良い匂いだったって答えるんだよ、ばかぁ!」


 シルフィが鋭いローキックを放つ。


「だぁっぶない!」


 飛び上がる森斗。

 ……などと一週間ぶりの会話を楽しんでいるうちに、二人は稀野学園高等部の正門前までやってくる。多くの生徒たちと一緒に正門を抜けて、昇降口で上履きに履き替える。なんだか、上履きの履き心地ですら懐かしく感じられた。

 二年一組の教室にやってくると、


「おぉっ、ついに帰ってきたかっ!」


 クラスメイトであり美術部仲間の春臣が真っ先に駆け寄ってきた。彼は興奮のあまりに、相手の進路を塞ぐカバディ選手のように手足をばたつかせている。


「なんだよ、三人揃って一週間も休みやがって! 森斗にいたっちゃあ、骨折までしてやがるしよお! 部員が三人も増えたと思ったら、そこから放置プレイされた俺の気持ちにもなってみやがれ! 今日はカラオケだぞ、カラオケ!」

「あぁ、ごめん。野良犬をかばって車にはねられちゃってさ」


 森斗は入院中に呼んだ漫画本を参考にして、骨折した理由をごまかすことにした。

 シルフィも続いて理由をでっち上げる。


「私は道に倒れていた妊婦を助けていた」

「野良犬をかばうとか、どこの主人公だってんだよ! シルフィちゃんの理由はおかしすぎるっつーの! そう簡単に妊婦が道に倒れてたりするかっ! つーか、それは遅刻したときの理由であって、一週間も休んでた理由にならねえっていうか、もう……」


 ツッコミ疲れて、春臣が自分の席によろよろと戻っていく。

 彼は椅子の背にもたれて、ぐったりと天井を仰いだ。


「なんだか、心配していた自分がバカらしくなってきたぜ。それで、マリアちゃんはどうしたんだ? 今回も遅刻ギリギリか?」

「――私ならここにいますよ」


 春臣の問いに対する答えはすぐに返ってきた。

 突然、窓の外に少女のシルエットが出現する。二年一組の教室があるのは校舎の三階だ。シルエットが現れたのは上から……すなわち屋上からなのだった。少女はまるでターザンのように、一本のロープを頼りにして窓から教室に飛び込んでくる。


 床の上で一回転。

 西園寺マリアはそうやって、今日も奇想天外な方法で教室に現れた。

 自然とクラスメイトたちから拍手が巻き起こる。


「どうやら、私がパラシュートで屋上に降りたことに誰も気づいていないようですね! そして、屋上からラペリングの要領で教室に入らせていただきました。流石は西園寺さん。レンジャー部隊さながらの技術だってこの通りですよ!」


 どうですか、としたり顔になるマリア。

 春臣はそれを見て、いよいよ自分の椅子から転げ落ちた。


 ×


 マリアが行動を起こしたのは、昼休みが始まってすぐのことである。

 タンブラーと一通の封筒を持って、彼女は森斗たちの席までやってきた。


「森斗さんとシルフィさん、私と一緒に来てください」

「はいはいはーい! 俺は? この俺、真田春臣は?」

「春臣さんは一人で便所飯でも食べていてください」


 返す言葉もなく、椅子に沈み込む春臣。

 森斗は三人分の弁当を抱えると、心の中で「ごめん!」と謝ってから教室を出た。

 シルフィは少々緊張した面持ちで、森斗とマリアのあとをついてくる。


 マリアが持っている封筒が一体何なのか、彼女にはおおよその想像が付いているのだ。おそらく、封筒の中にはシルフィの処遇について書かれている。狩人としての活動が続けられるのか、全ては上の判断次第なのだった。


 三人は寂れたバラ園までやってくる。

 相変わらず、この場所は学校の敷地内なのか疑わしいほど静かだ。教室で談笑したり、学食に向かって移動したり、一足早く校庭でスポーツに興じたり……そんな生徒たちの声がとても多くに聞こえる。


 マリアはまず最初に、森斗とシルフィをベンチに座らせた。

 そして、すでに開封済みの封筒から命令書を取り出す。


「お二人は勘付いているかと思いますが、これにはシルフィさんの処遇について書かれています。報告書の内容次第では、シルフィさんは二度と戦場に立てなくなるかもしれません。それどころか、この学校に通うのも今日が最後になる可能性だってあります」


 彼女は三つ折りの命令書を開いた。

 そのとき、森斗はシルフィの手が小刻みに震えていることに気づく。


 少しでも力になれたらと、彼はそっとシルフィの左手に自分の右手を重ねた。内心、振り払われないかとドキドキしていたが、彼女は森斗の手を黙って受け入れてくれた。シルフィの手は森斗よりも少しだけ冷たい。


 枯れたツタの絡まるアーチ、雑草しか生えていない花壇、屋根に穴が空いた物置。どれもこれも、時代に忘れられてしまったものたちの集まりだ。心細さの集合体だ。全ての終わりを告げられるなら、これほどお似合いの場所はないかもしれない。


 息を飲むシルフィ。

 マリアが報告書を読み上げた。


「シルフィ・ローゼン……あなたの出動禁止を解除します」


 ざわ、と鳥肌が立つ森斗。

 シルフィが恐る恐る聞き返した。


「……つ、つまり?」

「定期的な健康診断、およびカウンセリングを義務とする代わりに、狩人としての活動を許可するということです。あなたは稀野学園の女子生徒を演じながら、これからも森斗さんと一緒に異端者たちと戦うわけですよ!」

「やっ――」


 森斗が喜びに声を上げようとしたら、


「――やったーっ!」


 シルフィが先に歓声を上げて、すぐ隣にいる彼の体に抱きついてきた。

 インペリアルと戦った夜、倒れ込んできたシルフィを抱きしめた――あの瞬間を森斗は思いだしてしまう。彼女は獣っぽくないかなんて気にしていたけど、実際は全然そんなことなかった。今日と同じように甘くてふわふわとした……彼女が大好きなお菓子みたいな匂いがするのだった。

 が、


「うわ、私、何をやってるんだ!?」


 シルフィが急に素に戻って、抱きついた森斗の体を突き飛ばしてくる。

 森斗はベンチから落ちそうになったが、腹筋を使ってメトロノームのように体勢を立て直した。日頃から筋トレをしておくものである……。

 すると、マリアが小さく手を挙げた。


「あー、ちなみに私も監視係として残ることになりました」

「そ、そうか! それは良かった! これからも三人で遊べるな!」


 シルフィがいそいそと立ち上がって、彼女の掲げた手をギュッと握る。

 マリアは「私を照れ隠しに使われても……」と独りごちた。

 そのとき、校舎の陰から聞き覚えのある声が聞こえてくる。


「――こらぁ、森斗! 何を美少女二人とよろしくしてるんだっ!」


 バラ園に飛び出してきたのは春臣だった。

 購買で買った菓子パンとブリックパックを抱えている。

 そして、彼に続いてもう一人――中等部制服の女子生徒まで現れた。


「こんな可愛い後輩まで待たせやがって! 恥を知れぃ!」

「せ、先輩っ! 図書の貸出期限が今日までなんですけど……」


 制服の上にエプロンを身につけた大神沙耶である。

 彼女はグリム機関の医療班に保護されたあと、インペリアルに関する記憶を修正されて、一般病院に搬送されていたのだった。そのため、あの日のことは『噂の美少女転校生と会えたことに興奮しすぎて失神した』と思い込んでいる。怪我もしていなかったので、事件の翌日から普通に学校へ通っていた。


「あ、そういえば……」


 沙耶に言われて、森斗は図書館から借りっぱなしだった本のことを思い出す。

 入院中に全て読み切って、今はスクールバッグに入っているのだ。


「ええと、お昼ご飯を食べてからでいいかな?」


 森斗は三人分の弁当箱を指さす。

 その存在に気づいて、シルフィがぽかーんと口を開いた。


「……お前、右手しか使えないのにお弁当を三つも作ったのか?」

「慣れると結構できるものだよ。包丁とかにもコツがあって――」


 こんな感じで、とジェスチャーをする森斗。

 春臣が隣のベンチに腰を下ろした。


「それじゃあ、ここで昼飯を食っちまおうぜ。沙耶ちゃんには、ほれ、俺の菓子パンを半分やるからさ。遠慮なく食べてくれ」

「あっ、ありがとうございます、先輩」


 メロンパンを受け取って、彼の隣に腰掛ける沙耶。

 春臣は続けて彼女に話しかけた。


「沙耶ちゃんは美術部とか興味ない? 部員がまだ四人しかいないから、中等部からも新入部員を募集してるんだけど。漫画とか読んだりしないの?」

「えっ、漫画は少しくらいなら読みますけど……」


 沙耶が戸惑い気味にメロンパンをかじる。

 森斗は隣のベンチにて、シルフィとマリアにお弁当を配っていた。

 そして、ふたを開けた瞬間に二人の少女が笑顔になる。


 みんなで一緒にご飯を食べること――それは当たり前な楽しさだけど、あの戦いを生き延びた今はその楽しさもひとしおだ。当たり前を守ることは難しい。父が言っていた言葉を森斗はより深く理解できた。


「いただきますね、森斗さん」


 マリアが箸を手に取る。

 シルフィも食べ始めるのかと思いきや、彼女は森斗にそっと身を寄せて問いかけた。


「やっぱり片手では不便だろう。明日は私がお弁当を作ろうか?」


 思いもよらない提案。


「……ありがとう、シルフィ。ぜひ頼むよ」


 森斗はなんだか嬉しくなって、シルフィのことがますます好きになった。

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